ゼルダの生誕パーティーから一週間。ほかの三人は先にそれぞれの役目を終え、故郷へ帰ることになった。
別れの日、一年以上も四六時中一緒にいることが多かったせいか、長年一緒に暮らした家族と離れるように悲しくてわんわん泣く私に、リーバルが一言。
「シーカータワーでワープすればいつでも会えるじゃないか」
これにはさすがのみんなも大笑いした。
もっともなのだが、ガノン対策用の装置をプライベートな目的のために易々と使ってしまおうという厚かましさは、彼だからこそ冗談に聞こえるというものだ。
それに、国の意向でシーカータワーはふたたび厄災が復活したときに備え、風化を防ぐため近々地中に戻すことになっている。
そうなると、いよいよもって会う機会は少なくなってしまうだろう。
「次に会うときは、二人の結婚式のときになるんだろうねえ」
「それはまだ早い!」
「それはまだ早いです!」
ウルボザのからかい混じりなつぶやきにツッコミがかぶり、互いに見合わせた顔を瞬時に大きく反らせるのをまたおかしそうに笑われる。
こんなお約束の流れももうなくなってしまうのかと思うと、やっぱり寂しくて、楽しいはずなのにまた熱いものが込み上げた。
「アイさん、たまにはゾーラの里にも遊びに来てね。今度一緒に泳ごう」
「うん……!ミファーとは、またゆっくり恋の話がしたいな」
こっそり耳打ちすると、ミファーは顔を真っ赤にさせて慌てふためき、しーっと人差し指を立てた。
「絶対に誰にも言わないで」
多分みんな気づいてると思うけどなあ。ということはさすがに本人には黙っておこう。
わかってる、といたずらな笑みを浮かべてうなづくと、ミファーははにかみながらも微笑んだ。
何だったら私が嫁にもらいたいくらいこんなにかわいいのに、リンクは本当に罪深いと思う。
「あれだけ仲たがいしていたおめえさんらが、くっついちまうとは、世の中やっぱおもしれえぜ。
まあ、俺ははなっからそんな気はしてたがな」
しみじみとそう言いながら鼻の下を人差し指で擦るダルケルに、リーバルは、はあ?とうんざりしたように腕組みをした。
「……どうしてそう思うんだい?」
「おめえら、顔合わせが終わったあたりからさっそく互いを意識してたじゃねえか。自覚はないみてえだったけどよ。
やっと本格的に意識しだしたかと思えば、リーバルはわっかりやすいくらいアイをいびりだすし……。
あれじゃアイが好きだと大声で喚き散らしてるのと一緒だぜ。まったく、若えモンは甘酸っぺえなあ!」
ダルケルの目には私たちの様子がそんな風に映っていたのかと思うと、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
彼にしてみれば、リーバルのあの言動は好きな女の子をいじめる男の子くらいに見えていたということだろう。
ダルケルの言葉をポカンとして聞いていたリーバルはだんだんと表情が険しくなってゆき、しまいにはぎゃあぎゃあと毛を逆立てて騒ぎ出した。
「なっ……何をどう見てたらそう思えるんだい!
あんたのその青チュチュみたいな目、実はまったく機能してないんじゃないの!?」
何だったら知能までチュチュ並みなんじゃないの!?と淀みなく罵倒を繰り返す彼に、ウルボザがゲラゲラ大声を上げてお腹をよじる。
咳き込みながら何とか笑いを収め涙を拭ったウルボザは、腰に手をあてると満足そうに笑みを浮かべた。
「いやあ、ダルケルも何だかんだでちゃんと見てたもんだ!
二人の様子を見守りたくて私も途中までは我慢してたけどさ。秘湯で後押ししといたのが少しは効いたかねえ?」
にやりと意味ありげな視線を私に注ぐウルボザに、左右にぶんぶんと首を振る。
ダルケルに掴みかかりながらも、怪訝な様子で私をうかがっていたらしいリーバルは、私と目が合うと顔を真っ赤にしながらプイッとそっぽを向いた。
そんな態度はむしろ大きく頷いているようなものだと気づけない不器用さがリーバルらしい。
そんなだからダルケルにわかりやすいだなんてからかわれてしまうのだ。
リーバルから当時の真意を聞いた今となっては彼なりに考えてのことだったとわかるが、それを知っているのは私だけだ。
それを知る以前の彼の言動の数々は、私の一方的な片想いだとしか思えないほど淡々として素っ気なく、彼の演技にまんまと騙されていたんだと思う。
たまに優しい言葉をかけてくれたこともあったけれど、そこに私への恋心をにじませるようなワードは含まれていなかったとしか思えない。
なのに、まさか二人は彼の気持ちを早い段階で見破っていたなんて……。
キスも告白も私からだったし、ずっと気持ちを押し付けてるもんだとばかり思っていた。
私もいずれ彼らくらいの歳になって、このときのことを思い出したときに、やっとわかる日が来るのかな。
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あれから二週間。私たちはついに城でのお役目を解かれることとなった。
最終日、荷物をまとめて一年過ごした部屋をあとにした私たちは、城下の門扉まで見送りに来てくれたゼルダとリンクと挨拶を交わす。
はあ……と少し寂しげにため息をつくゼルダ。彼女の想いは、きっと今の私と同じだろう。
去る寂しさはあるけれど、残る側は、きっともっと寂しい。それだけ、ハイラル城にはこの一年の思い出がたくさん詰まっているのだから。
「お二人とも、お役目ご苦労様でした。
結局お二人には最後の雑用に至るまで手伝わせてしまいましたね。
予定より長く縛ってしまい申し訳ありませんでした」
「まったくだよ。こんなに長引くなら外壁の補修にあたっといたほうが良かったかな」
麻袋のひもを肩にかけ直しながらそうぽつりとつぶやいたリーバルは、はっとリンクを見やる。
リンクはきょとんとしていたが、ふとぎこちない笑みを浮かべた。
見ようによっては嫌味な笑いに見えなくもないそれに、リーバルは小汚いものでも見るように顔を歪め、ばっとあさっての方向を向く。
相変わらず仲が改善されない二人にゼルダと顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「まあまあ。リーバルがあれだけ力を尽くしてくれたおかげで、疎開から戻ってきた使用人の皆さんもすぐに仕事が再開できると喜んでいたことですし」
そうなだめると、彼は目をぱちくりとさせ、まんざらでもなさそうにふん、と小さく笑った。
「お二人はこれからしばらくはプルアと記憶の研究をするのですよね。唐突なお約束でしたが本当に良いのですか?」
深くうなずいてみせる。
思いがけず願い出ることにはなったが、私としては結果がどうあれ試せることは試したい。
「記憶が取り戻せなくても不便ではないですが、やっぱり気になる思いはあるので、プルアにとってもためになるのでしたらぜひにとは考えています」
「僕もちょっと気になることがあるってのは事実だよ。まあ、正直面倒なことにはなるんだろうけど」
含みのある言い方が引っかかるが、リーバルはおそらく私の記憶の研究とは別に何か気になることがあるのだろう。
それが何なのかは、彼の口からはっきり語られずとも少しだけ心当たりがある。
「記憶の研究には、私も心惹かれるものがあるのです。
公務の合間に研究所にうかがうことがあるやもしれませんので、顔合わせする機会は今後もありそうですね」
「ゼルダ様が来てくださるのであれば心強いです」
ゼルダは目を伏せると、少し頬を染めながらぼそぼそと小声でこう言った。
「アイ……私のことは、ゼルダ、と呼んでください」
きゅっとドレスの裾を掴む手に、言葉に言い表せないほどの喜びが湧き上がる。
彼女の手をそっと取ると、私は感極まってぎゅっと目を閉じ、おもむろに彼女を見つめた。
「……はい、ゼルダ」
ゼルダはぱっと花のように表情を明るくし、ふわりと微笑んだ。
「たまには訪ねてきてくださいね。そのときはゆっくりとお茶会をしましょう。ぜひリーバルもご一緒に」
「茶会ねえ……ま、たまになら付き合ってあげてもいいかな」
てっきり面倒くさそうにあしらうと思っていたけれど、リーバルは意外にもそう応じた。
何かに想いを馳せるように伏せられた目からは、彼なりに思うところがあるように感じ取れ、胸がきゅっと締まる。
「……いくら引き留めていても仕方がないですね。
では、また……」
「お二人も、どうかお元気で。インパにもよろしくお伝えくださいね!」
「ええ、必ず」
「……それじゃ」
あいさつもそこそこにさっさと踵を返して歩き始めたリーバルを慌てて追い、振り返りながら二人に手を振る。
二人とも手を振り返してくれるのが嬉しくて、ぶんぶんと大きく手を振っていると、突然側頭部を硬いものにぶつけ、慌てて立ち止まる。
痛むか所をさすりながら見上げると、前を歩いていたはずのリーバルが背を向けて立ち止まっていた。
ふるふる震える肩に、どうしたのかと顔をのぞき込もうとしたとき、リーバルはばっと振り返った。
「リンク!!」
彼は固く目を閉じこぶしを固めると、キッと目を見開き、オオワシの弓をかかげた。
「次に会うときこそ、必ず決着をつけよう!」
リンクはぽかんと口を開けていたが、ふっと顔を緩めると、腰に携えた剣を抜き、天にかざした。
リーバルはその光景を目に焼き付けるようにじっと見つめていたが、すっと目を閉じてオオワシの弓を収めると、今度こそ城下への道を歩き始めた。
まだ剣をかかげたままのリンクと、かたわらで目元を拭うゼルダの姿を目に焼き付けたいのに、視界がぼやけるせいで思うようにいかない。
ごしごしと目を擦り、彼のかたわらに並ぶ。
「ちょっと寂しくなりますね……」
「……ああ」
掠れた声にふととなりを見上げた私は、思わず息を飲んだ。
満足そうに笑うその目に、うっすらと涙が浮かんでいたから。
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リーバルは、リト村へは帰らず、プルアの研究が終わるまでのあいだひとまず私の家で暮らすことになった。
村には手紙で帰還が遅れることを伝えるとのことで、家に着くなりさっそく筆を取った。
やっぱりマメだな……と筆を走らせる彼の前に紅茶の入ったカップを置きながら顔がほころぶ。
手紙を書き終え、封を閉じたリーバルは、封筒をかたわらに寄せ、紅茶に口をつけながら唐突に切り出した。
「君がいた世界ってさ……ここよりも便利な世の中だったんだろ?帰りたいとは思わないのかい」
伏し目がちな目から意図を汲み取るのは難しい。
確かに、生活するには便利な世の中だったと思う。
火をおこさなくても照明やコンロがすぐに使えるし、熱さや寒さもスイッチ一つでしのげる。
狩りや加工などぜすとも安価で簡単に食材が手に入り、魔物に怯えなくても道を歩ける。
快適なだけじゃなく、娯楽もたくさんあった。
そんな世界から来た私にとって、ハイラルでの生活は確かに不便で、娯楽にも欠ける。
だけど、私はそれでも毎日楽しいと思っている。この世界にだって、未知のものはたくさんあるからだ。
それだけじゃない。この世界の人々の温かさは、私の故郷とは比べ物にならないほどのものだ。
確かにつらいこともたくさんあるけれど、それが過ぎたときに、それも含めていい思い出だと思える自分がいる。
ここは、今まで体験したことのない豊かな気持ちをくれた、かけがえのない世界だ。
「……まったく思いません」
深く考えこんだあと、きっぱりとそう告げた。
結構真面目に答えたつもりだったが、リーバルはその翡翠をまん丸に見開くと、ごくりと喉を鳴らし、突然噴き出した。
カップをごとりと置き腹を抱えて笑うものだから、何がそんなにおかしいのかとにらめば、彼は目尻を指で拭いながら、胸を押さえて呼吸を整えた。
「君もあっさり言うねえ!まったく、危うく紅茶を台無しにするところだったじゃないか」
「何がおかしいんですか。私は思ったことを言ったまでです!」
すねてそう言えば、リーバルは悪びれもせず、ごめんごめん、と微笑んだ。
「でも、そうか。君は、ハイラルをよほど気に入ってるんだね。
……それなら好都合だ」
そう言ったきりふたたび紅茶に口を付け始めた彼に、呆気にとられる。
……え?それだけ?
「どういう意味ですか?」
わけがわからず怪訝な目で見つめれば、リーバルは目を閉じ、湯気を吹き飛ばしながらささやいた。
「別に。未練はないのかと思っただけさ」
「いや、そうじゃなくて、さっきの、好都合って何のことですか?」
「何でもない」
「ええ~気になるじゃないですか!」
あんまり気になって意地になって食い下がると、リーバルはガン!とカップをテーブルに置いた。
派手に置いたものだから紅茶が少し飛び散っている。
「だから、何でもないって言ってるだろ!」
「……ケチ!意気地なし!」
声を荒げられたことについムキになり罵倒を浴びせると、リーバルは顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。
驚いて見上げる私をテーブルに両翼をつきながら食い入るように見下ろし、必死の形相でこうぶつけてきた。
「君と夫婦になりたいだなんて思っててもこのタイミングで言うことじゃないからに決まってるだろ!少しは察しなよ!!」
あまりの剣幕に、彼の言葉を咀嚼するのにとても時間がかかった。
え……めおとって……何?
めおと……めおと……。
混乱する頭で”めおと”の意味を模索し、ようやく理解した私は、急激に高鳴り始めた鼓動とともに椅子からがばっと立ち上がった。
立ち上がった拍子に椅子が後ろに倒れる。
「ええっ!!」
みんなにからかわれるたびに”まだ”などと保留にしていたから、”いつか”を考えてくれていることは薄々期待していた。
私も実現したらいいなと思ってはいた。
けれど、まさかもう本気でそこまで考えてくれているとまでは及ばす。
「やれやれ……いつもいつも調子を狂わされてばかりだな……」
赤くなった顔を隠すように額を覆うリーバルは、深くため息をつくと、疲れたように椅子に座り直した。
平静を装うように咳払いし、何事もなかったかのように取り澄ました顔を繕ってはいるが、眉根の寄るその目はまだ揺らいでいる。
「……これで満足かい、アイ?」
台にこぼれた紅茶を布巾で拭き取りながらこちらを見た彼に、言葉が見つからずこくこくとうなずくと、倒れた椅子をそっと起こし、ストンと椅子に腰を落とした。
嬉しすぎて、まだ実感が湧いてこない。
ちょっと苦いな、とつぎ足した砂糖をスプーンで掻きまわしているリーバルに、ごくりと固唾を飲むと、乾く喉に紅茶を少しだけ流し、思い切って口を開いた。
「私で良ければ、ぜひ……」
口につけようとしたカップを離したリーバルは、安心したように笑みを浮かべると、目を閉じ、しみじみとこうつぶやいた。
「何言ってるんだい。君しか考えられないよ」
「天翔ける」(完)
(2021.5.18)