天翔ける:本編

33. 久しき町角(中編)

食事を済ませ外に出ると、すでに町内は人の往来が増え始めていた。
他種族の姿がちらほら見られることから、地方の行商人や復興支援で多くの人々が訪れているのだろう。
厄災前から活気はあったが、まるでお祭りの日のような賑わいだ。

「チッ……参ったな」

リーバルからスカーフをぐいっと押し付けられる。持っておけということだろうか。
ずっと身に着けていたせいで少しよれているスカーフから、ほのかに彼の香りがしてにやけそうになるのをぐっとこらえていると、ぐいっと腕を引かれる。

「わっ」

「ひとまず人ごみは避けるよ」

早足に手を引かれるまま、路地裏に連れて行かれた。

住宅街までくるとさすがに人通りもなく、手近な建物のあいだに入り込むと、私を奥に押し込んで、リーバルは通りをうかがいながら問いかけてきた。

「どこか近くに服屋はないの?」

私はふるふると首を振り口を開く。

「残念ながら、最寄りの服屋は真反対の通りなんです。
でも、ここからなら私の家が近いですよ」

そこまで言って、はっとする。

それが最善だと思ってのことだったが、いくら恋人とはいえ気軽に家に誘ってしまって良かっただろうか。
前世じゃ付き合いの長さとか関係なしに家に呼ぶことはあるものだと認識しているけれど、こちらの世界……特にハイリア人は腕や足など一部でも肌を見せるということにさえ敏感なほど貞操観念が高い。
それがリト族ともなると……もはや未知の領域だ。
いや、それ以前に家に呼ぶ以上のことをしてしまってはいるのだけれど……。

しかし、リーバルは私の葛藤とは裏腹にごくあっさりと意見を飲んでくれた。

「……ふうん、君の家か。
ここでずっとこうしてるってわけにもいかないし、ひとまず人ごみが落ち着くまでお邪魔させてもらおうかな」

リト族は人の家に訪問するということに関しては案外ラフなんだろうか。
ヘブラには任務で訪れることは度々あったけれど、リトの村には封鎖が解除されて以降もまだ一度も訪れられていないし、正直どんな地域コミュニティなのかよくわからない。
こうして気軽に誘えるのは私としてはとてもありがたいのだけれど。

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幸い、私の部屋までは裏通りを縫って来られたので人に会わずに済んだ。

久々の我が家は通りの外れにあるおかげか戦火に見舞われることもなかったらしく、外観は家を空けたときのままで安心した。
ショルダーバッグの大事なもの入れから、一年ぶりに自宅の鍵を取り出す。ようやく我が家に帰って来た実感がわいてくる。

扉を開けると、こもった空気が外に漏れだした。
住んでいると自分のにおいというのはわからないものだけれど、こうして久々に帰ってくると自分ってこんなにおいなのかと何だか懐かしいようなくすぐったいような感覚になる。

リーバルもこのにおいをかいで何か思ってはいないだろうか。何も言われないのが余計に恥ずかしさを生む。
しかし、それどころか彼からは予想外の感想がこぼれ、恥じらいを忘れ驚かされることになった。

「自分の家に鍵をかけるなんて、人間は不思議なことするよねえ……。しかもこんな小さな扉じゃ出入りが面倒そうだよ」

家に入るなり、リーバルはほこりっぽさにむせながら手で宙を扇いでいる。
淀んだ空気とほこりを押し出すために急いで窓を開け放っていた私は、彼の言葉に耳を疑いがばっと振り返った。

「えっ、リト族は家に鍵をかけないんですか?」

「鍵も何も……扉も窓もないよ」

扉を閉めながらゴホゴホと咳き込みつつ返された言葉に、あんぐりと口を開ける。

「はあ!?え……ちょっと待ってどういうことですか?」

「君、飛行訓練場の休憩所に来たことがあるだろう。リトの村の家屋もあれと同様のものだよ」

記憶のなかから木組みの大きなやぐらを浮かべた私は、ええっ!と思わず大きな声を上げた。
まさかあれが家だとは。カルチャーショックとはこのことだろうか。

いや、待てよ。少数部族だとうかがっていたし、もしや血縁でなくてもみんな家族のような関係なんだろうか。
前世の世界にも発展途上中の国にはそういう人たちがいると聞いたことくらいはあるし、何となくイメージはできる。もしかしてそういうこと……?
そう考えるとリーバルは、文化的な違いにおいて田舎特有の発想を見せはするものの、閉鎖的な部族の出身でありながら、なかなかに都会的で柔軟な思考の持ち主のような気がする。

「しかし……広い割には天井が低いな。
窓も小さいし、これじゃいざってときにすぐ飛び立つのは難しそうだよ」

私からすれば天井は飛び上がってもギリギリ手が届かない高さだけれど、彼にはそう感じるようで、片翼を伸ばして天井を押し上げるようにぐいぐい押している。

戸棚からグラスに水差し、布巾を取り出し、グラスと水差しを軽く拭き上げる。
蛇口の水を水差しに注ぎながらちらりと床に目を落とす。
そういえば、宙にほこりは舞っていたけれど、一年も空けていた割に床にほこりがそれほど積んでないな。
よく見渡せば、テーブルの上やいつも見落としがちだった窓枠も綺麗に清められている。

私のいないあいだに、ポストハウスの主人が清掃してくれていたのだろう。
戦火から逃れるためにしばらく城下を離れてハテノ村に避難していたということは便りで知っていた。
こちらに戻ってきてまだ間もなく大変なはずなのに、ここまでしてくれていることに深く感謝した。

かたわらの台に置いておいたグラスが、私のすぐとなりから伸びてきた片翼にひょいとつまみ取られる。

「あっ、ありがとうございま……」

振り返ってお礼を述べようとすると、ふわりと肩を抱かれ、頬にくちばしをすり寄せられた。

リーバルは呆気にとられて頬を押さえる私にクスクスと笑いながらテーブルにグラスを置くと、椅子を引き横向きに座った。
テーブルを肘置き代わりに頬杖をつき、私の背後をおかしそうに指し示す。

じゃばじゃばと水差しからあふれ出る水に気づき、慌てて蛇口を閉め、なかの水を少しこぼしながら彼をにらめば、冷ややかな笑みで返された。
ずかずかとリーバルのかたわらに立ち彼越しに水差しをテーブルに置くと、それにはさすがに驚いたようで目を丸くしている。
まん丸に見開かれた翡翠に魅入られながら彼の肩に手をかけると、くちばしの側面に唇を押し付けた。

びくりと跳ねる肩に気を良くして、したり顔で見下ろし身を離そうとする。

「わっ」

ぐいっと後頭部を引き寄せられ、いきなり口内に舌が入り込んできた。
ぬるぬるとなかをかき回されているあいだに、胸元のひもに指をかけられ、慌てて制止する。

ドンドンと胸を叩けば、しぶしぶ解放してくれた。

「……何だよ。これからいいところだってのに」

つまらなそうに頬杖をつきながらため息をつく彼に慌てて弁明をする。

「ちょっとからかっただけじゃないですか。それに、このあと予定もあるし」

「こんなに君のにおいが充満した部屋で抑えろだなんて、君も酷だよねえ……」

ぽつりとそう言ったリーバルの目がおもむろに見開かれ、顔がみるみる赤らんでいく。

「え……」

「……いや、やっぱりなんでもない。今のは忘れていい」

いやいや、あそこまではっきり言われて忘れろって無理に決まってるでしょうよ……!!
さっき家に入った際においについて何も言われなかったことで変に恥ずかしくなってしまっていたけれど、これはこれでかなり恥ずかしいものがある。
いや、いっそ何も反応がないほうがまだ度合い的には軽かった。

「ちょ、ちょっと……クローゼットを確認してきます……!」

「お、おい……!」

恥ずかしさが頂点に達し、逃げるようにそそくさと寝室に向かえば、リーバルはすぐについてきた。
窮屈そうに部屋の入り口をくぐると、そばの壁にもたれて腕組みをしながらむすっとそっぽを向いた。

「逃げなくてもいいだろ」

「にっ、逃げてません」

顔を反らしつつクローゼットの戸を全開にすると、なかからトーガを二着取り出した。
一つはデザインが気に入って買ったはいいものの丈が大きすぎて、裾上げするのも面倒で袖を通さないまま放置していたやつだ。
これならリーバルの身もすっぽり覆ってくれるだろう。
問題はフードをかぶったときだ。あの天を衝くほどに尖ったトサカは、フードをかぶるとどうなっちゃうんだろうか。

「さすがに男性用の服は持ってないですがトーガなら頭や鎧を隠せるかも」

大きめのトーガを広げてリーバルの体にあてがうと、リーバルは壁から身を起こして両手を広げてみせた。
トーガに落とされた視線が、ついっとこちらに向く。
その目が細められ口角が上がる。何だろう。また嫌な予感がする。

「男性用の服は持ってない、ねえ……」

「あっ、そっか。リト族とハイリア人男性が身につけるものって違うんでしたね」

とぼけて趣旨を変えようとするが、弁の長ける彼にそれが通用するはずもなくすぐに筋を戻されてしまう。

「まあそうだけど。それはそうと……君ってさ、過去の記憶は本当にないの?実は恋人の一人や二人くらいいたりして」

「えっ……」

また腹の探り合いをさせられるものと身構えていただけに、単刀直入に聞かれかえって戸惑ってしまう。
自分の記憶は一年前を境にぷっつりと途切れてしまっている以上、私にとっては彼が初めての恋人だ。
だから、そんな風に思われるとは思わなかったし、自分自身過去に恋人がいたかなんて考えたこともなかった。

「前世で関わった人の記憶やこちらに転生して目覚めるまでの記憶がないので、正直わからないです。
でも……少なくとも、”今の私として”の記憶のなかでは、いたことは、ありません……けど……」

“あなたが初めてです”とは、恥ずかしさとは別に真実かどうかわからない以上何となく言葉にはできなかった。
やはりリーバルがそれでは納得してくれなかったことは奪い取られたトーガにより理解した。

「……なんか今、はじめて君が記憶喪失であることをすごくシャクに感じてる」

何となく気まずい雰囲気が流れる。
今まで記憶がないことを不便に感じたことはあまりなかったが、こうして彼に複雑な想いを抱かせるくらいなら記憶があったほうが良かったとすら思う自分がいる。
けれどもし記憶があったとして過去に恋人がいたとなると、彼に余計不快な想いをさせてしまうんじゃないかという懸念もある。

「そういうリーバルこそ村ではどうだったんですか?
あなたほどの実力者なら、リトの女性たちが黙ってなかったんじゃないですか」

負けじと言葉にしてみて、リーバルがシャクだと言った理由が何となく理解できた。
相手の過去の恋愛経験というのは、想像するだけでもあまり気分のいいものではない。
知らないということは恐ろしくもあり、幸せなことでもあるのだと思う。

リーバルはあごに手を添え何か思案するように視線を上げた。
どのように言葉にすべきか思案しているのだろう。
しばし天井を仰いでいたが、おもむろに視線が向けられる。
どこか困惑したような眼差しでくちばしを開こうとする彼に、何となくその先を聞くことがはばかられ、慌てて手で制する。

「やっぱりいいです!聞きたく、ないです……」

知ってしまえば、私は過去のお相手に対して嫉妬してしまいそうで。
私の知らない彼を知っているということをすごく羨ましく思ってしまいそうで。
そんな醜い感情を抱いてしまう自分は、とても嫌いだ。

ズキズキと胸が痛むのを両手で押さえていると、彼の胸に頭を引き寄せられた。

「嫌な思いさせて悪かった。
君にどんな過去があろうと、今こうして僕らは一緒にいることが何よりの証だと思うことにする。……僕も、これ以上は聞かないよ」

温かく滑らかな羽毛が首筋や背中を覆い、心に淀んでいた黒い感情が一気に押し流される。

胸当て越しに、リーバルの少し大きな心臓の音に耳を澄ます。
今、この音をこうして聞くことができるのは、世界中で私だけなんだ。

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トーガをまとうと、貴重品だけを身につけて家をあとにした。

リーバルはいくら町中とはいえ危険がないとも限らないとのことで念のため弓は背中に背負っている。
もしリト族とすれ違ったら目ざとい人はオオワシの弓を見ただけで絶対気づくと思うけど……。

リーバルの鎧の肩部についている装飾が引っかからないか心配だったけれど、胸当てを取り外してからトーガをまとっていたので杞憂だった。
何も言わずに急に胸当てを脱ぎ始めたときにはさすがに驚いたけれど。
目深にかぶったフードから黄色のくちばしと薄暗がりでもその光を損なうことのない翡翠が覗き、いつもと違う装いに心臓が高鳴る。

「じろじろ見るな。
まったく、ちょっと外を出歩くだけだってのにこんな窮屈な恰好……」

ぶつくさとつぶやく彼のトサカは、まるで彼の心情を表すように少しへなっとしているように見える。
そのくせ長いフードに逆らうように高位置で持ち堪えているのがなんだかおかしい。

「けど、これでひとまずは人目を気にせず町を歩けますね」

路地を歩いていると数人とすれ違ったが、誰もこちらを見向きもしないことにほっと胸をなでおろした。

「あっ、ここです!」

ポストハウスの目印を指さすと、リーバルはフードがずり落ちそうになるのを翼で押さえながら看板を見上げた。

「文字も読めないくせに、よく郵便の仕事をしようなんて思ったよね」

すっかり聞きなれたストレートな物言いに怒るどころかつい笑ってしまう。

「あのときは家もお金もなかったんです。仕事を選んでる余裕なんてありませんでしたよ。
だけど……私はこの仕事を選んで良かったと思ってます」

扉にはすでに閉店の札がかかっているが、鍵を閉めていないことはよく知っている。
ガチャリと店の扉を開けると、奥で棚の整理をしていた主人は、こちらを振り返った途端”いらっしゃい”と言いかけた言葉を飲み、顔を覆ってむせび泣き始めた。
あまりのことに驚いてリーバルを振り返ると、彼はひどく困惑した様子で、早く行けとあごで促してきた。

カウンターの椅子に座らせ、主人の肩を抱き締め”ただいま”と声をかけると、片手で私の腕をポンポン叩きながら頷くので、だんだん私まで涙腺が緩んできてしまう。
二人してわんわん泣く様子を入り口の前で見守っていたリーバルは、やれやれと額に手をあてて首を振りながらも、どこか優しい目をしていた。

「君たち、実は本当の親子なんじゃないの?」

彼の一言に、私と主人は涙でぐしゃぐしゃになった顔を見合わせ、噴き出した。

(2021.5.13)

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