ハイラル城から援軍が来る前にヘブラに引き上げ、町で捕えた人間の女をひとまず飛行訓練場の側の小屋に閉じ込めた。
深い積雪のなかあの軽装で逃げ出すなど馬鹿なことはしないだろうし、逃げたところで人間がどれだけ全力で走ろうがリトの飛行能力の元では亀の歩みも同然だ。
だが念には念を入れ一応仲間に見張らせている。
僕程の持久力ならハイラルとヘブラを往復するくらいわけないはずだが、平静を欠いて飛んだせいか村に着く頃には少し動悸がしていた。
村の門をくぐり少しヒビの入った岩壁ややぐらの屋根の焦げ付きを目にしたことで余計に心拍が乱れ、やり場のない怒りをため息とともに吐き出す。
階段を登る途中すれ違いざまに村人や子どもたちが「おかえりなさい」と微笑みかけてくる。
穏やかな笑顔に胸が締め付けられるが、よく見ずとも皆の顔に浮かぶ疲れがくっきりと見て取れ、気をしっかり持たねばと取り澄まして応えた。
「リーバル様」
最上階のやぐらから白毛のリトが顔を覗かせ、血相を変えて階段を降りてきた。
彼もまた襲撃の任に同行していたが、下位の戦士たちを率いらせるために撤退を命じておいたのだ。
「テバ、君と村長に話がある。込み入った話なんだ。悪いけどほかの連中を近づけさせないようにしてもらえるかな」
「わかりました。ハーツに伝えさせます」
「頼んだよ」
ハーツの元へ向かうテバを尻目に見送り、足早に最上階のやぐらに足を踏み入れると、頭上からホーホウと柔和な笑い声がかかった。
「村長、話がある」
「まずは”ただいま”だろう?リーバル」
「そんな悠長に挨拶してる暇が惜しいんだよ」
ロッキングチェアにもたれのんびりと揺れ動く巨体に苛立ちを募らせながらそう吐き捨てるも、村長ーーカーンーーはその大きな眉をくいっと持ち上げただけで、目を釣り上げる僕と反対に目尻を下げた。
跪き手近なクッションを無造作に手繰り寄せ尻に敷く。
「そうだろう。でも、こういうときだからこそゆとりを忘れてはならないよ」
「はいはい……”ただいま”」
のろのろと頭に伸ばされた手をやんわりと押しのけながらため息混じりに仕方なく要望を飲んでやれば、満足げに頷いた彼は、温和な眉を厳粛にひそめた。
「その様子だと町で何かあったのだろう?」
「ああ。実は……」
「リーバル様、俺から説明します」
本題に入ろうとしたタイミングでちょうど戻ってきたテバが割って入ってきた。
隣に腰を下ろそうとするテバにクッションを投げて寄越すと、彼はなぜか目を輝かせながら「ありがとうございます」と尻に敷いた。
テバが町で起こった事態を説明し終えると、長らく目を閉じて耳を傾けていたカーンは一言「事情はわかった」と答えると、ふうむ……と考え込むようにあごひげをなではじめた。
「テバ。僕が下した命令の内容は何だったかな?」
組んだ腕を指先で叩きつけながら問えば、テバは顔を引き締め即座に答えた。
「はっ。民間人は襲わず、常駐兵、武器屋のみを狙え、とのご命令でした」
「そうだ。僕は間違いなくそう言ったはずだよね。なのにどうしてあんな惨事になったと思う?」
「それは……俺にはわかりかねます」
「住宅地や市場にまで火矢を放ち、多くの民間人を巻き込んだ。これじゃ村を襲った奴らと手口が同じじゃないか」
「……おっしゃる通りです」
どう咎めようとも非を認めるばかりで張り合いのない返答に、憤りは増す一方だ。
困惑するテバをかばうようにして僕の眼前に大きな翼が広げられ、はっと我に返る。
「リーバル、少しは口を慎みなさい。テバ一人を責めるのは筋が通っているとは言えないよ」
村長の言い分はもっともだ。でも、責任を向けるべき先がわからないうちにも、怒りだけは先走ってしょうがないのだ。
僕が言いあぐねているところに、テバがきっぱりとこう言った。
「いえ、村長。俺にも責任の一端はあります。リーバル様からの指示を皆に流したのは俺ですから」
しかしだね……と眉を下げながらなおも何か言いかけた村長は、テバの真摯な眼差しに、伸ばしたままの手をおずおず肘置きにのせ直した。
僕は一つため息をつくと、テバを一目見やってから腕組みをした。
「君自身は僕の指示通りに動いていたってことくらいわかってるさ。それに……一番考えにくいが、僕の伝達ミスだったって可能性も無きにしもあらずだしね。とりあえず君に関しては今回はお咎めなしだ」
テバは僕の言葉に目を見開くと、深々と頭を下げた。
「何と慈悲深い……心遣い痛み入ります、リーバル様。やはりあなたはリトの戦士を束ねるにたる聡明なお方だ」
当たり前のことを言われているだけなのになぜか顔が熱くなるのは、日頃から彼の僕に対するリスペクトが露骨で誇張しすぎるからだ。
尊敬されるのは嫌いじゃないが、ここまで羨望の目で直視され続けるのは少々居心地が悪い。
「誰も褒めそやせとは言ってないんだけど。……ま、どうしても足りないっていうのなら事が片付いたあとでいくらでも感謝してくれて構わないよ。
それに君については咎めないってだけで、正規の指示ではない行動をとった者については話が別だ。町に火を放った者、民間人を襲った者は即刻名乗り出るようにと戦士たちに伝えるんだ」
「わかりました。ただちに伝えてまわります」
もう一度深く頭を下げると、テバはすぐさまやぐらから飛び立った。
彼は僕を師と慕い腹心の部下であろうとしてくれているようだが、彼には悪いが僕には直属の部下など必要ない。
村を代表する戦士として全体をまとめはするが、いちいち指示を出すよりも自分で動いた方が早いし的確だからだ。
テバもまた僕と同じく血気に満ち頑固な部分はあるが、冷血ではない。人情があり、若い戦士からの人望も厚い。
だからこそ彼には僕の下で戦士たちをまとめる立場としてもっと精進してほしいと思うし、そのためなら口やかましかろうが手厳しいことも遠慮なく言わせてもらう。
今回の件を境に、これまで以上にしっかりと指導をしてもらわないと。
「リーバル、もう後には引けないよ。先日の襲撃よりももっと酷い有り様になるかもしれない。
これからどうするのか、ちゃんと考えているんだろうね?」
他人をどうこうしようとする前に自分のことをまずしっかりやれと言われているようで、苦々しく顔をしかめる。
「……更なる報復がないとも限らないし、ひとまず村の警護を固めるのが先決だ。何せ、相手は唐突に村を襲ってきたような連中だからね」
「それだけじゃないだろう。早急にけが人たちの手当てもしないといけないよ」
「言われなくてもわかってるさ。そのための人材を町から……連れてきた」
さすがに攫ったとは言えず誤魔化してはみたものの、カーンの丸い目玉は僕の言葉の裏を見透かすように不安げに揺れている。
「同意は得ているんだろうね?」
「……まあね。とはいっても、正式に依頼するのはこれからだけど」
「今の村はこれまでのように穏やかではないのだよ。ただでさえ緊迫した状況のなか、周囲の敵意を一身に浴びせられることになるだろう。せめてもの情けで丁重にもてなしてあげなさい」
はいはい、と言い残し、話を切り上げて立ち上がる。
やぐらからの去り際、ふと思い至り、柱を掴んで振り返ると、僕の背を見送りながらロッキングチェアを揺らしていたカーンは、どうかしたかね?と小首をかしげる。
「それにしても、ハイラル軍はなぜリトの村を襲ったんだ?異種族間の交流はないものの、これまで暗黙のうちに一定の距離を保ってきたっていうのにさ。
リトの民芸品やヘブラの資源などが目的にしても、あまりに強引でリスキーだ。
町はスラムもなく全体が潤っているように見えた。いずれにせよ軍を動かしてまでわざわざ辺境の村を襲うメリットはないように感じるけど」
「それこそまずは連れてきた者に襲撃時の町の様子で何か変わったことはなかったか確認してみたらどうかね」
「村長は余程僕をあの人間の元に行かせたいみたいだね。
ま、どのみち彼女には今後の指示もしないといけないしな……。仕方ない。気は重いがそうすることにするよ」
(2021.8.7)