ゼルダが開発した薬の効果は絶大だった。
私の能力は奏でる旋律によって異なる特殊な効果をもたらすものだが、一つだけ欠点があった。それは、効果が持続する時間があまりに短いことだ。
ガノンの脅威は去った。しかし、必ずしも再度復活しない保証などないし、ガノン以外の脅威が現れないとも限らない。
リーバル不在のあいだゼルダにお誘いいただいたお茶会のなかで、彼女と私は雑談の合間に時折真面目な話をし、いつかのために備えておこうと固く誓ったのだ。
そうして誕生した新薬の効果は、想像以上のものだった。
特にネックだった時を止める旋律について、これまでは対象の時をほんのわずかな時間止めることしかできなかったが、対象によっては丸一日時を止めることができるようになったのだ。
しかし残念ながら、その効果は永続的に続くものではないため、効果を持続させるにはその効果が切れるであろうタイミングに応じて再度旋律を奏でる必要がある。
だとしても、旋律を奏でるタイミングさえ的確に掴まなければならなかったこれまでに比べればずっといい。
それは、私の頭上よりも遥かに高いところで手すりから身を乗り出し驚きに目を見開いているリーバルのほうがより実感を得ている事だろう。
霧雪に覆われていたリリトト湖一帯は、風が一気に吹き抜けたように視界が開け、押しのけられた豪雪は崖に沿って切り立ち、まるで大きな瀑布のようだ。
あくまでこの一帯に吹き荒れる雪の時を止めただけで、この特殊効果自体に結界のような役割はない。
そのため、旋律効果の範囲外から吹いた風が時折つり橋を揺らし、ここが高所であるということを嫌でも意識させられる。久しく感じるこの感覚は、恐怖心だけではない、懐かしくも複雑な心情まで呼び起こし、何とも皮肉だなあと、思わず苦笑いが浮かぶ。
リーバルとの長い長い過去の記憶を思い出せたときはこれまでにないくらい大きな喜びを得たが、記憶を取り戻すということは、すなわち、これまでのトラウマも失われていた記憶とともに修復されたというわけで。
どうやらハイリアの女神様は、そこまでの融通は利かせてくれなかったようだ。
「アイ、大丈夫ですか?あともう少しの辛抱ですよ」
ゼルダが馬上からそっと耳打ちしてくれた。どうにか笑顔で応え、労いを糧にとにかく足を前に出すことにだけ集中する。
ハイラル城もなかなかの高所だが、ここはその比じゃない。それなのに、ゼルダやリンクはなぜこうも平然としていられるのだろう。
ゼルダに至っては馬の背に乗ったぶん高いところにいて、橋の下の景色が嫌でも目に入るだろうに。二人とも凛と澄ました表情のまま前を見据えている。
少しでも恐怖を和らげようと雑念ばかり浮かべていたせいだろう。二人が突然驚いたように足を止めたことに気を取られ、目の前のできごとに反応が遅れてしまった。
突如、頭上で旋風が巻き起こり、それに驚いたゼルダの馬が高く上げた前足を橋にしたたかに打ちつけた。
人や馬がゆっくり離合できるほど大きな橋なので、体躯の大きな馬が一頭蹄を打ちつけた程度では、橋が大きく揺れるなんてことにはならないはずだ。
わかってはいるが、神経が研ぎ澄まされている今の私には、ちょっと揺れが加わっただけでも橋がしなるほどの大きな揺れに感じてしまう。
思わず悲鳴を上げて近くの縄にすがりついた私に、慌てふためいた二人が気遣うようにこちらを振り向いたとき。
「そんな必死に縄なんか掴んじゃって。そんなにこの橋がお気に入りなのかい?」
さも愉快そうに笑いを堪える声色は、相も変わらず人を小ばかにするような言葉を紡いだ。
けれどそれは、彼の姿を思い起こすたびに何度も浮かべた声そのもの。この瞬間を、今かいまかと、どんなに待ち望んだことか。
「リーバル!またあなたは急に現れて……」
下乗しながらたしなめるゼルダの声に、背後からはフン、と乾いた笑い声が届いた。
“リーバル”。その名を耳にした瞬間から、恐怖なんてとっくに忘れていた。それ以上に、これまで押さえつけていた気持ちが一気に解き放たれ、私の心を満たす。
今の私はきっと、すごくみっともない顔をしているだろう。彼の顔をこの目でしっかりと見たいのに、拭っても拭っても溢れる雫が視界をにじませる。
高ぶる気持ちを抑えつつ、ゆっくりと振り返る。
彼が平静を装いながらも動揺していることくらい、ぼやけた視界でも一目瞭然だ。その証拠に、腕組みをして恰好つけておきながら、ちらちらとこちらを気にするように何度も振り見ている。
「わ……私……っ」
何か言葉を紡ぎたいが、気持ちばかりが先走って思うように声にならない。
「お、おいおい、尋ねたいことが山ほどあるっていうのに。再会早々そんな様子じゃ先が思いやられるね」
「リーバル」
リンクに馬を託し私のかたわらに寄り添い背をさすっていたゼルダは閉目し、たしなめるように一言彼の名を口にした。
その語気にめずらしく気押された様子のリーバルは、ぐっと息を飲むと、ごほんとわざとらしく咳払いした。
「えーっと。こういうとき、ハイリア人は再会の証にどうするんだっけ?確か……わっ」
居ても立ってもいられず、リーバルの腰にしがみついた。
勢いあまって彼の胸当てにゴツンと顔を打ちつけてしまい頬がちょっと痛いが、忘れかけていた彼の香りを思い出し、痛みも気にならないくらい胸がいっぱいだ。
「……やれやれ。そんな子どもみたいに泣かれちゃ、これ以上嫌味を言う気にもなれないじゃないか……」
私にしか聞こえないくらい小さな声で紡がれたその言葉には、私だけに悟らせるようにほんの少しの優しさがにじんでいるように感じた。
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リト村の門番にゼルダの馬を預け、長い階段を登り切り村長や村人たちとの挨拶を済ませた私たちは、暖を取れるようにと焚火炉のある炊事場へ案内された。石畳の真ん中に煌々と燃える炎が懐かしい。
リンクにゼルダのぶんのクッションも併せてぞんざいに投げ寄越したリーバルは、じとりと見つめるリンクの視線を何事もなかったように受け流しながら、ゆったりとこちらに歩み寄ってきた。
ボスンと両腕にのせられたクッションを受け止めて彼を見上げると、リーバルは赤い縁取りをにんまりと歪め、耳打ちしてきた。
「まさか、あんな風に泣きつかれるとはね」
「なっ……!?」
言葉にならず恥ずかしさのあまりクッションを抱きしめると、リーバルはくちばしに手を添え笑いを噛み殺しながら少し離れたところに腰を落とした。
「まあ、座りなよ」
ゼルダが座るのを見届け、リンクとともに腰を下ろす。
リーバルはなおもからかうようにこちらに目配せしていたが、思い出したように手近な薪の束に手を伸ばした。
あぐらに頬杖をつきながら面倒くさそうに炉に薪を足すと、勢いを増した炎を見つめながら、改まったように「それで」と切り出した。
「まずは、あれだけの猛吹雪を立ちどころに止ませた原理についてご高説を賜りたいんだけど」
どうやらあの吹雪をせき止めたのが私の仕業であるととっくに見抜いているようだ。
「さすがはリーバル。そこまで感づいているのであれば、こちらとしても説明が早くて済みます。実は、あなたの長きに渡る不在のあいだ、アイの能力をより効果的に活用できないかと二人で画策していたのですよ」
“長きに渡る不在”などとわざわざ皮肉を交えるゼルダに、案の定リーバルは肩眉を上げたが、気に留める素振りを見せまいとさらりと受け流すように繋げた。
「……ふーん。今後に備えようって魂胆なわけね。で?どうやって持続時間を引き延ばすことに成功したんだい?」
「ゼルダ様が能力の効果を持続する薬を開発してくださったの」
「へぇ、君が……」
私の言葉にリーバルはめずらしく感心するようにゼルダを見つめた。
賞賛の意図を感じられれば誰だって嬉しくなるはずだが、ゼルダは何だか複雑そうだ。
恐らくそれは、ゼルダの封印の力が目覚める前の彼が、口にはせずとも彼女に対して見下げるような態度を取る節があったからだろう。現に今も意外そうな表情を浮かべていることからもそれが如実に表れている。
相手に対して失礼にあたらないかという配慮に欠けている自覚さえないのは相変わらずだ。
「さて、聡いあなたのことですからこれ以上の説明は無用でしょう。ここからは、あなたや村の現状についてお聞かせ願えますか?」
リーバルは鼻を鳴らすと、苛立ったように立ち上がり、窓辺で後ろ手を組んだ。
穏やかに波を立てるリリトト湖を見下ろす目が忌々しそうに歪められる。
「……僕一人でも策は打てただろうけど、有事の最中にのこのこここまで来たんだ。どうせなら君たちにも協力してもらおうかな」
素直に”助けてほしい”の一言が言えない彼の偏屈さに呆れて額を抱えつつも、私たちはリーバルの話を真摯に聞いた。
けれど、話を聞いているうちに、彼が元来、言動とは裏腹な性格であることを徐々に思い出した。リーバルはいたって冷静にかいつまんで説明していたが、話に挙がった以上に過酷な状況にあったはずだ。
彼らの置かれた状況さえ想像できず、久々の再会で気持ちが高揚するあまり、上辺の言動ばかりに捉われてすっかり浮かれきっていた自分を心底恥じた。
突然いなくなったうえにこれまで何の音沙汰もなかったことについて咎めようなんて気持ちはとうに消え失せていた。
その思いはゼルダも同じだったようで、一通り話を聞き終えた彼女は「大変だったでしょう」と悲痛な表情を浮かべた。
「……そういう顔はやめてくれ。調子が狂う」
リーバルは肩越しにゼルダへちらりと一瞥を送ると、埃を払うようにひらひらと手を振った。
(2022.06.13)