聖なる子守唄

6. 雪の下に芽吹くもの

リトの村に滞在してからふた月が経った。
けがを負った村民のほとんどが回復し、被害で損傷した家屋の補強も捗り、村は以前の活気を取り戻しつつある。

ハイラル城の兵団が村を訪れたあの一件で、村民たちは私を村の一員として温かく受け入れてくれるようになった。
村内を歩いていると、階段ですれ違いざまに、空から唐突に、みんなが声をかけてくれる。
治療を受けに来る人々も以前のように冷ややかな態度を示すことはなくなったが、一つだけ、困っていることがあった。
それは、戦士のファンたちだ。

リト族の男たちは空中での弓の扱いに秀でており、村内では弓術や飛行術などの技術を競う大会がたびたび催されるのだそうだ。
村が襲われてからは開催を延期しているため、私は一度も大会の様子を目の当たりにしたことがないが、それはそれはすごい盛り上がりらしい。
熱く戦う様が村の女性たちを虜にし、男たちは脚光を浴びることとなるのだ。女性のなかには戦士の熱狂的なファンも少なくはない。

その戦士たちのなかには先の戦いで負傷した者も多く、彼らの手当ても任されていた。
そのため、治療で関わった者とは自然と接点ができて親しくなることもあったのだが、当然ファンの女性たちにとって私の立場はおもしろくないわけだ。
その気持ちは推し量らずともよくわかる。けれど、私はあくまで自分の責務をまっとうしているだけにすぎない。
それをわかってほしくて説得を試みてはみるものの、わかってくれない厄介な子も残念ながらいるものだ。

いつも日中行動をともにしているサキは、今日に限ってテバとチューリとともに出かけている。
枷はとうに外され、村内であれば自由な行動を許されているため、サキの不在には一人で負傷者の治療にあたり、余暇を過ごすようになっていた。

邪険にされることはあっても暴力など行き過ぎた行動を起こされることはこれまでになかったため、状況を利用されてしまうとまでは考えが及ばなかったのだ。完全に油断しきっていた。

広場への呼び出しに渋々応じ向かうと、私の到着を見計らって数名の女性が行く手をふさぐようにして私を取り囲んだ。
私よりもずっと上背の高い女性たちの鋭い瞳孔に一斉に見下ろされ、さすがにひるみかけそうになるが、臆せば彼女たちの思うつぼだ。
人知れず奥歯を食いしばり、あくまで平静を保ちまっすぐに見つめ返す。

「ちやほやされていい気なものね」

「うまく取り入ったつもりかもしれないけれど、同じリトである私たちのほうが彼らのことを理解しているし、魅力的に見えているはずだわ」

罵詈を並べ立てられるのはもう何度目かのことなので、最初に比べれば少しは落ち着いていられる。
けれど、自分が真摯に向き合っている物事に対し、そのように斜に構えた見方をされるのはさすがにいい気はしない。

「私は……自国とこの村の安寧を保つためにここにいるのです。
姫様の侍女たる者として、一ヒーラーとして、己の成すべきことをまっとうするためであり、浅ましい考えなど抱くはずがありません。気に入られたいがために留まっているわけではないということは、私がここに連れて来られたわけをご存じなあなたがたであれば理解しておられるはず」

きっぱりとそう言うと、正面に対峙していた女性がおかしそうに笑い、私の前に進み出てきた。

「あらあら、いい子ぶっちゃって。でも、村じゃうわさになってるわよ?あなたがリーバル様に想いを寄せているんじゃないかって」

「えっ」

「その顔、うわさはあながち間違いではなさそうね。でも残念ね。あなたは人間なの。同胞ですらないあなたに、あのお方が振り向くわけがないでしょう」

彼女の言葉に、リーバルの柔らかな笑みが脳裏に浮かぶ。なぜだろう。胸がひどく痛みを訴えてくる。

「翼もないのに私たちに楯突くとどうなるか、その身にわからせる必要がありそうね?」

「ちょ、ちょっと!やりすぎなんじゃ……」

仲間が止めるのも聞かず、女性は大きく羽ばたいて浮かび上がると、かぎ爪で私の肩を力強く掴んだ。

「いたっ……」

突然のことに自分の身に起こったことを理解するのが遅れる。事態を察知したときにはすでに宙に放り出されていた。
水面に落とされるのかと思いひやりとしたがそうではなかった。

リーバルが私を攫ってきたときのことが思い出される。
彼が一つ羽ばたくたびに体が揺れて不快な思いをしたが、あのとき、彼が極力揺れないようにどんなに気を払ってくれていたか、頭の隅で重々理解した。

無造作に引っ掴まれたまま運ばれてゆき、つり橋のかかっていない奇岩の上に落とされた。
岩肌に叩きつけられた体はところどころ擦り傷がついた程度で一命はとりとめたが、女性は私を置き去りにしてそのまま飛び去ったため、断崖絶壁の上にひとり取り残されてしまった。
リトの村も高所にやぐらを組んだものでせり出してはいるが、通路や家屋は手すりに囲われてまだ安全性が感じられる。
けれど、周りに掴まれそうなところが一つもないこの場所は、いくら下が水辺とはいえ、さすがに怖い。
のぞき込む勇気もなく、時折吹きすさぶ谷間風に目をつぶって耐えるしかない。

「リーバル様……」

無意識につぶやいた名に、はっと我に返り、ため息をつく。
彼は今、飛行訓練場にいる。近くにいれば嫌々ながらも助けてくれたかもしれないが、村までは少し距離がある。来てくれるわけがない。

アイ!!」

頭上で力強く名を呼ばれ、驚いて顔を上げた。
巻き上がる旋風に目を凝らしているうちに、目の前に思い浮かべたばかりの人物が降り立った。

「リーバル様……どうして」

リーバルは一瞬引きつらせた表情をつんと取り澄ませると、黙って背を向けてしゃがんだ。
肩に手をかけてもたれると、私がしっかりと捕まったことを確認し、飛び立った。

風のにおいに混じって、彼の汗がつんと香る。
嫌味の一つでも飛んでくるかと思っていたのに、リーバルは何も言わない。
細身で引き締まった背中はいつもよりずっとずっと頼もしく、彼の頭部に揺れる三つ編みは強い安堵感を抱かせ、目の奥が熱くなる。

ああ、私は、この人に惹かれつつあるのだな。
胸越しに感じる彼の肌の温もりに、そう自覚するのは容易かった。

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「村から緊急の呼び出しがあって急いで帰ってきてみれば、君が僕のファンに獲物を狩る鷹の如く連れてかれたっていうじゃないか」

助けてくれたときこそ終始無言だった彼は、小屋に着くなり飄然とした口ぶりでおどけるようにそう言って両手をかかげた。

「飛べもしない君が崖の上に置き去りにされてどんな顔してるのか拝んでやろうと……わっ」

深緋の胴当てにぎゅっとしがみつく。
熱い汗のにおいに混じって、彼の香りが羽毛からふわりと香る。無理に飛んできたせいか激しく脈打つ心臓の音が、胸当て越しに心地よく鼓膜に響く。

宙をさまよっていた両翼がそっと背中に回され、感極まるあまり声が潤む。

「怖かった……です」

素直に今の気持ちを口にすると、リーバルは小さく息を詰まらせた。背中に添えられた手に、力が込められる。

「この僕にさえはっきりものを言うほど芯が強い君に、まさかこんな女の子らしい一面があるとはねえ」

ふふ、と静かに笑みをこぼす彼の吐息が耳に吹きかかり、どきりとするが、悟られないように意地を張って言い返す。

「なにそれ……ひどいです。こう見えて、私だってか弱い乙女なんですよ」

「孤立無援だったこの村で逞しく生きてきたくせに、よく言うよ」

「それはあなたやサキさんがいてくれたから……」

むっとして顔を上げると、思ったよりも間近にくちばしがあることに気づいて、思わず彼の胸を強く押してしまった。
拒絶するようなかたちになってしまい、しまったと思うが、彼は少し驚いたような顔をしただけで存外に気にした風ではない。
それどころか、あざけるような、どこかこの状況をおもしろがっているような笑みに嫌な予感さえ覚え始める。

「ファンサービスで抱きしめてあげるとうっとりする子はいても、こうして突き放してきたのは君が初めてだよ」

その一言は私の心を深く抉った。舞い上がりかけていた気持ちは、一瞬にして萎えてゆく。

「……女性なら、誰でも抱きしめられるんですね」

自分から彼にしがみついておきながら、責めるような言葉が口をついて出る。
本心では嫌われたくないと思っているはずなのに、どうして彼の前ではこうも醜い部分ばかり見せてしまうのだろう。
胸がかき乱されて、とても苦しい。

私が返した言葉に彼のこめかみが引きつったように見えたが、作ったような満面の笑みを浮かべると、ははっと乾いた笑みをこぼした。
かぎ爪の先がこちらを向き、一歩ずつ迫ってくる。口元に浮かぶ笑みに反して目つきは冷たく、その対比に思わず身構え後ずさりをする。

「おや、嫉妬してるのかい?」

「ち、違います!勘違いしないでくださいっ」

「勘違い?この僕が?悪いけど、腕に自信があるのは何も弓術や飛行術だけじゃない。
他人の心を読み取るなんて、僕からすればそんな容易いことはないくらいだよ」

壁に背中が突き当たる。
慌てて避けようとするが、彼の片翼に遮られ、背けた顔まで覗き込まれてしまう。

「……何が言いたいのですか」

「さあ、何だろうね?」

あごを掴まれ、ぐいっと上向かされる。
カンテラの炎に照らされた翡翠の両眼が艶めいて光り、視線を絡め取られて動けない。胸の内側をのぞき込むようなその眼差しに、喉が上下する。
彼の瞳がゆらゆらと揺れ、どこか真剣な色味に変わったとき、くちばしの先が少しずつ降りてきた。
薄く開かれたくちばしから彼の舌がちらりと見え、震える熱い吐息が頬に吹きかかる。
艶めかしい息遣いに、私の背中はぞくりと震え、縦に切り込みを入れたような彼の瞳孔は、獲物に狙いをさだめる獣の如く細められる。

あと、わずか。あと少し近づけば、この唇は彼のくちばしと触れてしまう。

しかし、くちばしの先の黒は唇のわずか先のところで止まり交わることはなかった。
呆気に取られているうちに彼はすっと身を起こし私から離れていく。
状況を飲み込めず呆けたまま彼を見つめる私に、クスクスと笑いながら両手を上げ、からかうような視線を投げかけてくる。

「さて、お遊びはこのくらいにしようか」

「え……?」

「僕は訓練場に戻る。君はテバの家族が戻るまでここで大人しく待つんだね」

呆気なく離れてゆく温もりは、彼が小屋の戸を開けるとともに急速に冷えてゆく。

「じゃあね、うぶで頑固な聖女サマ」

呆気なく閉められた戸の音に、呆然としていた意識がようやくはっきりする。

彼は、今、私に何をしようとした?

我に返った私は、後を追うべく扉を開け放って外に出るが、リーバルは巻き上がる細雪だけを残してすでに岩山を超えたあとだった。

吹きかかる彼の吐息を思い出し、震える両手を口元で組む。
この震えが冷え込んだ空気のせいではないことくらい、とうにわかっている。

(2021.9.11)

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