天翔ける:本編

3. 劣位に苛まれる少女たち

飛行訓練場からハイラル城に帰還した私は、ゼルダに率いられ、リンク、インパ、そして白いガーディアンとともに玉座の間にてハイラル王と謁見した。
ゼルダ直属で城にお仕えしているわけではない私がこんな簡単に王にお目通りして良いのかと問うと、ゼルダは至極真剣な顔で、要約すると、あなたの能力がいかに必要であるか国王にプレゼンする、というようなことをおっしゃった。

優しくも毅然とした物言いはとても頼もしいが、私は高貴なお方なんて前世の世界にいたころテレビでご尊顔を拝したことくらいしかない。
でもそんなことを言ったらゼルダ様もこの国の王女様で……ああ、めちゃくちゃ今更ながらこんな易々と意見を申し上げていることも分不相応に感じられてきた。

とかなんとか頭のなかではいろいろ思うところがありつつも、結局は従う以外に選択肢はなく。
私は今、極度の緊張状態なまま、王の御前にひざまずき首を垂れている。
額に浮かんだ油汗を拭いたくてたまらないが、到底できるわけがない。そんなの無作法にも程がある。

私の内心で嵐が吹き荒れているとはつゆほどもお考えになっていないであろう国王は、玉座から私たちを見渡すと、うん、と一つうなずき、ゼルダを見据えた。

「よくぞ戻った。リトの村はどうであったか」

ゼルダは表情を張り詰めながら事の顛末を説明する。

「はい……。
リトの村は魔物の襲来が相次いでいるとのことで、現在封鎖中です。
しかしその最中、幸いにも村一の戦士と名高いリーバルとの接触が叶い、神獣ヴァ・メドーの繰り手を委任する運びとなりました」

到着後間もなくリンクとリーバルが戦闘になったこと、魔物の襲来には白いガーディアンと酷似したガーディアンが絡んでいる可能性などはあえて伏せられていた。
帰りに付き添いの兵士たちにも何やら口止めをしていたが、このことだったのか。

「あいわかった。……して、ゼルダよ。そこの者は?」

足のつま先を見つめていたが、私のことだと瞬時に察した。
来るとは思っていたが、いざとなると肩がこわばる。

「この者は、城下の楽士、アイです。
彼女の奏でる楽器の音色には治癒や時を操るなどの不思議な力があり、厄災との戦いに大いに役立つと判断し、同行をお願いした次第です」

ゼルダの説明にふむ、と相槌を打つと、想像通りの答えが返ってきた。

「では、アイとやら。今ここでその力とやらを示してみせよ」

謁見の間を退出したあと、リンクとインパは一度解散しそれぞれの部屋へと戻り、私はゼルダに引き連れられて長い廊下を歩いていた。私が城で過ごすための部屋を与えてくれるとのことだ。
城下町に自宅がある私は通いで良いと伝えたのだが、任務中は城で過ごせる部屋があったほうが連絡を回すうえでも都合が良いとのことで、そういうことならとありがたくご厚意を賜った。

彼女の足元には白いガーディアンが歩調を合わせてせわしない足運びで付き添っている。
ディテールは少し不気味だが、こうしてぴったり寄り添っているところを見ると何だか子犬のようでかわいい。

前を歩くゼルダと白いガーディアンの背を見つめているうちに張り詰めていた気持ちが一気にしぼんだ私は、うかつにも盛大なため息をこぼしてしまい、直後にはっと自分の口に手をあてた。
ため息に気づいたゼルダとガーディアンが立ち止まり、こちらを振り返った。
私も合わせて立ち止まる。

「ごめんなさい、アイ……。
長旅でお疲れだったところに、謁見にまで立ち会わせてしまって」

ため息の原因が自分にあると思われたのか、ゼルダは申し訳なさそうに眉を下げた。
私は誤解だ、と慌てて両手を振ってみせる。

「いえ!違うんです。
確かに陛下との謁見はとても緊張しましたけど、ゼルダ様たちのうしろ姿を見ていると、何だか安心してしまって……」

首の後ろをさすりながら上目遣いに見ると、ゼルダは大きな目をまん丸くして「まあ」と嬉しそうに笑った。

「ひざまずいていたときのあなたは汗を浮かべて肩を震わせていたというのに、楽器を手にすると途端に顔つきが変わるのにはいつも驚かされます。
演奏力もさることながら、その道に長ける者というのは面持ちからまず違うものなのですね」

彼女の言葉は私の能力に対する純粋な賛辞にも取れるが、その儚げな笑みからは、自身に対する諦念がそこはかとなく含まれているようにも感じられた。

どう言葉をかけるべきか迷っていると、ちょうど部屋についたらしく「さ、着きましたよ」と話が打ち切られた。

室内は意外とこざっぱりとしている。
小さな暖炉に、机、ベッド、クローゼットがあるのみの簡素な部屋だ。

半円の張り出し窓は、でっぱりの部分は座れるくらいの高さで、ベッドに掛けられた寝具と同じくアイボリーを基調としたクッションが置かれている。
布団やクッションにはシンプルながら精巧な刺繍が施されており、女心くすぐられる美しいデザインだ。

ところどころ金銀があしらわれ、金ルピーをいくら出しても買えないようなつぼや天蓋てんがい付きベッドなんかが置かれているような部屋に通される覚悟していた私は、ひどくほっとした。
自宅と比べれば雲泥の差ほどの気品はやはり感じられ庶民的とは程遠くはあるものの、豪奢でないぶん滞在中もどうにか安らぎを得られそうだ。

「いいお部屋ですね……!このクッションの刺繍なんて、とても素敵です」

窓辺のクッションを手に取ってゼルダを振り返ると、彼女は目を見張っていた。

「ゼルダ様……?」

何か不手際をやらかしたのだろうか。
「すみません!」と慌ててクッションを窓辺に置こうとしたとき、彼女がうつむきがちに頬を赤らめるのを見つけてしまい、ぎょっとした。

「ありがとう、アイ……」

ふわりと微笑んだゼルダにようやく合点がいき、私はクッションを持ち直すと彼女に示した。

「この刺繍は、もしかしてゼルダ様が……?」

「ええ……。
王家のたしなみとして、幼少のころ母に教わりました」

「そうだったのですか……」

刺繍を愛でるように指先でなでるゼルダは穏やかな眼差しだ。
きっとゼルダ様に似てとてもお優しいお母様なんだろうな……。

はっと、謁見のとき玉座の間で王妃をお見かけしなかったことを思い出し、すでに存命ではないのでは、と思い至る。

ゼルダは、幼いころからすでに孤独を知り、そのか細い身には重すぎるほどの宿命と不安を抱えてきたのだろう。
王家という立場から、胸の内をさらけ出すこともできず、コルセットで縛りあげられるよりも息苦しい思いをしているに違いない。

アイのお母さまはご健在なのですか?」

はっきりとは言わないが、やはり言動の端から内情が垣間見える。
私は首を左右に振った。

「……覚えてないんです。
ひと月ほど前、記憶を失った状態でハイラル城下町の近くの森のなかで目覚め、以来、町の親切な方に支えられながら暮らしてきたので。
家族も友人も記憶にありません」

「そんな……!」

沈痛な面持ちを浮かべて口元を両手で覆うと、ゼルダはがばっと頭を下げた。

「ごめんなさい、考えもせず不しつけなことを……!さぞおつらいでしょう」

「いいえ!つらいも何も、覚えていないので何も感じませんよ。
まあ、思い出したくないといえばうそになりますが……」

なおもおろおろするゼルダが何だかいじらしくて、苦笑を浮かべると、私は彼女の手を取った。
高貴な身分の方に気安く触れるなど、ここに人の目があればお咎めを受けてもおかしくないだろうが、彼女を励ましたい思いから自然とそうしていた。

「ゼルダ様」

「は……はい」

戸惑ったように私を見つめるゼルダに私は精いっぱいの笑みを投げかける。

「私にお話したいことがあったら、何でもおっしゃってくださいね。
きっと力になりますから」

彼女はうっすらと目をうるませると「ありがとう」と微笑んだ。

荷物を整理しトラヴェルソを腰のケースに携えると、ゼルダと別れ城の中庭へ向かった。
後日、重要な任が王より正式に命ぜられるとのことで、任に備えて収集をかけた神獣の繰り手たちが、夕刻には中庭のガゼボにそろうとのことだ。

ゼルダは明日、ウルボザというゲルド族の長に神獣ヴァ・ナボリスの繰り手を委任すべく南西のゲルド砂漠へと経つとのことで、これからその作戦会議と準備に取りかかるのだという。
今日ヘブラから戻ったばかりだというのに、明日には真反対のゲルド砂漠に向かうなんて……。
彼女の身の負担を案じるが、私が引き留めたところで聞く姫ではないだろう。

それに、厄災ガノンがいつ復活するともわからない。
彼女が焦るのも無理はない。

中庭にはすでに繰り手たちがそろっているものと緊張していたが、どうやら私が一番乗りのようだ。
城の階段を降り、小道に沿ってガゼボに向かうと、そこからの遠景に目を奪われた。

「きれい……」

感嘆のため息が漏れた。

眼下には城下町の軒並みをそろえる青い屋根が、遠景には朱色の雲を散らした夕映えが広がっている。
自分の暮らす町がいかに美しいかを知ったと同時に、こんな景色をいつでもお目にかかれる城の人々をうらやましく思った。
けれど、これから城に何度も訪れる機会があるのなら、今後は私も度々お目にかかれる機会があるかもしれない。そんなずうずうしい考えが浮かび思わずにやける。

「何一人でにやけてんのさ」

背後からかかった声にびくりと肩を揺らし、声の主を振り返る。

巻き上がる風とともに、リトの戦士リーバルが現れた。
見知った顔に安堵するが、再会間もなく角が立つ物言いに呆れてため息をついた。

「なんだ、リーバルか……」

本人には聞こえないように小声でつぶやいたつもりだったが、耳ざとく聞きつけ突っかかってきた。

「どこからか僕への敬意が塵ほども感じられない感想が聞こえてきたんだけど……もしかして君が言ったのかい?」

わざとらしく、腕組みをして考え込むようにしながらこちらに近づいてきたリーバルは、私との距離を詰めると、あごを高くしてにらみつけてきた。
夕陽に照らされ艶めく羽毛と、日中よりもやや翳りのある翡翠の目が妖艶だ。
にらまれている状況にもかかわらず、不覚にもときめいてしまう。

「きっ、気のせいです!転げ落ちてしまうから離れてください」

後ろに迫る階段に気を配りながら彼の胸を押し返す。
私に押され、おっと、と後ずさるが、不敵な笑みは崩れない。

「そういえば……。
どうやら君は、神獣の繰り手には選ばれなかったようだね、アイ?」

私を傷つける意図しか感じられないほど酷く驕慢な発言だ。
自分に与えられた役割に不満はないし、むしろちょっと楽器が弾けるだけの下町娘でしかなかった私に与えられたにしては責任重大とすら感じている。

けれど、彼の言葉の刃は、この世界で寄る辺のなかった私がようやく手に入れた居場所を、密かな誇りを、たった一言で両断した。
心を深くえぐられ、彼より劣位にあることをまざまざと思い知るには十分すぎるほどだった。

気づけば、彼の頬を思い切り張っていた。
自分の置かれた状況がうまく飲み込めていないのか、リーバルは打たれた頬を押さえたまま私の目を見て固まっている。

「だったら何だっていうんですか!
神獣の繰り手に選ばれたからってそんなに偉ぶるのは、あまりに節度がなさすぎるんじゃないですか!?」

自分を棚に上げているのはわかっていたが、言葉を選ぶ余裕もないくらい冷静さを欠いている。
見開かれていた彼の目がだんだんつり上がっていくのに気づき、はっと我に返る。

「……言ってくれるね」

あまりに失礼な暴言をぶつけてしまったことを後悔したときには、襟ぐりを乱暴に掴まれていた。
鼻先にくちばしが近づけられ、縫いとめられたように視線を外せなくなる。

「飛べもしなけりゃ戦えもしない分際で僕を貶めようなんて、不遜にも程があるんじゃないの?
君なんてその腰のやつがないと何もできないくせに」

夕焼けが差し込み爛々と燃える翡翠の目が、私の劣勢感を過剰に刺激する。
もし私の心臓がザクロだったら、今頃中の種がどろどろに溶け出して、原形をとどめていないはずだ。

胸がズキズキと痛み、じわりと目に涙が浮かんでくる。
視界がにじんでリーバルの表情はわからないが、彼が息を飲んだのがわかった。

「あ、あなただって……弓矢がなければただのしゃべる鳥じゃないですか……!」

声を振りしぼり何とか投げ返すが、震えて語気が弱々しくなってしまった。

「なっ……!」

それでも彼には打撃が与えられたようで、襟を掴む手が緩む。
その拍子にリーバルを強く押しのけ、両のこぶしを固めて声を限りに叫んだ。

「あなたなんか、大っ嫌いです!!」

呆然と立ち尽くすリーバルを置き去りにして、その場から駆け去る。

ガゼボを抜けた先の小道で神獣の繰り手と思わしきゾーラ族の少女とゴロン族とばったり出くわした。
彼らは私を見つけると目を見開き、心配そうに声をかけてきた。

「どうしたの……?」

「おいおい、何があった?」

気遣わしげな様子にきちんと顔合わせをしないまま立ち去ることへの罪悪感を抱きながら「すみません、部屋に戻りますね」と声をかけて再び駆けだした。

城内の廊下を足音荒く歩いていると、通りすがりの兵士たちが驚いた様子でこちらを振り返り「大丈夫なのか?」「何かあったのか?」と口ぐちにささめきあっているのが耳に入ってくる。
頬を流れる涙をぐいっと拭いながら、彼の言葉を反芻する。

“どうやら君は、神獣の繰り手には選ばれなかったようだね、アイ?”

“君なんてその腰のやつがないと何もできないくせに”

一度思い出すと止まらず、あの嫌味な態度とともに何度も脳内を駆け巡る。

「ああもう!!」

ようやく自分の部屋に戻ってきた私は、ドアを閉めると、入口の横の壁にこぶしを強く打ち付けた。
小指がじんじんと痛み、顔を歪める。

「絶対、見返してやる……!」

斜陽が差し込む窓を睨み据えながら、沈みゆく夕陽に向かってそう宣言し、おもむろにトラヴェルソを取り出した。

(2021.4.7)

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