天翔ける:本編

14. 雷雨降りしきる馬宿にて

フィローネ地方。
フィローネの塔を起動後、雨足が強くなってきたため、一度雨宿りをすることになった。
近辺の生態調査を兼ねた素材採集に向かったダルケル、ミファー、ウルボザとは、ここ、レイクサイド馬宿で後ほど合流することになっている。

ハテール地方での任務から一週間、リーバルはあれから私に干渉してこない。
戦闘中の掛け合いをしたり、任務に関することを相談したり、みんなと談笑したり……と会話がないわけではないものの、二人きりになる状況はあえて避けられている気がする。
私から話しかけようとすると、するりとかわされてしまうのだ。
必要以上に叱りつけられることがなくなったぶん、精神的に少し楽にはなったが、以前よりギクシャクしてしまったようで、いたたまれない気持ちのままだ。

ノッケ川の川辺で、リーバルは私を抱き締めた。
あんなに呼ぶのを拒んでいた名前を、もう一度呼んでくれた。

彼の気持ちを少しだけ覗かせてもらえたようで、嬉しかったのに。

「はあ……どうしてこうなちゃうんだろう……」

ここまで私を運んでくれた馬を厩舎につなぎ、雨に濡れた体を拭いてあげながらため息をついた私に、となりで愛馬の白馬にニンジンを与えていたゼルダは心配そうな眼差しを向けてきた。

「もしや、リーバルと何かあったのですか?」

胸中を言い当てられ、肩が跳ねる。

「な、なぜですか?」

私がうろたえていると、ゼルダは周囲を確認するように見回したあと、手を口元に添え、こそっと耳打ちしてきた。

「……実は、クムの秘湯であなたの想いを知ってから、お二人の様子をずっとうかがっていました」

「えっ!」

驚く私に、ゼルダはふふ、と笑みを浮かべると、こんなことを言った。

「……友の悩んでいる姿を見て、放っておけるはずがありません」

そのたった一言に、冷たい雨にさらされ冷え切ってた私の心は、湯水をかけられたようにあたためられていく。

私は、ゼルダがそうでなくても、彼女の友人でありたいと思っていた。
けれど、身分をわきまえず友人気取りするなんておこがましいとも思っていた。
密かに、彼女の支えになれたらそれで良かったんだ。

けれど、ゼルダは私を友だと言ってくれた。

「ありがとう、ゼルダ」

今にも泣き出してしまいたいのをこらえて笑みを浮かべると、彼女はふわりと微笑んだ。

ーーーーーーーーーー

「……な、なるほど。そんなことがあったのですか」

クムの秘湯から今日に至るまでのハプニングを説明すると、ゼルダは頬を赤らめながらあごに手を置いた。
まさか一国の姫君に恋愛相談することになるとは。
国の一大事だというのに、私情をはさみっぱなしで申し訳ない気持ちになる。

だが、気のせいだろうか、反対にゼルダはどこか生き生きとして見える。
コホンと咳ばらいをすると、真摯な眼差しで私の肩をつかんだ。

アイは、私に言ってくれましたよね。
父のことで落ち込んでいた私に、”王としての建前に惑わされることなく、父の心に秘められた真意こそ信じよ”、と」

「……はい」

「リーバルは歯に衣着せぬ物言いで、言葉の表面だけを受け止めてしまえば非常に辛辣だと思います。
ですが、彼は聡い」

ゼルダはあごに手を添えてうつむきく。しばしの沈黙が落ちた。
厩舎の樋を流れる水が、パタパタと草の上に流れ落ちる。

しばらく黙って馬をなでていると、ふと顔を上げたゼルダが、真剣な顔をして確信を持ったようにこう言った。

「以前までのアイに対する言動を顧みれば、自ずとわかるのではないでしょうか?
今となってあのような態度を取るようになってしまったのには、必ず理由があるはずです。
あなたのことを傷つけてでも、遠ざけようとする理由が」

彼女の言葉は、私のなかにストンと落ちた。
確かにそうかもしれない。

けれど、それでも確証がなくうつむいてしまう。
ぶるぶると首を振った馬から手を離してあげると、その手で自分の腕をきゅっと握り締める。

「でも、どうしてなんでしょう。
彼が私のことを想って避けているのだとしたら、ますます理由がわからない……」

すると、ゼルダはさらりと言ってのけた。

「確かめてみたら?」

きょとんとして小首をかしげる彼女に、私は激しく首を振る。
この姫は急に何を言いだすかと思えば!!

「簡単に言わないでくださいよ!
どうせ、また避けられるに決まってる……」

ゼルダは淑やかに笑う。

アイは、人のことになると前向きで建設的な意見が言えるというのに、自分のことになると途端に消極的になってしまうのですね」

冗談めかしてからかう彼女に、顔を赤くして口をすぼめる。
すると、彼女はもう一度私の肩を支え、強い眼差しで真っすぐに目を見ながら言い切った。

「いいですか、アイ
言葉の表面ではなく、裏側を見るのです。
彼は元より、天邪鬼あまのじゃくであるということを忘れてはなりません」

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馬宿に戻ると、リンクが受け付けの人と何かやり取りをしていた。
あとから遅れて仲間が到着する旨を伝えているようだ。

それを横目に通り過ぎると、奥の壁にもたれて腕組みをしているリーバルの元へ真っすぐ向かう。
目を閉ざしていた彼は、私が目の前に現れたのに気づくと、はっとしたように目を見開き、すぐに顔を反らした。

「……何か用かい?」

少し前までのようなとげとげしさがないことに内心ほっとすると、彼を見据えつつ、腕組みをした翼を掴んだ。

そのままぐいっと後ろ手に引いて、ズンズンと馬宿の外へ向かう。

「わっ、何だよ……!?」

「いいから来て」

肩越しに振り返りながらそう言うと、彼は困ったように私を見て眉尻を下げた。
そのままふいっと顔を反らせはしたが、黙って私にされるがままだ。
ついてきてくれるつもりはあるらしい。

しとしとと降り続ける雨が、二人の頭や体を濡らしていく。

馬宿の裏手に回り、遺構に囲まれた備品が置いてあるスペースを通り抜け、巨木の裏に回る。
ここなら人目にはつかないだろう。

立ち止まってリーバルの翼を離すと、彼は顔にかかる雨を手でかきあげるように拭いながら先に口を開いた。

「……それで。こんな大雨のなかわざわざ外に連れ出してまで僕に話したいことって?」

翡翠の目が真っすぐに私を見下ろしてくる。
こうしてちゃんと見つめられるのは何だかすごく久しぶりな気がする。

横髪にぶら下がった雫が垂れ、私の服がぐっしょりと濡れていくのを感じながらしばらくうつむいていると、おもむろにリーバルが吐き捨てた。

「用がないなら戻るよ。それじゃ」

「待って!」

そのまま踵を返したので、慌てて腕をつかんで引き留めた。
リーバルは眉間にしわを寄せながら肩越しにこちらを振り返る。

彼の腕を離すまいとぎゅっと握り締め、やっとの思いで紡ぎだした。

「……どうして、私のことを抱き締めたの?」

木の葉をたたく雨の音に混じり、川の流れる音が聞こえる。
しばしの沈黙のあと、リーバルは、深くため息をこぼした。

「……さあね」

そう言っておどけたように片翼をかかげた彼に、私は声を上げる。

「はぐらかさないで。
じゃあ、何で急に冷たくしたり、きつくあたったりしたの?答えてよ……!」

リーバルの腕をつかむ手に力を込める。

「私のことが嫌いなら……そう言ってください……」

嘘だ。嫌われているかどうかなんて、本当は知りたくない。
知りたくないはずなのに、内心とは裏腹に思ってもないことが口をついて出る。
面と向かって”嫌いだ”なんて言われてしまったら、きっと、心が壊れてしまいそうなくらい傷つく。

冷たい雨に紛れ、私の目からあふれた温かい雫が頬を伝う。
私の言葉に耳を傾け口をつぐんでいたリーバルが、ぐっと息を呑んだ。
潤んだ視界を手で拭うと、リーバルの困惑しきった顔が鮮明になった。
彼はさまよわせていた目を固く閉じると、長く長く息を吐いたあと、彼の腕をきつく掴んだままの私の手に、そっと自分の翼を重ねた。

「……嫌いなやつに、あんなことするはずがないだろ」

重ねた手をそのままぐっと掴まれ、私の手が彼の腕から引きはがされる。
ぐいっと引き寄せられた体を巨木に押し付けられ、掴まれた片手を固定される。
幹を伝う雨の雫が、じわじわと私の背中に染み込んでいく。

雨のなかでも消えることのない炎を宿らせた翡翠が、私の目を、心を捉えて離さない。
早鐘を打つ心臓の音が雨音よりもうるさく耳に響く。

「勝手に踏み込んで、荒らして。
いったいどれだけ僕を惑わせたら気が済むんだい?」

こんなに焦燥感をあらわにしたリーバルは見たことがない。
いつも冷静沈着で、おどけるように軽口を叩いて、澄ましたように笑う彼の顔が、悲痛に歪められている。
そうさせたのは、ほかでもない私だ。

「リーバル……」

私を見つめる切なげな顔に、少しずつ近づいてゆく距離に、諦めかけていた想いが期待にふくらんでいく。

「君から仕掛けてきたことだよ、アイ
僕をここまで本気にさせといて……今更待ったはなしだ」

固定された手を振りほどこうにも彼の力は強く、抗えずにいるうちにもう一方の手が肩にかけられる。
迫る距離に戸惑うなか、リーバルのくちばしが私の顔を挟むように大きく開かれた。
驚いて薄く開いた口に彼の大きな舌がねじ込まれたと気づいたときには、すでになかを蹂躙されていた。

私の腕を掴むリーバルの翼よりも温度の高い舌が、ぬるぬると口内を這いまわっては、歯列をなぞり、再び口内へ入り込んでくる。
私の舌を擦るようになぞられるたびに、彼の切なげな息遣いを感じるたびに、背中にぞくぞくとした感覚が這いあがり、体がとろけそうになる。

荒々しい口付けのはずなのに、決して嫌だとは感じない。
むしろ、この口付けにこそ、手や肩を掴む力強さにこそ、彼の本心が見え隠れしているように感じられて。
私のなかに重ねられた想いが、これまで以上に積み重ねられていく。

私の腕を掴んでいた彼の翼が私の手にそっと重ねられ、大きな親指が私の小さな親指に絡められる。
絡み合う指先は彼の指の腹に優しく撫でられているのに対し、肩を掴む手は力強く、かたちを確かめるように撫で回される。
これまでずっと抑え込めてきた感情が触れられるごとに溢れて、もっと触れてほしい、もっと求めてほしいと、恥を忘れるほど欲が芽生える。

だらりと垂らしていた手を恐るおそる彼の腰に回し、背中に添えた。
雨でしっとりと濡れそぼった羽毛が手にぴたりとはりついて、今自分とこうしているのが、ほかではないリーバルであることをより実感させる。

クムの秘湯の夜、夢で見た光景と重なる。

ずっとこうしたかった。

触れたかった。
優しく触れられたかった。
きつく抱きしめてほしかった。

大きな桜の木の下で、彼が私にキスをくれたこと。
あの夢と状況は違えど、こうしてやっと想いが通じあったのだ。

やっと唇が解放されたころ、二人の呼吸はすっかり荒くなっていた。
肩を上下させながら深く息をして整える。

リーバルは私の体から翼を退けると、自分の胸に片翼をあてて目をつむって深呼吸している。
呼吸を落ち着かせた彼は、最後に一息つくと、眉根を寄せて目を細めながらこちらに視線を送ってきた。
雨に濡れ色濃くなった紺の羽毛から覗く、陰りのある翡翠が、私を真っすぐに捉えている。
その目に応えるように、私も彼をじっと見つめ返す。

どくん、どくん。
心臓の鼓動が、痛いくらい耳に響いている。

彼は、いつまでも私から視線を外さない。
ごくりと、喉が鳴る。

胸元で重ね合わせた手にぎゅっと力を込める。

そして、心を決め、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「リーバル。私……あなたのことが、好きです」

私が告げた想いに、翡翠の真ん中を割く瞳がきゅっと細められ、目が大きく見開かれた。
クムの秘湯のときと同じく、食い入るように私を見つめてくる。

無言の状態が続き、気まずさに視線をさまよわせていると、ふっと彼が小さく笑った。
その声に顔を上げると、リーバルは額を手で押さえながら、口元を緩めていた。

そして、一つため息をこぼし、切なげに目尻を下げると、両の翼をかかげた。

「参ったね……降参だよ」

困ったような、優し気な声でそうつぶやき、観念したように笑みを浮かべている。
その表情に、やっと自分の想いが届いたと浮き足立つ私に、「ただし」と続く。

「当面は、二人だけの秘め事にしよう。冷やかしはまっぴらごめんだからね。
恋仲にあるなんて知れたらどうなることやら……想像しただけでうんざりするよ」

“恋仲”

彼のくちばしからさらりとこぼれた関係に、少しずつ現実味が湧いてくる。
それと同時に、まだ彼からは何も答えをもらっていないことに気づいた私は、期待を胸に彼の顔をのぞき込んだ。

「リーバルは、私のことが好きですか?」

リーバルは肩をびくりと震わせると、またもや額に片手を押し当てて小さくうめき、そのまま固まってしまった。

「リーバル……?」

私の呼びかけにふたたび、びくっと肩が跳ねる。
ちらりと翼の隙間からこちらを覗く、咎めるような翡翠に目を奪われているうちに、リーバルはすっと額から手を下ろし、素の表情に戻った。
かと思えば、何事もなかったかのように踵を返して来た道を戻り始める。

「あっ!逃げた!」

その言葉が気に入らなかったらしく、がばっとこちらを振り返ると、片眉を上げて抗議してきた。

「はあ?この僕が逃げるわけないだろ!
そろそろ寒くなってきたから馬宿に戻ろうと思っただけだ」

そう言い捨てると、ふんっとそっぽを向き、ふたたび踵を返してしまった。慌ててそのあとを追う。
もっともらしいことを言っているつもりだろうが、タイミングが不自然すぎるうえにあからさまに動揺している様子からもわざとだとしか思えず。
意地っ張りなところがかわいくて、ついつい私もいじわるで返してしまう。

「ごまかさないで。
ちゃんと返事を聞かせてくれないと、もうキスしてあげませんから」

半分冗談のつもりで、後ろ手を組みながらスタスタ歩く背中にそう投げつけると、早足に去りかけていた足がピタリと止まる。
急に立ち止まるもんだから一歩遅れて立ち止まった私の顔が彼の背中に埋まってしまう。

「ごめんなさ……」

ぶつけた鼻をさすりながら見上げると、リーバルはすっと腰を曲げて私の右肩に手を添え、頬にくちばしをすり寄せてきた。
不意に口付けられてどきりとするが、彼は呆気なく離れてしまう。

「まったく、強がりだねえ……。
本当はしてほしくてたまらないくせに」

離れぎわにそんなことを耳元でささやかれ、動けず呆然としたままの私にすっかり気を良くしたようで、あごを高く持ち上げてほくそ笑む。

「君に拒否権はないよ」

勝ち誇ったような顔でそう言い放つと、片翼を上げ颯爽と立ち去って行った。

「強がりはどっちよ……ばか……」

すっかり彼のペースにはめられ、肝心なことを聞きそびれてしまった。
けれど、今はそのもやもや感でさえも愛おしい。
これからのことを思うと、どろどろと積もっていたものが雨に溶け出して、洗い清められてゆくようで。

しばらくは、口付けられた頬を手で押さえたまま立ちすくみ、雨音をかき消さんばかりに高鳴る胸の音に耳を傾けていた。

(2021.4.19)

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