カシャリ
リーバルと何を話すでもなく沈みゆく夕陽を眺めていると、背後から唐突に乾いた音が聞こえた。
「たびたび邪魔が入るね……」
はあ……とため息交じりに振り返りながらぼそっとつぶやかれた言葉に、どきりとしながら、彼の視線を追う。
シーカーストーンから顔を上げたゼルダは、ふふ、と笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってきた。
あとから遅れて、リンクをはじめとした英傑たち、そしてインパとプルアが城内から庭に出てくるのが見える。
「もう宴は終わってしまったのですか?」
「いえ、まだ続いていますが、少し仲間うちでお話ができればと思ったのです。
ちょうどここに集まっていただくつもりでしたので、呼びに行く手間が省けました」
ウルボザとミファーはゼルダの両脇からシーカーストーンの画面をのぞき込みながら感心したように声を上げる。
「へえ、いい絵じゃないか!」
「わあ、本当!本物みたい……」
ゼルダは嬉しそうに笑みを浮かべると、私たちを見つめながらこう言った。
「リーバルとアイの後姿が何だか素敵だったので、写してみました」
「おいおい、勝手に写すのはよしてくれ」
リーバルは眉間にしわを寄せながらもどうやら気になるようで、画面をのぞき込んだ途端息を飲んだ。
「ふん……まあまあじゃないか」
つんとしながらも少し穏やかな表情を浮かべているあたり、気に入ったのだろう。
その証拠に、ゼルダの手からシーカーストーンを奪うように取り上げ、食い入るように画面に見入っている。
「へえ……シーカーストーンって、写真が撮れるんですね!ひょっとして動画も撮れるんでしょうか」
私の言葉に、その場の全員が固まる。
私が何かしら言葉を発するとまれにこういったことが起こることはわかってきてはいるものの、何度経験してもやはりなれない。
今回に至っては何が原因かすらもわからず戸惑っていると、ゼルダはオウム返しにつぶやいた。
「シャシン……?ドウガ……?」
ゼルダとミファーが顔を見合わせて小首をかしげるのを見て、ようやく何がいけなかったのか合点がいった。
そうか、この世界では写真とは言わないのか……!もしかしたら動画機能もなかったりする……?
そもそも写真じゃなかったら何て言えばいいの……!?
何とか言い逃れできないものかと慌てて考えるも、こればかりはさすがに何も浮かんでこない。
助けを求めてリーバルを見上げるも、ほとほと呆れた様子でやれやれと両手をかかげ首を振られただけだった。
そのとき、様子を見守っていたプルアがつかつかと歩み寄ってきた。
いつだかシーカータワーの研究で塔を訪れていた彼女と少し話をしたことがあったか、思えば久々の対面だ。
プルアは興味深そうに口角を上げると、腰に手をあてながら私の顔をのぞき込んできた。
「んん~?アイってもしかして、古代遺物に詳しかったりするの?」
相変わらず間延びしたしゃべり方だ。
間延びしたしゃべり方と言えばリーバルもそうだが、彼の場合は少し気取ったような気だるそうな感じなのに対し、彼女は何というか……ちょっとギャルっぽい。
こんなおちゃらけた雰囲気でも国お抱えの優秀な研究者だというのだから驚きだ。
「いえ……遺物の知識に関して言えば、英傑の皆さんと同程度かと思われます」
「じゃあ、さっきのシャシンやドウガというのは、何を意味するのかな?」
うっと言葉に詰まる。
私の故郷では写真や動画はもうあって当たり前と言ってもいいほど日常にあふれていた。
だから、わざわざそれが何かなんて考えないし、その存在を知らない人に説明したことがないため、どう返答するのが正解かわからない。
できる限り頭を回転させ、言葉を選びながらぽつぽつと答える。
「……”写真”というのは、見たままそっくりの絵のことです。
写真は絵として残すものに対し、”動画”というのは、見たままのものを動きもろとも残せるもの……と言えば伝わるでしょうか」
プルアは、ふんふん、とポケットから取り出したメモ帳に私の言葉を走り書きしていく。
私なんぞのつたない説明に感心したように目を輝かせるみんなが何だかおもしろい。
唯一事情を知っているリーバルにもこの話はまだしたことがなかったからか、いつになく真剣に耳を傾けている。
すっかりこの世界になじんでいたせいで忘れかけていたが、こうして自分だけが見知る情報を話すと、元は違う世界の住人である実感が湧く。
「シャシンとウツシエがおおむね同じというのは理解できた。
けど、ドウガについては、想像はできるけど、やっぱり目にしてみないとイマイチピンとこないわね」
「まあ、そうですよね……。私も口頭で説明するより現物をお見せするのが一番良いとは思うのですが……」
ゼルダは、うーん、とあごに手を添えながらうなっていたが、ぽつりと疑問を口にした。
「アイはそのような画期的な技術をどちらで目にしたのですか?」
次は必ずそう来るだろうと思っていたため、とうに覚悟はできていた。
一身に向けられる視線を見渡すと、一息つき、おずおずと切り出す。
「それをお話するとなると、かなり長くなってしまいますが……」
「構いません」
真摯な眼差しできっぱり言い切るゼルダに、みんなも深くうなずく。
みんなの真剣な眼差しにようやく決心がついた私は、思い切って打ち明けることにした。
「まず、私の言葉に偽りはないとだけ申しておきます。けれど、これからお話することを信じるも信じないも、皆さんの自由です。
正直、こういった説明をするのはあまり得意ではないので、支離滅裂になってしまうかもしれませんが……いいですね?」
私の言葉に、皆一様に頷く。
真剣な眼差しを受け、私もようやく覚悟を決めた。
如何に現実離れした話をするか。ひとまずそれだけ伝わりさえすればいい。
そんな思いで念を押し、考えながらゆっくりと話し始める。
「……私の日々の言動からリーバルは早々に感づいていたようですが、皆さんも、私がフードを外した時点でハイラルの人間ではないことは薄々お気づきだったでしょう。私は、ここより遥か遠くの異世界からこの世界に転生しました」
どよめきが起こる。
みんな一様に驚いてはいるものの、その眼差しは疑いというよりも、やはり、納得……というニュアンスに取れるものでひどく安心した。
「どのタイミングで転生したのかはわかりません。気づいたらこの姿のまま記憶が欠けた状態でハイラルにいましたから。
ですが、転移ではなく、転生であるという自覚はあります。転生したこと、前世は別の世界にいたこと、その記憶だけが根付いている……そんな状態です」
「アイが記憶喪失っていうのは、知ってたけど、まさかそんな事情があったなんて……」
「そんな状態でこの地に放り出されてよく生きて来られたなあ」
ミファーの言葉にダルケルが眉を下げる。
ふたりの気遣わしげな表情に、この世界に来てすぐの必死だったときの自分が思い出されて、泣きそうなくらい胸を掴まれるが、何とかぐっと堪える。
「アイのいた世界とは、どんなところだったのですか?
このハイラルは奈落の崖や海に囲まれていますが、もしやその遥か向こうなのでしょうか?」
「いえ……確かにハイラルとは気候や気象状況、動植物など似通ったところはたくさんありますが、別世界です。
私のいた世界は、地球という名の星です。現在の文明ではすでに星全体がどのようなつくりかほぼ判明していますので、こことは別の世界だと断言できます。
地球は、発展途上中の国はあれど、先進国はこの地よりもずっと高い文明を有しており、私はそのなかで長年暮らしていました」
ゼルダは両手を組み、目をぱっと見開いた。
インパとリンクはゼルダの様子に顔を見合わせて嬉しそうに目尻を下げた。
「そのお言葉どおりなら、複数の国が存在するということですよね。ハイラルよりもさらに規模の大きな世界があるとは……まるで夢物語のようですね……」
インパのつぶやきに、私もうなずき返す。
「こうして自分のいた場所について改めて口にすると、何だか不思議な感じがしますよ。
あとは、そうですね……ほかにもこの世界と近いものがあるとすれば……シーカーストーンやヴァ・メドー、マスターバイク……」
「待ってください、空を飛ぶ装置がそちらの世界にもあるというのですか?」
かぶせ気味に食いついてきたゼルダに、私は苦笑を浮かべながら答える。
「たくさんありますよ。こちらでは飛行機、と呼んでいました。
メドーと同じく戦闘兵器としての用途もありますが、こちらでは一般向けの交通手段の一つでもありました。一日に何便も飛んでましたし」
リーバルは、ええっ!とめずらしく驚いた声を上げた。
「あんな大型のものが空を何機も駆けるだなんて、渋滞にはならないのかい?」
思わずクスクス笑う。私も昔同じことを考えたことがあったからだ。
「空は意外に広く、そうそう別の機体と接触することはありません。ほかの機体同士が接触しないように感知できるとうかがったことがあります。
まあ、全くないかと聞かれるとそうではないみたいですけど、ごくまれかと思いますよ」
「そっちの世界じゃ、リトは飛びづらそうだねえ……」
リーバルは腕組みをして想像を巡らせている。
飛行機は離陸後ほとんど雲の上を飛んでいるから、そんなに高いところでなければリト族が飛んでいても問題ないはずだ。……なんて説明しだしたら今度は空の層や宇宙についてまで説明範囲が及びそうなので、今日のところは彼にはがんばってイメージしてもらうことにする。
リーバルが故郷の空を飛んでいる姿が浮かび、口元がにやけるのを手で隠す。
「……何笑ってんの」
目ざとく突っ込まれじろりとにらみ下ろされるが、いえ、と笑みを浮かべて顔を引き締める。
あんな大型のものが何機も空を飛ぶなんて、アイの世界は余程広いのか……とぶつぶつ考察を始めたプルアは、虚空を見つめながらも手は恐ろしいほどのスピードで私の言葉を素早く書き留めていく。紙はもうかれこれ十枚はめくられている。
この世界との共通点と照らし合わせながら話した方がイメージしやすいかと思い説明してはみるものの、情報量が多すぎてかいつまむのも難しい。
ほとんどがうんうんうなっているところからするとあまり伝わっていないのがよくわかる。
まあ、そうだよなあ……。
この世界の文明は、一番栄えているであろうハイラル王国でもせいぜい中世程度。
電子機器はなく、照明さえ未だに松明やカンテラを使ってるような世界だ。
むしろ機械のない世界で、シーカーストーンや神獣をあそこまで使いこなせるほどに適応できたことは本当にすごいと思う。
元より古代文明への関心の高さや、厄災への対抗策として活用するために必死だったことも大いに影響しているだろうけれど。
「古代遺物は対ガノン用の兵器、という認識ですが、私のいた世界では生活のあらゆる場面でさまざまな機械が存在していました。
その一つが、シーカーストーンに似た機械で、スマートフォンというものです。
ただし、シーカーストーンは磁器を発生させたり爆弾を量産したりとやはり兵器としての用途がメインかと思われますが、スマートフォンの用途は主に通信手段。または情報収集、といったところでしょうか。
遠方にいる相手との会話や文字のやり取りを可能にするものなのです。
用途はそれだけにとどまらず、写真や動画の撮影から、果ては音楽の再生、読書、演奏などの娯楽にも用いられます。あとは……財布代わりにもできますね」
「そろそろ頭がキリキリしてきたよ……。
要するに、シーカーストーンとは主要となる用途は異なるけれど、要素の一部が似てるってことだろう?」
ウルボザはこめかみをぐりぐりとほぐしながら理解したことを口にした。
私はその通りだ、とうなずいた。
「なるほどー。だからウツシエのことをあんな風に呼称したのね。ますます興味深くなってきたわ」
プルアはメモを閉じポケットにしまうと、にやりと笑みを浮かべ、私の肩を掴んだ。
「ねえ、アイ」
おねだりするようなトーンに、顔を引きつらせながら、はい、と答えると、プルアはにんまりと笑みを浮かべた。
「今度うちの研究所で過去の世界の話について、もっと詳しく聞かせてくれないかな?
あんたの記憶を取り戻す力になってあげられるかもしれないし」
「えっ、本当ですか!?」
「古代遺物の研究の副産物だけどね。
解明していくうちに、足掛かりになればと思って、古代遺物の成分から古代文明や古代人の記憶をたどる研究をこっそりしてたんだ。
人体にも有効かはまだ未検証だけど、追って連絡するわね」
プルアの能力の高さはシーカータワーの研究において十分理解していたつもりだが、それでもなお驚かされた。
記憶は自然と思い出されるのを待つしかないものだと思っていたから。
可能性があるのなら、それに賭けてみたい。
「ぜひ、お願いします……!」
プルアの手をがしりと掴み頼み込むと、横からリーバルがずいっと割り込んできた。やけに真剣な顔だ。
「なあ、その研究とやらに僕も参加させてくれよ。
もし人体にも可能ってんなら、僕もちょっと思い出したいことがあってね」
普段無関心なリーバルからの申し出にプルアは目をぱちくりとさせたが、私とリーバルを交互に見比べると、ははーん、と半目になる。
「カノジョを独り占めされるのがそんなに嫌なんだ?」
その冷やかしにリーバルはぼっと顔を赤くさせ、火が付いたようにわめきだした。
「なっ……そうじゃない!少し気になることがあるってだけだ。いちいち勘ぐるな!」
「あっそ。まあ、いいけど。けど来るなら来るでちゃんと協力してもらうから。
もうしばらくは村に帰れなくなると思うけど、それでもいいの?」
「構わないさ。こっちの方が優先すべきことだからね」
私の目をまっすぐに見つめながらきっぱりと断言するリーバル。まだしばらく一緒にいられることに嬉しくなり、顔がほころぶ。
けれど、それと同時にこの研究が終わりを迎えたとき、彼はやはり村に帰ってしまうのかと思い至り、気分が沈みそうになる。
「君の記憶を探ることができれば、もしかしたら……」
スカーフをつまみながらささやかれた言葉に、それをプレゼントしたときの彼の表情を思い出す。
ふと自分が身にまとうワンピースに目を落とす。
この世界に来てから、リーバルの夢を頻繁に見るようになった。
けれどそれは私の彼に対する思いが見せる妄想だとばかり思っていた。
でも、もしそうじゃないとしたら。
彼が私にかける言葉には、時折デジャブを感じることがある。
その既視感が、仮に、実際に言われたことがあるからだとしたら……。
想像くらいはしたことがあった。
リーバルと以前から関わりがあったのだとしたら、と。
元いたの世界からハイラルに転生するまでの空白の期間に何があったのかがわかれば、その疑問を紐解くことができるかもしれない。
「あの……」
ミファーが、おずおずと手を挙げた。
みんなの視線が彼女に集まった途端おろおろしだした彼女は、うつむきがちにためらいつつ切り出す。
「話の腰を折って悪いんだけど、その……」
「構いませんよ。どうしたのですか、ミファー?」
ミファーはゼルダの朗らかな問いかけにもじもじと気恥ずかしそうにしながら、伏し目がちにぼそぼそと答えた。
「みんなで、ウツシエを撮ってみたいなあって」
「いいじゃん!記念に一枚、撮ってあげるよ!」
プルアはゼルダからシーカーストーンを受け取ると、はい、もっと広いところに並んで~とガゼボの外に促す。
「また撮るのか……」
面倒くさそうに深いため息をつきながらも何だかんだついていくリーバルに、この一年でずいぶん変わったなあと、はじめのころ頑なにみんなとなじもうとしなかった彼が懐かしくなる。
自分のことをよく称えるようなことを口にする彼は、割と写真好きなのではと思っているけれど、みんなでとなると抵抗したがるのはなんでなんだろう。
もしかしたら、自撮りのほうが好きだったりするのかな。……シーカーストーンを片手に俯瞰から自撮りをする彼を想像し、ちょっと笑ってしまう。
「リーバル、アイ、もっと左に寄って」
ゼルダが微笑みながらくいっと腕を引っ張ってくるので、つられて笑いながらそばに寄る。
ふわ……と背中にリーバルの翼が触れ、彼との距離が近づく。ちらりと右上を見上げれば、リーバルは目尻を下げて小さく笑みを浮かべた。
彼の紺を彩る白い羽毛が夕陽に照らされて鮮やかに光り、とてもきれいだ。
「こっち見てー、笑ってー……チェッキー!」
前列に立っていた私たちはダルケルの腕によりなだれるように倒れ伏した。
ミファーはリンクが慌てて支えたことにより地面との衝突は免れたが、思わぬ接触に顔を真っ赤に染め上げている。
私は、咄嗟についた手が少しひりひりするものの、柔らかい翼に体を包み込まれているおかげで思ったほどの痛みはない。
「いった……」
苛立たしげなうめきが体に振動となって伝い、バクバクと心臓が鼓動を速める。
片腕をつきながら私ごと上体を起こしたリーバルは、私を立たせると、パッパッと砂埃を払い乱れた羽毛を整えながら、安否を確かめるように私の体を上から下まで見た。
「怪我はない?」
「あ、はい!その、ありがとうございます、リーバル……」
リーバルは照れたようにふん、と鼻を鳴らすと、弾けるようにダルケルを振り返り、いきなり押すなんて危ないじゃないか!とプリプリ怒りはじめた。
「あんなにアイに意地悪だったリーバルが、まさか白馬の王子様だったとはねえ……」
腕組みをして感慨深そうにそう言ったウルボザは、いつもゼルダに向けるような優しい眼差しで私にウインクした。
その言葉に、いつだったか、ぼろをまとった女の子が一夜にして王城の舞踏会に参加する物語を浮かべたときのことを思い出す。
あのとき私はもしリーバルがその王子様だったら……とたまたま浮かべてしまったけれど。
まさか、本当にリーバルのことをここまで好きになるなんて思ってもみなかった。
彼はあの物語の王子様に比べたら、人格者でもなければ、ロマンチストでもない。
それどころか、ぶっきらぼうで、口が悪くて、かなり意地悪だ。
けれど、ガラスの靴だけを目印に、舞踏会で一夜踊っただけの女の子を見つけ出す。
そんな途方もない奇跡を信じるという点においては、その王子様とほんの少し似通っているかもしれない。
“たとえ、二度とこの瞬間を思い出せなかったとしても。
お互いの記憶も想いもゼロからだとしても、またきっと引き寄せ合う。
僕は、そうなるって信じるぜ……”
「あなたが思い描いている通りの私たちに、ちゃんとなれてるかな……」
陽はすでに半分沈み、宵闇が深まってきた空には一番星。
一等光り輝く星を見つめながら、夢のなかの彼の言葉を想う。
(2021.5.17)