天翔ける:本編

30. 図書室にて

「何で僕がこんな面倒なこと……」

私と二人がかりで図書室の本を整理するリーバルは、手にした本を積み上げられた本の山に無造作に重ねながら文句を垂れた。

床に散乱した本をかき集め彼が座るテーブルの前にどさりと置くと、紺の眉間に掘られた溝がますます深くなる。

「仕方ないですよ。兵士たちはみんな城の修復にあたっていますし、メイドさんや給仕さんたちが疎開から戻って来るのにもまだまだ日がかかるんです。
それに、本来は外壁の修復にあてられるはずだったのをごねて楽な仕事に就かせていただいてるんですから。文句言わない」

私のお説教にチッと舌打ちをすると、目の前に積まれた本をぞんざいに取り上げ、パラパラとめくって私の腕にどさりと落とした。
肩幅ほどもあるハードカバーの分厚い本を急に乗せられ、沈みかける体を踏ん張って受け止める。
ここが町の図書館ではなく王城の図書室で、粗末に扱った本が貴重なものという自覚はあるのだろうか。

大厄災が収束して約二週間が経った。
一日二日は王族も英傑も兵士たちもみんな泥のように眠り、三日目を迎えたころに城や町の復興作業が始まった。
城内外は魔物や厄災ガノンにより岩壁が崩れ落ちた箇所はあれどそれほど損傷はひどくなく、兵士たちの手によってみるみる元のかたちを取り戻しつつある。
しかし、先の戦いにおいて戦没した者も少なくはなく、人手が足りないのが現状だ。

そんななかわがままを言い始めた彼に一度は腹を立てたが、自分に宛がわれた仕事内容に、なぜ彼が城壁の修復を拒否したのかすぐに理解した。

ポストハウスで手紙の分類をしていたというだけで本の整理を頼まれてしまったわけだが、図書室の本を手に取ったとき、長旅のあいだにすっかり失念していたことをようやく思い出す。
手紙の分類をするうちに人名は辛うじて読み取れるレベルにまで達していたものの、ハイラルの文字は未だ勉強中の身なのだ。
児童書などかつがつ読める文字もあるが、王城の図書室にあるような本がそんな生易しいものばかりであるはずがなく。

私がこの世界において文盲だということを知っている人間はポストハウスの主人を除けばただ一人。
リーバルは、私の事情を察したうえで同じ仕事を引き受けてくれたのだ。

しかし、実際のところ、その気遣いは気持ちの半分といったところだろう。
というのも、面倒なことを毛嫌いする彼の性格からして、城の修復作業を免れる口実に私を利用したということも大いに考えられるからだ。

彼の筋力なら力仕事などわけないだろうが、手が汚れるようなことはこれまでも避ける節があった。
それに、修復作業にはリンクもあたっているとのこと。
いくら厄災との戦いにおいて多少歩み寄ることができたとはいえ、残念ながらまだ仲良しこよしとまではいっていない。
リンクと同じ現場などリーバルにとっては作業の苦痛さを増す要因になりかねないはずだ。
これだけそろっていれば私の憶測もおおむね間違いではないだろう。

そのせいで手助けに素直に感謝できないまま、ぶつくさ文句を言い続ける彼に小言を言い続けてしまう私も私で大概可愛げがないよな……とこっそりため息を漏らす。

「その本はそこだよ」

「はい」

彼が分類した本を指示通り床に並べていく。あらかた類別したあとで各棚に運ぶためだ。

リーバルは何だかんだで手際よく本を分類していく。動作は荒っぽいのに雑ではない。
てきぱきと並べられていく本に、ふと、飛行訓練場の休憩所を思い出す。

訓練場は定期的にリトの村の人が整備しているというのに、リーバルはというと使用後必ず元の状態に戻すようにしていた。
使い終えた鍋を綺麗に洗い清め、散乱したクッションやブランケットを整え、減らしたぶんだけ薪を足し、少し多めに矢束を積む。
几帳面な性格からそうしないと気が済まないのかもしれない。
けれど私から見たそれは、言われなければ誰も気づかないようなささやかな気遣いだった。

「僕に見とれたくなるのはわからないでもないけど。早くしないと日が暮れるんじゃないの」

「えっ、あっ、ぼーっとしてました!」

リーバルは特段気にした様子はなく、ふっと笑うと、さらさらと本の題名らしきものを走り書きしていく。
いけない、いけない。ついリーバルの手元に夢中になってしまった。

民族衣装のような鎧や四つの三つ編みに結わえられた髪はいかにも部族という出で立ちで少しワイルドな印象だけれど、その佇まいや所作からは育ちの良さや気品が感じられる。
だからだろうか。こうして机に向かい筆を取る様がとてもよく合って見えるのは。

私は指定された場所に本を置くと、彼の机の向かいから書いているものをのぞき込む。
彼の筆跡は筆圧が少し強めではらいや跳ねが鋭く、ハイラル文字の表で見た文字と比べて右肩上がりで全体的にシュッとしてる気がする。
そこに並ぶ文字が何と書いてあるのかはさっぱりわからないが、彼の性格が文字にも現れているように思える。
無意識にクスっと笑うと、リーバルは手を止めて顔を上げ、今度こそ呆れ返った顔でこちらを見た。

「おいおい、さぼりかい?手を止めてる暇はないよ。
手持無沙汰にならないように、すでに終わってるやつはそこに山積みにしてあげてるだろ」

あごでクイっと本の山を示され苦笑いが浮かぶも、私がすでに理解していることをわざわざ口にするあたり、彼にとって単調すぎるであろうこの作業の息抜きのつもりだということは何となくわかってきているので、気にせず向かいに座ると身を乗り出した。

「あの……リーバル。折り入ってお願いしたいことがあるのですが」

「また僕に頼みごとかい?君もいよいよ遠慮がなくなってきたね」

私の言葉に苦笑を浮かべたリーバルは、羊皮紙に目を落としたまま、手を止めずさらさらと流れるように文字を書いていたが、最後の一文字の後ろにトン、と点を打つと、羽ペンをインクに浸し、机の上で組んだ手の上にあごを乗せた。

「それで?ひとまず内容を聞こうか」

「私にハイラル文字の書き方を教えてくれませんか」

「却下だ」

言い終える前に切り捨てられ、肩がガクッと椅子から落ちそうになる。

「ちょっとは悩んでくれたっていいじゃないですか!かわいいかわいい彼女の頼みですよ!?」

「君の頼みは難題なうえに今回のは特に面倒だ。それに、自分で自分のことかわいいだなんて、うぬぼれるんじゃない」

リーバルだって自分のこと「かっこいい」だとか「美声」だとかよく言ってるじゃないですか。なんて言い返そうものなら、へそを曲げて余計に教えてもらえなくなりそうなので、おだてる作戦に移す。

「はあ……弓の鍛錬を怠らないほどに勤勉で、それほどまでに綺麗な文字を書く”リーバル様”なら、きっと人にものを教えるのも上手だと思ったのになあ……」

「当然のことを言われても少しも心が動かないね。
それに、今更君から様付けで呼ばれると何だか気色が悪い」

最後の一言にはさすがにカチンときそうになるものの、それも彼の手の内だと思い努めて笑みを崩さない。
ふたたびペンを手に取り手元に視線を落としたリーバルに大げさなため息をついて見せる。

「はああ……教えてくれたらお礼に何かしてあげようと思ったのになあ……」

その言葉にリーバルの口角がニヤリと上がる。
まるで私がそう言うのを待っていたかのような顔だ。やられたと思ったときには、リーバルはペンをもう一度インクに浸し椅子から立ち上がったところだった。

「”してあげる”?……違うな。
僕が頼みごとを聞いてあげる代わりに、君が僕の言うことを聞くんだ」

「じゃあ……!」

この際わざわざ言い替えられたことには何も触れまい。それよりも引き受けてくれた喜びのほうがずっと私の気持ちを占めている。
ニヤニヤしている私の眼前に白い指先がすいっと近づけられる。

「ただし、受講料は高くつくよ?」

腕組みをしながら人差し指を立てる彼に、大きくうなずいてみせた。

「わかってます!」

両のこぶしを握りしめた私に、リーバルは片眉を上げ、やれやれ……とこぼした。
そのまま私がやりかけの作業をし始めてしまったので、積まれたままの本を慌てていくつか手に取る。
彼は文句が多い割に仕事はそつなくこなすタイプであるということをすっかり失念していた。

リーバルが麻袋に入れた本を鉤爪で上階までせっせと運んでいく中、私は長い階段をひたすら数冊ずつ抱えて上がった。
階段が緩やかだし、数冊ずつならそんなに負担になることはないだろうなどと安易に考えていた私は、十往復したころにはズキズキし始めた足腰を労わって階段の中腹に座り込み、盛大なため息をついた。

「終わらない……」

「ほら、まだまだ」

ずっしりと重たそうな麻袋を肩にかつぎながら私の側に降り立ったリーバルは、私のかたわらに置いてある本をいくつか取り上げると、小脇に抱えて颯爽と階段を登っていく。
リト族だから人より体力があって当たり前かもしれないが、こういうところはやっぱ男性なんだな……と少しときめいてしまう。
さりげない優しさに元気をもらい、残された本を手に立ち上がり彼のそばまで駆け上る。

となりに並んで歩く私をちら、と見下ろすと、宙をあおぎながらおもむろにくちばしを開いた。

「……じゃあさ」

「え?」

「さっきの交換条件だよ。君の世界の文字を僕に教えるってのはどうだい?」

「ええっ!何の後学にもならないと思いますけど」

「わかってるさ。単なる娯楽だよ」

「まあ、簡単にでいいのなら……」

「決まりだね」と麻袋を下ろし手にした本を目的の棚の前に積むと、私の手にある本を取り上げ、棚にしまっていく。

この棚は背表紙が同じものばかりだ。巻数の通りに並べて行けばいいだろう。数字くらいは何とか読める。

けれど、この一冊が背伸びをしてもどうしても届かない。
本を持つ手がプルプル震える。自分の身長があと少し高ければ……!

すっと、背中に彼の胸あてがくっついたのがわかった。
私の手より上の位置から伸ばされた彼の翼が、私の代わりに本を押し込んでくれた。
今日はつくづく助けられてばっかりな気がする。……いや、今日に限ったことではないか。

何だろう。妙にドキドキしてしまう。
多分、今の私、顔がすごく赤くなってる。心なしか耳まで熱い気がする。

気持ちが収まらないままの私の肩に、トン、とリーバルの翼が置かれ、びくりと体が震えた。
背後から耳元にくちばしが寄せられて、彼のくぐもった笑い声が耳をくすぐる。
すり、とくちばしの側面が頬をなぞったかと思うと、すっと離れていき、頬を押さえながら彼を見上げる。

リーバルはいたずらな笑みを投げかけてくると、そのまま何事もなかったかのように本の整理を再開した。
バクバクと鳴る心臓を押さえているところに遠くから「楽士様!」と声をかけられ、先ほどよりも激しく心臓が跳ねあがる。

「こちらにおられたのですね!リーバル様もご一緒でしたか」

廊下の向こうから兵士が一名現れた。
今の見られてないよね……!?リーバルを見やるが、何食わぬ顔でこちらを見ようともしない。
機嫌良さそうに緩められた頬がちょっと腹立つ。まったく、心臓に悪いなんてもんじゃない。

「何かあったのですか?」

兵士に声をかけると、彼は私たちの前に立ち胸にこぶしをあてピシッと姿勢を整えた。

「投獄中の占い師アストルが、楽士様にお目通り願いたいとのことです。いかがいたしますか?」

「え……」

動揺する私の後ろからリーバルが不機嫌な顔で歩み寄ってきた。

「無理に決まってるだろ。断っといてくれよ」

「しかし……」

顔はよく見えないが、兵士の困惑した様子が伝わってきた。
リーバルと兵士を見比べ、一息つくと、兵士に向き直る。

「……わかりました。うかがいます」

「はあ?何言ってんの。
厄災討伐のときは君に免じて助けてあげたけど、これ以上はさすがに黙って見過ごすわけにはいかないよ」

「わかってます。でも、確かめたいことがあるんです。私の判断が本当に正しかったのかどうか」

リーバルはイライラしたように舌打ちをすると、腕組みをしそっぽを向いた。

「それで、アストルは何と?」

「一昨日あの者の審問が行われたことはご存知ですね。結果を楽士様に口頭で直接お伝えしたいとのことです」

「操られていたのが真実だとしても、元は戦犯だろう。
世界を窮地に陥れようとしたやつが仮にも英傑であるアイに易々と面会を願い出るなんて、身の程知らずにも程ってもんがあるんじゃないの」

リーバルは私と兵士のあいだに割り込むと、あごを高くして兵士をにらみ下ろした。
兵士の喉からヒュッと細い息が漏れる。

アイ。君がどうしてもっていうんなら、行かせてやってもいい。
ただし、この僕の付き添いが必須条件だ。いいね?」

頑として兵士から目を離そうとせず妥協するリーバルに、私はため息交じりにうなずく。
内心ほっとしていた。彼がついてきてくれるなら、これ以上心強いことはない。
兵士に目配せして困った笑みを浮かべると、彼はこくりとうなづいた。

「かしこまりました。その旨申し伝えます。では、面会は明後日、昼の14時以降でよろしくお願いいたします」

兵士は敬礼すると、駆け足で去って行った。

「……この貸しは大きいからね」

見向きもせずにそう念を押す彼の背中は、明らかに怒りに満ちている。
私は「はい」と答えるので精いっぱいだった。

(2021.5.10)

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