甘。夢主視点。
ハイリア山での討伐任務にて、ダルケルの繰りだしたヒップアタックをもろに食らい、その場にいたリンクもろとも滝壺へ転落してしまうリーバル。
濡れた体を乾かさないままキャンプを離れたことを耳にした夢主は、彼を案じ探しに行くことに。
門前宿場町に着くころには陽が沈み、神殿へと続く参道には松明が掲げられている。
遺物調査のために登頂していたハイリア山から下山した一行は、神殿の周辺でたき火を囲み暖をとっているところだ。
そこへゼルダからヒーラーに緊急招集の要請がかかり慌てて駆け付けた私は、事情を聞き呆れかえってがっくりと肩を竦めた。
ハイリア山麓の黄泉の川付近で魔物との交戦中、ゼルダの周囲が手すきになったところを敵につけ狙われた。
それをいち早く察知したリーバルが救い出そうと弓を構えたところにリンクが間髪入れず飛び込んできた。
同士討ちを避けるため瞬時に弓の軌道を変えようと態勢を立て直していたところ、間の悪いことにダルケルのヒップアタックが激突。
そのまま跳ね飛ばされたリーバルは体勢を整えようとするも間に合わず、咄嗟にゼルダの盾となったリンクもろとも川へ転落。そのまま流されて滝壺へ。
ゼルダは、周辺の魔物を一掃しながらも彼女の守護に努めたダルケルのおかげで無事。事なきを得たとのこと。
しかし、問題はそのあとだ。
滝壺へ落ちたあと溺れかけているところをリンクに救われ命からがらキャンプへ帰着したリーバルは、ハプニングにハプニングが重なったことで恥を募らせおかんむりとのこと。
堪忍袋の緒が切れる瞬間はたやすく想像がついた。
自分の手柄を横取りされた上にテンポを乱され、目の敵にしているリンクと川に落ちた揚げ句助けられたとあっては、ヘブラの頂よりも高い彼のプライドはさぞかしズタボロにされたことだろう。
リンクとダルケルに対し未だ憤慨したままのリーバルは、たき火にあたるよう勧めるゼルダを振り払い、濡れ羽のままキャンプを離れてしまったそうだ。
不幸中の幸いで落下地点に岩場がなく、帰路も敵襲には遭わなかったため二人ともけがはないようだが、黄泉の川は、その名に相応しく触れただけで身を刺すほどの冷水だ。氷水と言ってもいい。
そのため、傷こそないものの寒冷に耐えうるリトの体毛といえどあれほどの冷水に一時でも晒されていたともなれば凍傷になっていてもおかしくはない。凍傷を免れていたとしても、ただでは済まされなかったはずだ。
胸騒ぎを抑えながら荷物を一式抱えると、ゼルダから報告を受けている最中かたわらに控えていた兵士が、リーバルを見かけた、とこそっと耳打ちしてくれた廃墟の小屋へと急いだ。
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地図に松明をかざし、間もなく小屋があるあたりだな、と顔を上げたころ。遠くにたき火の灯りを見つけた。
始まりの台地にはボコブリンの集落がいくつか点在している。リーバルの心情に配慮し大勢で訪ねるより私一人のほうが良いのでは、と付き添いの者を連れてこなかったことを今さらながら後悔しそうになる。
ひやりとしながら少しずつ近づいていった私は、たき火の前にうずくまる背中に四つの三つ編みを見つけ、胸をなでおろした。
肩の荷をかつぎ直し、大股に草を踏みしめながら近づいていく。
「ここにいたんですね」
私の声にびくりと肩を揺らすと、リーバルはうつむかせていた顔を上げ勢いよくこちらを振り向いた。
「アイ……」
暗がりに目を凝らした彼は、私の姿を捉えると、低く名をつぶやいたきり再びたき火に視線を戻した。
「僕のことは放ってとっととキャンプに帰るんだ。姫には明朝戻ると伝えてくれ」
彼の言葉に一瞬ためらいそうになるも、自分の使命を思い出す。松明を土の上に置くと、彼が腰かける丸太のかたわらに少し距離を取って座った。
頬や翼の先からしたたった水が水たまりをつくり、彼の鉤爪を浸している。羽毛が体の線に張り付いてつやつやと光るところから見ても、まだ十分に渇いていないようだ。
くゆる炎を恨みがましくにらむ眼差しからは、先の一件がまだくすぶっているのがありありと見て取れる。
しかし、橙に照らされ揺らめく翡翠をのぞき込んだとき。そこに秘められた心情は単純な怒りによるものではないのでは、と、別の何かを感じさせた。
「……じろじろ見るな。顔に穴が開くだろ」
ため息交じりにそう突き放されるが、言葉選びにいつものキレがない。
彼らしからぬ様子に小首をかしげながらも荷物から乾いた布を取り出す。
「そういうわけにはいきません。あなたの様子を見てくるようにとゼルダ様から念を押して頼まれましたから」
「余計なお世話……っ」
声を張ろうとしたリーバルが、突如激しく咳き込んだ。
むせるような空咳に慌てて側に寄り背中をさすると、腕をぐいっと掴まれ、押し返された。
手のひらが熱い。目も潤んでいる。もしや……
「リーバル、あなたまさか熱があるのでは?」
胸を押さえ呼吸を繰り返していたリーバルは、こちらをひと睨みすると目を閉じ深く息を吐き出した。
「この程度、一晩休めばすぐ治るさ……」
「侮っちゃだめです!こんなずぶ濡れのまま一晩過ごしたら、もっと具合が悪くなりますよ」
「うるさいっ、触るな……!」
手にした布を広げリーバルの体にかけたが、乱暴に振り払われてしまった。
彼が射る矢のように鋭い視線に射抜かれ、普段の私なら臆していただろう。
けれど、今日の彼はいつもとどこか違う。
弱々しく潜められた眉間。上気した頬。うっすらと開かれたくちばし。艶めかしく……煽情的だ。
潤みを帯び煌々と灯火の揺らめく翡翠に見入っているうちに、リーバルの体がぐらりと傾いた。
我に返り脇に手を差し込み、しっかりと上体を支える。
「ほっとけって……言っただろ……」
間近に迫った顔は困惑の色を浮かべ、細められた横目が朦朧と私の目を見つめてくる。
熱い吐息とともに吐き出される声に心を鷲掴みにされそうになるも、気を振り払って起立を促す。
「できませんよそんなこと。こんな状態のまま放って戻るなんて、ヒーラーの名が廃ります」
「……」
息を乱しながらも私の言葉にじっと耳を傾けていたリーバルは、刹那、ふっと微笑んだ。
「責任感の強さだけは褒めてあげるよ」
そう茶化しながら私の肩に腕をしっかりと絡ませる。
責務をまっとうしないといけないと頭ではわかっているのに、密着する体に、頬にかかる吐息に、潜められた低い声に、潤んだ翡翠の眼差しに……不覚にも心がかき乱されてゆく。
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「まさか、男の僕に目の前で脱げなんて言うとはね」
「こ、ここなら薄明りだし、恥じらいもそんなにないかと思ったんです!」
そう誤魔化し言ったものの、リト族にとっては装備一式を脱ぐことがすなわちはだかになることと同義だとは知らなかった。
リーバルのずぶ濡れの体を拭くためとはいえ、さすがに恥ずかしい。
「あなたが健康ならご自分で拭いてもらっていたところですが、そんなに熱があるのに任せて不十分だと困りますから」
「はいはい……」
背中を拭き終えると、リーバルは気だるげに笑いながらベッドに横になった。
強がってはいるが、カンテラの灯りにぼんやりと照らされた顔を見る限り先ほどよりもつらそうだ。
「リーバル、何か口に入れられそうですか?軽食なら少しあるのですが」
「いや……今は少し気分が悪い。食事はいらないよ」
「じゃあ、せめてハチミツだけでも口にしてくれませんか?風邪の治癒に良いと聞きますし。まさか体調が優れないとは思わず薬は所持してないんです」
「ハチミツねえ……少しもらおうかな」
荷物からハチミツの入った瓶を取り出しテーブルに置くと、匙を取り出そうと携帯しているカトラリーの包み布を開いた。
「あ……匙がない」
「ふん……それなら結構だ。さすがにこの指ですくって羽毛がベタつくのは嫌だし。
僕はこのまま眠る。君もそろそろキャンプに……」
リーバルは私が差し出した指に絡むものに目を見張り言葉を失った。
ハチミツと私を交互に見つめる目に動揺が浮かぶ。
「それを、僕に舐めろっていうのかい……?」
「そうです」
「……っ、できるわけがないだろ!何考えて……んっ」
喚くリーバルのくちばし目掛けて指を押し込むと、舌の上にハチミツを乗せた。
目を見開いて私を凝視するその目には、猜疑心とも呆れとも取れる複雑な感情が入り交じって見える。
いくらヒーラーとはいえ鎧を脱がせた揚げ句勝手に口内に指を突っ込むなんて、介抱の域を超えてると思われてしまっただろうか。
指を抜こうと引いた腕が、強い力で掴まれた。
驚いているうちに、指先にぬるりとしたものが這いずる。
私の指についたハチミツを、リーバルの熱い舌が丹念に舐めとっていく。
ぬめりを帯びた滑らかな感触が指先の神経を刺激し、ぞくぞくと妙な感覚が背筋を這う。
「リーバル、ちょっと……!」
すでにハチミツの粘ついた感覚はなくなっている。それなのに未だ私の指を舐め続ける彼に、息を切らしながら抗議すると、ようやくくちばしを離してくれた。
しかし掴んだままの腕をそのまま引き込まれ、寝そべる彼の上に覆いかぶさるかたちになってしまった。
腕を掴んでいた片翼は腰に添えられ、伸ばされた指先が頬を包み込む。
「リーバル、何して……」
虚ろな翡翠と視線が絡んだ瞬間、彼のくちばしが眼前に迫り、私の口内に彼の舌が差し込まれた。
口いっぱいに、甘い蜜の味が広がる。
熱い吐息が唇に、頬に吹きかかり、のぼせてしまいそうなほど顔が熱くなってくる。
「僕にこうさせたのは君だよ、アイ……」
長いキスのあと、リーバルは掠れた声でそうつぶやいて私を抱きしめ、あろうことかそのまますやすやと寝息を立て始めてしまった。
リーバルが、私にキス……?どうして……?
今しがた起こったできごとを脳内で必死に受け止めようとしているうちに、いつしかカンテラの油が切れ小屋は暗闇に包まれた。
静寂の暗闇のなか、狭いベッドで身動きも取れず、いつまでも眠れないまま悶々と夜が更けていった。
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「おい、もう朝だぞ。そろそろ起きなよ」
はきはきとした声に重いまぶたを持ち上げると、ぼんやりと見覚えのない空間が目に映る。
視界がくっきりとしてくると、丸太を組んだ壁の前で装備のベルトをきつく締めている最中のリーバルと目が合った。
「り、リーバル!もう具合はいいのですか?」
「ああ、熱は下がったみたいだ」
がばりと身を起こし、乱れた髪を手櫛で整えると、すごい寝ぐせ、と装備を整え終えた彼が目じりを下げながらそばまで寄ってきた。
あごをくいっと持ち上げられ、唇にくちばしが軽く触れた。
呆気に取られて伏し目の赤いまぶたを見つめていると、奥の翡翠が緩慢に弧を描いた。
「ここでのことは僕らだけの秘密ってことで。いいね」
あれ以来リーバルとは隠れて逢瀬を重ねているが、荷物に必ず忍ばせるようになったハチミツが口付けの合図だということは私たちだけのトップシークレットだ。
終わり
(2021.7.2)