甘。夢主視点。
とある任務のあと、宿へと向かう一行。しかし、道中ウルボザが離脱することになり、急遽リーバルと二人きりで宿を取ることに。
しかし、入った宿屋の団体部屋はすでに満室で、シングル一部屋しか空いておらず……。
ハイラル城に一兵士としてお仕えするようになってしばらくしたころ。
厄災復活の兆しがまことしやかにささやかれ始めた。
初めこそ単なるうわさ話だとばかり思っていたが、やがて各地で魔物が数を増やしはじめ、城内でも陣立ての準備を言い渡されたことにより、それは現実味を帯びてきた。
リーバル様と出会ったのは、リトの村の代表として戦力に選ばれた彼が、神獣の繰り手としての任命を受けるため城を訪れた日だった。
その日非番だった私が城のバルコニーで城下の景色を眺めているところに、彼が現れた。
唐突に突風が巻き上がったかと思うと、突風に乗り崖下から一直線に舞い上がり、紺の翼を大きく広げて滑空してきたのだ。
猛禽類が獲物を掴むような優雅な姿勢で柵に足をついた彼は、すとんと身軽にバルコニーに降り立った。
城での暮らしが長く間近でリト族を目にしたことのなかった私は、目の前の状況にすっかり目を奪われてしまっていた。
羽毛をなで整えていた彼は、ふと私の存在に気づいてか怪訝そうな眼差しをこちらに送ってきた。
鋭い眼光にうっと息が詰まるが、今後任務でご一緒することになるかもしれない人だ。首を垂れる。
彼はしばし私をじっと見つめていたが、手を軽く掲げるとその場をあとにした。
「か、かっこいい……」
それ以来私は彼に想いを寄せながら、訓練に励んだ。いつか任務でご一緒できる日を夢見て。
そして、ついに側近として任務に同行させてもらえるまでになったのは、彼が英傑に抜擢されたころだった。
はじめこそ間近で彼の姿を拝める日々が嬉しかったが、談笑できるほど親しくもなければ、距離が縮まるようなこともない。
私はただの一兵士で、彼は英傑なのだ。立場を超えて声をかける勇気なんて、持ち合わせていない。
……このまま、遠くから見つめているだけで十分だ。
しかし、神の気まぐれか、半ば諦めかけていた私に、チャンスが巡ってきた。
とある日の任務を終えた後、翌日の任務に備え、リーバル様、ウルボザ様、そして私の三名で宿をとることになった。
こんな少人数で行動するなんてことは今までになく、私の緊張を見抜いてか、ウルボザ様は気さくに声をかけてくれた。
「アイ、あんたも遅くまでの任務で疲れただろう」
「お心遣いありがとうございます、ウルボザ様」
優しい微笑みに幾分か気がまぎれる私とは裏腹に、先導するリーバル様からは切り捨てるようなため息が漏れる。
「けど、この時間帯だとさすがに混んでるんじゃないの?今から宿を取れる可能性があるとすれば、ここからの最寄りだと宿場町くらいだったと思うけど」
「行ってみないことにはわからないけど……とにかく、早いとこ部屋を押さえないとだね」
先を急ごう、と歩を速めようとしたときだった。
私たちが来た方向から馬を走らせて別班の兵士がこちらに合流してきた。
「ゼルダ様よりウルボザ様宛の伝令です。明日はハイラル平原の討伐任務に同行されたし。これよりハイラル軍駐屯地に合流せよ……とのことです」
「今ごろ戻ってこいだなんて、御ひい様には困ったもんだ。もう半分も来ちまってるっていうのに」
口ではそうこぼしながらも、ウルボザ様は笑みを浮かべながら兵士が携えてきた馬にまたがっている。
ゼルダ様の命とあればどこにいても駆けつけるんだろう。
「そういうわけだ、お二人さん。私が抜けて少々心細いかもしれないけど、仲良くするんだよ」
「お、お疲れ様です……!」
応えるようにウィンクを投げかけてきたウルボザは、兵士と示し合わせるように頷くと、手綱を引いた。
二人が去るのを見送り振り返った私は、不機嫌をあらわにした顔にぎょっとした。
リーバル様は恨めしそうな眼差しを後方の街道にしばし向けていたが、苛立ったように舌打ちをすると踵を返した。
「やれやれ……姫は何を考えているんだか。ほら、僕らもさっさと行くよ」
「は、はいっ」
必要なこと以外にあまり語ることのない彼が一体何を考えているのかなんて、ほとんど口を聞いたことのない私にわかるはずもない。
今はただ、急くように先を急ぐ彼に黙ってついて行くことことしか……。
しかし、困惑する私の心情とは裏腹に、ハプニングはそれだけに留まらなかった。
「はあ?一部屋しか空いていない、だって?」
「申し訳ありません、お客様。団体向けのお部屋は満室でして……。あいにく今ご案内できるのは、シングルのお部屋のみでございます」
「……」
深くため息をつき頭を抱えるリーバル様は、しばしの沈黙のあと、不承不承といった様子で「わかった」と答えた。
「大変申し訳ございません。どうぞごゆっくりとお過ごしください」
部屋の鍵を受け取り、「こっちだ」とさっさと通路へ向かうリーバル様に遅れまいとついて行く。
扉を開け放ち、私を部屋に通した彼は、少し荒々しく扉を閉ざした。
「……ようやっと宿についたと思いきや、取れたのはこの一人部屋ってわけだ。だから前もって下っ端の兵士に宿の手配をさせておいたほうがいいってわざわざ進言したのに」
扉にもたれながら首をさするリーバル様に返す言葉が見つからず視線をさ迷わせていると、私の困惑を読み取ってか、彼は小首をかしげながら両手を掲げた。
「ま、とりあえずここは君が使いなよ。鍵はここに置いておく。それじゃ……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
私の呼び止める声に、リーバル様はドアノブにかけた手はそのままにこちらを振り向いた。
「何?」
気持ちばかりが先走って、考えなしに呼び止めてしまった自分に腹が立つ。
けど、ここで何か言わないとリーバル様は私に気を遣ってそのまま行ってしまうだろう。
探るような視線に心臓をかき乱されながらも、必死に思考を巡らせ、思いついた言葉を絞り出す。
「この部屋は、リーバル様がお使いください」
「……何だって?」
「私はたかだか下級の兵士です。ですからつまり、リーバル様がこちらをお使いになって、私がどこか別のところで休息を取るべきかと……」
ドアノブから手を離したリーバル様は、腕組みをしてドアに半身を預け、流し目でこちらを見た。
「確かに位は僕の方が上だ。けど、君をこんな暗い中外に放り出して、僕だけが宿に泊まるなんてことしてみろ。あとからウルボザに何て言われるか……」
「問題ありません。野宿なり、深夜営業をしている飲食店なりで一晩明かします」
「君は、兵士である前に女だろ。そこらをうろついてる連中のカモにされるのが目に見えてる」
「お、女とはいえ私だって訓練を受けた一兵士です。ゴロツキ相手なら一人でも……」
「駄目だ」
言いかけた言葉は、食い気味に切り捨てられた。
リーバル様はどこか苛立った様子だ。けれど、立場をわきまえもせず一人でここに泊まるなんて……。
ふと、折衷案を思いつく。このままどちらかの負担になるよりはいいかもしれない。
ぎゅっと目を閉じ、ためらいながらも、浮かんだ言葉を思いっ切って口にする。
「でしたら、失礼を承知で申し上げますが、その……私は同室でも構いません」
「……は?」
「ですからっ、私はリーバル様と相部屋でも構わないと、そう申し上げているんです。あくまでリーバル様が、それでも良いとおっしゃるなら、の話ですが……」
「……」
しどろもどろに提案を述べるが、返答が返ってこない。頭の回転が速いこのお方にしては至極めずらしいことだ。やはり失礼が過ぎただろうか。
あんまり黙り込んだままなので心配になってそろりと目を開け様子を伺うと、目を大きく見開いたまま固まっているリーバル様とばっちり目が合った。
もっとも、私と視線が絡み合った瞬間、取り乱した様子で顔を逸らされてしまったが。
まさか、そんな反応をされるとは思ってもみなかった。
冷静に自分の言葉を反芻してみて、とんでもないことを口走ってしまったことに、今さらながら羞恥で顔に熱が集中していく。
重い沈黙のあと、リーバル様はくちばしにこぶしを添えると、咳ばらいをした。
「……自分が何を言ってるのかわかってる?」
「は、はい……」
「いいや、少しもわかっちゃいないね。君は、もう少し警戒心を学ぶべきだ」
「す、すみません……」
理不尽な物言いの裏から彼の動揺が伝わってきて、恥ずかしいやら情けないやらで謝罪の言葉しか出てこない。
リーバル様はさらに何か発そうとしていたが、堪えるように言葉を飲み込むと、やれやれ、と吹っ切れたようにため息交じりにこぼし、ドアの鍵をかけた。
弓を壁際に立てかけ、手荷物を手近な椅子に乗せると、こちらに歩み寄ってくる。
つい引き留めてしまったが、本当にこれで良かったんだろうか。
私が無理に引き留めたばっかりに、かえって気を遣わせたかもしれない。
私の目の前に立ったリーバル様は、やはりどこか不機嫌そうだ。
何か言いたいことをぐっと堪えているような、そんな目をしているように見える。
「リーバル様……?」
じっと注がれる視線に耐え切れず顔を逸らすが、大きな指にあごをすくいあげられ、ふたたび視線を合わせられる。
「その顔だよ。誰にでもそういう顔をするから、隙を突かれるんだ」
そう言ったリーバル様の声は、静かながらもどこか苦しそうで。
真意を探ろうと見つめ返すが、その瞬間、あっと声を上げる間もなく身体がぐらついた。背中に柔らかな反動を受ける。
何事かと上を見上げて初めて、組み敷かれている状況に気づいた。
尖るように細められた、鮮烈な眼差し。吐息が吹きかかるほどの距離に、胸が激しく脈打つ。
「リーバル様、何を……っ!?」
押し返そうともがくが、圧倒的な力の差をまざまざと感じさせられる。
掴まれた腕が強い力で、ぎり、と締め付けられ、微かな痛みに眉を寄せる。
急な展開に、思考が追い付かない。
しかし、狼狽える言葉とは裏腹に、その先を期待してしまっている自分がいる。
「アイ……」
掠れた声。初めて名前を呼んでくれた。
たったそれだけのことがあまりに嬉しくて、目尻に涙が浮かぶ。
あともう少しで、彼のくちばしの先が、私の唇に触れる。そう思った矢先だった。
「くっ……ふふっ」
「え……?」
唐突な笑い声。恐るおそる目をひらくと、リーバル様は込み上げる笑いを堪えるように肩を震わせながら額を押さえた。
「か、からかったんですか!?」
「ごめんごめん。君があまりに真剣そうな顔なんてするから、ついやりすぎたよ」
リーバル様は笑い混じりにそう言って私の上から退くと、ベッドの脇に腰をかけた。
「これで、警戒心が足りないと言った僕の言葉の意味がよくわかっただろ?」
後ろ手を突きながら私の至らなさについて指摘を垂れるリーバル様に、警戒心が足りないのはあなたのほうだ、と奥歯を噛みしめる。
ベッドから即座に飛び降りると、重心をかけつつ、彼に馬乗りになる。
リーバル様は驚いた顔を見せつつも、どこか嬉しそうに目尻を下げた。
「……油断したな」
「申し上げたはずです。私も訓練を受けた一兵士だと」
頬の羽毛に手を伸ばし、毛流れに沿ってなでる。
その手を真似るように、私の頬に大きな人差し指が伸ばされた。
感触を楽しむようになでる手つきに対し、慈しむような優しい眼差しに、心がぎゅっと締め付けられる。
その指がするりと髪に差し込まれたかと思うと、ぐっと荒々しく後頭部を引き寄せられる。
「リーバル様……!」
たまらずくちばしの先に口付けると、興奮の入り交じった熱い息が顔に吹きかかり、唇を割って舌が入り込んできた。
生暖かくてぬめりを帯びた大きな舌が、口内を貪るように這い、私の舌にぐり、と擦りつけられる。
求めあうように絡めていた舌が離れると、そのあいだを伝うように糸が引いた。
彼は私の濡れた唇を親指で拭い、指先についたそれを舐めとった。
こちらの反応を伺うような挑発的な目つきに、下唇を噛みしめ、目を逸らす。
「しかし、まいったな……もう少し遠巻きに僕を見つめる君を独り占めしていたかったんだけど」
その言葉に、とっくに意識していたことがばれていたのかと余計に恥ずかしくなるが、気づいていながら弄んでいた事実に少しだけ腹が立ってくる。
「いつから、気づいてたんですか」
「さあ、いつだったかな。君がバルコニーで僕に見とれていたときからじゃない?あれは僕に恋した目だった」
それって、初対面のころじゃないか。そう言いかけて、口をつぐむ。
そんなに前から私のことを認識してくれていたのだ。
「それって、つまり……リーバル様も……?」
リーバル様は、しまったと小声でつぶやき、顔を背けた。
大きな翼で目を覆う様子に、照れ隠しかとつい口元が緩む。
指の隙間からこちらを覗く視線に気づいたときには、私の視界はふたたび反転していた。
「ふん、隙だらけだよ」
不敵に微笑む彼のスカーフが、ゆっくりと緩められる。
「リーバル様、その……心の準備が……」
胸を押し返し抵抗しようとするものの、呆気なく両手首を捕らえられ、頭上に固定される。
「そんな不安なんて、感じる余裕もなくなるさ。……すぐにね」
終わり
(2024.01.09)