“リーバルと恋人同士だった”
アイの言葉に耳を疑った。
確信に近いものを感じていたとはいえ、実際にそう言われても実感が湧かない。
けれど、彼女が嘘を言っていないことは、彼女の目からあふれるものを目の当たりにすれば一目瞭然だった。
「アイ……泣いているのかい?」
アイの顔に手を伸ばし、頬を伝う涙を掬う。
彼女は自分が泣いていることに気づいていなかったらしい。
僕の顔を見上げたその目がだんだんうるんでいき、堰を切ったように大声を上げて大粒の涙をこぼした。
その泣き顔が痛ましくて、堪らずアイを胸に引き寄せると、頭をそっと撫でた。
「リーバル……リーバル……!
ごめんなさい……!!」
アイはしゃくりあげて泣きながら、何度も僕に謝罪の言葉を投げかけてくる。
ただ事ではない様子にいったん冷静になるよう説得する。
「ねえ、ちょっと落ち着きなよ。
いきなりどうしたっていうんだよ?」
嗚咽を漏らしながら涙を必死に拭うアイをベッドに誘導し座らせながら、背中を支えてやる。
アイはなおも涙をこぼしながら、途切れ途切れにつぶやいた。
「私……やっと思い出した。
あなたとのこと……これまでのこと、全部……」
何度も目をこするので、目の周りが真っ赤になっている。
今更かとも思ったが、ベッドサイドのテーブルに置かれていたタオルを手渡す。
アイは素直にそれを受け取ると、目元を拭った。
「急に泣きだすから、驚いたよ。
それで、いったいどんな記憶を思い出したっていうんだい?」
話の流れに逆らったつもりはない。
それとなく聞いたつもりだったか、アイはなぜか固まった。
「い、言えない……」
「はあ?」
そのままタオルに顔を埋め、黙り込むアイに、呆れて盛大なため息を漏らす。
だんだん面倒になってきている自分が顔を覗かせているが、ここは我慢だ。
「君さあ……突然泣き出したかと思えば、僕との記憶を思い出したなんて、散々僕を驚かせたくせに。
今更やっぱり話せないって、虫が良すぎるんじゃないの?」
「ご、ごもっとも……」
「それとも何?
口にも出せないようなことを、過去の僕とはやったとか……」
冗談めかしてそう言うと、アイは過敏に反応してベッドの隅に移動しようとする。
逃げようとするアイの腕を掴み、再び近くに引き寄せ、耳元でささやく。
「ねえ、どうなんだよ?」
「わ、わかったから!ちゃんと話します!話せる範囲でいいなら、だけど……」
アイの口から小さなため息がもれる。
顔を赤らめて降参するアイに気を良くして、僕は手を離してやった。
僕と恋人同士だったという割には、記憶を取り戻してからもうぶな反応を見せてくれるのがたまらない。
だが、これ以上からかってへそを曲げられても困るので、話を切り替えることにする。
「じゃあさ、最初の出会いから聞かせてくれよ。過去の僕らは、どうやって出会ったんだい?」
アイは腕を組むと、うーんと唸り、目を閉じた。
気づいたらヘブラ地方の上空を落下していたこと。
死を覚悟していたところ僕に助けられたこと。
この僕をあろうことか天使と勘違いしたこと。
アイの話はまるで他人の話のようだが、自分ならそうするだろうなと思うことばかりで、すんなり受け入れられた。
受け入れられはしたが、状況が容易に想像できて思わず笑いが込み上げてくる。
「あの橋での出会い……ああ、君にとっては再会なんだっけ?
あれも思い返せば笑えるけど、そんなおかしな出会い方をしてたなんてなあ!
思い出せないのが残念だよ!」
ベッドに仰向けになりながら腹を抱えて笑う僕に、アイの眉間にだんだんしわが寄っていく。
「馬鹿にして!ほんとに死ぬかと思ったんだから!
ただでさえ知らない場所に急に放り出されて怖かったのに、あなたは私に矢を向けてくるし……」
「急に空から妙な人間が降ってきたら、僕じゃなくても警戒するに決まってるだろ」
笑いをこらえつつ息を整えるが、再び脳内で反芻してしまい、思い出し笑いをしてしまう。
別に笑い上戸ではないが、過去の自分が実際に体験したエピソードだと思うとおかしくてしかたがない。
「ふふっ……けど、僕を天使だと思うとはねえ……」
目に滲んだ涙を見られないように目元を左手で覆い、声を押し殺して笑っていると、突然腰に重みがかかった。
腕の隙間から様子をうかがうと、アイが僕に馬乗りになっていた。
突然のことに思考が追い付かず、目を見張っているうちに、くちばしに唇を押し付けられる。
「リーバル……?」
アイの声に我に返り、腕の隙間から見つめる。
不安そうなアイの目と視線が絡まり、気づけば彼女を押し倒し返していた。
アイの髪がシーツに広がり、あらわになった首元が艶めかしい。
このままめちゃくちゃにしてしまいたい気持ちを押し込めて、生唾をのむ。
「この僕が、君に不覚を取られるとはね……アイ」
アイの両手首を掴むと、僕はおもむろに顔を近づけ、彼女のそのふっくらとした唇にそっとくちばしを寄せた。
キスする瞬間アイは固く目を閉じたが、抵抗する様子はなく受け入れられた。
「おかえし、だ」
一度くちばしを離してそうささやくと、再び口づける。
僕らリト族はくちばしをこすり付けあったりして鳥のそれと同様のキスをする。
こうして人間に口づけるのは、記憶にある限り初めてのことだった。
アイはうっとりと頬を染め目を閉じている。
過去の自分はこうしてアイと幾たびもキスを重ねたのだろう。
であれば、少し強引にしても驚かせることはないのではないだろうか。
いたずら心が芽生え、アイが息をつごうと開いた口内に、僕は舌を差し込んだ。
「んっ……!?」
瞬間、閉じられていたアイの目が大きく見開かれる。
僕に口内をおかされ、されるがままになっていたが、舌をこすり付けているうちに、アイも小さな舌を絡ませてきた。
そのなめらかな感触に、ぞくりとした感覚が体を貫く。
何度もキスを重ねたあと、以前の僕ともこうしたことがあるのかと尋ねると、彼女は恥じらいながら「普通のキスしか……」と答えた。
その表情に再び理性のタガが外れかけるが、平静を保つ。
かつての自分より一歩リードしているのは悪い気はしないが、それを悟られるのはシャクなので、「ふうん」と答えるに留めた。
(2021.3.6)