ハイラル城から呼び出しを受けた帰り、リトの馬宿の少し手前あたりの森に立ち寄った。
すぐ村に帰って休みたい気持ちもあったが、村での僕は”英傑リーバル”だ。
常に周囲の視線を意識し、怠慢を一遍たりとも村民に見せてはならない。
それは評価が揺らぐからではなく、完全に僕の意地だ。
だが、今は幸いにも村の外。
こうして自分一人の時間を過ごすのも久しぶりだし、たまにはこんな気まぐれも悪くはない。
手近なところに実っていたりんごをもぎ取り、かじりながら木陰に腰を下ろす。
ふと、少し離れた木の幹に誰かがもたれかかっているのがちらりと見えた。
微動だにしないので、もしや死んでいるのかと思いひやりとしたが、念のためそばに寄って確かめることにする。
深い髪の色が印象的なーー人間の女だ。
ハイラルでは見かけたことのない、めずらしい型のドレスに身を包むその女は、体のあちこちを負傷しているようで、やぶけた服の袖や裾などあちこちから、真新しくできたであろうあざや傷が垣間見える。
もしかすると魔物にやられたのかもしれない。
声をかけながら軽く揺さぶってみるが、反応はない。
そっと口元に耳を近づけてみると、かすかだが呼吸は感じられた。まだ生きている。
周囲を見渡し敵がいないことを確認すると、彼女を背負い、所持品の中から取り出したロープで僕と彼女の胴体をきつく縛る。
しっかり固定されたことを確認し、飛び立った。
大丈夫、まだ助かるはずだ。
素性もわからない人間相手に、僕はなぜか必死だった。
リトの馬宿の主人は一応顔見知りだ。
きっと面倒を見てくれるだろう……。
馬宿に預けてからも、僕は彼女の様子がずっと気にかかっていた。
リトの馬宿を経由してやってくる商人に様子を尋ねると、2、3日して、目を覚ましたと教えてくれた。
見つけるのが早かったのが幸いしたのだろう。
時折橋の近くでこちらをじっと眺めてくるやつがいるが、あれがあのときの女だろう。
行って様子を確かめたいが、何となく僕のほうから向かうのは気が引けた。
そして、人間の女を助けてからひと月が過ぎたころのことだ。
どうしてそうなったのか、彼女がそのつり橋の中腹で縄にしがみついているのが遠目にわかった。
わずかだが、橋が揺れている。
大方橋を渡っている途中で怖くなって、動けなくなってしまったのだろう。
まったく、何というありさまだ。
近くに行ってからかってやろうかなどと不謹慎なことを考えながら羽ばたいて宙に浮いたとき、かすかにだが、下から懇願する声が聞こえてきた。
「誰か、助けて……」
その弱々しげな声にいてもたってもいられなくなった僕は、急いで彼女の頭上に飛んで行った。
ひと月前、僕の前で固く目を閉じていた君は、どんな瞳をしているんだ？
内心とは裏腹に、僕の口からはいつものくせで嫌味な言動が飛び出していた。
「おやおや、小鹿が橋に足を挟めたのかと思って来てみれば……また君じゃないか」
僕をつま先からそっと見上げたその瞳は、髪と同じく夜のように深い闇色をしていた。
（2021.2.8）