短編

約束の朝

微甘。リーバル視点。
前夜城の図書館でデートの約束を取り付けたリーバルは、翌朝夢主の部屋まで迎えに行く。
声をかけてもなかなか応答のない夢主にしびれを切らしたリーバルは、彼女の部屋に入室することに。

おやすみなさい、また明日のその後。


 
「暇すぎる……」

延々と赤い敷物が続く代り映えのしない廊下。
月明かりの差し込む大きな窓も、荘厳な城の風格を彩る松明のかがり火も、等間隔で置かれた騎士像の精巧さも。城に訪れてすぐはロマンを感じ目を奪われはしたが、何日か滞在したあたりからすでに見飽きている。

任務明けで疲れた体を休めろと言われても、大した暇つぶしもない部屋にこもってじっとしているだけなんて息苦しくて仕方がない。
かといって訓練場も夜は閉鎖されていて、軽く体を動かすこともできない。
いっそ警備に断ってひとっ飛びしてこようかとも考えたが、そのためだけにいちいち断りを入れなきゃならないことがそもそも面倒だ。

そんなことを浮かべながら、仕方なく退屈しのぎに城内をふらついていた矢先だった。
偶然、アイの姿を見つけた。不覚にも、どきりと胸が脈打つ。

きょろきょろとあたりを確認しながら、足早にどこかへ向かっている。あっちは確か……図書室か。
それで合点がいった。大方、昨晩姫とコソコソ話していた「秘伝のレシピ」とやらを探しに向かっているのだろう。律義なことだ。
しかし、あれほどの広さを誇る図書室で探し物だなんて、果たして彼女一人に務まるのだろうか。

「ま、たまには協力してあげるのも悪くない、か」

このままふらついてても特段おもしろいことなんて起きやしないだろうし。
それに、この僕が突然背後から現れたら……。彼女の驚いた顔が目に浮かび、つい口角が上がる。
あの子の慌てふためく姿は、ちょっと興味を引かれないでもない。

ほんの気まぐれ。ただの暇つぶし。
そう口実立てて彼女のあとを追うことにしたのは、つい昨晩のこと。

翌朝。
昨晩図書室で交わした約束の通り、アイの部屋へと向かった。

しかし、部屋についてからもう何度もノックをしているというのに、一向に彼女が出てくる様子もなければ返答もない。

「チッ、まだ寝てるのか……?」

せっかくいつもより早起きして入念に身支度を整えてきてやったってのに。このまま無駄足になるのだけは御免だ。
しびれを切らし、一か八かでドアノブに手をかける。

「開いてる……」

呆気なく開かれた扉に意表を突かれると同時に、彼女の不用心さに呆れる。鍵をかけ忘れたのだろうか。

「ーー入るぞ」

一応一言断りを入れ、なかに入らせてもらう。城の連中に怪しまれても面倒だ。念のため鍵はかけておくことにした。
その途端、廊下とは異なる空気に、思わず息を呑む。

「……っ!」

微かに香る彼女のにおい。呼吸をするたびに鼻腔を満たすそれに、よこしまな光景が脳裏を侵食していく。

(余計なことは考えるな……)

邪念を振り払い、意識を室内へと向ける。
ふと、昨晩彼女が図書室で借りて帰った本が机の上に出しっぱなしになっているのを見つけた。
あれからずいぶん読みふけっていたのだろう。ページにはしおりが何枚も挟み込まれている。
姫のために懸命に模索する姿が目に浮かび、つい頬が緩みそうになる。

「ん……」

鼻にかかった微かな声が耳に届き、肩が跳ねる。
声のした先に視線を向けると、パーテーションの奥でもぞもぞと動く気配がした。
できるだけ足音を忍ばせて近寄り、奥を覗き込む。

「……なんて恰好だよ……まったく」

はだけた布団。無造作に放り出された腕。むき出しの肩。
無防備なアイの寝姿に、目が離せなくなる。

ごくり。唾を飲み込む音がいやに大きく響く。

「……アイ

そっと声をかけるが、目覚める気配はない。
僕にこんな姿を見られているとも知らず、暢気に安らかな寝息を立てている。

「おい、起きろ……」

「んー……」

ほとんど意識のない返答にさえ、色香を感じずにはいられない。
ただの興味本位か、出来心か。胸がざわついて落ち着かない。

……触れてみたい。

自分らしからぬふしだらな欲が膨らむくらいには、理性のタガが外れかかっていたのだろう。
気づけば、彼女の頬に手を伸ばしていた。
羽毛越しでもわかる、柔らかな感触。指を滑らせると、するりとしてなめらかだ。
その指先を髪に伸ばすと、ふわふわとした毛が指先に絡み、この部屋のにおいが一層濃くなる。

「こんなことまでしてるってのに、まだ起きないつもりかい……?」

ぷっくりとした弾力のある唇に、感触を確かめるように触れる。
呼吸の漏れ出るそこは、簡単に形が変わるほどに柔らかくて、少ししっとりとして。
熟れた果実のようにみずみずしい。

薄く開かれた唇に吸い寄せられ、割り開こうと舌を差し伸ばす。
しかし、すんでのところで踏みとどまる。

今すぐ唇を奪ったとして、咎められはしても拒まれることはまずないだろう。
けど……向こうに僕への好意があるとはいえ、同意もなく欲を押し通してしまうのは、愚かだ。
彼女にとっても望み通りの展開ではないかもしれない。

枕をぐしゃりと掴み、衝動を押し殺す。

さすがにルール違反が過ぎた。
確信があればこそ、ここはセオリー通りに進まないと。

胸のわだかまりを咳とともに払い、声を張る。

「おい、起きろ。それとも君、まさかとは思うけどこの僕との約束をたがえる気かい?」

軽く肩を揺さぶると、アイは閉じた目をふるふると震わせ、うっすらとまぶたを開いた。

「ん……?だれ……?」

焦点の定まらない目で懸命に僕を見上げる。とろんとした瞳にゾクゾクと何かが背筋を這うが、思い違いだと決めつけ、身を起こし腕組みをする。
ゆっくりと上体を起こし緩慢な仕草で目を擦るアイに、だんだんと待ちきれなくなり、忘れかけていた苛立ちを思い出す。

「この声を聞いても誰かわからないなんて言わないよね?」

「は……ええっ!?」

突然はっとしたように目を見開いた彼女は、呆然と僕の姿を捉えた。

「リーバルがどうしてここに……ああっ!!」

「やれやれ……やっと思い出したかい?」

慌ただしい身のこなしでベッドから飛び起きたアイは、布団から出るなり固まった。
はだけたネグリジェ姿を晒していることへの羞恥か。彼女の顔が朝焼けのように赤く染まる。

「ご、ごめんなさい!すぐに支度します……!」

「はいはい、気長に待たせてもらうよ」

寝癖まみれのボサボサの髪に触れたい。
そんな気を押し込めるように、腕を組み直し顔を逸らした。

それから待つこと数十分。
ようやく身支度を整えた彼女が申し訳なさそうに現れた。

「せっかく迎えに来てくれたのに、お待たせしてしまって本当にごめんなさい。昨日はあれから、その……なかなか寝つけなくて」

なるほど。それで本がしおりまみれになるまで読んでたってわけだ。

言い淀む様子から、大方今日のことを考えて興奮して眠れなかったといったところだろう。
寝坊は寝坊だが、寝過ごすほど僕のことを考えていたと思えば、そう悪くもないかもな。

「ふん、君らしい言い訳。ま、かくいう僕も、”朝”とは伝えたけど明確に時間を指定してたわけでもないからね」

「もっと怒られるかと思ってました。……ありがとうございます」

アイはほっとしたように笑みを浮かべた。
任務のときの簡素な防具とは異なり、よそ行きを意識した身だしなみ。
急いだにしてはきちんと整えられた髪。
おめかしをしてくれば、だなんてのは、ほんの冗談のつもりだったが、まさかここまで期待に応えてくれるとは。正直驚いた。

「……今回は許してあげるよ」

健気な君に免じて、ね。

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城下町に下りた僕らはレストランで簡単に食事を済ませた。
軽く口元を拭いながら、カップを口に運ぶアイを盗み見る。
彼女は僕と合流してからずっと強張った面持ちのまま、あまり目を合わせようとしてこない。この状況にかなり緊張しているのが見て取れる。
思えば、彼女の僕への想いには気づいていながらも、つい最近までほとんど関わる機会がなかった。
彼女から積極的にアプローチしてくることもなく、逆に僕からそれとなく気持ちを引き出すようなことをしたこともなかった。
それが、一夜にして僕とこうして食事を取るまでに至ったのだ。戸惑うのも無理はない。

小脇を締めながら震える手で飲み物を口へ運び、行儀よく振る舞おうとする。
見え見えだよ。密かに浮かんだ笑みを収めつつ、頬杖をつく。

「ねえ」

覗き込んで視線を合わせると、アイは目を丸くして眉を寄せた。驚いた拍子に勢い余ってソーサーに置いたカップがカシャンと鳴る。
ばつが悪そうな顔で「すみません」と小さく謝る彼女は、いよいよ耳まで赤くなっている。

「な、なんでしょうか……っ」

上ずった声が滑稽なあまり堪えきれず吹き出すと、彼女は責めるような目で僕を見上げた。
そんな顔をされたら、ますますからかいたくなってくる。

「その様子、よほど僕のことを意識してると見えるね。理由を尋ねたら……君はどう答えるのかな?」

こんな確信めいた聞き方をすれば、さすがに避けられはしないだろう。
今日は彼女の本音を聞き出すつもりで連れ出したんだ。
妙な誤摩化しは通用しない。

しかし、もっと恥じらいを見せてくれるかと思いきや、予想に反して彼女は少し沈んだ表情を浮かべた。

「……わかってて、あえてそんな聞き方するんですね。意地悪な人」

伏し目がちにそうつぶやく切ない面持ち。
少し胸が締め付けられたのは、彼女の心情が透けて見えたからか、それとも僕の思惑を見透かされてしまったことへの罪悪感からか。

「ふん、僕がこういう性分だと知っててそんな素振りを見せる君も君だよ」

そう切り返すと、彼女は弾かれたように僕を見つめた。
初めて僕をじっと見つめるその目は今にも泣き出してしまいそうなほどに潤み、ふるふると瞳を震わせている。
何か言いたげなその眼差しに、からかい文句の一つも浮かべられず、目が離せなくなる。

「えっと……」

何か言葉にしないと。そう思いはするものの、声が喉につっかえて言葉にならない。
気を紛らわせるように頬を掻き、カップに指先を伸ばしかけたところで、彼女が何かを決心したように口を開いた。

「まさか、昨日のあの一件でお誘いしてもらえるなんて、思ってもみなくて。こうして食事を共にして、一緒にいられるだけで、私、幸せで……」

慎重に選びながらたどたどしく並べられる想い。その一つひとつが、温かい飲み物が喉を伝ってゆくように、じんわりと胸に染み渡ってゆく。

「リーバル。私、あなたのことが、好きみたいです……」

両手でカップを握り締める手が、カタカタと震えている。
人目さえなければ今すぐ抱きしめてやりたい。

「……知ってるさ。とっくにね」

震える手にそっと翼を重ねると、アイは困ったように笑みを浮かべた。

「リーバルは、私のことをどう思ってるんですか……?」

「そんなの今さら聞くまでもないだろ。昨日の晩、君を誘った時点で、僕はとっくに表明してるつもりだったけど」

「そういうことが聞きたいんじゃないです。直接的な言葉で、ちゃんと伝えてほしい……」

「どうしても聞きたい?」

食い気味に問いかけると、アイは目を見開きながらも、おずおずと頷いた。
身構える様子に口角が上がる。

「そうだな……じゃあ、今ここで僕にキスできたら、ご褒美として伝えてあげる」

「えっ!こ、ここでですか……!?」

周囲を見回して小刻みに首を振るアイに、わざとらしく眉間に皺を寄せる。

「どうした、できないのかい?」

嘲笑交じりにそう挑発してやれば、アイは下唇を噛みしめてうつむいた。
僕とこうして食事を共にするだけでも動揺するくらいだ。こんな無茶ぶりに対応できるわけがないか。
せせら笑いを浮かべながら改めてカップに伸ばそうとした手の甲に、僕のものよりずっと小さな手が重ねられる。
そっと引っ張られた翼は彼女の方へと導かれ、その小さな唇が僕の指先にやんわりと触れた。
ぞわわ、と背中の羽毛が毛羽立つ。

「……そうくるとはね。けど、それはお手つきだ。ノーカウントだよ」

慌ててそう言い含めようとするが、アイは頬を赤らめながらも不服そうに口を尖らせた。

「どこに、とは指定されてませんから。リーバルこそ、約束をたがえないでください?」

偉そうな口振りにカチンとくる。

「チッ」

「んっ……!?」

立ち上がり、クロスが乱れるのも構わず身を乗り出す。
テーブルに手をつきつつアイに顔を寄せ、驚きに引きつる彼女の首を引き寄せる。

「この僕を謀ろうなんてナメた真似してくれるじゃないか。……あとで覚えておくんだね」

耳元にそう吹き込むと、アイはびくりと肩を震わせて小さな悲鳴を上げた。
追い打ちをかけるようにその頬にくちばしをすり寄せると、即座に立ち上がり僕と距離を取りはじめる。

「い、いじわる……っ」

涙ぐむ彼女にほくそ笑み、椅子に座り直しながら腕を組む。

「ああ、そうさ。けど……そうだとわかってても僕のことが好きなんだろ?」

視線をさ迷わせながら、服の胸元をぎゅっと掴むアイ

「はい……」

これほどまでにしつこく試すようなことを言って彼女を困らせる僕も、たいがいタチが悪い男だ。
そう自覚していながらも、胸の内に秘められた無垢な想いを、余すことなく引きずり出してやりたい。そんな衝動が僕を突き動かしてやまない。
彼女相手に限ってとことん底意地の悪いことを企むくらいには、僕もこの子にすっかり心を奪われてしまっているんだろう。

まだしばらく言葉にしてやる気はないが、態度くらいは小出しに示してやってもいいか。そんなことを浮かべながら、すっかり冷めきったカップのお茶を一気に流し込んだ。

終わり

(2024.01.14)

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