宙にたゆたう

20. その鷲、女神と相対する

ヘブラ地方・ククジャ谷の最北端に位置する遺跡ーー通称、忘れ去られた神殿。

その最深部に鎮座する女神像を仰ぐ。
天井を破らんばかりのその大きな像は、神殿外部が長く吹きさらされ荒廃が進んでいるなか、最深部にて雨風にさらされることなく守られていたためか朽ち果ててはいないものの、ところどころ少しずつ崩れ落ち、苔やすすがその身を汚している。
ささくれのように傷がついた両手を胸元で重ね、ただ虚空を見つめ微笑みを湛えている。

リーバルは高く舞い上がると、その重ねられた手の上に降り立ち、女神像に話しかけた。

「女神。聞こえるかい?
アイをーーあんたが意識を介して意思の疎通をはかった子を連れてきたぞ!」

リーバルの声が神殿内にこだまする。
しかし、女神からの返答はない。

やはり無駄足だったのだろうか。
リーバルもそう判断したらしく、やれやれ……と肩を落とし、私の隣に降り立つ。

「やっぱり、ダメみたいだね。
ほかをあたろう」

「あっ……」

そう言ってさっさと私の腕を掴み、元来た道を戻ろうとする。

彼の手に引かれながら背後の女神像を振り返ったとき、微かにだが女性の声がこだました。

<ーーなさい……お待ちなさい>

反響するようなその声はリーバルにも届いたらしく、歩みを止め、私の顔をちら、と見ると私の視線をたどり女神像を見上げた。

<久しいですね、アイ
そして……リトの英傑リーバル。あなたの勇姿、しかと見届けましたよ。
このハイラルに安寧をもたらしてくれたこと、心から感謝しています>

「あんたが、女神サマってやつかい?
まさか、この世界の神とこうして言葉を交わすときがこようとはね……」

女神様相手に臆することなく普段の調子で話かけてしまうリーバルは、肝が据わっているのを通り越してもはや図太いのでは。
けれど、こういう場面において彼のこういうところに助けられる。

あり得ないと思っていたことが叶ったことで放心してしまっていた私は、彼の言葉にようやく落ち着きを取り戻し、女神様に声をかけた。

「お久しぶりです、女神様」

深々と頭を下げると、頭上からふふ、と笑い声が響く。

<あなたがたが私を訪ねてきた理由は察しがついています。
アイの運命をーー未来を変えたいのですよね>

「さすがは女神サマ、話が早くて助かるよ。
それで、アイを助けるにはどうしたらいい?」

<落ち着きなさい。あなたの神に頼らぬ姿勢は立派ですが、早合点はよくありません>

一歩前に踏み出し早口に捲し立てるリーバルに、女神様は制止をかけた。
そして、一呼吸置くと、ゆっくりと言葉を紡いだ。

<ーー彼女の運命を変えることは可能です>

その言葉に顔を見合わせて喜ぶ私たちに、ただし、と続く。

<それと引き換えに、あなたがたは別の運命を受け入れなければなりません>

女神様が淡々と告げたその方法に、私は絶句した。

リーバルは声を荒げ、女神に怒声を浴びせる。

「そんな……女神ともあろう崇高なお方が、よりにもよって代償を求めるってのかい!?
そんなことがあっていいわけないだろ!ほかに方法はないのか!!?」

こんなに激高するリーバルをこれまでに見たことがなく、私のためにここまでしてくれる彼を愛おしく思うと同時に、失いたくない気持ちが余計に強くなる。

女神様の話によるとこうだ。

元の世界で私の体はすでに死に、かろうじて魂のみこの世界にとどまっているものの、その魂も間もなく消失するとのこと。

このまま私の魂が消失すれば、この世界の人々から私に関する一切の記憶が失われるという。

一方で、魂の消失を免れる方法もあるという。
それは、転生することで魂をこの世界にとどめるという方法だ。

ただしその条件はとても厳しく、転生に伴い彼と再び同じ時を過ごすためにはこの世界そのものを巻き戻す必要があり、それが厄災復活前の時間軸ーー私がこの世界に最初に現れる前であるとのこと。
そして、世界の時を巻き戻すということは、私やリーバル、この世界の人々の記憶も、すべてがその時間軸までさかのぼってしまうとのこと。

「じゃあ……転生してもしなくても、私たちの記憶は……」

<そう。いずれの選択をしようとも、今度こそすべての記憶が抹消されることになるでしょう>

「くそっ……」

リーバルは悪態をつき、地面を踏みしだいた。

私は怒りをたぎらせ肩を震わせる彼の横顔を見つめ、女神様を見上げた。

私の選択は、とうに決まっている。

「……わかりました。
この運命を、受け入れます」

言葉がすっと口からこぼれたことに、自分でも驚いたが、それ以上にリーバルは愕然とした顔で私を見つめている。

「な……何言ってんの。
運命を受け入れるって……死ぬってことなんだぞ!わかってるのか!!」

彼の焦燥に満ちた言葉を受けてもなお、私の決意は揺らがない。
静かに首を振り、精いっぱい笑みを浮かべる。

「いいの。
リーバルや英傑のみんな、ゼルダ様があんなにつらい思いまでして、がんばって救った大切な世界だよ。
自分の命と天秤にかけるなんて、とてもできないよ……」

今にも涙をこぼしてしまいそうなほどに歪められたリーバルの顔から目を反らし、一息つくと、視線を落とした。

「この世界だけじゃない。
私が元のいた世界にもね、生きたくても生きられない人や、大切な人と死に別れた人、無惨な死を遂げた人、大切な人と生き別れたきり二度と会えなかった人……いろんなかたちの不幸があった。
厄災復活のときも、魔物の襲撃に遭って亡くなった人がたくさんいたはず。
数えきれないほど多くの人が理不尽な目に遭ってきたというのに、私一人だけが恩恵を受けようなんて、そんなの、おこがましいと思わない……?」

想いを紡いでいるうちに、声が震えてきて、喉が詰まりながらも続けた。
自分の本心とは裏腹に、そうでなければならないと、言い聞かせるように。

女神様は、私が願いを唱えたら、きっと叶えてくれる。
だけど、私には、それを唱えられるだけのしたたかさが足りない……。

リーバルとずっと一緒にいたいと思ってるのに……!

目を固くつむり、うつむいてこぶしを固める私のとなりから、深いふかいため息。

「……建前は聞き飽きた。
どうやら君はこの僕との一番大切な約束をすっかり忘れてしまってるようだから、今回だけ特別に思い出させてあげる」

彼が何を言っているかわからず、うつむかせた顔を上げて彼を見つめる。
リーバルは目を閉じ、背中の弓を手に取ると、弓を掴んだままの腕をぐっと私に伸ばし、弓を示した。
弓を見据え、彼が何を言おうとしているか理解したとき。

「このオオワシの弓にかけて守り通すーーそう誓ったはずだよ」

彼の言葉とともに、私の目からはぼろぼろと涙がこぼれた。
リーバルは困ったようにふっと微笑むと、弓を再び背負い直し、翼を広げた。

「世界で一番大切な人のいない世界に、何の意味があるっていうんだ?
あいにくだけど、僕が興味があるのは力であって、世界平和を守ることじゃない。
それに……」

リーバルは眉間にしわを寄せて口の端を歪めると、頭上に顔を向け、女神に届けるように声を張りはっきりと宣言した。

「どうせなら、アイも救って、おまけにもう一度この世界を救う。
そのほうが俄然燃えるね!」

この世界をおまけと言ってしまうあたりが彼らしいが、この世界を統べる神様に向かってそれは冒涜の極みなんじゃ……。
さすがに本心でないことくらいわかっているが恐れ知らずにも程がある。

アイの転生を願うというのですね。
それすなわち、再び厄災に立ち向かう運命を受け入れることと同義であると、わかってのことですね?>

リーバルは当たり前だと言わんばかりに尊大な態度で腕組みをすると、ふんと鼻を鳴らし、あごを高くした。

「また厄災と戦う……か。悪くない。武者震いがするよ」

しかし、そこまで言い切ってから、彼ははっと表情を曇らせ、あごに手を添えてうつむいた。

ちょっと待てよ、アイと最初に出会う前ってことは、またリーバルトルネードの特訓から……いや、この際そんなこと気にしている場合じゃないな……などとぶつくさ言い始めた彼に、女神様の高らかな笑い声が届き、驚いて見上げる。

アイも救い、この世界ももう一度救う……ですか。
自信家なあなたらしい。それでこそ、我がハイラルが誇るリトの戦士>

「話はついたね。
それで……僕の願いとアイの願い、どっちを聞き入れるつもりだい?」

長い沈黙のあと、女神はおもむろに、だが澄み渡るような声色でこう言った。

<リトの戦士リーバル。あなたの願い、聞き届けましょう>

その言葉に、リーバルは顔をほころばせ、私を見た。
私は、手放しで喜べず少し複雑な心境だが、それでも彼が私の転生を願ってくれたことはとても嬉しい。
再び涙をあふれさせた私に、「君はいつの時間軸でも泣き虫だな……」と微笑み、頭を優しく自分の胸に引き寄せた。

アイ……>

女神の穏やか声に彼の胸からそっと顔を上げる。

<本来であれば、あなたの命は今日明日にも消失するはずでした。
ですが、転生までのあいだ、わずかではありますが、二人で過ごす最期のひとときを与えましょう>

その言葉に呼応するように女神像の組まれた両手から輝く暖色の光の玉が現れた。
その光はふわふわと降りてくると、私の胸元に入り込み、一際大きな輝きを放ち、小さな風を巻き起こす。
まばゆさに私もリーバルも目を閉じる。

春の陽光に手をかざしたときのように、ほんのりとした温かさが私の体の全身を駆け巡る。
自分の身に何か変化があったようには感じられないが、心の底から安心感が芽生えてくるのを感じ、もう魂が消失してしまうことはないのだと感覚的に悟る。

やがて、風とともに光が収束していき、神殿内は再び薄暗闇に包まれた。

私は、変わりなく微笑みを浮かべる像を見上げ、眉を寄せた。

「女神様……本当にこれで良かったのですか?
あなたの願いはハイラルの平和のはずですよね。
よそ者の私一人のためにこの世界をまた厄災ガノンの脅威にさらすことになるのですよ」

アイ、もう決断は下されました。あなたが何を思おうと、この国の未来は決まったことなのです。
それに、ご心配に及ばずとも、そこのリトの戦士があなたもこのハイラルも救ってみせると先ほど決意を見せてくれたばかりですよ。
……リーバルを、心から信じなさい>

うつむく私の手に、やわらかで大きな手が重ねられる。
あたたかな、リーバルの手だ。

彼は、穏やかな眼差しで私を見つめると、ゆっくりとうなずいた。
その淀みない眼差しに、私もようやく心を決め、うなずき返す。

<……そろそろ刻限が来てしまいました。アイ、リーバル……またいつか、相まみえましょう……>

その言葉を最後に、女神の気配は消えた。

女神様とのやり取りを反芻しながらしばらく女神像を仰いでいたが、リーバルにぐいっと腕を引かれ、彼の胸に再び収まったことにより、ぼんやりとしていた意識が彼に集中する。

「ちょっと、リーバル!苦しいってば……リーバ……ル……」

力いっぱいぎゅうっと抱きしめられ、息が詰まりそうになりながら押し返そうとするが、声を押し殺すような吐息交じりのうめきが肩口に聞こえ、私は彼の腰を掴んでいた腕をそっと背中に添えた。

トン、トン……とリズムを刻むように、彼の背中を優しくたたく。

「ありがとう……ごめんね……」

彼は返事の代わりに私の服をぎゅっと握った。
私もそれに応えるように、彼の背中をぐっと抱きしめる。

こらえていたものがじんわりと目にたまってきて、顔をくしゃっと歪める。
堰を切ったようにあふれるしずくとともに、啼泣が廃れた神殿内にこだます。

膝から崩れ落ちた私を支えるようにリーバルも向かいに膝をつき、私たちはお互いを求めるようにいつまでも抱き締めあった。

(2021.4.4)

次のページ
前のページ


 

「宙にたゆたう」に戻るzzzに戻るtopに戻る