天翔ける:バイト編

5. 豪雪の南岳にて(前編)

山小屋での休息を終え、ヘブラ山の南岳に差し掛かったのは明朝のことだった。
日々の鍛錬を積んでいるリンクやリーバルは昨晩と変わりない様子だが、アイは疲れがとれていないのか、足取りが重いように感じられる。

アイ、つらいときはお声がけくださいね。無理しないで」

彼女は額の汗を拭いながら、少し息苦しそうに答えた。

「だ、大丈夫です!もう少しで中腹ですから、がんばります……!」

薄っすらと浮かぶ笑みには疲れが滲んでいる。無理をするなといっても聞かないのは彼女の悪いところだが、私にも心当たりがある以上しつこく言えない。
けれど彼女の場合、周囲と足並みをそろえようと必死になっているだけではないだろう。
肩越しにちらりと背後を見やる。
彼女の数歩後ろで周囲に目を光らせる鷹のような翡翠の目。私やリンクに気遣ってか距離を取ってはいるものの、先陣を切りたがる彼にしては率先して後衛に立っているところからして、アイに被害が及ばないように配慮しているのは一目瞭然だ。
何とも不器用だと思う。けれど、美点も欠点も似通う二人だからこそお似合いなのかもしれない。

「……人の顔を見てニヤニヤ笑うなんて趣味が悪いよね」

「ふふ。ごめんなさい、リーバル」

不服そうに舌打ちされるが、初対面のときほど威圧感は感じられず、思わず笑みが浮かぶ。
やれやれとおどけるように肩をすくめたリーバルの面つきがすぐに引き締められた。それにより、ようやく周囲の変化に気づかされる。
和やかな雰囲気のまま事を終えられれば幸いだったが、どうやら無難にとはゆかないようだ。

小屋を出てすぐ、吹雪の再発を未然に防ぐためにアイが笛の音を奏でたことによりしばらくは平穏が続いていたが、まだ数時間しか経っていないにもかかわらず風は勢いを取り戻しつつある。
効果が薄れてきたせいであると考えたアイがふたたび笛を奏でるが、今度は効果が発動しなかった。
同一の対象に連続して術をかけた場合でも効果が持続することは、予め何度も試験して実証済みだ。ゆえに効果が表れないのは想定外のことだった。

「ごめんなさい……力になれなくて……」

申し訳そうに肩を落とすアイを元気づけようと選んだ言葉は、喉まで出かかったところで飲み込んだ。
「きっとどうにかなります」なんて希望を持たせるような言葉は、気休めにもならないだろう。

沈黙を裂くように、雪を踏みしめる音は、彼女のかたわらで立ち止まった。

「力になれなかった、なんてことはないと思うよ」

風は勢いを増しつつあるというのに、まるでそよ風を受けているかのように悠々と後ろ手を組むリーバルに、沈みかけていた気持ちを引き上げられる。

「君は昨日、あれだけ猛威を振るっていたリリトト湖周辺の豪雪をほんの少し笛を吹くだけで止ませてみせたんだ。だったら、君の力が及ばないほど強力な何かが原因だと考えるのが自然なんじゃないの?」

彼の推論は納得のいくものだった。確かに、アイの笛の音の効力は間違いなく向上しているのだ。
彼が不在のあいだ彼女とふたり力を合わせて研究してきたというのに。悔しいが過ごした時間や友情だけでは補えないほどの強い絆を感じざるを得ない。
けれど一方で、戦時中はあれだけ仲たがいしていたはずの二人の仲が、ここまで思い慕い合うまでに発展したことにも、離れていた時間を感じさせないほどの固い絆を感じさせられることにも、何とも言い知れないが、どこか誇らしさに近いものを感じてもいる。

「それじゃ、くよくよする理由はなくなったよね?あともう少しで中腹に差し掛かるけど、このあたりに休めるところはないんだ。気を緩めちゃダメだよ」

「……わかった」

リーバルの厳しくも的確な励ましに背中を押されたように、アイの目に光が差す。
彼女に対して向けられているはずの言葉に私まで元気づけられ、ほんの少し足取りが軽くなった。

だが、気を取り直したところに、アクシデントは常に思いもよらぬタイミングで訪れるものだと思い知らされる。
危機は、すでに目前に迫っていた。

「危ない!」

先頭を歩いていたリンクがめずらしく大きな声を上げたことに驚く間もなく、彼の腕に阻まれ視界が覆われる。
すさまじい風の音とともに白い柱が迫ってきたかと思うと、背中をしたたかに打ちつけると同時に、冷たい衝撃が勢いよく顔や頭に叩きつけられた。

目前の状況が飲み込めない私の耳に、どこからか甲高い奇声が飛び込んでくる。
リンクは私の無事を確認するなり、すかさず腕を引き立たせると、巻き上げる風に身を委ねるようにパラセールを広げ、遥か上空に浮かび上がった。
彼の動作を目で追ううちに、宙に光の波紋を見つける。

「フリーズウィズローブ……!」

唐突な敵の出現に平静を失いそうになるが、気を持ち直しすぐさま腰に携えた弓を構える。
リリトト湖に吹き下ろしていた風の元凶はどうやらこの魔物の魔法の力によるもののようだ。
ガノンの恩恵・・を受けた魔物の残党だろうか。力を増しているのは火を見るより明らか。
だが、相手は恩恵を授けた主であるガノンを倒した腕利きの騎士だ。負けるなんて、あろうはずがない。
歯が立たぬ相手と判断したらしいウィズローブもさすがに逃げ惑うほかないようだ。

手に汗握る猛攻に気を取られそうになるが、ほかに敵がいないとも限らない。
現状を思い出し辺りを見回したとき、目の前の光景に血の気が引くのを感じた。

アイ!リーバル!!」

断崖にしがみつく手を引き上げようと身を乗り出すリーバルに、私の声は届いていない。
焦燥をにじませた横顔に、早く助けに行かねばと足を踏み出すが、落石の如く無作為に降り注ぐ雪玉のかたまりが足元を強かに打ち、行く手を阻む。
あまりに強い風に倒れそうになりながら、どうにか二人の元へ向かおうと一歩ずつ足を前へ踏み出していた体が、ふっと軽くなる。
それと同じくして上空でふたたび奇声がこだまし、うねるような吹雪はついに鎮まった。

しかし、安心したのは束の間。
あと一歩のところで救援が及ばず、リーバルの肩を掴もうとした手は宙を掻き、二人は谷底に吸い込まれるように転落した。

(2022.07.25)

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