見知らぬ主と書き置きペンパル

2. 見知らぬ主からの返信

昨日はせっかくのいとまだったというのに、あんなトラブルに巻き込まれてしまったせいであまり休めた気がしなかった。
そのせいか、起き抜けから何だか体が重く、まだ少し眠気が残っている。あんなに走ったせいで筋肉痛もある。

ほうきで掃くたびに腕の筋肉にピリピリとした鈍痛が走って少し不快だけれど、だからといって業務の手を抜くわけにはいかない。
額に浮いた汗を拭い、一息つこうと大きく開いた窓辺に向かう。
若葉の香りを含んだ冷たい空気を吸い込むと、少しだけ意欲がみなぎってくるような気がした。今日も一日、がんばろう。

そのとき、すっと吹き込んだ風が、視界の端の何かを揺らした。
ベッド脇のテーブルを見て、ああ、と納得する。休暇前に私が残した書き置きだ。どうやらそのままになっていたらしい。

もしかして、目を通してもらえなかったのかな。
持ち直したばかりの気分がまた少し落ち込みそうになったが、自分の書いた文の下に見慣れない筆跡を認め、一気に気持ちが膨らむ。


 
アイ

驚いたな。

まさか書き置きを残されるとは思わなかったよ。
大方、僕が滅多に部屋に帰らないことを懸念してのことだろ?

僕専属の小間使いに新人が宛がわれたと聞いたときはどうなることかと思ってたけど、
新人にしてはなかなか小粋なことするじゃないか。

ま、君が心配になるのもわからないでもないけど、
僕はこのスタンスを崩すつもりはないよ。

体力を温存するのも重要なことだ……なんて意見も耳にするが、
温存する体力が有り余っていたらそれはそれで勿体ないだろう?

要するに、心配無用だ。

とはいえ、僕が不在なのをいいことに君がこの部屋の清潔を疎かにしても困るからな。
気が向いたらここに足を運んでパフォーマンスをチェックしてあげる。

今後もきちんとこなしてくれることを祈るよ。

追伸:
君が置いていったハチミツアメ、だっけ?
ちょっと甘みが強かったけど、体力の回復にはちょうど良かった。

また調達、よろしく頼むよ。気が向いたときでいい。

リーバル”


 
なるほど、なかなかに気難しそうだ。

けれど、真っ先に浮かんだ感想とは裏腹に、私の心は感激の嵐が吹き荒れていた。
綺麗に整えられた主人の筆跡に、言いようのない感動が込み上げてくる。
どうしよう、好意的に受け止めてくれたことがこんなにも嬉しい。お節介だと思われてもおかしくなかったはずなのに。

少し気難しそうだといううわさこそ本当だったけれど、この言葉の端々に感じる細やかさ。本質的な品性は悪くないことがうかがえる。

ふと、昨日町で出会ったリト族が頭を過ぎる。
“穏やか”には程遠くなかなかにきつい物言いだったけれど、思い返せば彼の行動力には大いに救われた。
彼にもまた、この主と似た類の思いやりが感じずにはいられなかった。
手先の器用さに反して、性格についてはどこか不器用そうな人だったけど。ああいうのも優しさ、なのかな。

あんなことでもないと、かかわることなんてないタイプだった。
けど、もう一度会えたときには、改めてちゃんとお礼を伝えたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この日宛がわれた任務は日中のうちに片付き、午後からは城郭内での待機を命じられた。
つまり、城内に留まらず城下町の範囲内なら自由に過ごしていいってわけだ。

この際だ、城の部屋に戻って新米のメイドの顔でも拝んでやろうか。
なんて思い立ってせっかく部屋に戻ってやったというのに、この日に限って休みを取っているらしい。

「……とんだ無駄足じゃないか」

舌打ちをして部屋を立ち去ろうとしたタイミングで、そういえば……と、ベッド脇のテーブルに引き返す。
やはりあった。上がりそうになる口角を引き締め、新たな紙にしたためられた文字に視線を落とす。

なるほど、どうやら僕の要望を叶えるため、城下町に仕入れに出かけているらしい。
このメイドに対して特別な興味があるわけじゃないが、そろそろ姿くらいは知っておいたほうがいいだろう。
もしかしたら、それらしき人物を見かけることになるかもしれないしな。
一目見てわかれば、それはそれでおもしろそうだ。

宛てもなく出かけるなんてこんな勿体ない時間の使い方は不本意だが、どうせこのままここにいても暇を持て余すだけだ。
ほんの退屈しのぎのつもりで城下町に繰り出すことにした。

今日が休日って輩が多いのか、午後の城下町は朝以上の賑わいだった。
通行を妨げるように行ったり来たりする町民たちに、こんなことなら部屋にこもっていた方が良かったかもしれないと後悔が募る。

「そこのリトのお兄さん!新作ドリンク、試飲しないかい?ゲルドの街から仕入れたヒンヤリメロンで作ったモクテルだよ!」

「いや、結構だ」

「まあまあそう言わずに!」

断るつもりで挙げた手に、ひんやりとした感触があたる。氷を削って作ったグラスのようだ。
絞ったメロンの甘い香りに喉の渇きを思い出す。

「急いでるとこ悪かったね。その様子じゃ、彼女さんを待たせてると見た!」

「はぁ?どうしてそうなるんだい」

「まあまあ、照れなさんな。ほれ、もう一つ特別大サービスだ!」

僕の言葉を聞かず勝手にもう一つ追加で手渡され、さすがに突き返そうかと思ったが、店員はさっさと次の客の応対を始めている。
こういう強引さが商売繁盛の秘訣か。すでに列ができ始めた店をあとにしながら、氷が溶ける前にとキンキンに冷えたドリンクを喉に流す。

「はあ……あっつい」

路地に差し掛かったところで、気だるそうな独り言が耳に届いた。
建物のひさしの下に置かれたベンチにもたれ、服の袖で汗を拭う少女。……見覚えがある顔だ。
確か先週末、ルピーの入った袋を賊に盗まれてた子だ。こんなところでまた見かけるとは思わなかった。

もうかかわることなんてないと思っていたが、正直このドリンクの処分に困っている。
確かさっき「暑い」って言ってたところからすると、ちょうど清涼感を欲しているに違いない。

先に何か声をかけるべきだったと、差し出してから気づいた。暑さにあてられ虚ろな目をしていた少女の目が、驚愕に見開かれる。
突然眼前にドリンクを差し出されたことに対してか、以前窮地を救ったこの僕との再会に驚いてか。いや、この状況だといずれも当てはまってるかもしれない。

「えっ、何……あっ!あなたはこの前の……!」

「どうも。まさかとは思うけど、またルピーの袋を盗まれた……なんて言わないだろうね?」

「ぬ、盗まれてません!もうあんなヘマはしませんから」

「どうだか」

せせら笑いを浮かべると、彼女は少しむくれたように顔をしかめた。
そういう顔をされるともっとからかってやりたくなるが、これ以上からかって目的を成せなくなってもそれはそれで困る。

「まあ、これでも飲んで涼みなよ」

改めて手にしたドリンクを差し出すと、少女は少し戸惑いながらも受け取った。
受け取ってもらえたことに安堵し、壁にもたれて溶けかけたグラスを傾ける。
顔見知り程度の相手から易々と飲み物を受け取るなんて、やはりこの子には少し警戒心が足りないようだ。
まあ、彼女なら受け取るだろうと算段を立てたうえで差し出す僕もなかなかだけど。

「これ……すごくおいしいです!どこのお店ですか?」

「そこの角を曲がったところの店だよ。何でも新作ドリンクのサンプルだとか」

「そうなんですね!今度買いに行こう」

思いがけず気に入ってくれたようで、何だか胸の奥が熱くなる。
打算的な渡し方なんてしないでそれとなく渡せばよかった。……なんて後ろめたい気持ちがほんの少し芽生えるくらいには、今日はちょっと日差しが暑い。
となりでごくごくと音を立ててドリンクを流し込む羽毛のない腕が、ほんの少しだけうらやましい。
唐突に、あっ!と声を上げた彼女に、慌てて視線を逸らす。

「大事なこと忘れてた!」

何かを思い出したようにベンチから立ち上がると、僕に向き直り勢いよく頭を下げる。

「ごめんなさい!私、これから立ち寄らないといけないところがあるんです。次にお会いできたら、今度こそ必ずお礼を」

「ああ、こないだの?礼はいらないって言ったよね」

「いいえ、この飲み物のお礼です。人に恩を受けたままなのは性に合いませんから。次こそ何か奢らせてください」

僕が言葉を返す前に、それじゃ!と言い残し、走り出す。
ずいぶん慌てた様子だが……まあ、僕には関係のないことだ。

少女はそのまま走り去るかに思われたが、また何か思い出したように立ち止まると、くるりとこちらを振り返った。

あどけない笑顔に、つい釘付けになる。

「これ、ありがとうございます!じゃあ、また!」

大きく手を振ると、少女は今度こそ走り去っていった。

「見かけるたびに走ってるな……」

小さくなっていく背中に口では茶化すようなつぶやきを残しながらも、顔は暖気による熱気とは別物の熱で火照っていた。

(2024.4.14)

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