新涼の風渡る夜に

4. ならいっそのこと

この世界に召喚されてふた月。
ハイラルに帰る手段については相変わらず何の進展もなく、ダラダラと毎日が過ぎてゆく。
実体に触れることができるようになってからしばらくは、彼女の私物を一つひとつ手に取って確かめたり、カーテンをめくって窓の外の景色を眺めたりと一人の時間を楽しんだが、日ごとにそれにも飽きてきた。
強いて言えば彼女の本棚にある”マンガ”は絵を眺めることで暇つぶしくらいにはなるが、文字が読めない以上内容までは入ってこないため、娯楽とは呼べない。
“テレビ”には時折”ドラマ”とかいう劇が映し出されることもあるが、生ぬるくてベタなストーリーで見る気も起こらない。

生前の僕は、暇さえあれば弓を握り、体力の続く限り飛び回っていたものだ。活気や刺激にあふれ毎日が充実していた。
あのころのように思いきり翼を広げて大空を駆けたい。窓の外に広がる青空を見上げるたびにそんな願望が浮かんでくる。

いつしか僕の気がかりは元の世界へ帰る手立てがなかなか見つけられないことだけではなくなっていた。
今はまだ退屈さを感じる程度で済んでいるが、これがあと100年も続いたなら?
それに、もしも彼女が突然いなくなってしまったら、僕の存在はどうなってしまうのだろう。
帰れるかどうかはともかく、ずっとこのままじゃいられないだろう。こんな怠惰な日々が続けば、いつか心が腐り落ちてしまいそうだ。
柄にもなく後ろ向きなことまで浮かべはじめた自分に苛立つ。

内心とは裏腹に、アイの前では極力いつもの僕を演じてみせた。
彼女も彼女で、僕に気を遣ってか家にいるあいだは努めて明るく振る舞おうとする。仕事でつらいことがあったであろう日でさえも。
弱みを見せられないのは僕も同じだ。けれど、言っちゃ悪いが彼女は隠すのが下手すぎる。ふとした瞬間に見せる伏し目が彼女の心に落ちた影を映し出すせいで、嫌でも目につく。
僕のように気丈に振る舞うのはなかなか難しいだろうが、あれじゃ察してくれと言ってるようにしか見えない。

またあの顔をされたら今度こそ物申してやろう。そう決意を固めたところに、アイが帰宅した。
玄関に向かい”おかえり”とくちばしを開きかけ、はたと玄関の小窓から見える空がまだ明るいことに気づく。

「早かったじゃないか。仕事はどうし……」

のそのそと靴を脱ぎ、部屋に足を踏み込んだアイの体が、突如ぐらりと傾いた。
受け止めようと伸ばした腕はすり抜けてしまったが、彼女が自分で体勢を保ったことにより倒れはしなかった。安堵の息が漏れる。

「もしかして、熱でもあるんじゃないの?……自力で歩けるかい?」

はい、とか細い声で応えよろよろとベッドへ向かう。

「朝から少し調子悪いなあと思ってはいたんですけど、業務に集中できないくらい具合が悪くなってきたので早退しちゃいました……」

部屋着に着替えもせずベッドに沈むくらいキツイはずなのに、彼女はまるで他人事ひとごとのようにへらりと笑う。
いつも通りに振る舞おうとするのがどうも気に食わない。ベッドの脇に仁王立ちし、呑気に「冷たくて気持ちいい」などと枕に頬を寄せる無様な横顔を睨み下ろす。

「……その胡散臭い笑顔、やめてくれる?」

ウルボザがここにいたら「病人にかけるにはあんまりな物言いじゃないか?もっと優しくしてあげな」だなんて説き伏せられただろう。
生憎あいにくだが、僕は体調に配慮して優しくしてやれるほどお人好しじゃない。

「カッコつけてるつもりだか、僕に気を遣ってか知らないけど、無理して笑顔なんて作っちゃってさ。本当はつらくてたまらないくせに。
きついならもっときつそうにしろ。泣きたいときは思いきり泣きなよ。思ってることがあるなら何だってぶちまけてしまえばいい。
この家の主は君なんだ。もっと身勝手に振る舞えばいいじゃないか」

思ったことを口にしはしても、こんな風に真面目に説教垂れたことはここへ来てから一度もなかった。
けど、彼女の作り笑いに見るに堪えず、余計なことを口走ってしまった。
普段なら速攻で返ってくるはずの返事はなく、彼女は依然として黙り込んだままだ。さすがにまずかったかと冷や汗が羽毛の下を伝ったのを感じ始めたとき。

「リーバルさん、ごめんなさい。私のせいであなたに迷惑かけたばかりか何もできなくて。こんなことなら、おまじないなんてしなきゃ良かった……!」

アイは大粒の涙を流しながら、僕を横目に見上げ、枕にうつ伏せた。
初めて見る彼女の泣き顔に、とんでもないことをしてしまったような気になるが、どうにか冷厳を保つ。

唐突な言動に一体何を今更と思ったが、これまでの彼女の浮かない様子は、ほかでもなく僕のためであったことにすぐに思い至る。
身も心も弱ってる相手にどんな言葉をかけるのが正解なのかわからないが、これまで地道に手を尽くしてくれたことへの褒美として、できうる限り慎重に言葉を選ぶ。

「絶対に許さないよ。……なんて言えば満足かい?いや、そうじゃないんだろ?」

かたわらに胡坐あぐらをかき、アイの顔を覗き込む。

「この際正直に言おう。あえてプレッシャーをかけさせてもらうけど、ハイラルに戻りたいという想いは少しも変わってないよ。僕にはまだあっちで成すべきことがあるからね。
けど、だからってここへ来させられたことについて、今となっては不満に感じちゃいないし、後悔もしてないよ。ま、ここでの暮らしが窮屈だってことは確かだけど」

ローテーブルに置かれたままのマグカップに手を伸ばす。指でカップの側面を弾くと、カン、と小気味のいい音が鳴った。

「この部屋から出ることはできないし、毎日朝から晩まで暇すぎて地獄だし、君の淹れるコーヒーは相変わらずまずい。本当、ここに来てからロクなことがないよ。けど、それでも僕はここがそれほど嫌いじゃない。何でだかわかるかい?」

僕の問いに、アイは鼻をすすりながら枕から顔を覗かせる。

「どうしてですか……?」

「さあ、どうしてだと思う?」

ベッドに頬杖をついて顔をつき合わせれば、彼女は気恥ずかしそうに身を縮こませた。こうして恥じらっていればそれなりに可愛げがある。

「なあ、アイ。僕らはまじないによって無理やり引き寄せられただけであって、本来なら出会うはずじゃなかっただろう。けど、奇しくもこうして巡り合い、何だかんだで一緒にいる。ま、嫌でも一緒にいるしかないんだけど。
つまりだ。どうあがいても一緒にいるしかないんなら、いっそもう少し僕に甘えてみたらどうだい?」

「でも、迷惑じゃ……」

「何言ってんの。そんなの今更だろ?」

そう言ってやると、彼女は見開いた目をふたたび潤ませながら、悲痛な笑みを浮かべた。

「……ダメだとわかってるのに、帰ってくるたびに、あなたがまだここにいることを喜んでる自分がいるんです。
このままずっとここにいてくれたらいいのに、元の世界に帰れなきゃいいのにって。そんな勝手なことばかり考えちゃうんです。酷いでしょう?」

彼女の言葉の一つひとつが、僕の鼓動を強く突き動かす。胸がざわついて落ち着かない。

「ああ、酷いね。けど……君ばっかり責めてられないかもしれないな」

「それって、どういう……」

アイは額を手で押さえながらのっそりと身を起こした。だが、それ以上の追求は許さず、彼女の口元に人差し指を添え制する。

「話はもう終わりだ。さっさと着替えてもう寝なよ。明日に響くぞ」

言い切り立ち上がろうとした僕の腕に、ふと熱気を感じ肩越しに振り向いた。
口惜しそうに自分の手を見つめる伏し目がちな眼差しも、うっすらと色づいた頬の赤みも、今や僕の心をかき乱す要因でしかない。

「やっぱり触れないかあ……。いつか、あなたに触れられたらいいのに……」

僕らのこの関係を表すのにぴったりな言葉は、おそらく見つかりやしないだろう。そもそも初めからタイムリミットが決められた関係だと割り切ってきたじゃないか。今更こんなことを思ってどうするっていうんだ。
僕は、元の世界に帰らなくちゃいけない。無念を晴らすべき相手がいる。待たせてるやつらがいる。
なのに、どうしてだろう。この束の間のひとときに、終止符が打たれないようにと頭の片隅で願ってしまうのは。
果たすべき務めと彼女とのこのぬるい日々を、天秤にかけようとするのは。

(2021.12.30)

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