天翔ける:本編

15. 秋枯れの砦にて

各地の塔を次々に復旧させ、ついに最後の塔があるアッカレ砦に赴くこととなった私たちを待ち構えていたのは、戦力を集結させたイーガ団だった。
ここまで作戦は捗々しいものと思われていたが、出方を読まれていただけにすぎなかったのだ。

上空から砦の様子を確認してくれたリーバルは、遠くからこだます激戦の様子を一人その目に捉え眉をひそめた。

「どうやら奴らも手をつかねていたわけではないようだね」

憂色を湛えて降りてきた彼の言葉に由々しき事態であることを察知したゼルダは、切迫したようにこわばらせた顔をすぐに引き締める。

「……急ぎましょう!」

互いに顔を示し合わせ、リンクを先頭に砦へと急ぐ。

みんなのあとについて走る私の少し前を飛ぶリーバルは、時折肩越しに振り返り視線を投げかけてくる。
迷いの森で派手に転んでけがをしたときのことを気にしてくれているのだろうか。
手負いの私を抱きかかえて敵から逃がしてくれたことを思い出し、少し気恥ずかしくなる。

……ん?いや、よく見たら少し眉間にしわが寄ってる。
あれは一見気遣っているようでいて、ヘマやらかすなよとも言いたげな、どちらとも取れる目だ。

アイさん!そこ、瓦礫が転がってるから気をつけて!」

私のとなりを走るミファーが、私の足元を指さした。
間一髪でそれを避け、苦笑混じりに「ありがとう」と返す。

「やれやれ……」

小さなつぶやきに頭上を見上げると、リーバルは前を見据えて羽ばたきながら微かな笑みを浮かべていた。
いくら想いが通じあったとはいえ、上空を飛ぶ彼と地面を走る私のこの距離のようにまだまだ心は遠いと思う。
それでも二人だけにしか通じない密な雰囲気に、少しだけ彼に近づけたような気がして、密かに笑みを浮かべる。

けれど、今は惚けている場合じゃない。
彼のとなりに胸を張って並ぶためにも、今は目の前の戦いに集中しなければ。

砦にかけられた橋は瓦礫の山で封じられている。敵はこの先で籠城しているのだろう。
ゼルダは橋の手前に置かれた研究用のガーディアンに目を留めると、ほかのみんなが敵と戦う中、白のガーディアン、ウルボザ、インパを引き連れて一体のガーディアンに近づく。
ガーディアンの戦力を利用して瓦礫の山を粉砕し、道を開こうという魂胆だ。

私は物陰に隠れて様子をうかがいながら、ゼルダの背中を守るように戦うウルボザとインパを囲む敵に向け、トラヴェルソを奏でた。
竜巻に巻かれ、地面に叩き伏せられた彼らのうめき声に耳をふさぎたくなる。

トラヴェルソを持つ手が震えはじめたとき、ウルボザがこちらに気づき、ウィンクを送ってきた。
さらに立ち向かってきた敵と剣を交えはじめる彼女に、気づかされる。
そう、ここは戦場だ。みんなを、守らなくてはいけない。

私のすぐ背後で、矢が雨のように降り注ぐ。

勢いよく振り返り、矢に穿たれ倒れ伏す敵の姿を見て、背後を取られかけていたことに気づき、血の気が引く。
すかさず降りてきたリーバルが私の背中に手を添え、耳打ちする。

「後ろは僕が守ってあげる。
けど……絶対に気を抜いちゃダメだ。いいね」

そう念を押し、リーバルはふたたび舞い上がった。
弓を三本つがえ疾風の如く空を駆ける姿につい見とれそうになるが、今ここで倒れてしまえばこうして華麗な弓さばきを拝むこともできなくなってしまうんだ。
彼の言葉に気を奮い立たせ、もう一度トラヴェルソを構える。

城塞の階段を駆けのぼり砦内に入ると、以前ハイラル城下町を襲った双剣の大男が待ち構えていた。
リンクは巨漢に対峙し、退魔の剣を抜く。

男はリンクを見据えたまま両腰に携えた双剣を引き抜くと、声を張った。

「来たでござるな、ハイラル軍……。皆の者、奴らを滅するでござる!」

それを合図に砦内からは集団がわらわらと湧き広間に集結する。
それぞれの武器を手に今か今かと次の指示を待ちじりじりと間合いを詰めてくる敵に、背中に嫌な汗が伝う。

私の背後で弓を手にしたリーバルが私の服を掴んだのに気づいたときだった。

「かかれ!ハイラル軍を蹴散らすでござる!」

私たちを取り囲むように散った敵の一人が私に立ち向かってくるのに気づき身構えようとしたのと、肩に固い何かが食い込み体が浮いたのはほぼ同時だった。
皮膚に食い込まされ引っ張られる痛みと浮遊感。
予測できない状況のまま後ろ向きに連れて行かれる恐怖に思わず悲鳴を上げそうになるが、口元を抑えて何とか耐える。

「少しの辛抱だ!」

澄み渡った空のように凛としたその声に、私の肩を掴む鷲のような足に、私を運んでいるのが彼だとわかりひどく安堵する。
リーバルは砦の外側から小部屋の一つ目掛けて矢を打ち込むと、なかの敵をせん滅したのを確認し、私を降り立たせた。

あとからなかに滑り込んできたリーバルは、絶命した敵から矢を抜くと窓の外へと無造作に落としてゆく。

私のことを優しく抱き締めてくれた彼の翼が、人の命を奪っている。
その事実の残酷さに、自分の置かれている現状から逃げ出したくなる。

それがどれだけ自分本位な考えか。
彼が敵を窓の外へ落とすのをただ見ていただけの私は、まざまざと気づかされた。

そのまま置いておくこともできただろうにわざわざこうしているのは、私が死体を見なくて済むようにだ。
それだけじゃない。
リーバルは敵を窓から落とす直前、一人ひとりに短いながら黙祷を捧げていた。
思い起こせば、狩った動物にも密かにそうしていたのを見たことがあった。

戦場でも軽口を叩きながら飛び回っている彼に、どこか命を軽んじているものだと、浅はかにも勝手に思い込んでいただけだ。
こちらに向き直った彼の澄まし顔に、たとえようのない想いが込み上がる。

「君はここに隠れて、狭間さまから敵を狙うんだ。僕はこの周囲を一掃してくる」

「……はい」

取り急ぎ早口にそう言うと、リーバルは踵を返し窓枠に翼をかけた。
しかしふと立ち止まり、思い出したようにこちらに戻ってくる。

「おっと、忘れるところだった」

片翼を掲げながらわざとらしくそうつぶやいたかと思うと、ぐいっと後頭部を引き寄せられた。

「ん……!」

ぬるりと口内に舌が差し込まれ、私の舌に彼の舌先が絡められる。
突然のキスに驚いて彼の胸を押すが、頭を固定され身動きが取れない。

薄く開かれた赤いまぶたの奥で、私の反応を確かめるように翡翠がその眼孔を細める。
くちばしの先から時折漏れる熱い吐息に、頭がくらくらしそうになりながら彼の舌に必死で応えていると、頭を強く抑えつける力がふっと抜ける。
ふかふかとした白い指に髪を優しくなでられ、張り詰めていた気持ちが少しだけ和らぐ。

何度も口づけを交わしたあと、リーバルはゆっくりと身を離した。
お互いのあいだに引いた糸を腕で拭いながらニヤリと笑う彼に、私も口元を隠しながらにらみを返す。

「……この続きはおあずけってことで。じゃあね!」

片翼を挙げてそう言い残すと、リーバルは窓から颯爽と飛び立った。
いちいちわざとかと思うくらい唐突にこられるせいで心臓が持たない。

あとに残された私は、まだ残る彼とのキスの感触に頭を抱えていたが、すぐさま気持ちを切り替え、戦場に目を落とす。

「”さま”って、これのこと……だよね?」

石造りの壁に手を添え、入ってきた窓とは別の、出入りの難しそうな小さな隙間(すきま)をのぞき込む。
その隙間からリーバルが瞬時に横切るのがときどき見え、近くにいてくれていることに安心し、トラヴェルソを構える。

フィローネ地方の任務のあと、リバーサイド馬宿でリーバルに想いを告げてから、ゼルダの言葉を信じ彼の言動の裏側を意識するようになった。
そうすることで初めて、そのしかめっ面の奥に宿る感情の豊かさに気づいた。
他人の機微に敏感ということは、彼もまた繊細な心の持ち主ということにほかならない。

今となって思えば、私を遠ざけるような言葉の数々も、彼の複雑な心境が影響してのものだったんだろう。
自分のことでいっぱいいっぱいで気づけなかったが、私が想いを寄せてしまったばかりに彼にも心労をかけてしまっていたのかもれない。

リーバルの愛情はわかりづらく不器用だが、私が考えているよりもずっと愛情深く、彼なりに私のことを想ってくれている。
そんな彼を、私も私なりに陰ながら支えられるようになりたい。

「こんな戦場の只中で恋情に浸るとは、私の脅嚇(きょうかく)がよほど足りなかったと見える」

忽然と現れたその存在に、背筋に悪寒が走った。
この声は……!

振り返る間もなく、壁にあてた手にそいつの手が重ねられる。
黒いアームカバーの先からのぞく象牙よりもさらに白い指先が私の指に絡められ、ぞわりと鳥肌が立つ。

「私も恵みにあずかりたいものだな」

吐息混じりに耳元でささやかれるが、リーバルのときとは違い底気味の悪い嫌悪感しか湧かない。
その言動が本気でないことくらい、背中に突き付けられているものが何か考えればわかる。
今にも服を突き破ろうとしているそれに、たとえようのない恐怖心が込み上げてきて、ガタガタと足が震える。

「リーバル……!」

狭間(さま)から彼の姿が見えないことにより不安を煽られながら名前を絞り出した私に、くつくつとかみ殺したような笑い声が髪にかかる。
重ねられた手がするりと手の甲をなでたかと思うと、背中に突き付けられていた切っ先の感触がすっと退けられた。

即座に振り返り壁に背をつけて見上げると、頭上からあざけるような視線を注ぐ黒縁の目と視線が絡んだ。

「あなたは……コログの森の……!!」

「見知り置いてくれたか、楽士アイ
しかしながら……私の恩情を無下にし、今日まで盟約を黙殺し続けたことには悄然とせざるを得ぬわ」

「あなたからは脅された記憶はあっても恩情を受けた覚えはないし、盟約を取り交わした覚えもありません」

震える声で、しかしきっぱりとそう告げれば、男は至極残念そうな顔をし、手にした短剣を眼前にかざしてながめ始めた。
その危うげな様子に、全身からは汗が噴き出すのに口のなかは渇いていくのを感じる。

男の長い指が、私の首にかかり、ぐっと力を込められた。
飄々とした様子に反し強い力で締め上げられ、息が詰まる。
目をすがめながらも視線だけは外すまいとじっとにらみ据えて耐える。

「では、改めて盟約を交わすとしようではないか」

おもむろに剣の切っ先が頬にあてられ、男の顔が眼前に迫る。

「私の元へ来い。
従わぬというのならば、お前の大切なものをすべて奪い取るのみ」

何も言葉を紡げず男の目を呆然と見つめ続ける。

これは、盟約などではない。脅しだ。

ほくそ笑む男の顔が、ゆっくりと距離を詰めてくる。
唇が触れそうになったとき、ようやく正気に返った私は即座に顔を背けた。
男は小さく舌打ちをすると、私の肩を強引に掴み首元に顔を埋めてくる。

「いや……!」

首筋に男の唇が触れ、吸われる。
首を振りながら強く押し返そうとするが敵わず、そのあいだにも舌を這わされ続け、嫌でも体が跳ねる。

「いや……いや!リーバル……!!」

目からこぼれた涙が鼻筋を斜めに伝う。

「やめろ!!!」

切り裂くような怒声に男が上体を起こしたのと、壁に矢が穿たれたのはほぼ同時だった。

憤りをあらわにしたリーバルが、弓をつがえ窓辺に立っていた。
彼の登場に男は忌々しげに舌打ちをしたが、ふいに勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「一足遅かったようだな、リト族よ」

リーバルの矢が放たれるかと思われたとき、男は暗色のもやとともに姿をくらました。

去り際にこだましていた高笑いは徐々にかすんでゆき、辺りは静寂に包まれた。
それにより今まで聞こえ続けていたはずの激戦の音がもうほとんど聞こえなくなっていることに気づく。
戦況が無事覆ったことを悟ったが、私はそれを喜べるほど冷静ではなかった。

男の気配が消え去った途端、私は膝から崩れ落ちた。

アイ!!」

リーバルは素早く部屋に入り込むと、私の正面にひざをついた。
はっと目を見開いて眉を寄せた彼の視線が捉えているものに気づき、私は耐え切れず自分の首元を隠した。
罪悪感に苛まれ、リーバルと目を合わせられない。

彼が今どんな想いで私を見つめているのかと考えると、自分への嫌悪感で胸がむしばまれていく。

そんな私の心を包み込むように、大きな翼に抱き締められる。
頭にぐいぐいと押し付けられるくちばしの重みが痛くて、恋しくて、だんだんと視界がぼやけていく。

アイ……無事で良かった……」

リーバルの低く優しい声が、私の頭から直接胸に響く。

「リーバル……!ごめんなさい……!!」

彼の背中にしがみつき、声を張り上げて泣いた。
彼はそれに応えるように私を強く抱きしめ、私が泣き止むまで、あやすように背中をなで続けた。

角笛の音が響き渡り、敵が撤収したことが知らされたのは、それから間もなくのことだった。

(2021.4.20)

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