失われた記憶

5. ハテノ村にて

私とリンクは、ゼルダ姫に収集をかけられ、ハテール地方での任務に同行していた。
縁あって姫のお付きとして雇われた私は、彼女の身の回りの世話をするかたわら、リンクに稽古をつけてもらった弓の腕が認められ、補佐として度々同行させていただいている。

ハテノ砦は先の戦いにて全壊は免れたものの、ガーディアンの猛攻により壁の至るところが崩れ落ち、瓦礫があたりに散乱しており、行商人や旅人の通行が困難な状況だ。
ただでさえ大変な状況のなか、修復作業の最中にも敵の襲来に遭うこともあるのだという。
ガノン討伐とともにガノンの魔力の影響を受けた魔物はいなくなったものの、強い魔物は未だ残存しており、クロチェリー平原やジャラ湖周辺を根城にする敵が砦に押し寄せてくるとのことで、兵士たちは気力を摩耗し続けるばかり。

そのような事情から、今回の偵察にはハテノ砦の修復状況の確認に加え、ハテール近郊に蔓延る魔物を一斉討伐する意図も含まれており、姫付きの騎士リンクと、空からの一網打尽を得意とするリトの英傑リーバルの二名が作戦に投入されることとなった。

私は過去の記憶を失った状態で姫に拾われて以来、同じ姫付きのリンクにマンツーマンで弓の指導を受けていたため、弓の使いにはそこそこ慣れているつもりだ。
けれど、シカやキツネなどは狩れても、戦闘経験はほとんどないに等しい。
せいぜい飛び具を持たない赤いボコブリンを木の上から狙撃したことくらいだが、敵と手合せをしていない以上、戦闘と胸を張れるほどの経験とは言えないだろう。

この任において私も一応は護衛扱いではあるものの、主な役割はリンクが戦闘中の姫の付き添いと食事や身の回りの世話程度だ。
私も一人の護衛として手柄を立てられたらと思わないことはないが、リンクやリーバルのような腕利きを前にしてそう思うのはさすがにおこがましいので、今自分が成すべきことに徹する。

予想通り、ハイラル城の兵士らが手を合わせても手こずっていた魔物たちを、リンクとリーバルはたった二人で瞬く間に一掃してしまった。

砦からハテノ村へ向かう道中。
最後尾を苛立たし気についてきていたリーバルが、突然羽ばたいた。
真後ろで突風が巻き起こって驚く私と姫をふわりと追い越した彼は、先導するリンクのとなりに降り立つと、大げさな演技で彼をけしかけ始める。

「君がモリブリンに囲まれて苦戦しているあいだに僕は六十四体も退治したよ!
……それで、君は何体倒せたんだい?」

リーバルは討伐の任務に際して、リンクとどちらがより多くの敵を討伐できるか競おうと持ち掛けていた。
だが、リンクの返事を待たずに「じゃ、君の活躍を楽しみにしているよ」と話を打ち切っていたためリンクの反応をかたわらで見ていた私は、その話は結局成立していないのではなかろうかと思っていた。

「……数えてなかった」

案の定リンクからはつれない反応が返ってきた。
元々角を立てていたリーバルはそれに余計憤慨し、声を荒げる。

「はあ?数を数える余裕くらいあったはずだよね。
それとも、まさかたったあれだけのモリブリンに囲まれたくらいで余裕がなかったとか……」

リーバルは口の端を持ち上げ目を細める。

「勝負は僕の勝ちだ。
でも、君がまともに張り合ってなかったっていうんじゃ、僕の気も収まるわけがないよね」

街道の分岐に差し掛かったとき、リーバルはリンクの真っ正面に立ち、行く手をふさいだ。
そして、分かれ道に立つ看板の右手”ハテノ馬術訓練場”を指し示す。

「おや?
どうやらそっちに行けば馬術訓練場なんてものがあるみたいだ。
どうだい、リンク。もう一勝負と行こうじゃないか!」

「ちょっと、リーバル……!」

調子に乗り始めたリーバルを止めようと声をかけた私を、姫が制した。

「お二人が尽力してくださったおかげで、予定よりも早く任を果たすことができました。
当分この近辺に魔物は出ないはずですし、ここからはアイと二人でハテノ村に向かいます。
勝敗がついたのち、合流してください」

「姫もこう言っているわけだし、今度こそ決着をつけようか」

言うが早いか、リーバルは上空に羽ばたいた。

「ほらほら、早く来ないと日が暮れてしまうよ?」

上から野次を飛ばし颯爽と街道の先へと飛んでいく彼を見送りながら、深くため息をつく。

リンクは後頭部を掻きながら困ったように姫を見やるが、姫はクスクスと笑いながら彼の背中を押し出す。

「仲間同士たまには交流も大事ですよ。
私のことはアイに任せて、あなたは行ってらっしゃい」

姫に頭を下げると、リンクは渋々と右の道を走っていった。

「本当に行かせてしまって良かったのですか?姫様」

「構いません。
時間も思った以上にたくさん余ってしまいましたし、それに、今日はこんなにいいお天気ですから。
せっかくですし私たちも日暮れまでハテノ村の近くで採取でもしましょう」

いつになくご機嫌な姫様に私も笑顔になりながら、街道を左に歩いていく彼女を追う。

ーー不覚だった。
数時間前まで嬉々として山菜や花の生態について私に説明してくださっていたのに。
彼女の不調を、どうして見抜けなかったのだろう。

姫に教わった知識を思い返しながら採取に夢中になっていた私は、背後でどさりと聞こえた音に我に返る。

勢いよく振り返ると、姫が頬を上気させて横たわっていた。
手にしていたであろう花々が彼女のかたわらに散らばってしまっている。

「姫様!!」

慌てて姫に駆け寄り、抱き起した。
彼女の額に手をあてた私は、余暇とはいえ姫と行動を共にしている最中であることを忘れ、夢中になり過ぎていた自分に憤りを覚える。

「すごい熱……!姫様、大丈夫ですか!?」

姫は目を閉じ深く呼吸をしながらも、ゆっくりと頷いた。
意識はあるようでほっとするが、状況は変わらない。

「誰か!誰かいませんか!
助けてください!!」

辺りを見回して助けを呼ぶが、昼間のうちは見かけた人の往来も、陽が傾きかけた今は見当たらず。
それにより、あたりが夕闇に包まれ始め、森のなかの様子が見えづらくなっていることに気づく。

リンクとリーバルを呼びに行こうにも、馬術訓練場まではここから馬を駆っても一時間はかかってしまう。
高熱の彼女を抱えて行くわけにもいかないし、ハテノ村に御身を残して行くわけにもいかない。

この辺りの魔物はリンクとリーバルが一掃してくれているとはいえ、野生動物までは狩っていないはずだ。
もし狼の群れに遭遇でもしたら。

このままではまずい……。

そのとき、薄暗い森により濃い影が落ちたかと思うと、上空からバサッバサッと羽ばたく音が降りてきた。

「姫の護衛ともあろう君が、情けないねえ……」

聞きなれた嫌味たっぷりの声に、不安が一気に安堵に変わり、涙目になりながら見上げる。

リーバルは両翼を大きく羽ばたかせ、地面にふわりと降り立った。
その背から、リンクが素早く飛び降り、姫を支える私のかたわらに膝をつく。

リーバルが人をーーしかもリンクーーを乗せて飛んだことに驚くも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

「……状況は」

姫の様子を確認しながら短く言うリンクに、涙をぐいっと拭いながら説明する。

「二人で植物の採取をしていたところ、今しがた突然お倒れに……。
リンク、どうしよう……」

「大丈夫。
このところあまり休まず働き詰めだったから、きっと疲労が出たんだ」

おろおろする私に、リンクの表情は変わらないが、その目は少し穏やかに緩められているように見えた。

「言い訳はあとでたっぷり聞いてあげる。
君、ひとまず先に村の宿に連れて行きなよ」

そばの木にもたれて腕組みをしていたリーバルは、片手を挙げてリンクに行動を促した。

リンクは彼の提案にこくりと頷くと、指笛で馬を呼んだ。この辺りで手なずけた馬を近くに放しておいたのだろう。
馬がそばまでやってくると、姫を横抱きにして馬に乗り、一足先にハテノ村に発った。

二人が去るのを見届けると、リーバルは呆れたようにかぶりを振り、こちらに視線を投げかけてきた。
その表情に侮蔑の色が含まれているように感じ、自分の失態を再認識した私は居たたまれず目を伏せる。

彼がおもむろにこちらに近づいてくるのを感じ、びくりと肩を震わせる。
罵倒が降ってくるものと覚悟していたが、予想外にも、彼は私の前で背中を向けてしゃがみこんだ。

驚いて彼の背中を見つめて固まっている私に深くため息をつくと、肩越しに振り返りながら面倒くさそうにつぶやく。

「……乗って」

「えっ!乗るって……リーバルの背中にですか?」

リンクを乗せたことにも酷く驚いたが、まさか私もその背に乗せてくれようとしているとは。
戸惑うあまりもたつく私に舌打ちすると、彼は声に怒気をはらみながらじろりとにらむ。

「それ以外に何があるっていうんだい。
君が乗らないなら、ここに置いてってもいいんだけど?」

「す、すみません」

失礼します、と一声かけて、彼の背中に手をかける。
ためらいながらも彼の背中にもたれかかると、少し汗のにおいの混じった柔らかな香りがふわりと漂ってくる。
胸当て伝いにリト族特有の高い体温が伝わってきて、夕時で少し冷えかけの体がじんわりと温かくなっていく。

肩越しに見える彼の顔が思いのほか近く、今更引き返せないこの状況にだんだん照れくさくなってきた。

「じゃ、飛ぶよ」

リーバルが地面を蹴ると、二人の体は瞬く間に宙に舞い上がった。

なれない浮遊感に恐怖心が沸き起こり、目を閉じてしまう。
羽ばたきの音に混じり、リーバルの大きな声が耳に届く。

「目を開けてごらん!」

彼の言葉に恐るおそる目を開けた私は、視界いっぱいに広がる光景に目を奪われた。

「綺麗……」

ハテノ塔の向こう、双子山のかたわらに、沈みゆく太陽。
頭上で二分化された空は、正面は夕焼けのだいだい、背後は星がちらつきはじめた宵闇の紺に染まっている。
黄昏時の空は何度も目にしたことがあるはずなのに、今まで見たどんな空よりも圧巻だった。

ふと下を見ると、ハテノ村がぽつんとして見え、彼がこの景色を見せるためにわざと高く舞い上がってくれたのだと気づく。
……私を慰めようとしてくれているのだろうか。

「ありがとう、リーバル」

「……ふん。
この僕がまさか二人もこの背に乗せることになるとはね」

聡い彼のことだ。
私が何に対して礼を言っているのかリーバルなら気づかないはずがないが、おそらくこれは彼なりの照れ隠しだろう。

ふふ、と私が笑うと、彼は口角を上げ、いきなり急降下を始めた。
激しい浮遊感に耐えきれず、私は今度こそ大声で悲鳴を上げてしまった。

ハテノ村の宿屋に着くと、リンクがすでにチェックインを済ませくれていた。
上のロフト部屋を貸し切ったようで、本来上からのぞき込めるような造りになっているはずのところには、衝立ついたてが置かれ間仕切りされている。

リーバルと二人部屋に入ると、奥のベッドに横たわる姫と、そのかたわらの椅子に座るリンクを見つけた。

「姫様!」

急いで近寄り、かたわらに膝をつくと、姫が身を起こそうとしたので慌てて肩を押し返してベッドに寝かせる。

アイ……迷惑をかけてごめんなさい。
驚かせてしまいましたね」

「どうして具合が悪いことを言ってくださらなかったんですか!
お昼はあんなにお元気そうだったのに……」

「楽しくてつい夢中に……」

そう言うと、姫は頬を赤らめ、はにかみながら布団を口元まで引き上げた。
自分のせいで無理をさせてしまったものと考えていた私は、姫の返答に呆気に取られて口を開けていたが、目尻に涙をため、ぷっと噴き出した。

「……私も、姫様との採取、すごく楽しかったです。
でも、もう無理はしないでくださいね」

姫はこくんと頷くと、安心したように笑みを浮かべ、すやすやと寝息を立て始めた。
よほど疲れていたのだろう。あどけない寝顔に胸がずきんと痛む。

「私、夕食の買い出しと支度をしてきますね。
リンクは姫様の頭に乗せる濡れタオルの準備をお願いできますか」

リンクが頷いたのを見て、私もこくりと頷き返す。

「その買い出し、僕もついて行くよ。
姫は寝ちゃってるし、こいつと二人きりだなんて間が持たないからね」

この様子だと、勝負はリンクの勝利か引き分けのどちらかだったのだろう。
何となく結果を聞けず、私について階段を下りるリーバルを尻目にこっそりため息をついた。

ついてくると言った割に、リーバルはよろず屋のなかまでは入ってこようとしなかった。
なんでも、ハイリア人向けの家屋のドアは自分には小さすぎて出入りが面倒だとのこと。

大きな声では言えないが、リーバルはリト族のなかでは小柄だと思う。
だが、彼がそう感じるくらいにはこの村のドアは縦横の幅がいささか小さいかもしれない。

彼は私を待つあいだ川で魚を捕ってきてくれるとのことで、手分けすることにし店の前でいったん別れることにした。

あれだけ熱が高い姫は食事をとることができるかわからないが、ひとまずミルクがゆを用意することにして、ミルク、ハイラル米、たまごをかごに入れる。

リンクやリーバルは激しい戦いをしたあととは思えないくらいさっぱりした顔をしていたが、戦闘の後勝負までしたのだ。疲労は間違いなく蓄積されているはずだ。
……とりあえずガッツダケとマックストリュフも買っておこう。

並んでいる食材を片っ端からかごに入れていく私に、店主が手もみしながら「こいつ持ち合わせはあるんだろうな」と言いたげな顔で見張るなか、隅の棚に置かれている矢束に目がいく。
通常の矢束のとなりに置かれているバクダン矢を手に取り、店主を振り返る。

「すみません、ここにある矢束、全部ください!」

買い物を終えて店から出ると、入り口横のスロープのうえで後ろ手を組み遠くを見つめていたリーバルが私に気づいて段差をすとんと飛び降りた。
私が両手に抱える紙袋を見て目を見開くと、やれやれ……と両手を掲げる。

「夕食の買い出しに来たんじゃなかったっけ?」

呆れたようにそう言う彼に、ずいっと片方の紙袋を差し出す。

「何だい、これは……」

言いかけた彼は紙袋のなかをのぞき込むとはっとして私を見た。
私はその反応が嬉しくて、笑みをこぼす。

「私が助けを呼んだとき、リーバル、急いで駆けつけてくれましたよね。
あのときは気が動転してどうしようかと焦ってしまったけど、あなたが来てくれたおかげで、私……ほっとしました。
だから、そのお礼です」

彼はじっと私の目を見たまま目を見開いていたが、すっと体を横に向けると、目を反らしながら紙袋をぞんざいに受け取った。
かと思えば、今度は眉間にしわを寄せ、私をじろりとにらんでくる。

「あの程度のことでうろたえるなんて、まだまだ未熟な証拠だ。
もっと精進しなよ」

彼のもっともな指摘に、私はぐっと胸がつかえ、顔をうつむかせた。
……そうだ。私がもっとしっかりしていれば、姫が倒れることも、彼に迷惑をかけることもなかったのだ。

けれど、そんな私の鬱蒼とした気持ちを取り払うように、彼の大きな翼が頭の上にぽんぽんと乗せられる。

「……まあ、何はともあれ、君の助けを呼ぶ声が聞こえなかったら、僕らが合流するのも遅れていたかもしれない。
姫もどうにか無事なわけだし。
君の機転に免じて、これはもらっといてあげる」

リーバルはそう言い残し、踵を返すと宿に向けて歩き出した。

私は紙袋からガッツダケがこぼれるのも構わず、彼の翼の熱が残る頭にそっと手を乗せ、ゆったりと去りゆく後姿を見送った。

終わり

(2021.3.22)

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