ゼルダの手のひらから放たれるまばゆい光が収束するころ、ガノンの姿はなく、あたりは静寂に包まれていた。
こちらを振り返ったゼルダの表情は、疲れ切ったような、安堵したような、しかし、使命を成し遂げた達成感に満たされた、そんな表情に見える。
彼女とリンクの活躍を見守っていた私たちもそれぞれ一様に笑みを浮かべた。
本丸から外に出るころには、空はすっかり白んでいた。
薄明を迎えた空にはうっすらと白い月が浮かんでいる。長い長い夜が、ようやく明けたのだ。
ゼルダが手するネジが淡い光に煌めくとき、未来から来た戦士たちの体がそれに呼応するように光り始めた。
「……そろそろ刻限のようじゃな」
ルージュの言葉にウルボザが前へ進み出る。
「皆の力となれたこと、わらわは誇りに思います」
「未来のゲルドも頼んだよ、ルージュ」
腰に手をあて、彼女を労うように温かな声をかけるウルボザに、ルージュもこくりとうなずき返す。
「ありがとな、ユン坊!短いあいだだったが楽しかったぜ!」
「僕も一緒に戦えて嬉しかったゴロ!」
ガッと互いのこぶしを突き合わせたダルケルとユン坊。
ユン坊はその表情に男気をあふれさせながらも、少しだけ照れくさそうに、へへ、と笑った。
「いつか、きっとまた会えるよね」
ミファーの言葉にシドは込み上げるものを堪えるように目を閉じ、精いっぱいの笑みを浮かべた。
「……ああ。オレはこれからもずっと姉さんのそばにいるゾ!」
シドの言葉に、ミファーも小さく笑みをこぼす。
「いい経験になりました。英傑様の素顔も拝めましたしね」
今生の別れかもしれないのに、こんなときにも「ふん」とそっぽを向いてしまうリーバルに代わり、テバに声をかけた。
「テバさん、どうかお元気で。奥さんと息子さんにもよろしくお伝えくださいね」
テバはこくりとうなずくと、至極にこやかな笑みを浮かべた。その表情に嫌な予感を覚えた私は咄嗟に彼の言葉を遮ろうとしたが間に合わず。
「お二人も、末永くお幸せに」
「テバ!!」
「テバさん!!」
思わず大きな声を上げてしまったが、それがかえって周囲にも知れ渡る結果となったらしく。
ウルボザが「やっぱりできてるんじゃないか!」などと言い始め、周囲がざわざわし始めたことでリーバルはついに頭を抱えてしまった。
「まさか100年後から来たやつにこんなところで暴露されることになろうとはね……」などとぶつぶつつぶやいている。
みんなのやり取りをじっと見守っていたゼルダはくすりと微笑むと、ゆっくりと前に進み出た。
「この奇跡を、私は忘れません。あなたたちがともに戦ってくれたこと。
決して……忘れはしません」
その言葉を最後に、彼らの体はまばゆい光に覆われ、空の彼方へと飛び立っていった。
「あなたたちの生きる未来にも……100年後にもどうか光がありますように」
光明差す空を見つめ続け、去り行く彼らに想いを馳せるみんなの背中を見つめていた私は、ほっとしたのか全身から力が抜けてしまった。
硬い地面に後頭部を打ち付け痛みが走るも、まどろむ意識のせいで、頭を押さえるだけの力も湧いてこず。
みんなが私を取り囲むなか、リーバルが今にも泣きだしそうな顔で必死に何かを叫んでいる。
ああ、そんな顔、しないで……。
もっと笑えばいいのに……。
ふっと浮かべた笑みは、ちゃんと口元に乗せられただろうか。
視界は端から黒く塗りつぶされてゆき、暗闇に閉ざされてしまった。
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闇のなか、視界の真ん中に白い点が現れた。
これは、何だろう……。光……?
その点はじんわりとした熱をまといながら、薄くもやを広げるようにじわじわと広がっていく。
それがやがてまばゆい光となってぱっと弾けたとき、辺りの光景が一変した。
ざあ……と木の葉の擦れる音。
背丈の低い草木が一面に広がる草原。
吹き抜ける風に揺られる緑のまばゆさに目を細める。
私は今、どこかの木陰に腰を下ろしているようだ。
たくさん走ったときのように息が切れている。
呼吸を整えているうちに汗が額を伝い、それをいつのまにか手にしていた布で拭う。
ふっと、となりから笑い声が聞こえ、見上げる。
……リーバルだ。
かたわらに立っていたリーバルは、腰を下ろしてあぐらをかくと、腕組みをしながら木にしなだれかかり、ゆっくりと目を閉ざした。
「女神の言った通りなら、これからこの世界は過去にさかのぼる。
記憶や想いは、真の意味で完全に失われてしまうだろうね……」
女神って、何……?
世界が過去にさかのぼるって……記憶が失われるって……どういうこと?
彼の言葉の意味がわからず、そう問い返そうとするが、縫い付けられたように口が開かない。
いや、厳密には口は動かせるが、私の意に反し言葉にならないのだ。
「だとしてもだ」
リーバルはきっと前を見据えると、まだ座ったばかりだと言うのに、ふたたびすくっと立ちあがった。
そして、腰に手を当てると、前かがみになりながら私の眼前にくちばしの先を突きつける。
ええっ、何、何、何!?
何か気に入らない反応をしてしまったのだろうか。
目を突き刺されるのではと思わずにはいられない距離に、恐怖とときめきがないまぜになったまま心臓が跳ねる。
木にしがみついた私から彼は顔を少し離すと、今度はその柔らかな羽毛におおわれた人差し指を私の額に押し当て、ぐっと押してきた。
ふわふわしてはいるが、加減なしで押し込まれ、木の幹に押し付けられている私の後頭部が悲鳴を上げている。
「君が今の君じゃなくなったとしても、僕と君の関係が完全に帳消しにされても、僕は絶対にあきらめないよ!
僕はまた君を好きになるだろうし、君にもそうなってもらう。僕らはまた別の因果によって結びつくんだ」
彼はさっきから何の話をしているのだろうか。脈絡がなさすぎて、理解が追い付かない。
けれど、さも私がこの話を理解している前提で彼の言葉は続いていく。
「けど……もし君が、この約束をたがえて僕じゃなく……そうだな、リンクなんて好きになろうものなら、バクダン矢をこれでもかってくらいその身に浴びせて毛髪の一本も残らないくらい粉々の消し炭にしてあげるよ」
彼の言葉に、苦笑いを浮かべながら、はいはい、と応える。
もちろん、私が発したつもりはない。口が、意に反し勝手に動いているのだ。
押し付けられた指がようやく退けられ、痛む後頭部をさすっていると、その手を絡めとられ、ふいに顔を上げる。
縦に切り込まれた翡翠の双眼が、真っすぐに私の目を射抜く。
その目を縁取る赤。その赤をなぞる凛々しい眉。それらの鮮やかさに対し深い紺の翼。
彼のすべてに見とれていると、彼がそっとその赤く縁取られた目を伏せた。
私の唇に、彼の黄色のくちばしの先の黒が、そっと押し当てられた。
硬くて、少し温かさのある、優しい口付けだ。
やがてリーバルの周りの景色が淡くかすみ、陽の光を受けた水面のようにきらきらと光り始める。
もやがかかるように、視界の隅から白くまばゆい光がゆっくりと私たちを包み込んで、溶かしてゆく。
「また、会えるのかな……」
私と、もう一人の私の言葉が重なる。
彼は今までにないくらい優しい声で「大丈夫」とささやいた。
「何度記憶がリセットされようとも、そのたびに、出会いをやり直しただろ?
たとえ、二度とこの瞬間を思い出せなかったとしても……
お互いの記憶も想いもゼロからだとしても……またきっと引き寄せ合う。
僕は、そうなるって信じるぜ……」
私を諭すような言葉は、自分にもそう言い聞かせているようで。
薄く開かれたまぶたの端には、うっすらと光るものがあった。
淡いグリーンの翡翠がきらきらと煌めいて、じっと私を見つめる。
「またいつか、この木の下で……」
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ゆっくりとまぶたを開くと、見慣れた天井が目に入った。
ところどころ石がかけており、ああ、ハイラル城はガノンや魔物に襲われたんだっけ……とぼんやり浮かべる。
けれど、ここまではどうにか踏み込まれずに済んだようだ。
窓ガラスは砂ぼこりにまみれてはいるものの割れた形跡はなく、室内も出かけたときのままだ。
無事、大厄災は終決したのだ。
そこで、意識がすっかり覚醒した私は、がばっと身を起こした。
「みんなは……!?」
「ふん……やっとお目覚めかい」
背後から聞こえてきた嫌味っぽい笑い声に振り向くと、椅子の背もたれに両腕を乗せながらこちらを眺めていたらしいリーバルと目が合った。
なんだそのあざとい座り方は……と思ったが、彼には尾羽があるということを思い出し納得する。
「ほかの奴らはもうとっくに寝てるよ……」
リーバルはふわ……と大きなあくびを片翼で隠すと、ふたたび背もたれに両翼を重ね、その上に側頭部を乗せた。
何だかとても眠たそうだ。いつもあざけるように細められる目に覇気はなく、今にもまどろみに沈んでしまいそうなほどぼんやりと細められている。
私が眠っているあいだ、ずっとそばにいてくれたのだろう。
窓の外は真っ暗だ。もうずいぶん夜が更けているようだ。
野宿のときでさえこんなに眠そうにしていることは滅多にないが、ガノンとの戦闘中は夜通し戦っていた。
戦いがようやく終結して、気が緩んだんだろう。
もしかして、あれから一睡もしないままそばにいてくれたんだろうか。
ベッドのかたわらに腰をかけると、整えられた額の羽毛にそっと手を伸ばし毛流れに沿ってなでた。
ずっと、がんばってたんだよね……。
いや、厳密にはがんばっていたのは彼だけじゃない。みんなだって、私だって同じだ。
けれど、弱音を一切吐かず、弱みを見せることもできない彼は、人一倍無理をしていたに違いない。
どうしてそんなに意固地な性格になってしまったのか、その理由を知りたいけれど、きっと教えてはくれないだろう。
その気性のせいもあってなかなか私から気安く触れる機会がないせいか、思えば、こうして彼の顔に手を触れるのは初めてのことだ。
体毛とは違い少し毛質が柔らかい。
毛羽立ったあごのラインや襟足は顔の毛よりももっとふわふわしてるのかな。
触ってみたい気持ちはあるけれど、怒られることを想像してしまってそこまでする勇気はまだ出ない。
彼は私の手が気持ち良いのか、表情を緩めるとそのまま目を閉じてしまった。
か、かわいい……!!
寝覚めにこんなあどけない姿を見られるなんてついてる。
いや……手放しで喜んでいいものだろうか。
明日は千本の矢が降り注いだり、野を焼くほどのバクダン矢が降り注いだりしないよね?
ずっとそうしていたせいか、閉ざされていたリーバルのまぶたが薄く開かれる。
その翡翠が、カッと見開かれたかと思うと、彼は「わあっ!」と大きな声を上げて即座に椅子から立ち上がった。
その衝撃で椅子がガタン!!と激しく音を立てて倒れた。
なでるために突き出していた私の手を指さすと、彼はわなわなと肩を震わせながら声を上げた。
「い、今、何してたのさ!?」
「何って……よしよし?」
「はあ!?」
リーバルは目を丸くしたまま固まっていたが、すっと顔をしかめると、倒した椅子を立たせ、ふたたび先ほどのように座り直した。
椅子の背もたれにかけた両腕に側頭部を乗せて、小さくため息をつくと、ちら……とにらむような視線を送ってくる。
ん……?
こ、これは……!
「ん」
催促するようにそううなると、そのまま目を閉じてしまった。
まさか。まさか。
デレ期到来……!?
ごくりと唾を飲んで手を差し出す。
「逆立てたら、訓練のとき的にするからね」
忠告に差し出しかけた手が止まるも「はい」と応え、恐るおそる手を触れた。
リーバルの肩が一瞬こわばったが、ふっと力を抜いたことにほっとして指先を毛流れに沿わせる。
「姫がさ……今、必死に部品を探してる」
耳を疑い「え……」と声を詰まらせる。
リーバルは薄く目を開けると、視線を上向かせながら付け加えた。
「テラコ……だっけ?あの白いガーディアン」
「はい。ゼルダ様は、あの子のことをそう呼んでましたね」
「不憫だよね。幼少の時をともに過ごしたのに、それをすっかり忘れられてたなんてさ。
ま、道理で姫のことを健気に守ってたってわけだ」
本当に小さいころの話だったら、忘れていても無理はないと思うけれど。
とは思うものの、リーバルはもしかするとごく小さいころの記憶も覚えていたりするんだろうか。
いつか、彼の子どものころの話を、私にだけこっそり聞かせてくれる日がこないかな。
「……大丈夫」
夢のなかの彼の声と、目の前の彼の声が重なり、彼の頭をなでていた手が止まる。
「部品さえそろえば、復元できる可能性があるらしい。
だから、安心しなよ……」
そう言ったきり、リーバルは寝息を立て始めてしまった。
彼の言葉に呆気に取られていた私は、差しぐむ涙を袖で拭った。
夢のなかでだって、あなたは私を励ましてくれた。
自分だってこんなに擦り切れるほどボロボロだっていうのに。
「ありがとう……」
起こさないように彼の腕に手をかけると、穏やかに並ぶ眉のあいだにそっと口付けを落とした。
この世界に来てすぐ、さっきと同じような夢を見た気がする。
けど、なぜだろう。
あのときは夢の内容をまったく思い出せなかったのに、今度は風景も、彼の姿や声までもが、鮮明に思い出せる。
何も思い出せない以上、ただ戸惑うしかない。
椅子にもたれながら浅く呼吸を繰り返すリーバルの寝顔に、そこはかとない懐かしさと既視感を覚えているとしても。だけど……
「私は、あの光景を、一度目にしたことがあるとでもいうの……?」
たとえ、二度とこの瞬間を思い出せなかったとしても……
お互いの記憶も想いもゼロからだとしても……またきっと引き寄せ合う。
夢のなかで彼が私に言った言葉の一つひとつが、何か特別な意味を持っている気がしてならないのだ。
(2021.5.7)