リーバルの日記

エピローグ

「まだ起きてたのか」

背後からかかった声にびくりと肩が跳ねる。目に溜まった涙を悟られぬように拭い振り返れば、あくびをかみ殺しながら目を擦っていたリーバルが、柱にもたれつつ疑るような視線を投げかけてきた。
彼の視線が私の背後に向かっているのに気づき、開きっぱなしだった日記を慌てて後ろ手に隠す。

「それ……僕の日記だよね」

語勢を低めながらゆったりとした足取りで近づいてくる彼に何と言い訳しようか思考を巡らせるうちに、さっと横から取り上げられてしまった。

「誰の許可を得て覗いてるんだい?」

「ごめんなさい……」

迷った結果良い答えが浮かばず、率直に謝ると、彼は一つため息をついた。
ガミガミ叱られるかと思っていたが、存外に怒った様子ではなく、本の背でこつんと額を殴られただけだった。
あんなに本音が赤裸々に書かれたものを読まれでもしたら火がついたように怒るのではと思っていただけに拍子抜けしてしまったが、その理由はすぐにわかった。

「ま、どうせ読めなかったんだろ。このあいだハイラルの文字は読めないって言ってたしな」

それには肯定できず、ぐ、と息が詰まる。
プルアやロベリーの記憶の研究の成果は、何も過去のできごとを思い出すためだけのものだったわけではない。
過去の世界線で女神の恩恵により得た能力は失われてしまったけれど、これまでに学んだことについては記憶の奥底で蓄積されており、失われていた思い出とともに蘇った。
私は過去の世界線で、この世界の文字について勉強していた時期があった。
専門書など難しい言葉ばかりで構成された本は辞書がないと解読できないが、日常会話や児童書など簡単な単語や文法で書かれたものについては解読できるまでになっていたこともまるっと思い出したのだ。
つまり、彼が書いたこの日記も、よほど難しい言葉で表現されている箇所以外は読めたと言っていい。

正直に言うべきか言いあぐねているうちに、彼の表情がみるみる険しくなっていく。

「その顔、もしかして……」

「お察しのとおり、さっきの”ごめんなさい”は”読んでしまってごめんなさい”ってことなの。ごめんなさい、ほんとに……」

「ちょっと待って。“読んだ”ってまさか……書かれている内容を理解したって意味かい……?」

「うん……」

リーバルの表情が一気に青ざめていく。日記に書いた内容を浮かべてか、めずらしく焦燥を顕わにしては頭を抱えてブツブツと狼狽えている。そんな彼を物珍しく眺めていると、やがて少し気を収めたらしくぬらりとこちらを振り見た。
眼前に太い指先が突き付けられ、いつだかこんなこともあったなあと頬が緩みそうになるのを堪えていつになく必死の形相を浮かべたリーバルを見つめ返す。

「いいかい、もし内容を一言でも漏らしたら、君とは縁を切るからね!」

“縁を切る”とまで言われさすがに危機感が芽生える。ただ事では済まされないことをしてしまったのだと自覚し、肩を落とす。
そこまで言わせてしまったことに少なからず落ち込み「そんなことしません」と誓った声にも覇気がこもらない。

「まあ、”縁を切る”はちょっと大げさすぎたかな……」

リーバルも本気でそう思っているわけではないとわかりほっとした。しかし、刹那彼の表情がいたずらに歪められたのを見て、安堵するにはまだ早いと気づかされる。

「じゃあ、こうしよう。僕にも君の日記を見せるんだ」

「ええっ」

「何を驚くことがあるっていうんだい?そうすればおあいこじゃないか。さあ、出しなよ」

「だ……だめ!」

「おいおい、人のプライバシーに勝手に踏み込んでおいて、自分だけ免れるなんてそんな虫のいい話あるわけないだろ。観念するんだね!」

慌てて日記を隠してある棚を確認しに行くが、すぐに追いつかれ取り上げられてしまった。
取り返そうと掴みかかるが、彼の腕は身の丈ほど長く、上に掲げられてしまっては飛び上がっても届きそうにない。

「もう、返して!」

「返してほしかったら、ここまで飛んでみせなよ。ああ、君はもう飛べないんだっけね?」

人が一生懸命手を伸ばしているのをおかしそうに茶化されイラっとするが、間近でにんまりと笑みを浮かべる彼にとても集中できなくなる。もたついているうちに日記のページをパラパラとめくられ、彼の笑みがますます深まる。顔から火が噴き出しそうだ。
しかし、ふと私の日記は前世の世界の文字で書いているということを思い出した。彼には簡単な文字を教えはしたが、漢字や文法までは教えていない以上まずほとんど読めるはずがないのだ。

「ふん……やっぱり読めやしない、か」

案の定ボスンと手の上に落とされ、慌てて受け止める。
何とか取り返すことができて一息つくが、負けず嫌いな彼が何の報復もせずに満足するはずがない。

何を要求されるのか身構えていると、突然抱きかかえられてベッドに放られた。
起き上がり彼を睨むと、したり顔で見下ろされ、どきりと胸が高鳴る。

「何を期待してるんだか……もう夜中だよ。それとも、こんな時間から……」

「ち、違うから……!」

妖艶な笑みに危うくつられそうになりながらも慌てて弁明しようとすると、リーバルは「冗談だよ」と喉をくつくつ言わせた。
私を両の足のあいだに挟むようにして背後から両翼に抱き入れ、肩口にあごを乗せられる。

大きなくちばしから漏れる吐息が首筋に吹きかかり少しくすぐったいけれど、彼の心音と温もりに愛おしさが込み上げてくる。

「君の日記を読み上げろなんて酷なこと言わないからさ。眠るまでのあいだでいい。これまでのこと、君の口から話して聞かせなよ」

頭をぽんぽん、となでられ、喜びに満たされる胸を躍らせつつ、私を抱く彼の腕をぎゅっと握り締めた。ベッドサイドにそっと日記を置く。
思い出に巡らせた思考は、豪雪のなか彼と対峙した日に行き当たった。ベッドサイドにちらつくカンテラの灯りを見つめながら、おもむろに口を開く。

「長くなるけど、聞いてくれる?」

「リーバルの日記」(完)

(2021.11.15)

あとがき

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