天翔ける:本編

16. 秋枯れの砦にて~夜

アッカレ砦の奪還に成功し常駐兵たちとともにゼルダや英傑たちが祝杯をあげるなか、私は一人宛がわれた部屋に閉じこもり、文机に向かって日記をつけていた。

みんなに気を遣わせてはいけないと思い、先の戦いでくたくたになってしまったので休みたいとゼルダには伝えておいた。

ゼルダは「ゆっくり休んでください」と言い赤い薬の入った小瓶を渡してきた。
飲めば、体の疲れが一気に取れる万能薬なのだそうだ。
カクテルのようにケミカルな色をしているこれが…?と顔が引きつったが、彼女は遺物調査のかたわら新薬の開発にも力を注いでいるらしい。
ガノンの封印という不確かな希望に圧されながら研究者としての側面を持つ彼女の負担は計り知れないが、どうやら元々研究熱心な気質なようだ。

何事にも一生懸命なゼルダ様らしいな…。
彼女の説明を思い出しながら小瓶の中身をゆっくりと回していた手を止めて台の上に置き、羽ペンを握り直す。

この世界に流れ着いてからというもの、王家の式典場のそばで目覚めるまでの記憶を取り戻す足掛かりになればと思い、時間があれば日記をつけるようにしている。

前世の記憶については、風景や音などといった断片的な情報しか覚えていない。

このハイラルにはほとんどないような大きな建物が立ち並ぶ景色。
チカチカと点滅する色とりどりのライト。
そのなかを走る車や、通りを行き交う大勢の人。

そして、私のなかに根強く在り続ける音楽の数々。

曲名も作曲者も思い出せないけれど、何度も耳にしたことがあるのかどれも細部まで思い出せるものばかり。
トラヴェルソやアコーディオンを毎日弾くようになってつくづく思う。過去の私も音楽を愛していたんだなあと。

ここ数日のできごとを綴り終えインクボトルに羽ペンを浸し、乾いたばかりの文字をなぞる。
ここに記したこの文字も、過去の記憶に基づいて書いたものだ。ハイラルの文字ではない。
この文字を見るたびに、記憶のなかの風景を思い出すたびに、つくづくハイラルの人間ではないことを思い知らされる。

こんなこと今さら何の言い訳にもならないが、記憶のなかの私も、おそらく戦いを知らない。
思い出せる限りの情景のなかで、武器らしきものを手にした人も戦乱の様子も浮かんでこないからだ。
もしかすると強烈なまでにショッキングなことがあって思い出せないという可能性も捨てがたいが、私は前者だと考えている。

だからなんて言い逃れはできないけれど、今日の戦いにおいても、怖気づくばかりで結局みんなの足を引っ張ってしまっただけでなく、何度も敵に背中を取らせてしまった。
ふたたびあの男が現れたときには、何もできないばかりか、結局リーバルに助けられて。

いくらハイラル王やゼルダ様が英傑だと認めてくださったって、デクの樹様が言うようにいくら潜在能力があったって、実力が伴っていなかったら有名無実も甚だしい。

胸元の結び目を強く握り締める。
この青の衣は、私が纏うには重すぎたんだ。

マントの結び目をほどくと、するりと脱いで丁寧に折りたたみ、椅子の背もたれにかけた。
ゼルダが施してくれた音符の刺繍を指でなぞりながら、深くため息を落とす。

考えるほどにマイナスなことばかり浮かんでくる。
きっとそれだけ疲れ切ってるんだ。今日はもうさっさと休んでしまおう。

文机のとなりの台に置かれたカンテラの火を拭き消そうとしたときだった。
部屋の戸が、コンコン、と控えめに鳴らされた。

「はい……」

返事をした自分の声に覇気がなく、無意識にそうなってしまったことを恥じて急いで取り繕う。
しかし、私の声が届いていないのか入ってくる様子はない。不思議に思いもう一度声をかける。

「どなたですか?」

すると、ずいぶんと間を置いて、こもった声で返答がきた。

「……リーバルだ」

“どうぞ”の一言が難しくて言い淀んでいると、ため息が聞こえてきた。

「手がふさがってるんだ。開けてもらえると助かるんだけど?」

急かすようにそう言われ、渋々と扉に向かう。
ドアを開けると、食事の乗ったトレイを手にしたリーバルがイライラしたような顔で入ってきて、ベッドにドカッと腰を下ろす。
器にスープが入っているらしく、衝撃で中身が少し跳ねてしまい、リーバルが「熱っ」とこぼした。
そそっかしい様子がめずらしくて思わず噴き出すと、じろりとにらまれてしまったので慌てて口に手を添える。

リーバルはきまりが悪そうに顔をしかめると、ベッドの脇の台にトレイを置いた。
もう一度ベッドに座り直すと、そっぽを向き固く目を閉ざしながら自分のとなりを示す。

「おいで」

ぶっきらぼうな言い方なのになんだかぐっときてしまって、にやけそうになる口元を押さえる。
ちらっと横目に見てはまた目を閉ざす彼に心をくすぐられながら、そろそろと近づく。

「し、失礼します……」

自分のベッドなのに失礼もなにもないよな……と思いつつ一声かけて座ると、リーバルはふんと鼻を鳴らし腕組みをした。
相変わらず顔は向こうを向いたままだ。組まれた腕を白い指先がトントンと落ち着きなくたたいている。
風も吹いていないのに揺れる三つ編みが、彼がとなりにいる実感をより強くさせ、むずむずする気持ちのやり場を求めて膝で固めたこぶしに目を落とす。

長い長い沈黙に何となく気まずさを覚えリーバルを横目に見上げると、同じタイミングでこちらを向いたらしくばったりと目が合うが、彼が目をしばたたかせるうちに視線は逸らされてしまった。
しかし、気を鎮めるように深くため息をつくと、今度はやれやれと言いたげに片手を挙げながら、おもむろに言葉をこぼした。

「……君がまだ食事をとってないって、姫からしつこく言われてね」

やはり。ゼルダはあれから私のことを気にかけてくれていたらしい。
細められた切れ長の視線が寄越される。
気恥ずかしいような気まずいような複雑な思いを抱きつつ、見透かすような眼差しから逃れるように視線を落とす。

「兵たちの喧騒にもそろそろうんざりしてたとこだし、仕方ないから暇つぶしついでに直々に持ってきてやったってわけさ。
まったく、あの姫もずいぶん人使いが荒いよね。この僕に給仕の真似事させるなんて」

予め練習しておいたかのごとく流暢にセリフを連ねるリーバルは、そこまで言ってはた、と瞬くと、疑るような眼差しを向けてきた。

「まさかとは思うけど君……、姫に僕らの関係を話したんじゃないだろうね?」

その言葉にぎくりとする。
レイクサイド馬宿で交わした約束は一応律義に守っている。そもそも人に言いふらすつもりなど毛頭ない。
しかしだ。一つ引っかかっていることを思い出し、言葉を探しながらぽつりと白状する。

「私から何か言ったわけではないですが、前から私の想いをご存じの方が若干二名いらっしゃるというか……」

私の言葉に、リーバルは固まる。

「は……嘘だろ?」

「ほんとです。私も不本意ですが……」

そう言ってわざとらしく頭を抱えた私に、リーバルは腕を組み直して続けた。

「やれやれ……で、誰に勘ぐられたってんだい?」

「ゼルダ様と、ウルボザです」

挙がった名前が予想通りだったのか、リーバルは諦めたような顔になり、盛大なため息をついた。
やたらため息ばかりつく彼にだんだん申し訳なくなってきたころ、ふいにその口角がいたずらに歪められた。

「……まあ僕も、クムの秘湯で君が僕の隙をついてあんなことしてくる前から薄々は気づいてたわけだし、ほかのやつが気づいててもおかしくは……」

そう言い終えてしまった後で、彼ははっとして口をつぐんだ。

秘湯での突飛な行動を思い出させられ、羞恥で頬に熱が集まる。
何となく気づいてはいたことだが、彼の口からこぼれた事実に顔をうつむかせる。

「私の気持ちにずっと気づいておきながら突き放すような態度を……」

リーバルは目を見開いて慌てた様子で腕組みを解くと、眉を下げて小さくつぶやいた。

「……悪かった」

優しい声色に、ゆっくりとリーバルを見上げる。

「君の想いにはずっと気づいてた。それなのに……体裁や現状を気にして、傷つけてでも遠ざけようとしてた。
どう受け止めるべきか、判断に迷っていたのもあるかもしれない。けど……」

彼は困ったように眉を寄せ、口元に微かな笑みを浮かべた。

「あれこれ考えているうちに、世間体ばかりに囚われて固執しすぎるのも何だか馬鹿馬鹿しく思えてきたよ。あれほど健気に好意を向けられたんじゃ、さすがの僕でも少しは考えを改めてやろうかなって気になってくる。
それでいいのかどうかなんて抜きにしてさ。
正直、根負けしたよ。……認めたくはないけど」

笑いを含みながらやれやれと肩をすくめると、観念したような、受け止めるような、そんな優しい眼差しでこちらを見つめ、そっとまぶたを伏せた。

ああ、そうだったのか……。

リーバルは体をこちらに向けると、こぶしを膝の上に置き、私をじっと見据えた。
真剣な眼差しに、私も姿勢を正す。

カンテラの炎が、彼の横顔を淡く照らし、橙色が翡翠のなかにゆらゆらと煌めいている。
彼の面持ちから緊張が伝わり、私も気持ちが張り詰めていく。

彼の翼がすっと私の肩にかけられ、そっと引き寄せられる。
吸い込まれるように彼の胸にもたれると、肩にかけられた翼が背中に回され、ぐっと抱き締められた。

肩口で一息つくと、リーバルは重々しく口を開いた。

「いいかい。こんなこと、今日しか言ってあげないからよく聞くんだ」

改まったようにそう言うと、リーバルはおもむろに、真剣に言葉を紡ぎだした。

「僕らが背負っているものはあまりに大きい。
生き抜くためでもあるけど、国民や村の仲間からの期待にも応えてやらないといけない。
立場をわきまえるなら、こんな重大な役目を負ってる身で、うつつを抜かしてる場合じゃないとも思ってる。
それに……たとえこの役目がなかったとしても、そもそもの話、僕らは異種族だ。
僕が知る限り、リトはほかの種族とこういった関係になったことがない」

リーバルの言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。

彼の言うことはもっともだ。
何の異論もないし、ずっと心に引っかかっていることだ。だから葛藤も大きい。
今でも後悔がないわけではない。
どうすればいいのか、私もわからなかった。

けれど、耐えれば耐えるほど彼への想いは大きくなって、心が押しつぶされてしまいそうだった。
自分の気持ちを押さえ続けることが難しかった。

そうだ。彼も、同じだったんだ。

「でも、今だからこそはっきり言えることもある。
僕の選択に間違いはなかった。君を選んで良かったと思ってる」

思わず目を見張った。

彼は、今何と言った?

「あの土砂降りのなか、君が思い切って胸の内を明かしてくれたからこそ、僕も吹っ切ることができたんだ。枷が外れたように感じたよ。
おかげで新たな目標もできた」

今聞こえているのは、幻聴だろうか。
彼の言ったことを脳内で反芻しているあいだにも言葉は続く。

「厄災から君を守り抜く。
おまけにこの世界も救ってやろうってね」

私の理解が追いつかぬまま、リーバルの口からは耳を疑うような言葉が紡がれ続ける。
彼はこんなことを言う人だっただろうか。

「そういえば君は、元々戦闘経験がないんだったよね。
そうとわかっていながら、君には散々きつくあたりすぎた。……さすがに反省してる」

いつになく優しい言葉ばかりかけてくる彼に、私の涙腺が緩んでいく。
何も言葉を返せず、肩が震えるばかりの私の背中を、彼の翼がやんわりとなでる。

「君は僕らのように剣や弓を振るうことは難しいだろう。
けど……本当の強さは、武器が巧みに扱えるかどうかってだけで決まるもんじゃない。
君が持つその力は、君にしかない特別なものだろ。君は君らしく戦えばいい。
誰が何と言おうと、僕は君を認めてあげる」

はらはらと涙を流す私の頭に、リーバルは頭を寄せる。

アイ、僕らには君が必要だ。
君の背中は僕が守る。だから、僕の背中を君に預けさせてくれるかい」

私は、何度も何度もうなずいた。

不安が拭われたわけではない。
自信が芽生えたわけでもない。

けれど、彼がくれた言葉は、私が一番かけてほしかったものだ。

ここにいてもいい。ここにいてほしい。
そう言ってもらえたような気がして。

ああ、やっぱり私はリーバルのことが大好きだ。
この気持ちに嘘はつきたくない。

彼のように人々の期待に応えられる自信はない。
けれど、誰も認めてくれなかったとしても、彼にだけは認めていてほしい。

彼にだけは、必要とされ続けたい。

「そんなこと言われたら……もっと好きになっちゃうじゃないですか……」

鼻をすすりながらこみ上げてきた気持ちを告げたが、彼からの同意はやはりなく。
その代わりに、微かに笑いを含んだ声でこうささやいた。

「……光栄だね」

気づけば、ベッドに押し倒されていた。

穏やかな雰囲気が続いていただけに一瞬何が起こったのかわからなかった。
私に覆いかぶさったリーバルを呆然と見上げ続ける。

月明かりとカンテラの炎に左右から照らされた彼の目が、鈍い光を宿して私を見下ろしている。
先ほどまでの優しい声色の彼はどこへやら、何やら怪しげな様子に動揺して見つめ返すことしかできない。
私を組み敷いた翼に、両手首をきつく掴まれる。

「感動してるとこ水を差すようで悪いけど、話はこれで終わりじゃないよ。
君には昼間の件について制裁を受けてもらわないといけないからね」

リーバルの視線が私の目から少し下にずれる。
嫌な予感か、期待か、私の心臓がどくどくと鳴り響く。

「せ、制裁?なんの……?」

腰が引ける私の眼前に、じわじわと彼のくちばしの先が迫る。
ギラつく翡翠が妖艶に弧を描き、くちばしが緩められる。

「僕以外のやつに、気安く触れさせた罰だ」

リーバルのくちばしが私の頬をするりとなで、耳の横を這い、首筋を降りてきた。

ある一点に到達し、温かい息が吹きかけられたかと思うと、ぬるりとした熱い感触が這った。
ぴちゃりと湿った音が耳を刺激し、くすぐったいようなむずがゆいような歯がゆい感覚に体が強張る。

「ん……リーバル、ちょっと待って……!」

「ずっと見てたんなら、僕がどういう性分かくらい大方予想はついてたはずだよね?
僕と関係を結べば、いずれはこうなるってことも、想定のうちだったんじゃないの?」

妖しげな笑みを湛えながら色香を孕んだ声色で核心を突かれてしまっては、何も言い返せず。
こんなに強引で乱暴なのに、好きな気持ちが圧倒的に勝って、すべてを受け入れたくなる。
私のそんな弱点さえも彼にはとっくにお見通しなんだろう。

大きな舌が首筋をえぐるようにねぶり、込み上げる快感に思わず肩が強張る。
押し返そうと手に力を込めるが、強い力でねじ伏せられうまく身動きが取れない。

「君は……誰にも渡さない……」

目を固く閉ざしたリーバルの低く小さなつぶやきは、まるで自分に言い聞かせているようだった。
怒りともどかしさをない交ぜにしたような顔つきに胸が苦しくなり、思わず言葉をかける。

「私は、リーバルのものです……」

私の言葉に反応するようにリーバルの体がびくりと跳ね、手首を掴む手がこわばった。

その肩がふるふる震えているのに気づいて、どうしたのかと声をかけようとしたとき。
彼はがばりとベッドから立ち上がると、上体を反らせて大笑いしだした。

突然声高に笑い出したリーバルにわけがわからず、首筋をさすりながら身を起こすと、彼は目尻を拭いながら乱れた呼吸を整えるように腹を抱えながら言った。

「ああもう、いきなり笑わせるなよ!いいとこだったのに……。
そんなこと恥ずかしげもなく言うやつ初めてだよ」

一大決心で告げた言葉を笑われたことにも恥ずかしくなったが、彼が何とはなしに言った言葉に、自分が何をされそうになっていたのか察してうろたえる。

“いいとこだったのに”

何度も同じ言葉が脳内を駆け巡り、心臓がバクバクと高鳴るのを押さえながら叫ぶ。

「わ、笑わないでください!
あなただってさっきしおらしく”君は誰にも渡さない”……なんて言ってたじゃない」

「なっ……!」

私の言葉にリーバルは目を剥いたが、慌てた様子でキッと顔をしかめる。

「い、言ってないだろ!」

揚げ足を取られるとは思わなかったのか、めずらしく言葉を詰まらせながら大うそをつく彼に、してやったりとほくそ笑む。

「いいえ、この耳ではっきりと聞きました!
……さてと。ごはんでも食べようっと。
いただきまーす」

唖然とした顔でわなわな震えるリーバルを横目に、一泡吹かせた気になってますます笑みが深まる。

さっさと彼が持ってきてくれたトレイに手を伸ばす。
リーバルが持ってきてくれた食事はすでにぬるくなってしまっていた。
微かにシチューの甘い香りが立ち、少しだけ食欲が湧いてくる。

すっかり固くなったパンを引きちぎってスープに浸し口に運ぶ。
それを阻止するようにリーバルのくちばしが眼前に現れ、パクッと取り上げられてしまった。

「えっ!?」

驚く私のとなりにふたたび腰を下ろした彼は、ベッドに後ろ手をつきながら片足をひざの上に引っかけた。
勝手にとっておきながら、眉根を寄せまずそうに咀嚼そしゃくしていてちょっと腹が立つ。

「……パサパサしてる」

「いやそれ私のごはんですよね」

「柄にもないこと言いすぎてお腹がすいた。半分寄越しなよ」

「だ、だめです!」

彼が楽しそうに笑うのに釣られて、私も自然に笑みが浮かぶ。
先ほどまでのくよくよした気持ちはすっかりどこかへ消え去ってしまっていた。

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アイといると時間を忘れ、気づいたら夜も更けてしまっていた。
彼女は僕の話に耳を傾けていたがだんだんうとうとし始め、そのまま眠ってしまった。

僕にはない柔らかな毛流れにそっと指先を這わせながら、小一時間前のことを想起する。

“私は、リーバルのものです……”

さっきは、あぶなかった。
アイがいきなりあんなことを言うなんて。

彼女をこの手で抱きたいと、本気でそう思ってしまった。
笑ってうまくごまかしたが危うく歯止めが効かなくなるところだった。

我ながら自制心の強さにつくづく感服する。

……それにしても、こんなに充足した日はいつぶりだろう。
僕とアイとのあいだにはまだ少し遠慮があるように思うが、何かのきっかけで腹の内を見せ合ったり、かと思えば甘い空気になったりと、彼女は僕を飽きさせず楽しませてくれる。

僕がしかめっ面だと彼女も怒ったような顔になり、僕が笑えば彼女もはにかんだように笑う。まるで鏡合わせのようだ。

気の合うやつが身近にいないせいでわからないが、気心知れた関係とやらは、案外こういうものなのだろうか……。
寝ぼけ目の彼女をそっと寝かせ、ブランケットをかけてやりながらそんなことを思い、ふと笑みが浮かぶ。

思えば、アイの寝顔は初めて見るかもしれない。
いつも野宿の際男女別のテントで寝ることが多いし、ダルケルのいびきがすごすぎて眠れないので寝ずの番を引き受けることが多い。
そうすると大抵”あいつ”と一晩過ごすことにはなってしまうが、デスマウンテン噴火時の地響きのような轟音をとなりで聞かされ続けるくらいなら千倍マシというものだ。

まあそういうわけでアイの寝顔を見る機会など今までなかった。
こうして僕のそばで寝息を立てる彼女に、言葉にならないほどの愛おしい気持ちが込み上げてくる。

「……」

またムラムラしそうになるのをかぶりを振って堪え、苦笑を浮かべる。

「おやすみ、アイ

すっかり寝入ってしまったあどけない横顔にささやきかけ、こめかみにくちばしの先をそっと寄せた。

さて。そろそろ戻るとしようか。
何だかんだ僕にも分け与えられ二人で食べた食事のあとを片付けるべくトレイを手に立ち上がる。

扉に向かおうとしたとき、何となしに文机の上に興味を引かれ、開かれたままのページに目を留めた。

日記だろうか。何ページにも渡って書き込まれているらしく、でこぼこになった紙が浮いている。
そこに書かれてあるものに、僕は大きく目を張った。

「なんだ、これ……」

規則性のわからない記号のようなものが、まるで文字のように並んでいる。
ページをめくると、ハイリア文字で単語が書かれ、そのとなりに対比するかのように謎の記号が書かれている個所などが見受けられる。

沸き起こった違和感に、直感が過去の記憶を呼び起こす。

ハイラル城に滞在中の満月の夜。アイまだ素顔を隠していたころ、一度だけフードをめくったことがあった。
そこでアイの耳が丸いことに気づいたが、あのときは耳が短いくらい対して気にもならなかった。

けれど、やはり何かがおかしい。
あの夜から数日後の遺物調査のとき、昼食当番だったアイはマックスサーモンを何とか……そう、”オサシミ”で食べたいと言っていた。
そのときは、”城下町ではまかないのことをそのように呼ぶ”という彼女の言葉を真に受けてしまったが、よくよく考えれば違和感がある。

それに、いつだか姫が言っていた。
僕にメドーの繰り手を依頼しに来た日、馬宿でアイがガーディアンのことを別の呼称で呼んでいたと。
ポストハウスの隠語だと言っていたとか。

野宿のときの火起こしだってそうだ。
箱入り娘だとばかり思っていたあの姫やミファーでさえ難なくこなしたというのに、アイはなれるまでにしばらく時間がかかっていた。
彼女は気づいていないようだが、食前に必ず唱える「イタダキマス」だって、僕らは誰一人として言わない。
弓や剣を一度も握ったことがないというのにも正直驚かされた。

極めつけは、シーカーストーンだ。
彼女はシーカーストーンを初めて目にしたとき”タブレット”のようだと口にしていた。
さも、似たようなものを目にしたことがあるかのように。

常識をまるで理解していない行動を取るかと思いきや、僕らにとっては初めての事象をあっさりと受け止める。
思い返せば思い返すほど、アイの言動はそのまま受け止めるにはいささか不自然な点が多すぎやしないだろうか。

もしかしてーー

「まさか君は、ハイラルの人間じゃないとでもいうのかい……アイ

穏やかにまぶたを下ろす彼女から返答はない。
しかし、一度口にした憶測は、僕のなかでじわじわと確信に近づいていく。

疑問はそれだけじゃない。

なぜ僕はリトでもない、姿かたちのまったく異なるこの子に、ここまで惹かれているんだ。

なぜ、こんなにも心をかき乱される……?

(2021.4.21)

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