天翔ける:バイト編

3. 静けさ漂う上弦の夜に

陽が落ち、ぽっかりと円形に開けた空に月が顔を出すころ。
簡単に食事を終えた私たちは長旅の疲れを癒すべく早々に床についた。
リトの村を襲う猛吹雪の原因を探るべく、明日はヘブラ山に入山する。調査のためしばらくは山のなかで過ごすことになるだろう。
そのためにもしっかり休養をとって体力を回復しておかないといけないことはわかっているが、ふかふかな羽毛布団に包まれていても睡魔の迎えがなかなかやってこない。
以前は行く先々で枕が変わっても疲れが自然と眠りに誘ってくれていたが、久々の旅先での就寝だからか、彼の存在を間近に感じるからか、気持ちがなかなか鎮まってはくれないのだ。

ゼルダは私たちを気遣って、二人きりに慣れそうなタイミングを見計らってはたびたびこっそりと背中を押してくれたが、村の人たちの手前何だか気恥ずかしく、自分からはなかなか行動に移すことができなかった。
みんなが寝静まったころならと踏んでいたが、リーバルは私たちを宿屋に任せると自宅のハンモックで休むと言い残し去ってしまったため、結局すれ違ったままになってしまった。

宿の主人も、こんなに静かな夜は久々だと嬉しそうに自宅に帰って行った。
橙色の仄かな明かりに灯された部屋には、ゼルダとリンクの静かな寝息と、時折吹き込む冷たいそよ風のみ。

ちらちらと揺れる明かりに誘われ、意を決して身を起こすと、ブランケットを肩にかけ、宿屋をあとにした。

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濃い月影の差す螺旋階段を、足音を忍ばせながら、踏み外さないように一歩いっぽ踏みしめる。
段数が多いからか、リーバルの元へ赴くことを意識してか、彼の自宅が近づくにつれ鼓動が早くなっていく。
しかし、残念ながら彼の自宅の明かりはとうに消えていた。もう寝静まってしまったのだろうか。彼が眠っているであろうハンモックを見上げるが、月明かりだけでは頼りなく彼の重みをそこに感じることさえできない。
さすがに声をかけることはためらわれ、立ち去ろうと踵を返したとき、顔が硬い何かにぶつかって思わず声を上げた。

「いった……あっ!」

額を押さえながら見上げると、驚いたように目を見開くリーバルがそこにいた。
それは一瞬のことで、彼は私と目が合うなり取り澄ましたようににやりと口角を上げ、腕組みをした。

「こんなに静かな夜なのに、僕が後ろに立ってることにさえ気づかないなんてね。余程目前のことが気になっていたようだけど……」

私の口から彼に会いに来たことを引き出そうとしていることくらい、散々意地悪な目に遭わされてきたのだからわかっている。
それなのにどうにも緊張してしまって、強気に返すことも素直な気持ちをぶつけることもできない自分がもどかしい。
「僕に用事でもあるのかい?」くらいはっきり言ってくれれば頷くことならできたかもしれないのに、彼は何も言えずブランケットを握り締めることしかできない私を面白がるようにのぞき込んでくるばかりだ。
どくんどくん、と首の脈が頭に響くほどの静けさに耐え切れず目を固く閉ざしたとき、頭にふわりと温かなものが乗せられた。リーバルの手のひらだとすぐにわかった。
私が顔を上げる前にすっと退けられたそれを追って振り向けば、リーバルは私の側を過ぎ、自室の窓辺に立った。
後ろ手に組みかえる仕草も、風にそよめく四つの三つ編みも、いつから目にしていなかったんだろう。

まじまじと見つめ続けているうちに、リーバルがこちらを振り返った。
翳ってよく見えないが、笑みを浮かべていることは彼がくすりと笑ったことでわかる。

「そんなに見つめてないで、こっちに来なよ」

言われるがままそろりと近づいたとき、間近に迫ったところでぐいっと腕を引き込まれ、きつく抱きしめられた。

「リーバル……んっ!?」

驚いて口を開いた拍子に舌がねじ込まれた。
激しく口腔内をうごめく熱い舌に応えるように必死に舌を絡ませる。
暗闇のなか彼の荒々しい吐息が頬に吹きかかる感触。力強く抱き込む腕から立つ香り。一つひとつにリーバルを感じ、まるで彼と自分だけの世界に閉じ込められてしまったような感覚に陥ってしまう。

息が切れぎれになるまで貪られ、膝の力が抜けて彼にもたれかかったころになって、ようやく解放された。
リーバルは私を抱きかかえると、壁際にずるずるともたれ、大きな手で額を覆った。こんなに余裕のない彼を見るのも久しぶりだ。そんな彼に心臓はまた早鐘を打ち始め、この状況に羞恥心が沸き立つ。

「いきなり、あんな……」

思わず口ごもる私にピタリと息を止めた彼は、指の隙間からこちらを覗き見るなり、ふん、と顔を逸らした。

「君だって、まんざらでもなかったじゃないか」

柄にもなく我を忘れた行動にさすがの彼でも恥じらいがあったらしく、顔は背けられたままだ。
それが何だかおかしくてのぞき込もうとすると、今度はじろりとにらまれてしまった。初対面のころはその鋭利な眼差しを怖いと思ったことがあったが、当時と同じような視線であっても今となっては私の心を射止めるだけでしかない。
耐え兼ねて今度は私のほうが思わず顔を逸らしてしまうが、そうさせまいと伸びてきた指先にあっさりと顔を上げさせられる。
窓から差し込む月明かりに照らされ、透き込んだ翡翠色の眼差しが、瞳孔を細め真っすぐに私を捉える。

そこにはいつもの冗談めかすようなニュアンスはうかがえず、静かに私を見つめ続ける目が先の言葉を探るように揺れ動いていた。
目を離せずただ見つめ返していると、程なくして、彼はぽつりとこんなことを呟いた。

「あんなに穏やかなリリトト湖の湖面も、リトのみんなの笑顔を見るのも久しぶりだよ。……君のその間の抜けた顔を拝むのもね」

「最後のは余計です!」

彼の言葉に聴き入りかけていたところでお約束通りの嫌味が飛び込んできて、思わず突っ込んでしまう。
少しむっとした私に、しかし彼は嬉しそうに笑った。

「やっとまともに口を聞いてくれた」

その言葉に、彼が私の心を開こうと気遣ってくれていたのだとわかり、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。

「会いたかった……!」

喉に詰まっていた言葉が、ようやく声になった。
リーバルは何も言わなかったが、わかってる、と言いたげに笑みを浮かべながら目を閉ざした。
肩をぐっと掴まれ彼の胸に押し付けられる。

「……不安にさせて、悪かったよ」

物言いこそぶっきらぼうだが、彼なりにやんわりと言葉を選ぼうとしているのがわかって、それがまた余計に涙腺を緩ませる。

「今後は引っ張ってでも君を連れて行く。……嫌とは言わせないからね」

「相変わらず強引だなあ」

涙を拭いながらこっそりと見上げた彼は、鼻で笑いながらも薄っすらと細めた眼差しを上弦の月に向けつつ、満足そうに微笑んでいた。

(2022.06.13)

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