天翔ける:本編

34. 夕映えに馳せる想い

厄災討伐からひと月。
ゼルダの生誕パーティーがハイラル城にて開催されることが決まった。
時悪しくも厄災復活とゼルダの誕生日が重なってしまったため当日の開催が難しく、こうしてひと月を迎えた今日、ようやくお祝いする運びとなったのだ。
このパーティーは厄災討伐記念も兼ねてのものということで、パーティーには私たち英傑含め、各地から名士なども招待し大々的に行われるそうだ。
厄災討伐後初めての祝い事に民衆は湧き、城下町でも祝祭が催されるという。

近々開催されるのではと侍女や兵士たちのあいだでまことしやかにささやかれていたため小耳にははさんでいたが、まさか今日とは思わず。
事前に何の告知もないまま侍女からたたき起こされ、寝ぼけ目でぼんやりとする頭を働かせる私に、こちらをお召しください、と広げられたのは目に鮮やかな青のワンピース。
言われるがままドレスアップさせられたのはついさっきのことだ。

どうやら連絡が行き届いていなかったとのことで、土下座しそうな勢いで平謝りされ咎めることはできなかった。
私が招待されているということはほかの英傑たちもお呼ばれしているはずだが、私以外のみんなには連絡がちゃんと回っているそうでそこは安心した。

アイ様、とてもお美しいです……!」

着付けが整うと侍女はふわりと微笑み、私を姿見の前に誘導した。

何だかくすぐったい感じがしながらも鏡の前に立った私は、そこに映る自分の姿に一瞬で眠気が飛んだ。
きちんと結い上げられた髪に、すらりとしたシンプルな佇まい。
こうしてきちんとした格好をすれば、それなりに見える……かも。

青の衣と同じロイヤルブルーのワンピースには、私が楽士である証が刺繍で施されている。
見覚えのあるこの紋様……きっとゼルダ様が仕立てたものだろう。

アイを想って、心を込めて仕立てました。気に入っていただけたかしら……?”

「え……」

頭の奥でゼルダの声がこだました。
決して彼女ならそんなことを言いそうだと思って浮かべたわけではない。

一度、そんなやり取りをしたことがあった……?

「そんなはずは……」

「いかがなさいました?」

思わず声に出ていたつぶやきに侍女が鏡をのぞき込んできた。
いえ、と笑みを浮かべると、ご心配なさらずともよくお似合いですよ、と的外れなフォローが返ってきた。

この城の方々はみんな親切だ。けれど、優しさではどうにも拭いきれない想いがふつふつと湧き上がりつつあるのだ。

ロイヤルブルーをまとう姿にやけに感じる既視。
鏡のなかの私は、その綺麗な装いに似合わず困惑の色を浮かべている。

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「なんだか、この感じ二回目だな……」

レッドカーペットを歩きながら、すれ違う人々の視線に会釈で応えてはため息をこぼす。
厄災討伐後、国王の終戦のスピーチのときにも大広間には集められたが、こうしてまず控え室に呼ばれるのは叙任式のとき以来だ。

こうしてふたたび衆目にさらされることになろうとは。
兵士や侍女たちの目は、先日リーバルと食事をした軽食屋のご夫婦とどことなく反応が似ている気がする。
フードを取っ払ったときのあの色眼鏡で見るような視線よりかは幾分かましだけれど。

そうこうしているうちに控え室の大扉の前に着いた。
扉の番人はよりにもよって、叙任式のときと同じ兵士で。
私を見るなり廊下ですれ違った兵士同様顔を赤らめ、どうぞお通りください!と上ずった声で敬礼した。

普段はそんな反応一切しないのに今日に限ってはみんなして何なんだ。
そんなに普段の私は野暮ったいだろうか……。

ふたたびため息をこぼし、一つお辞儀をしてから扉を開けた。

意外にも一番乗りだった。
今朝バタバタ用意させられたものだから、てっきりまた最後かと思っていたのだが。

ゼルダ様は今日のメインだし、多分準備に時間がかかっているだろう。
ほかのみんなも今日は私のようにドレスコードのきちんとした衣装をまとってくるはず。

パーティーの時間までまだ余裕があるようだし、少しゆっくりできそうだ。

ふと、前にリーバルが立っていた窓辺が気になり、何とはなしに近づいてみた。

彼はこの窓から何を見ていたんだろう。
窓の鍵を開け、両側に押し開く。

窓が遮っていた光がダイレクトに差し込み、まばゆさに目をすがめる。
朝露に濡れた木の葉の香り。暖気に混ざる少しひんやりとした空気が気持ちいい。

下を見下ろすとガゼボの鋭利な屋根が見える。
いつも下からのアングルでしか見たことがなかったけれど、こうして高い位置から見てみると上部はあんなふうな造りになっているんだなあ。

いつだかリーバルがあの上に登っているのを見て、うらやましがった私を背に乗せて上げてくれたはいいものの、思いのほか高い上に足場があまりなくて怖い思いをしたっけ。
ほんの数か月前のことのはずなのに、一緒にいる時間が長いせいかもうずいぶん前のことのようだ。
懐かしくて思わず頬が緩む。

「何一人でにやけてんのさ」

いつだか同じことを言われたような気がする。
聞きなれた声に驚いて後ろを振り返るが、姿が見当たらない。

「こっちだ」

窓の外からだとわかり視線を戻した途端、すさまじい強風に窓がガタガタ揺れ始めたかと思うと、大きな影に視界を阻まれ、私の頭上すれすれを鉤爪が過ぎていった。

せっかくセットしてもらったばかりの髪が豪風に巻かれ少し乱れてしまった。
手で撫でつけながら振り返り、こちらに背を向けてどさりと着地したばかりの彼にすかさず抗議する。

「リーバル!いきなり窓から入ってくるなんて危ないじゃないです……か……」

身を起こしこちらを振り向いたリーバルの姿に、釘付けになった。
彼も私を見て目を大きく見開いている。

普段彼が身につけている防具姿ではなく、燕尾服のような装いだ。
首には私がプレゼントしたバーガンディのスカーフが巻かれているが、いつもの長く垂らす巻き方ではなく、西洋の貴族が身につけるジャボのような巻き方だ。
翡翠の髪留めやアンクレットも、スカーフに合わせた色合いに差し替えられている。
目の縁取りよりも濃い赤の髪留めが、木漏れ日に煌めき揺れる彼の翡翠をより映えさせ、肩越しにちらつくごとに取り乱してしまいそうになる。

あまり食い入るように見つめすぎたせいか、リーバルは腰に片翼を添えると気まずそうに顔を反らし、目を閉じた。

「……その反応、僕に見とれてるのかい?」

図星をつかれ顔に熱が集まっていく。
挑発的なニュアンスのはずなのに、いつもと違って覇気が感じられない。
そんな様子にどぎまぎさせられながらも、何とか言葉を紡ぎ出す。

「いけませんか……好きな人の素敵な装いに見とれては……」

感じたままに述べれば、リーバルははっと目を見開いた。
困ったように長し目を向けてきたかと思うと、ふっとため息をつき、ゆったりとこちらに近づいてきた。

後ろ手を組みながらあごをくいっと持ち上げられ、まじまじと見つめられる。

「化粧をしてるのか」

すうっと頬をなでられ、こくりとうなずく。

「変、でしょうか……」

「変なもんか」

言い切ってから、リーバルはぐっと口をつぐんだ。
弾けるように顔を上げてうかがった顔はしまったと言わんばかりにしかめられ、すでに腕組みをしてそっぽを向いている。

「どうですか……?」

「……」

褒めてほしい一心でそう問いかければ、リーバルはぎり……とくちばしを擦り合わせる。
大きく咳ばらいをして、横目にこちらを見やりながら、ぼそぼそと少し悔しそうにつぶやいた。

「……きれいだよ」

吸い込まれそうなほどに澄んだ目で見つめられ、唇がふるふると震え出す。
ぐるぐると目が回りそうになるのを堪えて背を向け、顔を覆った。

もしリンクやダルケルに同じことを言われたとしても、冗談として笑い飛ばしてしまうだろう。
衛兵や町のご近所さんに本気で同じことを言われたとしても、照れはしても心は動かないはずだ。

なのに、どうして。
どうして彼が言うと、こんなにも心をかき乱されてしまうのだろう。
おさまらない鼓動をぐっと両手で押さえつける。
普段から褒めてくれるような人ではないせいで、耐性がついていない私の胸は、今にも青の衣を突き破らんばかりに激しく弾んでいる。

アイ……」

すぐうしろに彼の気配を感じたと思ったら、柔らかな温かさに包み込まれていた。
私の体をすっぽりと覆う大きな紺の翼。頭に吹きかかる微かな吐息。
スカーフに染み付いたお香の甘い香りが、はち切れそうな気持ちを少しずつ安心感に変えてくれる。

彼の翼に手を添え、抱き締め返そうと体を反転させた私は、彼越しに見えた入り口のドアを見て思わず大きな悲鳴を上げる。
それに驚いたリーバルが弾けるように離れ、入り口を振り返りあんぐりと口を開けた。

開け放たれた入り口からはゼルダをはじめ、リンクやほかの英傑たちが顔を覗かせていた。
呆気に取られている私たちを見て、堪えきれないといったようにみんなして噴き出す。

「あんたたち、今日は結婚式じゃないんだよ?」

ウルボザに至っては引き笑いしながら目尻に涙まで浮かべている。

「みんな、いつからそこに!?」

みんなが大笑いするなか一人だけ笑みとも無表情とも取れる微妙な表情のリンクが、私たちのそばまでくると、腰に手をあてて顔を横向け目を閉じた。

「……その反応、僕に見とれてるのかい?くらいから」

口調までまねるものだから、ダルケルがドカンと笑い出し、みんなもつられるようにお腹をよじって笑い始めた。
そんな前から見られていたなんて……という気恥ずかしさはあれど、それ以上に、普段表情をほとんど変えることのないリンクがリーバルのように表情豊かに演技するのがおかしくて、私も思わずぷっと吹き出す。

はっとリーバルを見上げる。
無言のままくちばしを閉ざしたままの彼は瞳孔をカッと楕円に開き、肩を打ち震わせている。
まずい。そう思ったときにはすでに時遅く。
ついに顔を真っ赤にさせたリーバルが、カンカンになりながら腰に手をあてリンクの眼前に人差し指を突き出した。

「まさかとは思うけど、僕の真似をしているつもりじゃないだろうね!?
正直シャクだが君に比べたらまだあの占い師の幻影ほうが数千倍再現度高いよ!!」

「とても上手だと思いますけど……」

思い出してついニヤニヤしながらそう言えば、リーバルは矢じりのように鋭い視線で私を射抜いた。

「君まで僕を愚弄するってのかい、アイ!?
じゃあもう二度ときれいだなんて言ってあげないからね!」

リーバルの咄嗟の叫びに、場がしーん……と静まり返る。

彼の取り乱した顔に、鎮まっていたはずの心臓が、またバクバクと打ち鳴らされ始める。

コホン、と小さな咳払いのあと、ゼルダはクスクスと笑いながらこう言った。

「やはり今日は私の生誕パーティーではなく、おふたりの婚約パーティーにいたしましょうか」

彼女の冗談にうんうん、とうなずきながら大広間に向かい始めたみんなに、リーバルと顔を見合わせ、ため息をこぼした。
両手をかざしみんなのあとに続こうとするリーバルの服を指でくいっとつまむ。
後ろにつんのめりながら、肩越しに振り返り目を細める彼に、こそっとささやく。

「また、いつか……聞きたい、です」

リーバルは照れたように顔をうつむかせると、そっと私の後頭部をなでた。
それを了承と受け止め、嬉しさにじんわりと心がほぐれる。

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粛々と厄災討伐と姫の生誕を祝い、やがて宴たけなわとなったころ。
歓談の場に疲れた僕はこっそりと会場を抜け出し、ガゼボに避難した。

ことあるごとに訪れるここは、すっかり心のオアシスになっている。
ひんやりと冷たい空気を吸い込み、張り詰めていた気持ちを一気に吐き出す。

会場入りしたころには東から顔を出したばかりだった陽はすでに西に傾きつつある。
ここからの夕映えを見るたびに思い出すのは、初めて見たアイの泣き顔だ。

アイと出会って間もないころ。
戦いの血生臭さえ知らないただの町娘が、僕と同じ高みに立つのを認められたことがひどく憎かった。
幼少のころから弓を手に日々空を駆り、地道に研鑽を積み上げてきたからこそ得たものだと思っていた地位を、姫に能力を見出されたというだけで、彼女は一日にして得たのだ。そんなの、おもしろいわけがない。
だから、ほんの軽い気持ちで彼女をけなすようなことを口走った。彼女の境遇や重荷に対する考慮など一切含まずに。

不快感をあらわにした顔が見られればそれで満足だったし、リンクよりいじめ甲斐があれば今後の暇つぶしになってくれそうだな、くらいに考えていた。
けれど、僕の予想に大きく反して、彼女はひどく傷ついて激高し、僕の頬を張った。
あのときはなぜあそこまで怒らせてしまったのかわからなかった。
ただ、必要以上に傷つけてしまったことに酷い罪悪感を覚えたことは、今でも忘れられない。

今なら、あのとき彼女がどんな想いで僕を殴ったのか、痛いほどにわかる。
自分の居場所に飢え、音楽を奏でることで自己を確認し、頼られることで自分の意義を見出して。
アイは”自分”であり続けるために必死だったんだ。

もし僕が彼女と同じ境遇だったらどうだろう。
“僕”という自己のまま、弓も翼も奪われ、彼女のいた世界に飛ばされたとしたら。
僕は……”僕”のままでいられるのだろうか。

「またここにいたんですね」

振り返ると、少し頬を上気させながらこちらにかけてくるアイは僕を見つけて顔をほころばせた。

「うわあっ」

足をもつれさせ転びそうになった彼女を咄嗟に片翼で受け止める。

「相変わらずそそっかしいな。階段から転げ落ちたらどうするんだい」

「あなたがそれを言いますか……」

出会ってすぐのころ私が落ちそうな距離に詰めてきたくせに。
そう咎められているようで、先ほどのことを思い出し胸がチクリと痛む。

「でも……ちゃんと支えてくれて、ありがとうございます」

そう言ってふわりと微笑んだアイの目に夕陽が差し込み、その柔らかな光に、ああ、あのときとはもう違うのだな、と実感する。
アイの手が、おもむろに僕の頬に伸ばされる。
小さな指が毛の流れに沿って滑り、くすぐったさにゆっくりと瞬く。

「あのとき……叩いてごめんなさい」

優しい声色に愛おしさが込み上げ、アイの腰を抱く手に少し力を込める。

誰にも張られたことのない頬をこの歳になって打たれる痛みは、確かに強烈なものだった。
けれど、僕が彼女に与えた痛みは、あんなものじゃなかっただろう。

「その件に関してはもうチャラになったって認識してるけど?」

ため息交じりにやんわりとなだめるが、アイはなおも後悔を口にする。

「でも、痛い思いをさせたと思うと、やっぱり申し訳なくて」

あれほどきちんとした謝罪をしておきながらまだ釈然としていない彼女に苦笑が浮かぶ。
だったら衝動的になるなとも思うが、それについては僕も人のことを言える立場ではないだろう。

ふと、いたずら心が芽生え、目を泳がせるアイにほくそ笑んだ。

「ふうん……じゃあ、こうしようか」

僕の提案に耳を傾けるように上げられた目が不安げに揺れる。

「僕にも一発殴らせなよ。それなら君も納得できるんだろう?」

「えっ」

おもしろいくらい想像通りに、アイは顔を歪めた。
わたわたとうろたえ始めたことに笑いを堪え、口角が引きつりそうになる。

「本気で叩かれたら、私、今度こそ階段から転げ落ちたりしませんかね」

「さあ、どうかな?腕力には自信があるし、君くらいなら城下町まで飛ばせるかもしれないね」

町まで……と城下町を見下ろして顔を真っ青にさせるアイ
本当にそんなことできるはずがないのに、ここまで怖がるのがおかしくてたまらない。

「お、お手柔らかにお願いします……」

アイは覚悟を決めたように僕を見つめる。

「それじゃ、歯を食いしばりな」

翼を振りかぶった瞬間、アイは固く目を閉じた。

素直な反応にふっと笑みをこぼすと、翼をおもむろに下げ、アイの両の頬にそっと添える。
彼女の片目がうっすらと開かれる前に、薄く色づいた小さな唇にくちばしの先をやんわりと押し当てた。

頬紅に彩られた頬が、その色味よりも赤く染まる。
潤んだ目でにらみ上げられ、頬を打たれたとき以上の衝撃を胸に受ける。

「打撃が強すぎます……」

僕の心情を代弁するようにつぶやかれた言葉に、体が熱くなっていくのは斜陽のせいだと決め込み、もう一度キスを落とす。

あのとき彼女が仲直りの印にと差し出した手を、僕は握り返すことができなかった。
その心残りを、今ここで晴らさせてもらおう。

僕のすべてを受け入れるように閉じられた両のまぶたに、身を委ねるようにゆっくりと目を閉ざす。
ふらりと下げられたままの彼女の手をそっと取ると、握手を交わすように、ぎゅっと握り締めた。

(2021.5.16)

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