「いけません、姫様」
侍女に制止をかけられたゼルダは、バルコニーから身を乗り出したいのを堪え、バラスターにかけた足を下ろした。
彼女は、アイを使いに出したことを心の底から悔やんでいた。
自分が送りだしたばかりに、戦火に巻き込まれることになってしまったのだ。
こんなときに大切な人ひとり自分の足で探しにも向かえず、せいぜい城下から立ち上る煙に向かって無事を祈ることしかできないとは、”王女”とは何と重々しい枷なのだろう。
お飾りでしかない地位もドレスも、いっそかなぐり捨ててしまえたならば。
そんなことが思い浮かぶほどに焦燥に駆られているが、王女たるものこの非常時こそ体裁を保たねばならないものだ。
その矢先に、待ちわびていたノックの音が打ち鳴らされた。
足早に螺旋階段を下り、扉へ向かうと、言付けを頼んでおいた兵士が敬礼をした。
「アイは見つかりましたか」
「大変申し訳ございません。我々も手を尽くしてはおりますが、未だ姿が見当たりませぬ。
アイ様がお訪ねになられた薬屋にも伺いましたが、店を出たきり姿は見かけていないとのことです。
ですが、気になる証言がーー」
兵士の話によるとこうだ。
町が炎に包まれるのと同じくして、町で複数のリト族を見かけたとの証言が挙がっているそうだ。
リト族は主に常駐兵を攻撃していた模様で、今回の火災との関係性については現在調査中であるとのこと。
「では、引き続き捜索に向かいます」
再び敬礼し、駆け足で去って行った兵を見送ったゼルダは、知らせによりアイの生死について有力な情報が得られることはなく、未だ消息がわからぬ現状により不安感を募らせた。しかしその一方で、一つの疑念が生じたのである。
ゼルダは王の命により、各地の集落と親交を深めるべく表敬訪問に赴いていた。リトの村も例外ではなく、近日訪れることになっており、出発の手筈を整えていたところだったのだ。
無論、突然の訪問とならぬように、事前に訪問する旨を伝えるべく使いの者を向かわせた。今日明日には戻るころだと思っていたが、その者もまだ帰還していない。
道中その者に何か不幸なことがあり、リトの村には何も情報が伝わっていないのでは……?
それにしても、なぜリト族は突然城下町を襲ったのだろう。
少数民族で男は弓の扱いに長けているそうだが、決して野蛮ではなく、長閑な生活を営んでいると耳にしている。
あの辺りは積雪地帯で脂乗りの良い動物が多い。弓に長けているならば、狩りに困っているとも食糧難とも考えにくい。
そんな端的な理由だけがすべてではないだろうが、少数民族の者が大勢の兵を構える大国を狙って何の得があるというのだろう。
町を襲撃した理由は定かではないが、その憶測はやがて一つの可能性に行き着いた。
「もしやアイは、リト族の集落に……?」
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リトの村まで運んだアイを背から下ろすと、村の入り口付近に集まっていた村民たちの奇異の眼差しが彼女を一斉に射抜いた。
しかし、衆目にさらされてもなお、アイに怯えた様子はなく、気丈な眼差しを保っている。
リーバル様、その人間は?なぜ人間がリトの村に……。
口々に飛び交う言葉をかわしつつ村民のあいだを抜け、彼女を引き連れ村の広場に向かうと、やつらはその後ろをぞろぞろとついてきた。
広場に立ち、アイの背を前に押し出す。
彼女と僕に向けられる目を見渡すと、深く息を吸い、声を張った。
「みんな、よく聞いてくれ。この子は、アイ。ハイラル城下町から引き連れてきたヒーラーだ。怪我人の治療にあたってくれることになった」
僕の言葉にどよめきが起こるが、話はまだ終わっていないと釘を刺すと、水を打ったように場は鎮まる。
「今回の被害で人間をよく思わない者もいるだろう。けど、その責任はこの子にあるわけじゃない。それは理解できるね?
不本意だが、村長も丁重にもてなすようにと言ってたからね。まさかいないと思うけど、抜け駆けをして痛手を負わせるようなやつには容赦しないよ」
僕の言葉にアイが何か言いたげに振り返ったが、話を合わせておけとにらみ下ろすと、彼女は視線をさまよわせた後、顔をうつむかせた。
「テバ」
人だかりのなかからテバがサキを引き連れ現れた。
「サキを連れてまいりました」
「二人とも、さっそく悪いな。僕が不在のときだけでいい、この子のことを頼んだよ」
「わかりました」
サキは物腰穏やかだ。アイの身の回りの世話をさせるには適役だろう。
村の警護や女性としての事情などもろもろのことを考慮すれば、四六時中僕が側についているわけにもいかない。
彼女との交流を機に少しずつでも村になじんでくれればと思うが、あの様子じゃ簡単にはいかないだろうな……。
村民は決まったことを受け、浮かない顔をする者、現状を受け入れようとする者などさまざまな反応を見せながら散り散りになった。
穏やかな者も多いが、血の気が多い者も少なからずいる。ここで表明しておいて正解だっただろう。
ひとまず、気の置ける者をつけていればそうそう逆恨みの的にされることもないだろう。
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アイをサキに預け怪我人の治療にあたらせているあいだ、僕はふたたび村長の元へ事情を説明しに戻った。
一通り成り行きを明かした僕に対し、村長は開口一番に説教を始めた。
「”丁重にもてなすように”と言っただろう」
先ほど村民たちに釘を刺したばかりのことで、まさか僕自身が叱責を受けるとは思ってもみなかった。
「仰せの通り丁重にもてなしてるだろ。風当たりが強くならないように配慮してやったつもりだけど。僕の対応の何がいけなかったっていうんだい?」
「お前はまず、村の者たちへ忠告する前に自分の言動を顧みなさい」
その苦言に、ぐっと喉の奥が締まる。
「……確かに、少しは言い過ぎたと思ってるさ」
「悪いと思うなら、今からでも優しくしてあげなさい。
それに、あの薄着のままではいずれ風邪を引いてしまうよ。上着でもかけてやったらどうかね」
どうせ僕にはそこまでの考えが及ぶはずがないとでも踏んでいたのだろう。不在のあいだに用意しておいたらしい厚手の上着を手渡される。まったく、余計なお世話だよ。
「お前もいずれは嫁を迎えないといけないんだ。異種族であろうと女性への思いやりを欠いては男としての品位を下げるというもの。あの子と接するなかで学ばせてもらいなさい」
「……っ、何度言わせるのさ。僕は嫁を娶る気はないからね」
「お前ももう子どもじゃないんだ。いつまでも駄々をこねてないで、現実を見なさい」
「この話は今はいいだろ。もう行くよ」
背を向けたあともまだ何か言ってこられたが、苛立ちが脳内を占めていた僕には、雑音にしか聞こえなかった。
階段を下っていくと、テバの家の前に人だかりができていることに気づく。
あそこで治療を行っているのだろうか。側に寄ると、村民の一人が僕に気づき、駆け寄ってきた。
「大変です、リーバル様!ヒーラー様が……」
ただごとではない様子に慌てて人ごみをかき分け、なかに入ると、サキに抱きかかえられたアイの姿が目に飛び込んできた。
頬が赤く色づき、呼吸が荒くなっている。
サキは今にも泣き出しそうなほど顔を歪め僕を見上げた。
「リーバル様!アイさんが……」
「何があった」
「治療にあたっている最中、突然お倒れに」
かたわらに膝をつき、頬に手の甲をあてる。羽毛越しにも伝わるほど熱を持っていることがわかる。
「熱が高い。休ませよう」
アイを背に抱え、縄で互いの腰を縛ると、サキが彼女の背中に僕が持って来た上着をかけてやった。
「大丈夫なのでしょうか……」
「慣れない土地なうえ、長旅で疲れもたまってるだろう。休めばきっと良くなるさ」
あとの処置をサキに任せ、僕はアイを抱えてふたたびあの小屋へ戻ることにした。今日だけで何度往復していることやら。
しかし、こればっかりはさすがに誤算だった。人間がこれほどまでに寒冷地に適応力がないなんて。
村長はそうだと知りながら、なぜもっと早くに教えてくれなかったんだ。
「ほんと、どいつもこいつもシャクだねえ……」
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パチパチと弾ける音と心地良い暖気に、沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。
ここは……あの小屋のなかだろうか。
何だかあたまが重たい。頭痛を抑えようとあたまに手を置くと、濡れたタオルに手が触れた。
「体調が悪いならそう言えば良かったじゃないか」
苛立ったような声に驚いて声がした方に目をやると、眉間にしわを寄せたリーバルが肩越しにこちらを振り向いた。
彼は私が横になっているベッドの脇にもたれかかって本を読んでいたようで、読みかけのページが開かれたままになっている。
私が本に目を落としているのに気づいてか、ばたんと勢いよくカバーが閉じられた。
「この寒さで凍えているだけだと思ってたんです。けど、自分の体調の変化に気づけていたとしても、あなたには……言いづらいです」
リーバルは私の皮肉にこめかみをひきつらせたが、何か思いとどまったように目を閉ざすと、小さくため息をついて苦笑を浮かべた。
「病人のくせに小憎たらしさは変わらないねぇ。しおらしくしていれば少しはかわいげがあっただろうに」
「すみませんね。かわいくなくて……」
ふん、と鼻を鳴らすと、彼は本をテーブルに放り、立ち上がった。また村へ戻るのだろうか。
「待って」
思わず、その大きな指を握り締めてしまった。驚きに見開かれた彼の翡翠が、私をまっすぐに見下ろしてくる。
どうしよう。何の考えもなしに引き留めてしまった。
高熱のせいか、この小屋に一人取り残されるのがどうしようもなく不安で、この際彼でもいいから側にいてほしいと思ってしまったのだ。
今の自分は、きっとどうかしている。だからだろう。まさかこんな言葉が口を突いて出るなんて。
「あと少しだけ……側にいてくれませんか」
「は……?」
リーバルは取り澄ました顔を崩し、ポカンと口を開けてしまっている。
自分の言葉を反芻しとんでもないことを口走ってしまったことに今更ながら顔から火が出そうなほどの羞恥に苛まれ、咄嗟に手を離した。
「ご、ごめんなさい!私、何言ってるんだろう。どうか忘れてください」
布団の端を掴んで顔をうずめ、こっそりと様子をうかがう。リーバルは虚空を見つめたまま微動だにしない。
捕虜として連れて来られた身のくせして、初っ端から体調を崩して宛てがわれた使命をまともにこなせないだけでなく、初対面のしかも敵方の人に側にいてほしいなどと頼むなんて。
……もっと考えて発言しないと。
改めて謝罪しようと口を開きかけたところで、リーバルがふたたび腰を落とした。
「今日はいろいろありすぎてさすがの僕も疲れた。悪いけど、このままここで休ませてもらうよ」
彼はテーブルに放ったばかりの本を広げると、先ほどと同じようにベッドの脇にもたれかかった。
ページを捲りながら、彼はこちらに背を向けたままで「ああ、そうそう」と続ける。
「僕が背を向けてるからって妙なことを考えても無駄だよ。君が僕の首に縄を巻き付けるより先に、矢じりが君の眉間を捉えるほうが速いだろうからね」
「……そんな無謀なこと、私にはできませんよ」
「どうだか」
流し目にそう答えた彼の目は、穏やかに目尻が下げられていた。ここに連れて来られて、初めて優しい表情を見た気がする。
「ほら、さっさと休みなよ。その様子じゃ食事はまともにとれないだろうし、明日の朝体調が良さそうだったら作らせるからさ」
静かな声にだんだん視界が滲んでいって、紡ぎ出したお礼の言葉は、ほとんど声にならなかった。
それっきり読書に集中し始めた彼に背を向け、私は嗚咽を押し殺して泣いた。
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布団越しにアイがすすり泣いているのに気づいた。
本の文字を追うことに意識を集中させようとしてはみるものの、彼女の嗚咽が耳に届くたびに胸が締めつけられる。
いつしか寝息に変わっていることに気づいたとき、ようやく彼女を振り返った僕は、色づいた頬に伝う涙を拭おうとした手を、彼女の顔のそばに転がっていたタオルに伸ばした。少しぬるくなっていたため、一度冷水に浸してから額に乗せ直してやった。
僕が彼女を攫わなければ、こうして高熱におかされることもなく、涙を流すことも、村人たちの衆目にさらされることにもならずに済んだ。
敵役のこの僕に、涙を拭う資格なんて、あるはずもない。
「自分で招いておきながら、何を今さら後悔してるんだか……」
呆れて笑みを浮かべながら額を押さえている僕の耳に、小さな声だが、はっきりと届いた。
「姫様……」
その言葉に我に返り、アイを見下ろす。
まさかこの僕に悟られてしまったとは思いもしないだろう。その表情は変わらず穏やかに緩められている。
「……僕の憶測に間違いはなかったってわけだ」
腰のポーチからポプリを取り出し見つめる。
いくら王女とはいえ、これだけめずらしいものをただの侍女に贈るとは考えにくい。
であれば、やはりアイは王女にとって特別な存在ということだ。
「交渉の材料に成りえるかな」
(2021.9.5)