失われた記憶

6. ミンフラーの秘湯にて

ゼルダ姫の指示の元、英傑のメンバーと姫の付き人である私は、ヘブラ山に点在する祠を見つけては解放していた。
しかし、ただでさえ積雪で足取りが重いというのに、登山道は断崖絶壁だらけ。

そのうえ祠間の距離も遠く、一日で巡るのは不可能であると判断し、陽が暮れたころに見つけた秘湯で一晩明かすことにしたのだった。
恐怖を押し殺しながら同行していた私は、降雪であたりの景色は見えないとはいえ、やはり高所であることを意識してしまい、正直さっさと降りてしまいたかった。
だが、姫が留まるのに自分一人だけ山を下りるなんて無責任な真似はできないし、そもそもそれこそ怖ろしい目に遭いかねないので、大人しく従うしかないのだが。

秘湯の周囲や天井には魔物がはびこっていたが、英傑たちが手分けし一掃してくれたおかげで幸いすぐ安全地帯となった。

山中での野宿のため水浴びを諦めていた一行は、秘湯の出現に大いに喜び、順に風呂を楽しんだ。

「こんな雪山の奥に温泉があるとはなあ!
温泉なんてなあてっきりデスマウンテンにしかないもんだと思ってたぜ」

「何言ってんの。
温泉くらいヘブラにも数カ所はあるよ」

ダルケルの何気ない発言をリーバルは聞き逃さず、カチンときた様子でため息交じりに返した。

「ここ以外にもほかに温泉があるのですか」

「確か、ここから西あたりにゼッカワミの秘湯、南西あたりにクムの秘湯がある。
クムは村の連中もたまに使用しているはずだよ」

ゼルダはリーバルの返しに「まあ!」と手を合わせて喜んだ。

やけに詳しいことから、リーバルは案外風呂好きなのかもしれないと思ったが、みんなの話の輪に加わっても自発的に話しかけるのが苦手な私は、結局ただ聞いているだけのことが多い。
それに、彼とはあまりなじみがないため、本人に直接聞く勇気はない。

話しかけてみたい、とは思うが、接点のない私が気軽に話しかけていいのか……とも思う。
つまりは、私が密かに彼のことを意識しているだけなのだ。

ぼうっとリーバルと姫のやり取りを眺めていると、姫が私の視線に気づいて手を振ってきた。

「せっかくですしアイも入ってきてはどうですか。
周囲の魔物はもういませんし、リーバルとリンクが交代で寝ずの番を引き受けてくれるとのことなので、安心して浸かれますよ」

リーバルがちら、とこちらに視線を寄越し、ふっとその場から離れていく。
それをちらりと目で見送ると、姫に向き直り笑みを浮かべる。

「ありがとうございます、姫様。
お言葉に甘えて、お湯をいただきます」

不慣れな道を歩き続けて疲れ切っていたため、姫の心遣いが湯より心に染みる。

ここに到着してすぐ、リンクが即席で目隠しを作ってくれたおかげで、みんなの目を気にせず入れるのもありがたい。

手荷物から大小のタオル、石鹸、香油を取り出すと、馬に持たせてあったバケツに入れる。
大きな岩場を越えて、薪が用意された石畳のところに一式を置いた。
泡やお湯の流れた跡があり、みんなここで体を洗ったようだ。

さっと服を脱ぎ、濡れないように岩の上に置く。

「うう……山のなかだけあってやっぱ寒い……!!」

持ってきたバケツでザバッとお湯を汲むと、頭から湯をかけ流す。
冷え切った体がたちどころに温まり、そして、急速に冷えていく。

早く温泉に浸かりたい……!

寒さをこらえながらさっさと体を洗い、濡れ髪を絞り結わえる。

ようやく湯船に浸かれると、入る前にもう一度かけ湯をしたときだった。
一際大きな岩の上に何かがちらつき、目を見張る。

しとしとと降る雪の向こうに目を凝らすと、こちらを見据えるセツゲンオオカミと目が合う。

まずい。悟ったときには、遅かった。
オオカミはあごを高く持ち上げると、遠吠えをした。

その声に数匹のオオカミが集まり、こちらに攻め込もうと岩場を飛び降りようとしている。

英傑ほどの力があればオオカミ程度すぐに追い払えるのだろうが、私は弓が多少扱える程度だ。
けれど、あれだけの数のオオカミを相手にできるほどの腕でもないし、ましてや辛うじて使えるレベルの弓は今手元にすらない。
おまけに服一枚身に着けておらず、完全に無防備な状態だ。

そんな私ができることと言えば、恥を忍んで助けを呼ぶことくらいだろう。

アイ!!」

一瞬のうちにそこまで思い至り、口を開きかけた私は、呼ばれた名前に頭上を見上げた。
瞬息ともいえる速さで過ぎてオオカミの群れに突っ込んでいく”青”もといリーバルは、弓をつがえると、逃げ惑うオオカミを一匹残らず捉え、瞬く間に一掃してしまった。

「す、すご……!」

大岩の上に降り立ち、弓を背負うリーバルの背中に見入っていた私は、自分の姿を思い出し、岩場からタオルをもぎ取るように掴み、前を隠す。
ザバザバと肩まで湯に浸かり、未だこちらに背を向けたまま周囲を警戒するように見回しているリーバルに恐るおそる声をかける。

「みっ、見ました……?」

リーバルの肩が一瞬ピクリと跳ねた気がしたが、彼は片手を腰に当て、もう片方の手を上向きにかざして小首をかしげた。

「何の話だい?」

「……いえ、心当たりがないのならいいです」

光の如き速さで飛んで行ったのだ、彼ほどの視力でも、目下の私の裸体をちらりと見ている暇はなかったはずだ。
私の思い過ごしかとほっとしたのもつかの間、ここで話が打ち切られなかったことに、彼が能弁であることを思い出した。

「あいにくだけど、他種族の体を見たところで色欲の情が湧くほど飢えちゃいないよ」

おどけたような調子で返ってきて、わかっててあえてはぐらかしているのだとわかり、顔に熱が集中する。

「や、やっぱり見たんですね!?」

「君、僕の話を聞いてたかい?
たとえ話をしただけで、”見た”なんて一言も言ってないはずだけど?」

核心を突こうとすると揚げ足取りでひらりとかわされる。
このやり取りを楽しんでいるだけのようにも取れ、何だか勝手に恥ずかしがっている自分がばかばかしく思えてきた。

気を取り直したところで、まだ礼を伝えていないことに気づく。
タオルで胸元を隠しながら目を伏せ、ぼそぼそとつぶやくように述べた。

「その……助けてくれてありがとうございます。
目にもとまらぬ見事な弓さばきでした」

「……ふん。別に君のためじゃない。
ここにセツゲンオオカミの群れがいたから防止策として射止めただけだよ」

素直じゃないなあと思いつつも、彼の言葉はもっともなので、それ以上は何も言わず受け止めることにした。
ついででも身の危険を救ってもらったことには変わりないのだから。

リーバルがふとこちらを振り向こうとして、身構えるが、彼は思い出したように踏みとどまり、自分の足下を示した。

「この岩場の下に入ったらどうだい?さっき松明を設置しておいたからさ。
ちょうど良い深さだし、雪も凌げるよ」

そこは、ずっと気にはなっていたが、奥まっているため入るのを躊躇していたところだった。
彼がそう言うのなら、きっと大丈夫だろう。

そっと近寄りなかをのぞき込んでみると、そこは小さな空洞になっていた。
湯に浸かったままザバザバと湯をかき分けて空洞のなかに入ってみると、腰を下ろして肩がちょうど浸かるくらいの浅さだ。

奥から冷たいすきま風が吹きこんでくるのに気づき見やると、岩場の壁になっているところに裂け目があり、リーバルの足首がちらりと見えた。
彼はその裂け目の近くに腰を下ろしたようだ。

「ここ、穴場ですね……!
どうしてほかのみんなには教えてあげなかったんですか?」

裂け目に顔を覗かせながらたずねると、彼は息を飲んだ。

「……あいつらにまで教えたら、各方面から観光客が殺到しそうじゃないか」

こんな辺鄙な山中など、登山客こそ訪れても観光客でにぎわうなんてことないだろうに。
彼の言動の節々には引っかかるところがあるが、追求したところで誤魔化されてしまうんだろう。

「さっき、私がセツゲンオオカミに襲われそうになったとき、私の名前を呼びましたよね。
……どうして?」

わかっていても、どうしても気になって尋ねてしまう。
彼から歩み寄ってくれるのを期待して。

「……言っただろう?君のためじゃないって。
セツゲンオオカミが岩を伝って下りてくると思ったから、注意を促しただけさ」

「そう……ですか」

彼からはっきりとそう言われ、膨らみかけていた気持ちが萎えていく。
二人きりなら心を開いてくれると考えていただけに、酷く残念に思う自分がいる。

「おや、この僕に何を期待したんだい?」

岩の裂け目からリーバルのくつくつ笑う声が空洞に反響し、注がれた恥を押し流すように目を閉じた。

「……別に、何も期待してなどいませんよ。
結果として助けてもらったことには変わりないので、お礼を言っておきたかっただけです」

「へえ……そう」

それっきりやり取りが打ち切られ、リーバルは押し黙ってしまった。
しん……と静まりかえった洞内に、私が動くたびにちゃぽんと水の音だけが響く。

だんだん募る気まずさを、のぼせたせいだと言いわけを浮かべながら、湯からあがる。

彼に声をかけていくべきかと思いつつ、洞内から出ようとしたとき、頭上から声がかかった。

「……冗談だよ」

その小さなささやきに上を振り返るが、そこには相変わらず気取ったように後ろ手を組む彼の後姿だけで。
どこからどこまでが冗談なのか尋ねてもきっと答えてはくれないんだろうな……と諦め半分に思いながら「それじゃあ」とだけ返した。

終わり

(2021.3.25)

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