天翔ける:本編

2. 天翔ける弓使い

リーバルの提案で飛行訓練場にて状況のすり合わせを行うことになったものの、彼が道なりにすぐだと言っていた訓練場まで馬を走らせても二時間はかかった。
それでもリンクは表情一つ崩すことはなく、ゼルダもリトの村までの長旅で疲労はうかがえるものの、すぐだと偽ったリーバルに対し腹を立てるインパをなだめるだけの余裕はあるようだ。

私はというと、なれない乗馬で足腰が限界を迎えはじめている。
けれど、これでも私がお借りしている馬の背に乗せられている鞍はかなり座り心地の良いもののはずなので、音を上げて困らせるわけにはいかない。

飛行訓練場の目印がところどころに立っているのを見つけ、リノス峠に差し掛かったころ。
ゼルダが「間もなく到着します」と声をかけてくれたので、少しだけ元気が湧いてきてうなずいた。
あともう少しの辛抱だ……!

道中ふぶいていた雪は、飛行訓練場に着くころにはほとんど落ち着いていた。

峠に差し掛かったあたりから聴こえていた地鳴りのような音は、どうやら訓練場からのようだ。

到着すると、ようやく馬を止めた。
馬宿での途中休憩がなかったら足が滅んでいたかもしれないと思うほどパンパンだ。

馬から降りづらそうにしていたせいか、真っ先に降りていた兵士が降りるのを手伝ってくれた。
すみません、と声をかけると、兵士は「お困りでしたらすぐにお声がけくださいね」と微笑んでくれた。親切な方だ。

ゼルダたちはすでに馬を降りたあとで、少し先にある崖の縁で宙を見つめている。
馬と積み荷を兵士に任せると、トラヴェルソを抱え、遅れを取らないよう慌ててあとを追った。

ゼルダたちのいるところーー場内の様子が一望できるところーーまできたとき、私はリト族の彼リーバルを見つけた。
彼は谷底から吹き上げる気流のなか、中央の高い奇岩の周りを疾風はやての如く飛び回っている。

突風を巻き起こしながら一際高く舞い上がると、かぎ爪で掴んだ弓を手に持ち替える。
バクダン矢を左手で素早くつがえながら、谷をなぞるように飛び、岩肌に備えられている的すべてに矢を的中させた。

彼の力量は、この一目で理解できた。
目にも止まらぬ速さの比類なき技は、圧巻の一言で片付けるにはもったいない。

リーバルはおそらくこれを見せるためにわざわざ私たちが訪れたタイミングで披露したのだろうが、すべての的を撃ち終えたあとになって、さも今こちらの存在に気づいたかのようにやぐらに降り立った。

「おや、ようやくご到着かい?待ちくたびれたよ」

平然と言ってのけながら梯子の上から腕組みをして私たちを見下ろす。
姫の御前でかなり尊大な態度だ。
先ほどの見事な弓さばきについ見とれていたせいで、このふてぶてしい性格をすっかり失念していた。

「リーバル殿!リトの村からここまではすぐだとうかがっていたはずですが!?」

長旅に続く長旅で怒りが頂点に達しているインパは、彼の不遜な物言いにいきり立っている。
インパの抗議にもひるむことなく、リーバルはすいっとあごを反らし、長し目にこちらを見据えながらふんと鼻を鳴らした。

「さて?リトの翼だとものの数分で着くんだけど。飛べない体ってのも不便なものだね」

「この……!」

「インパ!」

となりで様子を見守っていたゼルダは、慌てて仲裁に入ると、リーバルに向き直り、両の手を胸元に組んだ。

「……ごめんなさい、リーバル。ずいぶんお待たせしました」

リーバルは姫の素直な謝罪に目を見張ると、こちらに背を向け、腰に手をあてながら片手を振った。

「……別に。おかげで僕も弓の鍛錬が捗ったことだし。君たちも道中おつかれさま」

まあ上がってきなよ、とうながされ、リンクを先頭に一行は順に梯子を上った。

「厄災ガノンの復活が予言されたことは、リトの村にも伝わっていますね。
ハイラル王国は来る厄災復活に備え、現在、古代のシーカー族が後世に遺したといわれる古代兵器の発掘や調査を行っています」

後ろ手を組み背を向けて話に耳を傾けていたリーバルは、ゼルダの説明に心当たりがあるらしく、ああ、と宙をあおぎ肩越しに振り返った。

「数年前このあたりで発掘されたっていう遺物もその一つだろ?」

「はい。名を、神獣ヴァ・メドーと言います。
強力な聖なる力を有する者にしか扱うことができないといわれています」

「強力な聖なる力、ねえ」

リーバルは腕組みをすると、あごに手を添え、ほくそ笑んだ。
ゼルダはかたわらに控えるリンクにちらと視線を流すと、ふと思い出したようにはっとし、真剣な面持ちでリーバルに向き直った。

「……リーバル。
先程の一件についてお尋ねしますが、なぜ突然リンクと戦闘になったのでしょう?
リトの村にかかる吊り橋も封鎖されていたようですし、何か事情がおありなのでは」

リーバルはこちらを振り返ると、ゼルダの足元でキョトンと自分を見上げる白いガーディアンを忌々し気に見やり、舌打ちをした。

「……そいつだよ」

「ガーディアンですか?」

「ガーディアンだか何だか知らないけど。
そいつと外見のよく似たやつが、魔物の大群を引き連れて度々リトの村を襲撃してきてね。
てっきりそいつがまた来たのかと思ったってわけさ」

「……事情はわかりました。二人とも無事で本当に良かった……」

リンクはリーバルの話に真剣な様子で聞き入っていたようで終始彼をじっと見つめていたが、当のリーバルはそんな彼をじろりとにらみ返すと、ぷいっと顔を背けてしまった。
この二人が手を取り合うまでにはとても長い時間がかかりそうだ。

とはいえ、ひとまず和解できたようで、やぐらの奥からやり取りをうかがっていた私も心底ほっとした。
あんな弓術を見せつけられたあとでもし敵対してしまっていたなら、私のような戦闘経験ゼロの民間人は瞬殺されてしまったはずだ。

「ですが……」

二人の身が無事だったことに安堵するゼルダのうしろで、インパは腕組みをしながらいぶかしげな様子で白いガーディアンを見下ろした。

「その子と同じ形のガーディアンというのは気にかかりますね、姫様」

小首をかしげる白いガーディアンを見つめながら、ゼルダは不安げに眉根を寄せる。

「ええ……。もし厄災と何らかのかかわりがあるのなら、対策を急がなければ……」

黙って背中越しにやり取りに耳を傾けていたらしいリーバルは、ここぞとばかりに振り返った。

「それで……僕の力が必要というんだね。神獣を動かすのにさ」

中空をゆっくりと旋回するヴァ・メドーを親指でぐいっと示すと、後ろ手を組みなおし、「しかし……」とおもむろにリンクに歩み寄る。

「選ばれたっていう姫付きの騎士が、こんなかかしみたいなやつだとはねえ」

翡翠の目をすっと細め、リンクを蔑むような目で見下したときだった。
白いガーディアンが頭上の突起を高く伸ばし、二人の間に割って入ってきた。

「な、なんだよ?」

ヒュイヒュイと抗議するように電子音を鳴らし続けるガーディアンにリーバルもさすがにうろたえた様子で一歩後ずさりする。

インパはガーディアンに近づきながら言い分を分析していたようで、身をかがめると含み笑いを浮かべながらこう言った。

「どうやら、自分も姫様を守る騎士だ、と言いたいようです……」

インパがおかしげにそう言うもんだから、ゼルダも私もつられて笑みをこぼす。
そんな様子を変わらず無表情で見つめているリンクも心なしか目尻が下がって見える。

「は、はあ……?」

調子を外され間の抜けた顔でガーディアンを二度見したリーバルは、肩をすくめると左手を上げ、ため息交じりにつぶやいた。

「まったく、頼もしいやつらだねえ……」

場が和んだところで、ゼルダが「そういえば、アイ」と私を振り返った。
その場の視線が一気に集中し、ぼんやりとやり取りを眺めていた私は動揺のあまり、えっ!とみんなの顔を見比べた。

「よくお二人の仲裁に入ることができましたね」

「僕もそれは気になってたよ」

すかさず割って入ってきたリーバルは、今度は私の目の前まで歩みを進めてきた。
私より頭二つ分ほど上背のあるリーバルに近距離で見下ろされ、切れ長の翡翠が私のフードの奥を探るように見据えてくる。
フードとマフラーで悟られはしないとわかっていても、熱が集中する顔を反らさずにはいられなかった。

「疾風に例えられる僕の飛行スピードに、常人がついてこられるわけがない。
何かしらの小細工でも使わない限りね」

圧倒的な自信に満ちた面差し。気押されて身がすくんでしまいそうだ。
リーバルが私の反らした顔をのぞき込むようにして腰をかがめたことにより、今度こそ視線がかち合う。

「あの戦闘中、視界の端に君を捉えたとき、君はまだ離れたところにいた。
しかし、この騎士に最後の一手をかけようとしたとき、君は一瞬にして僕の目の前に現れた。あれだけの距離をどうやって移動したんだい?」

彼の矢じりのように鋭い眼光に責め立てられているような気分になって、心臓がドクドクと脈打つ。

「それは……」

いや、後ろめたく感じる必要はないんだ。
気持ちを落ち着かせようと胸元に手を当てたとき、ゼルダが早足に近づいてきた。

「まさか、アイの能力は治癒だけではないのでは……?」

リーバルはすっと身を離すと、一歩後ろに下がった。
ようやく解放され、一息つくと、私はゆっくりと首を左右に振った。

「私もよくわかってないんです。あのときも無我夢中で……。
このままでは双方の身が危険だと判断し、咄嗟にトラヴェルソを吹いて。
そしたら、二人は時が止まったように動かなくなって……それでリンクの盾に」

自信はないがあのときの状況をありのまま答えると、リーバルはふうん……と腕組みをして小首を傾げた。あごがちょっと高いのが気になる。
いちいち相手を見下げるような言動しかできないのだろうか。
密かに”あざとい”と浮かべたことは心の奥底にしまっておこう。

「時を止める力……ねえ。
それであの距離を一瞬で詰めてきたってわけ」

相変わらず疑るような視線だが、今度はちゃんと見返して頷くことができた。

「はい、おそらくは。
ただ、時を止める力はあのとき初めて発現したので、まだ確証は得られていませんが」

すると、ゼルダが「でしたら」と私の手を取った。

アイ、今ここでもう一度、時を止めたときの曲を弾いてみせてはくれませんか」

急に好奇心に満ちた表情になったゼルダに、城下町で出会ったときのことが想起される。

「わ、わかりました」

彼女の熱意に気押され、私は了承するしかなかった。

やぐらの先端に立つと、場内を吹き上げる気流が私のワンピースのすそをさらおうとする。
風をじっと見つめその光景を目に焼き付けると、手にしたトラヴェルソを口に添え、瞼を下ろす。

風が静まるイメージを浮かべながら、あの曲を吹く。

私の頭に思い描いたとおりになった。
轟音が止み、吹き上げていた風は雪を巻き上げ白くかすんでうねったままの形で制止している。
まるで抽象的なオブジェになってしまったかのようだ。

その光景に一同が、ああっ!と驚きの声を上げて息を飲む。

「できた……!」

成功した喜びでトラヴェルソを持つ手が震える。

しかし、私の心境とは裏腹に、リーバルはふんと鼻を鳴らすと、馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに両手を上げた。

「その時を止める力とやらを行使して厄災ガノンの時も止めてしまえば一件落着なんじゃないの?」

彼の言い分はもっともだと思う。
けれど、確証はないが私の力はそんな大層なものではないという自覚だけはある。

「それは、無理だと思います」

きっぱり否定すると、彼は眉間にしわを寄せた。

「どうしてだよ?」

「時の力の効力は間もなく失われてしまったからです。それに、先の戦闘では運良く思惑通りにいきましたが、もう一度同じ状況になったとして次もうまくいく自信はありません」

私の発言を肯定するように、静止していた気流が再び轟音を上げ下から吹き上げ始めた。
それを見届け「なるほど」とゼルダはこぶしを打った。

「つまり、短時間の時間停止の能力、というわけですね」

「はい、おそらくは……」

「ああっ!!」

仮説をゼルダに説明しながらトラヴェルソを腰に携えたケースにしまっていた私の肩を、インパが唐突に掴んだ。
みんなここにきてからやけにせわしなくないか。
長時間の騎乗で足腰がやられてしまっているせいで肩に置かれた手の重みだけでも床に沈んでしまいそうなほど疲れてるんだ私は。

アイ様!お髪が……」

インパの細い指が短くなってしまった私の髪をなでる。
視線を感じちらりとリーバルを見やると、彼は悪びれた様子もなくおどけたように笑いながら近づいてきた。

「ああ、さっきの矢、君の髪に当たっちゃったんだ。ごめん、ごめん」

不ぞろいになった私の髪に気づき、ぷっと噴き出している。
私に彼以上の戦闘力があったなら焼き鳥にしているところだが、私の内に燃え始めた怒りはインパが代弁してくれたことにより消火された。

「リーバル殿!女性にとって髪は命の次に大切なものと言っても過言ではないのですよ!
ごめんで済まされる問題ではありません!」

「わ、わかった!悪かったよ」

インパの指摘は少々大げさな気がしないでもないが、リーバルは失言を認めお手上げしながら困ったように眉を下げた。
腰に手をあてながらリーバルの眼前に人差し指を突きつけるインパの頼もしさに、私はなんだか心があたたかくなって顔をほころばせた。

「インパ、ありがとうございます。でも、いいんです。また伸びますから……」

しかしインパは引き下がらず、リーバルに向けていた人差し指を今度は私の眼前に突き付ける。
頬を膨らませて怒った顔をしているが、あどけなさの残る顔立ちでは迫力がなく、むしろかわいらしいとさえ思い、思わず笑うと、何を笑っているのですか!と叩き伏せられて思わず、はい!と身を固めた。

アイ様、あなたもあなたです!そこはもう少し怒っても良いところですよ!」

「はあ……すみません」

「あとで私が切りそろえてあげますから!」

インパは眉を吊り上げてプリプリお小言を垂れていたが、最後にはまったく……と目尻を下げた。

やぐらのなかにある焚き火などの設備を借り一休みすることになった。

ゼルダとリンクは兵を引き連れ、リノス砦の途中に見つけた祠の調査へと向かっている。
リーバルは時折羽を休めにやぐらに戻っては来るものの、すぐに飛び立ち的を射るのに没頭している。
時折タンッ、タンッという音がやぐらにこだまして聞こえてくるが、どの矢も的を外していないようで、やはりその実力は素晴らしいものだと思う。

そのあいだ、私はというと、インパに髪を切りそろえてもらっていた。
私がフードを外すのをためらっていると、かぶったままでもいいと配慮してくれた。
常にはきはきした物言いではあるものの、心根の優しさが彼女の丁寧に髪を梳く手からも伝わってくる。

「よし、できました!アイ様、お髪が整いましたよ」

インパが整えてくれた両の髪を指先に絡め、切り口を見る。
先ほどよりずっと見栄えが良くなった。鏡がないのが残念だ。

「ありがとうございます、インパ。
切るのがお上手ですね。この髪型、とても気に入りました」

「あはは、あ、ありがとうございます」

照れたように頬をポリポリと掻くインパの元々赤い頬により赤みが増す。

「横髪を切ってもらったのか」

ちょうど整髪を終えたタイミングで、リーバルがやぐらに戻ってきた。
リーバルは私とインパが座っているところまでやってくると、私から少し距離を取ったところに腰を下ろしてあぐらをかいた。

「……髪のことは、悪かったよ」

彼から素直な謝罪をもらえるとは思わず、目を見開いた。
翡翠の双眼は赤く縁どられたまぶたに閉ざされ、彼の心境をうかがい知ることは難しい。
私はどう受け止めて良いかわからず、しどろもどろに応えた。

「あ……いえ!
あのときはまだお互いに事情を知らなかったわけですし、誤解があったとはいえ一時でも敵同然だったんですから……!」

言ってしまってから、後悔した。
彼は片目を開けると、にやりと口角を上げ、両手を広げた。

「ま、それもそうだ。あの状況でいきなり飛び出してくる君の自業自得だよな。
おかげで僕とあの騎士の決着もつけ損ねてしまったわけだし、正直とんだ迷惑な話だよ」

「リーバル殿!その言い草、聞き捨てなりません」

こぶしを固めて立ち上がったインパを制し、再び座らせると、私は意を決して彼に向き直った。

「……お言葉ですが」

驚いたような顔のリーバルと真っすぐに視線を絡める。

「守るべき人の血が流れずに済むのなら、いずれ伸びる髪などいくらだって捧げられます」

そう言いきった私にリーバルとインパは閉口した。
翡翠の真ん中の切り込まれたような瞳孔に食い入るように見つめられ、今にも目を反らしてしまいたかったが、負けじと見つめ返し続ける。
先に目を反らしたのはリーバルだった。

「へえ……ひ弱そうに見えてずいぶん生意気じゃないか」

リーバルはおかし気に笑うと、おもむろに立ち上がり、やぐらの先端に歩を進め、翼を広げた。

アイ、だっけ?
せいぜい僕の矢が君のその細っこい首を跳ねなかったことに感謝するんだね!」

言い返す間もなく、彼の姿は再び上空へと消えた。
先ほどまでの通常の矢からバクダン矢に変えたようで、あたりにはここを訪れたとき同様爆発音が鳴り響いている。

ちょっと!こっちは休憩中ですよ!とインパが声を上げるが、彼にはまったく届いていなさそうだ。

(2021.4.6)

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