天翔ける:本編

33. 久しき町角(後編)

ポストハウスの主人としばらく談笑しているあいだ、町に出かけてしまったリーバルを探しに行くことにした。
話が落ち着いてもなかなか戻って来ないので、主人に私の家の鍵を預け、彼が戻ったら先に家に帰っておくようにと言づけておいた。

メインストリートを抜け、自宅とは反対側の通りまで来てみたものの、彼の姿は一向に見つからない。
徒歩での移動を面倒がる彼のことだ。もしかしたら私の気づかないあいだに上空を移動している可能性もあるかもしれないが、こんな町中でそれは目立つ。
とはいえ、ほとんどがハイリア人ばかりのこのなかでフードをかぶっているリト族なんて彼くらいだろうし、私ならすぐに見つけられると思っていたのに。
まさかとは思うが、先に城に帰還してたりして……。

「リーバルならやりかねなさそうだけど、そんなことをしたらゼルダ様が黙ってないだろうしなあ……」

もうだいぶ歩いてきたし、ひとまずはこのあたりを……そのとき、ふと一軒の店が目に入った。
民芸品の店だろうか。なかを覗くと、ハイラルでは珍しい紋様の入った服や小物などが並んでいるのが見える。
ちょうどリーバルが身につけていたベージュのスカーフのような……。

小窓から覗いていると、店主と目が合いにこやかに会釈をされた。
それに苦笑を浮かべて返し、ドアノブに手をかける。

「ちょっと寄り道するくらいなら、いいよね」

橙色の薄明りに包まれた店内に入ると、甘いお香のような香りがふわりと広がった。

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ポストハウスへの道をとぼとぼ歩きながら、僕は大きなため息をついた。

ただでさえこの人気の多い城下を歩くだけでも気疲れするというのに、あの店主ときたら……。
ちょっと立ち寄るつもりが、店主の話が長すぎてずいぶんかかってしまった。

小脇に抱える木箱に目を落とし苦笑が浮かぶ。

「まあ、目的のものは買えたわけだし、これで良しとしよう」

メインストリートを抜け、見覚えのある路地に差し掛かる。
ポストハウスの赤い目印が見え、重かった足取りが少し軽くなった。

「はあ?僕を探しに出ている、だって?」

「すまんね、リーバル君。
私も待つように言ったんだが、どうしても探しに行くと言って聞かなくてね」

アイと入れ違いになってしまったらしい。
ついさっき出かけたと言われ、長話が過ぎる先ほどの店員がまた憎らしく思えてくる。

そして話の流れでポストハウスのカウンターに向かい合うようにして座らされ、現在に至る。
普段ならきっぱり断れるが、なんせ相手はアイの親代わりの存在であり仕事の上司でもある。
彼女の話ではかなりの人格者であるようだし、断ったところで角が立つようなことはないだろうが、申し出を無下にするわけにはいかなかった。

それに、彼が用意したこの”紅茶”という飲み物が、少しほろ苦いがなかなかにおいしい。
果実と草花を乾燥させたものを熱湯で蒸らしているという。
少し甘味が入っているようで、ほんのりとした甘さが風味を高め、苦い茶と果実を一緒に口にしているような不思議な感覚になる。
ヘブラに実るイチゴを乾燥させてフレーバーにしても案外いけるかもしれないな……。

しかし、さっきから何なんだ。

ポストハウスの主人は何やら僕が紅茶を飲む様子をまじまじと見つめては嬉しそうに笑っている。
羨望の眼差しを向けられることには慣れているが、まるで我が子を見るようなこの目つき。正直むずがゆいことこの上ない。
村一の戦士と称えられるようになってから人からかわいがられるようなことがなくなったせいか、どうも調子が狂う。

露骨に不快感をあらわにしてもにこにこ返される。羽毛の下にじんわりと汗がにじんで気持ち悪い。
居心地の悪さに耐えつつ紅茶を飲むことに専念していると、彼はふと思い出したようにズボンのポケットを探りだした。

「そうそう、アイから先に家に戻っていてほしいと言付かったんだ。君に鍵を渡しておこう」

そうして手渡されたのはリボンが括られた鍵と、もう一つ、同じ型の真新しい鍵だった。

「……何で二本なんだい?」

「君はアイのフィアンセだろう?合鍵だよ」

口に含みかけた紅茶がカップのなかで弾けた。
ソーサーにカップをガシャンと置き胸を激しく叩いていると、すまんな、と布巾が差し出された。
会釈してそれを受け取ると、口元にあてがいながら咳払いし、息を整えながらじろりと主人をにらむ。

「彼女が、僕のことをそう言ったのか……?」

「いやいや、私の勝手な思い込みだよ。当てずっぽうにすまなかった」

主人は僕の肩をトントンと叩くと、朗らかに笑いこう続けた。

アイとは疎遠になってからもずっと手紙のやり取りをしていたんだ。
私としては近況が知りたかったんだが、あの子の手紙はいつもリーバル君のことばかりでね……」

「……何か余計なことが書かれてなかっただろうね?」

目をすがめれば、主人は、まさか!と声を上げて笑った。

「君のことは褒めはしても、貶めるようなことは一言も書いてこなかったよ。
不器用なところはあるけれど、心の機微を汲み取れる仲間思いな心優しい青年だと書いてあった。君のそんなところにいつも助けられる、とも。
君の勇姿や、研鑽を怠らない実直さについて大層感心しているようだったよ。よほど君のことを敬愛しているんだね。
そんなだから、てっきりもう婚約しているものだと早とちりしてしまったんだよ。
親心だ。許しておくれ」

僕はたびたび彼女を傷つけるようなことを何度も口にしていたし、そうでなくても口を開けばいつも口論になってしまう。
てっきり恨み言の一つでも書かれているものだと思っていた。
真意はいつだって高い壁で覆い隠してきたつもりだというのに、アイは見通した上でそんなことを思っていたというのか。

軽々しく話題にされたことが複雑なはずなのに。それ以上に、僕のことをそんな風に想ってくれていることがこんなにも嬉しいなんて。
がんじがらめにしていたものが緩やかにほぐされていくようだ。……こんなたとえようのない心持ちに今までなったことがない。

「結婚するつもりはあるのかい?」

穏やかな声色に、はっと視線を上げる。
この男と向かい合って話をすることになった時点で覚悟はしていたが、ここまでストレートに聞かれるとさすがに恥ずかしさを覚えてくる。

「いや……まだ交際しはじめたばかりだし、そこまでは……」

「そうかい。種族は違えど、君にならあの子を嫁にやってもいいと思うんだがね」

彼の言動は、僕には少々毒だ。火が噴き出すのではと思うほどに顔が熱い。
素直さはあれど少し奥ゆかしさが勝るアイに比べ、この主人は正直者でかなり素直な人柄だ。彼女が人格者だと評する所以がほんの少し会話しただけで手に取るようにわかる。

だからだろうか、本音をひた隠し裏腹な言動をしがちな僕とは正反対に、すらすらと本心を語るこの主人にすっかり流されてしまうのは。
裏表のない相手というのはどうも苦手だ。変に隠し通すこともできないまま、普段絶対言わないようなことまで口を突いて出てしまいそうになる。

「少々話し込んでしまった。根掘り葉掘り聞き出して悪かったね。青春っていいなあ……」

カウンターに頬杖をつきながらぽわんとした笑みを浮かべる主人に、こめかみが引きつる。

「……あんたがアイの親代わりでなければ容赦なく鉤爪の餌食にしていたところだよ」

「おお、なかなかキレの良いブラックジョークだね。センスがあるよ、リーバル君」

年配の余裕というやつか、はたまた超がつくほどの天然なのか。
半分本気で言ったつもりなのにブラックジョークと切り捨ててしまえるあたり、なかなかにツワモノだ。
この人に弁で勝とうとするよりもリンクと手合わせしたほうが断然勝機があるようにさえ感じる。

ぐいっと紅茶を飲み干すと、席を立った。

「ごちそうさま。なかなかおいしかったよ。”お茶請け”はまずまずだったけどね」

「いやいや、きちんとしたもてなしができなくてすまんね」

僕の皮肉にも動じない。まるでどこぞの鉄仮面みたいで少しもやもやする。
いや、むしろあの無反応のほうがまだペースが崩されずにすんで良かったのかもしれない。
笑顔でさらりと受け流されるのは、これはこれでなかなかにやりづらさがある。

「……あの子は出会ったころからいつだって明るく凛然と振る舞ってはいたが、さっき久々に再会したときは今までにないくらい心底幸せそうな目をしていた。それは君のおかげだよ。
いつもありがとう、リーバル君」

そう言って目を細める主人に、胸をぎゅっと鷲掴みにされた。
こんな言葉一つで目が潤みそうになるなんて、あの子に感化されすぎだな、とかつての自分と比べ笑いたくなる。

軽く挨拶を済ませ、早々に立ち去ることにした。
これ以上長居していたら、紺の羽毛がこの夕映えのように染まり返ってしまいそうだった。

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久々の買い物だったせいか、いろいろ目移りしてしまって、気づいたら日が暮れていた。
包装してもらったものを胸にかかえ、メインストリートを小走りで駆ける。

城下町にまさかリトの村から直送の雑貨屋さんが出店していたなんて知らなかった。
包みからほのかに香るお香のにおいは、どこかリーバルの体からほんのりと香るにおいに似ている気がする。

「リーバル、喜んでくれるかな……」

彼がこれをまとう姿を想像して頬が緩む。

裏通りに入り、ポストハウスを覗くと、店の灯りはすでに消えていた。
どうやらリーバルに家の鍵を渡してくれたようだ。
人が良すぎるゆえにお節介な人だ。彼に余計なことを言ってなければいいのだけれど。

自宅に明かりが灯っているのを確認し、玄関の戸を開ける。
パンの香ばしいにおいとともに台所からリーバルが顔を出した。

トーガを脱いだあとまだ鎧の肩あてをつけていないらしく、首から肩までのラインがあらわなままだ。
町で見かけたリト族はおおむねこういう風に男女とも肩を出していたけれど、そのなかでもリーバルはガチガチに着込んでいるほうだと刷り込まれていたせいで、変に意識してしまう。

「リーバル!遅くなってごめんなさい」

なるべく気にしないようにしながら自然と声をかける。

「お帰り。あんまり遅いから、台所使わせてもらったよ」

彼の手には小麦パンとスープの乗ったトレー。
ほかほかと湯気が立っているところからすると、ちょうど完成したのだろう。

「貝のチャウダー……!リーバルが作ってくれたんですか?」

「おいおい、僕じゃなかったら誰が作るっていうのさ」

キャンプで料理を手伝ってくれたことはときどきあったけれど、やっぱり料理が上手だな。
丁寧に食卓に並べられていく料理に嘆息する。

「何でもこなせるリーバルはすごいです。でも、料理まで私よりも上手だったらそれはそれで複雑なんですけどね……」

冗談で言ったつもりだったが、なぜかリーバルは顔を赤くした。

「そ、それ、どういう意味だよ?」

妙に歯切れの悪い様子に首をかしげる。

「いや、特に深い意味はないですけど。どうしたんですか?」

荷物とトーガをドア横のポールハンガーにかけ、包みを手にテーブルに近寄ると、トレーを小脇にこちらを振り返ったリーバルの指にでこを弾かれた。

「いたっ!何するんですか!」

「ちょっと小突いてやりたくなっただけさ」

“小突く”の度合いを超えてはいないだろうか。
じんじんと熱を持つ額を手で押さえながらにらむと、ギロリとにらみ下ろされるが、一瞬でふいっと反らされとなりをすり抜けていく。
キッチンのカウンターにトレーを置く彼の背におずおずと声をかける。

「もしかして、店長と何かありました?」

「何もないっ!」

食い気味に振り返った彼の目が焦燥に見開かれている。絶対なんかあったな……。

まったく君はまたいきなり変なこと言いだして……と足音荒く部屋の隅に移動ししゃがみ込むと、壁に立てかけてある弓のかたわらで何やら自分の持ち物をゴソゴソと探り始めた。
すくっと立ち上がりこちらに向かってくる彼の手には、細長い木箱が握られている。

「はい、これ」

ずいっと胸元に差し出され、慌てて包みを小脇にはさみ両手で受け取る。
彼の手には小さく見えたが私の手には大きい。
その割に質量はそれほどないようで、箱の見た目に対し意外と軽い。

「開けてみても?」

「ああ」

包みをダイニングに置くと、木箱を椅子に乗せ箱にかけられたひもを解く。
かぱりと上ふたを開けた私は思わず息を飲んだ。

「これ……」

「カースガノンとの戦いで、なくしたんだろう?
まあ、半分僕のせいみたいなもんだったし、これで貸し借りなしだよ」

新品のトラヴェルソを恐るおそる手に取る。
もうしばらく手にすることはないと思っていた。

裏側にざらりとした感触があり、返して見ると、そこにはポストハウスのバイトで宛名の下にときどき見られる文字が掘られていた。

“親愛なるアイへ”

角張った字体。リーバルが自ら掘ったその一文に、こらえきれなかった涙がこぼれ落ちる。
トラヴェルソが濡れないようそっと箱に戻し、指で涙を拭うと、リーバルを振り返った。

「こんなに嬉しいこと、ないです……ありがとう」

リーバルは視線を外しながら頬を指でかいていたが、ちらりとダイニングの上の包みに視線を移した。

「それで……これ、何?」

ぶっきらぼうにそう言いながら勝手に包みを開け始めた彼を制そうとするが、間に合わなかった。

「ああっ!それは、あなたへのプレゼントで……」

包装を開いた彼の目が、驚愕に見開かれている。
予想外の反応に、包みの端からちらりと覗くスカーフを見やり、はっと思い至る。

「もしかして……同じようなお色やデザイン、すでに持ってます?」

「……いや、持ってない……」

それにしては、やけに顔がこわばって見える。

「あの……本当に大丈夫ですか?」

彼のかたわらに立ち、手元をのぞき込むと、リーバルは我に返ったように私を見つめ、引きつったような笑みを浮かべた。
どことなく緊張したような、疲れたような顔に見えるのは気のせいだろうか。

「いや、大丈夫だ。この色、気に入ったよ」

そう言って笑みを浮かべたリーバルはもういつもの澄まし顔だ。
きっと感動で言葉が出なかっただけだろう。未だすっきりとしたままの首にさっそく巻き始めてくれたので、その言葉を信じ、私の思い違いだと思うことにした。
紺の羽毛を鮮やかに彩るバーガンディは、彼の胴あてと同系の色だ。やっぱりよく似合っている。

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夕食を済ませると、アイを背に乗せて城へ帰還した。
姫からは帰りは明日でも構わないと言われていたが、アイのベッドは城のベッドに比べ二人で寝るには小さく、宿に泊まろうにも身元が割れすぎている以上トラブルを招きかねないと判断した。

せっかくならあのまま狭いベッドに抱き合うようにして寝てみても良かったかなとも思うが、まあ、機会はいくらでもある。
いっそ、二人で横になってもゆとりがあるほどのベッドでも買ってしまおうか。
そんなことを浮かべながら、帰るなり風呂に入りに行ってしまったアイの水音に耳をかたむけつつ頬を緩める。

しかし、そんな甘い思いも、自分の首に巻かれたスカーフに目を落とせば、そこはかとない疑念と焦燥に一瞬にして変わった。

このところ頻繁に既視感を感じる夢を見る。
けれど、あくまで夢のなかの光景だとどこかで割り切っている自分がいた。

しかし、このスカーフに関しては何かが違う。
根拠はないはずなのに、まるで昨日のことのように情景が鮮明に浮かんでくる。

飛行訓練場で、アイが恥じらいながら手にしていたそれを、それこそ今日みたいに僕が強引に手に取ったんだ。
たしか……弓術大会のゲン担ぎに防具屋の主人が織ったと言っていた。
けど、現実に起きたできごとではないはずだ。あのときと状況も違うし、これは確かに今日初めて手にした。

なのに、まるで実際に見聞きしたことがあるかのように、これを飛行訓練場で受け取ったときのやり取りが脳内で繰り広げられる。
あの日の天候や僕のコンディション、アイの言葉、仕草までがこんなに鮮明に思い出せるというのに……。

「この記憶は、一体何なんだ……!」

またズキズキと痛み始める頭を抑え、スカーフを握り締める。
布地に染みこんだヘブラの草花を燻したお香の香りが、僕を余計に混乱させる。

アイ……。
君と僕の心の奥底には一体何が眠ってるっていうんだ。

過去なんて思い出せなくてもいいと思っていたはずなのに。
彼女の記憶を、自分の記憶を、思い出したい衝動が僕の胸を占める。

いっそ無理やりにでも、引きずり出してしまえたら。

(2021.5.14)

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