四神獣の繰り手と顔合わせを済ませた翌朝、さっそく神獣の調整に向かうことになった。
先頭を歩くゼルダとリンクは何やら今後のことについて神妙な面持ちで話し込んでおり、彼女たちに続く兵たちのすぐ後ろで、ミファーとダルケルは何やらひそひそと話し込んでいる。
先ほどからミファーの視線がちらちらリンクに向いている気がするが、もしかして……。
話の内容までは聞こえてこないが、彼女の様子から何だか甘酸っぱい予感がする。
今度さり気なく聞いてみようかな……。
城門を出てしばらく歩いていると、すっかり聞きなれた噴水の音が耳に届く。
半月前まで、ポストハウスでバイトをしながらあそこで演奏をしていただけの私が、今や王国の要となる方々と並んで任務に赴いている。
とは言っても、まだ任務への参加は二度目だし、待機中もけがをした人の治癒をさせていただいていたくらいで、何かしらの成果を上げたことがあるわけではないのだけれど。
それでもこれまでの生活から一転したこの状況は、さしずめどこかのお姫様のようだなと、自分がいつも腰かけていた噴水の縁を横目に通り過ぎながら、しみじみと思う。
ぼろをまといみじめな生活を強いられていた女の子が、お城の舞踏会に参加して王子様に見初められる。
前世でそういう絵本を読んだことがある気がするけれど……こういうとき、固有名詞が思い出せないのって不便だな。
私がその物語のお姫様だとしたら、王子様は……。
ふと、目の前で揺れる四本の三つ編みに視線がいく。
……。
いやいやいやいや!何を考えてるんだ私は!
たまたま目の前の三つ編みが目に入ったってだけで、当てはめるなんて大馬鹿だ。
プライド高いし、ナルシストだし、厭味ったらしいし!
しかも相手はリト族。ちょっと人に体型が近いからって、見た目は鳥だ。
天と地がひっくり返っても有り得ない!
「そういえば、アイはこのあたりに住んでいるんだろう?
町での暮らしはどうだい?」
リーバルのとなりに並んで歩いていたウルボザが、急に話を振ってきたせいで、私は変な声を上げた。
怪訝な顔でこちらを振り返るウルボザとリーバルを交互に見やり、咳払いすると顔を引き締める。
リーバルはふん、と鼻を鳴らすとプイッと顔を背けた。
そういう仕草はちょっと子どもじみててかわいいな……じゃなくて!
妙な妄想をしてしまったせいで、リーバルのことを変に意識してしまいそうになるが、ぶんぶんとかぶりを振る。
私より頭二つぶん高いリーバルもなかなか背が高いと思うが、ウルボザは彼よりもさらに上をいく。
ダルケルほどまではいかないにせよ、かなり上背がある。
その上プロポーションも良く美人とくるもんだから、もし私のいた前世の世界に彼女が存在したなら、間違いなく世界的に有名なモデルになっていたことだろう。
それだけでなく、ウルボザは女性陣のなかでは年長なこともあってか、姉御肌で落ち着きがありとても話しやすい。
顔合わせのあとゼルダを交えて話し込んでからというもの、すっかり打ち解けていた。
「活気があって、楽しいですよ。町の人もみんないい人たちだし。
私がお世話になっている方もとても親切で……」
私はちょうど差し掛かった路地を指さした。
「そうそう。あの路地を行った先にポストハウスがあるのですが、以前はそこでアルバイトをさせていただきながら、余暇にさっき通りかかった噴水の下で演奏をしていました」
「へえ!あれだけ弾けるからてっきり演奏で生計を立てていたのかと思ってたよ」
「いえいえ、私の演奏なんてまだまだプロの方々には遠く及びませんよ!音楽で食べていくなんてとても……」
「なおのことすごいじゃないか。ただの趣味だってんならなおさら、あそこまで腕を上げるのはなかなか難しいもんだよ。
しかし、好きこそ物の上手なれ、なんて言葉もあるからねぇ。あんたはきっと、心の底から音楽を楽しんでるんだろうね」
ウルボザの心底感心した様子からお世辞に聞こえず嬉しくなるが、これほどまでの賛辞を与えられると、気恥ずかしくなって返す言葉に困る。
「あ……ありがとうございます……」
そのとき、私のすぐ前から再び視線を向けられているのに気づき、ふと見やる。
肩越しにこちらをうかがっていたらしいリーバルと目が合うが、彼は私と視線が合うとすぐに顔を前に戻した。
その目尻が、ほんの少しだけ下がって見えたのは気のせいだろうか。
それは、唐突に訪れた。
前方で大勢の高笑いが響いたかと思うと、いち早く察知したリーバルが高く飛び、宙で弓を引き絞った。
皆それぞれの武器を構え警戒し始めた。
突然の臨戦態勢に気を取られているうちに、家々の屋根の上に煙が巻き起こる。
お札のようなものをまき散らしながら一斉に現れたのは、赤い衣を身にまとった異様な集団だった。
素顔を隠す白地の面には、赤で目のような模様が描かれている。
インパの額に描かれた模様と酷似しているが、彼女の額のものは目から雫が垂れるように描かれているのに対し、この集団の面の雫は逆さに描かれている。
その手に携える首刈り刀を目にした途端、心臓が跳ねあがり、呼吸が苦しくなる。
「イーガ団……!」
ウルボザが歯をぎり……と噛みしめ、カトラスと盾を構えた。
大丈夫。ここには、強い人たちがそろってるんだから……!
そう自分に言い聞かせながら、平静を保ち、腰のケースからトラヴェルソを取り出す。
「あなたたちは……!」
庇うように前に出たリンクの後ろで、ゼルダが戸惑いの声を上げたとき。
集団の後方の屋根の上で、無数の煙が巻き起こり、さらに数名の敵が現れた。
その中心で腕組みをして立つ男は、それぞれが片手武器を手にするなか、その両腰に双剣を携えこちらを見据えている。
切りそろえられた髷が左右に垂れ、風になびいている。まるで、忍者のようだ。
その面にはほかの団員のそれにはない角のようなものがあしらわれ、集団の中心人物であることがうかがい知れる。
その大柄な体躯や佇まいから、集団のなかでもっとも腕が立つことくらい、戦闘経験が皆無な私でも容易に想像できた。
「……此度こそ、消えてもらうでござるよ」
地の底から響くような野太い声に、緊張の汗がこめかみを伝う。
前方の集団に向かって駆けだした私たちの背後で、再び煙が舞い、挟み撃ちにされてしまった。
突如火ぶたが切って落とされ、掛け声や武器のぶつかる音が鳴り響く。
私たちの前を歩いていた兵士たちのうち数名は、私を囲うようにして盾になりながら剣を振るっている。
明らかに足手まといでしかないこの状況に、恐怖心を上回る罪悪感に苛まれる。
私も何かしたい……!
ぎゅっと手に力を入れたとき、ふとトラヴェルソの存在を思い出した。
……そうだ。私は、特訓したじゃないか。
頭上を飛び回りながら弓を放つリーバルを見上げる。
あのとき彼は私に言った。
“飛べもしなけりゃ戦えもしない分際で”と。
きっかけは彼に挑発されたからだが、それだけじゃない。
こういうときに、守られてばかりではなく、みんなの役に立ちたいって、練習を重ねていくうちに自然とそう思えるようになった。
私は未熟者だ。楽器がないと何もできない。
だけど、こんな自分でも何かできるって証明したい。
この数日間ずっと能力の研究をしてきた。
その成果を、今こそ試す時だ。
決心が固まると、自然と力がみなぎってくる。
おもむろにトラヴェルソを構えた私は、すっと息を吸うと、新たに習得した曲を奏でた。
辺りで散らされる金属音を割くように響くその澄んだ音色に、戦いの手が止まる。
そのとき、小さなつむじ風が起こり、地面の砂が巻き上がり始める。
砂ぼこりをまとった風はみるみるうちに膨れ上がり、周囲の敵を巻き込むと、その身を浮かせ、吹き飛ばした。
次々と上がった悲鳴は、体が地面にたたきつけられたことにより、苦痛のうめきに変わる。
羽ばたきながら光景を遠目に見ていたリーバルは、私を見下ろすとふっと口の端を歪めた。
「やるじゃないか」
そう一言つぶやくと、すいと飛んで油断している敵を一掃していく。
音色の効果が発揮できたことや、彼が率直に褒めてくれたことは嬉しい。
けれど、地面に横たわる彼らの苦し気な姿に釘付けになり、目が離せない。
私が、けがを負わせた。
その事実が頭のなかを支配して、手がガタガタと震える。
「あの面妖な音色は……」
大柄な男は考えを巡らせるようにそうつぶやいたが、次の瞬間、姿をくらました。
私の音色に気を取られていたゼルダとリンクは、突如消えた姿に辺りを見回す。
油断している彼らの頭上の屋根の上で、巻き起こった煙から、男がその大きな体で軽々と舞いながら姿を現した。
その手に光るものを遠目に見つけ、私は咄嗟に叫んでいた。
「危ない!!」
「御ひい様!!」
ウルボザが駆け寄ろうとするが、行く手を敵に阻まれてしまう。
私たちの声にリンクははっとして頭上を見上げる。
男の手から放たれた三本のクナイは、ゼルダ目掛けて一直線に飛んでいく。
焦燥が浮かんだみんなの視線が一斉にゼルダに向く。
間に合わない……!
的確な筋で飛んでいくその切っ先がゼルダに突き刺さると思われたが、間一髪のところで飛び出した白いガーディアンが彼女の盾に……は、ならなかった。
すさまじい瞬発力で彼女の前に躍り出たリンクが、ガーディアンを突き飛ばし、クナイを三本とも弾き飛ばしたからだ。
突き飛ばされたガーディアンは地面で顔面を強打しつつも着地したが、その頭部に、追い打ちをかけるようにリンクが弾いたクナイの一つがこつんとあたる。
さまよわせるように動く青い一つ目に、後ろで状況を見守っていた私たちは、居たたまれず一様に「ああ……」と同情のため息を漏らした。
リンクたちの向かいに膝をついた大男は、肩で息をしながら、切り込みの入った面を、彼らをにらみ据えるように向けている。
「ままならぬものにござるな。未来など、容易く変わる……」
何やら意味ありげな様子で低くつぶやくと、すくっと身を起こし、周囲の残党に向け声を張った。
「……皆、退くでござる」
それを合図に、いたるところで煙が巻き起こり、イーガ団は姿をくらました。
気配が消えたのを確認すると、皆息をついて武器を収めていく。
高所から周囲を見回していたリーバルも弓を背負い直すと、地面にふわりと降り立った。
私を見つけると、こちらに歩み寄ってくる。
「君にしちゃよくやったんじゃないの?初の手柄じゃないか」
リーバルは両翼を広げながら目を細めた。
彼がほんの少しでも私を見直してくれるのを期待していた。
それなのに、胸のざわつきが収まらない。
彼らの苦痛にあえぐ姿が、目に焼き付いて離れないのだ。
みんな淡々と戦っているように見えるけれど、その凛と引き締まった表情は、必ずしも内面を映したものではないように思える。
いつも、どんな思いで戦っているのだろう。こんな胸が裂けるような思いで戦っているのだろうか。
ぎゅっとトラヴェルソを胸に押し当てうつむいている私の頭に、ぽふっと柔らかなものが乗せられた。
ふわふわとしたその感触を見上げると、乗せられた左翼の隙間から、そっぽを向くリーバルの横顔が見えた。
その頭にじんわりと伝わってくる温もりが優しくて視界がぼやける。
「……泣くな。まだ、気を抜くべきじゃない」
たしなめるようにそうささやかれ、私はこくりとうなずくと、目をゴシゴシと拭った。
彼はふん、と鼻を鳴らすと、私の頭の上から手を退けた。
「ありがとう、リーバル」
去り行く背中に声をかけたが、彼は後ろ手に組んだ左手を軽く上げただけで、そのまま行ってしまった。
ゼルダたちを取り囲むみんなの背後で、ガーディアンに咎められて困惑するリンクを物珍しげに見ては、手で口元を隠しながらこっそりと笑うリーバルに、心臓がとくん……、と跳ねる。
「なあに、じーっと見てんだ?」
後ろから突然声をかけられ、肩がびくつく。
私とリーバルのやり取りを遠巻きに見ていたらしいダルケルとミファーが、こちらに歩み寄ってきた。
勘ぐるように私を見下ろしながらあごをさすっているダルケルに、見透かされているようで気恥ずかしくなる。
「リーバルさんと仲良さげだね」
細い手を口元に添えながらリーバルと私を交互に見やったミファーは、くすりと微笑んだ。
「もう、二人ともからかわないで」
火照った顔をあおぎながら、手にしたままのトラヴェルソを腰にしまう。
二人は恥じらう私に朗らかな笑みを浮かべた。
強くならなくては。
能力を高めることしか考えていなかったけれど、それだけじゃない。心も強く保たなくては。
この世界をみんなと生き抜きたいのなら、前世の平和ボケしたぬるい考えは、もう捨てないといけない。
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土を掘り固めたような洞窟のなか。
祭壇の前でかかげた両の手をに天球儀にかざす男の背後で、爆発音とともに煙が巻き起こる。
先ほどゼルダの一行と交戦していた大男は、気だるげに椅子にもたれる面の男の足元にひざまずいた。
「おお、スッパ。戻ったか。そんで、やつらはどうなった?」
太鼓腹のその男コーガは、大男ーースッパーーの帰還にはっと顔を上げた。
しかし、期待に満ちたコーガの声色に、スッパは首を深く垂れる。
「……面目次第もござらぬ、コーガ様。
あと一歩のところで力及ばず、撤退を余儀なくされたでござる」
「うーむ、お前ほどの手だれを退けるとはな」
コーガは腕組みをしながら人差し指で腕を苛立たしげにトントン叩いていたが、その顔をキッと無言を貫いているフードの男へと向ける。
「おい、占い師。……アストルと言ったか。
お前のその予言とやらは、本当に的中するんだろうな?」
アストルと呼ばれた男は、垂れ下がる髪の内側で黒く縁どられた鋭い眼孔を細め、くく、と喉を鳴らすと、かざす手を下ろし振り返った。
「……無論だ。私の予言はすなわち、厄災ガノンの思し召し。
疑念を抱くということは、ガノンを疑うも同義だと心しておくがいい」
青白い肌に底気味の悪い笑みを張り付ける男に、コーガとスッパは面の奥の顔をこわばらせる。
張り詰めた空気のなか、スッパははっと思い出したように、あごに手を添える。
「……先の戦いにて、面妖な技を操る者が」
スッパの言葉に、アストルは片眉を上げる。
「ほう、それはどのような技だ?」
「年端もいかぬ娘が、横笛を操り、つむじ風を起こしていたでござる。
その風に巻かれ、負傷した輩(やから)も少なからず」
「おお……興味深い」
嬉々として目を見開いたアストルは、祭壇に向き直ると、再び天球儀に両手をかざす。
天球儀はアストルの手に呼応するように淡く光ると、暗色のもやをまといながら、まがまがしい光を放った。
その光が収束したとき、もやの向こうにビジョンが映し出された。
そこには、ゾーラの姫やゴロン族と談笑する、フードをまとった人物ーー笛吹きの女の姿があった。
「ハイラルに召喚されし、楽士……アイ……」
光の表面をなでるように手をうごめかしていたアストルは、目を固く閉ざし眉間にしわを寄せると、何かを読み解くようにそうつぶやいた。
その目が開かれ、フードの女の姿を捉える。
「おもしろい……気に入ったぞ、アイ……」
アストルは、何も知らず無垢な笑みを浮かべる女の、フードに秘められた頬をなぜるように指先を這わせ、含み笑いを浮かべた。
(2021.4.10)