リーバルと二人で敵の目をかいくぐりつつ、みんなが向かっていった方向へと急いだ。
包帯で固定しているとはいえ傷口がうずきうまく走れない私に、リーバルは相変わらずツンツンした物言いで嫌味を垂れはするものの、歩調を合わせて歩きながら、何度も立ち止まっては、気遣うようにこちらを振り返っていた。
リーバルにどうやってみんなの跡をたどっているのかたずねると、草が踏み倒された跡と風を頼りに進んでいると返された。
右へ左へ不規則に折れ曲がっていく道順に、本当に大丈夫だろうかと心配になるが、彼の勘はどうやらかなり鋭いらしく、突然霧が晴れたかと思うと、そこにははぐれていたはずのみんなの姿があった。
「リーバル!アイ!」
ウルボザが私たちに気づき声を上げると、ダルケルとミファーも顔を上げ、こちらを向いた。
三人との合流が叶いほっとする私のかたわらで、リーバルは血相を変えて駆け寄ってくる様子に目を細める。
「それが……突然霧が濃くなって、気づいたらみんなとはぐれてしまって……」
真剣な様子で事情を説明するミファーに同調し、ほかの二人もうなずく。
「私らもたった今合流したばかりなんだ」
「二人とも無事で良かったぜ」
私たちを取り囲み安堵した様子を見せる三人に、リーバルはくすぐったそうに目を伏せると、ふと周囲を見渡した。
「……姫とあいつは?」
「おそらく、先に森の奥へ向かってるはずさ。私らも急ごう」
ウルボザの言葉に顔を見合わせてうなずくと、森の奥へと急ごうとするが、足に激痛が走った私は耐えきれずうずくまってしまう。
「うっ……」
先ほどから足の痛みが増しているとは思っていたが、かがんでスカートをめくると、包帯に血がにじんでいた。
「何だい、けがしてるじゃないか!」
「うお!大丈夫かあ?」
ウルボザとダルケルがかがんでのぞき込んでくるので、慌てて手で制し、先へ促す。
「私のことは気にしないで、皆さんお先に……!」
「ミファー、頼めるかい?」
かたわらにかがんで傷口を見ていたリーバルは、私の言葉をさえぎるようにして、後ろに控えていたミファーに声をかける。
ダルケルとウルボザのあいだからおずおずと近づいてきたミファーは、こくりとうなずくと、私の両ひざに手をかざした。
ミファーの手から淡い光が放たれ、私のひざを覆う。
あたたかな日差しのような心地良い温もりに包まれ、少しずつ痛みが引いていく。
光が収束していくとすっかり痛みは消え去り、傷口が完全にふさがった綺麗なひざが現れた。
「すごい……!ミファーは手をかざすだけで治癒できるんだね」
感心する私にミファーは朗らかな笑みを浮かべる。
「大けがじゃなくて、本当に良かった」
大けがではないにせよ、いい歳して木の根に足を取られてド派手に転んだと知られればきっと笑われるだろう。
もっとも、一番知られたくない人物にはすでに知られているが。
「そもそも合流が遅れたのも、この子が転んだことが原因なんだよね」
私の想定通り、リーバルはつっけんどんにそう言い放ち、私をじろりと横目に見てくる。
「すみませんね、戦力外なうえに運動音痴で……」
そのとき。
森の奥から強い光が放たれ辺り一面が真っ白に輝いた。
私たちはばっと森の奥に目を見張る。
「この光は、まさか……!」
リーバルの言葉に、私たちは森の奥へと急ぐ。
大樹がそびえる開けた場所に出ると、刀身が光る剣を手にしたリンクと、その背後で身を竦めるゼルダを見つけた。
「御ひい様!リンク!」
ウルボザの呼びかけにゼルダと白いガーディアンはこちらを振り向いた。
ゼルダは焦燥に満ちた表情に安堵を浮かべ顔をほころばせる。
「ウルボザ……!みんな……!」
リンクは一目視線を寄越したものの、対峙する闇色のフードをまとった長身の男を見据えたまま剣を向けている。
男は私たちの到着に顔を引きつらせるが、私と目が合うとその顔を不気味に歪めた。
「見つけたぞ……楽士アイ……!」
男は手にした天球儀をかかげると、暗色の織り混ざるおどろおどろしいモノを放出させた。
炎のようにくゆる紫色のもやを立ち昇らせるそれは、地面を這うようにうねっていたが、どろどろと五つの柱のように伸びてゆき、やがて、人のかたちを形成し始めた。
シルエットのみだが、姿かたちが明らかにリンクと四神獣の繰り手たちそのもの。
繰り手たちは自分と瓜二つのその幻影に驚きを隠せない様子で声を上げた。
「……僕らの姿を真似ようなんて、なかなかセンスがあるね。けど、所詮はまがい物だ。
姿を似せたところで本物は越えられやしないってこと、証明してあげるまでだよ!」
リーバルは余裕綽々にそう言い切るものの、その笑みは引きつって見える。
「……殺れ」
男が合図すると、幻影たちは攻撃を開始した。
それぞれが自分と同じ様相の幻影と対峙し、苦戦を強いられているなか、私はゼルダとガーディアンの元へと駆けた。
「ゼルダ様!」
「アイ……!」
戸惑う彼女の腕を掴み、自分の後ろへと隠しながら、腰のトラヴェルソに手をかける。
ガーディアンが私の名を呼ぶように機械音を発した。
それに応えるように笑みを向けると、首を上向かせるほど上背のある男の青白い顔をにらみ据える。
男は黒に縁どられた目を細めると、くくく、とほくそ笑んだ。
「もうその姫に用はない。
楽士アイ……私はお前のその力に興味があるのだ」
その妖艶な笑みにゾク……と悪寒が走る。
即座にトラヴェルソに手をかけ構えた私の手首を、男の手がぎり、と掴み上げる。
「く……っ!」
強い力で捻りあげられ、トラヴェルソが手から落ちた。
カランカラン……とむなしく転がる器体。
「何をするのですか!アイから手を離しなさい!……ああっ!!」
ゼルダは男の腕を掴んで引きはがそうとするがするが、軽々と振り払われ、地面に叩きつけられる。
「ゼルダ様!!」
痛みにうめくゼルダを案じている隙にぐいっと手を引かれ、男の胸に引き寄せられてしまった。
「いやっ!放して……!」
胸をどんどん叩くが、その手も強引に掴み上げられ、痛みに顔を歪める。
城下町を襲った双剣使いの大男ほどではないが、かなり上背があるぶん男の指は長く、私の手首を易々と片手で掴めるほど力が強い。
体つきは華奢に見えるのに、どこからそんな力が湧き出るのか。
男は腰をかがめて鼻先に顔を近づけると、私の顔の横で天球儀を示した。
何をされるかわからない恐怖で、顔が震え、頬を汗が伝う。
星座のような模様が天球儀の周囲を巡るのに目を見張っていると、天球儀の中心部がリンクと繰り手たちの幻影を出したときと同じぼんやりとしたまがまがしい光を放ち、ヴィジョンを映し出した。
闇に飲まれ荒廃したハイラル城。
咆哮を上げる大きな獣の影。
傷だらけで倒れ伏すリンクと、そのとなりで大粒の涙を流すゼルダ。
四神獣の繰り手たちの無残な姿。
そのなかに、翼が折られ、血の色に染まる紺色の羽を散らし、輝きを失った翡翠の目を虚ろに開いたまま横たわるリーバルの姿が映し出され、私は愕然とした。
「いや……いや……やめて……!!」
目をぎゅっと閉じて懇願するように首を振る。
男がくく、と愉快そうに笑うと、映し出されたヴィジョンは消えた。
男は私の耳元に顔を近づけると、低く、ねっとりとささやく。
「いずれ訪れるであろう未来だ」
私はかっと目を開け、横目ににらむ。
「そうはならない……!
彼らは、あなたが考えているよりずっと強いんだから!」
虚勢を張って不敵に笑みを浮かべながらそう告げるが、男は私の弱みを簡単に突いてくる。
「戯言を。では……手始めにあのリト族の男から手にかけてやる」
「そ、そんな……!」
「そうはさせないよ!」
絶望に染まりかけた私の心に、頭上から澄んだ声が響いた。
「リーバル……!」
息を切らしたリーバルが、フードの男に向けた弓を構えたまま、木の上で静止している。
ほかのみんなも自分の幻影を打ち倒し、私たちを囲うように武器を構えている。
「聞き間違いじゃなければ、あんたが僕を殺めるって聞こえたんだけど……気のせいだよね。
直接手を下そうともせず、僕とちょっと似ていなくもない僕より劣る幻影に戦わせといて、どうやってとどめをさすっていうんだい?」
呼吸を整えたリーバルは弓を構える手はそのままに立ち上がると、口角を上げた。
「減らず口め……」
フードの男はリーバルをにらみ上げると、私の腕を捕らえた手に力を込めた。
ひとまとめに縫い留められているせいで手首同士がぎりぎりと擦れ、痛みに悲鳴を上げる。
「……そろそろその子を返してくれないかな。一応僕らの仲間なんでね」
リーバルの声に怒気が含まれているように感じ、彼を見上げると、いつも通り眉間にしわを寄せた顔に、どこか焦燥感がにじんで見える。
男はリーバルから目を周囲に向け、取り囲まれている状況を再確認した。
「く……っ、おのれ……!!」
くぐもった声で恨めしそうにそうつぶやき、歯を食いしばっている。
しかし、それもつかの間、ふっ……と口角を上げると、私の耳に触れそうな距離に唇を寄せてきた。
男の熱い吐息が耳の表面をなぞり、ぞわっと首筋が粟立つ。
みんなが「ああっ」と声を上げているのが聞こえたが、私は目の前の状況を捕らえるのに必死で。
男がささやいた言葉に、大きく目を見開いた。
“お前の大切なものを失いたくなければ、我が元へ来い”
リーバルが放った矢は、もやを捉えたはしたが、男の脳天を貫くことはなく、すり抜けて草の上に転がった。
男は天球儀が放つ光に飲まれ、姿をくらませた。
あとには、木の葉の隙間から夕陽が差し込む元の森の姿と、肩で息をするリンクと繰り手たち。
そして、後ろから私を抱きすくめ目に涙を浮かべるゼルダと、そんな彼女を肩越しに振り返り照れ笑いを浮かべる私。
「アイ……アイ……!良かった……もうだめかと思いました」
ゼルダの手をそっと引き離すと、彼女を振り返り、私はそのか細い体をぎゅっと力いっぱい抱き締めた。
「アイ……」
自分の無力さを、思い知らされた。
みんな長年の鍛錬を経てその強さを手に入れたのに対し、私の得た力なんて、所詮たまたま得ただけのものだ。
いざというときに何の役にも立てず、何がヒーラーだ。何が楽士だ。
「私は、役立たずです……」
ゼルダの背中をぎゅっと掴み、涙をこぼす。
彼女は私の震える背中にそっと手を添えると、あやすようにトン、トン……と優しくたたいてくれた。
「そんなことはありません。
アイは身を挺して私を守ろうとしてくれました。
役立たずなのは、私のほうです……」
「私が」「いいえ、私のほうが」と二人で言い合っている私たちの頭上に濃い影が降りた。
突如、強い力でぎゅむ!と体が圧迫され、ぐっと声が漏れる。
「二人とも無事だな!?」
耳が割れそうなほどの大きな声に見上げると、眉を下げたダルケルと目が合った。
ダルケルはその巨体に似合わずつぶらな瞳を潤ませ、口を震わせている。
武器を収めたみんながぞろぞろダルケルの周りに集まってきた。
リンクは私たちの無事を確認するとほっとしたように微かな笑みを浮かべたが、その顔を曇らせ、顔を背けた。
自分の幻影と戦っていたとはいえ、彼女の窮地に盾になれなかったことを悔いているのだろう。
無口で口数は少ないが、生真面目で優しい青年だ。
「ダルケル、いい加減放してやんな。御ひい様とアイがつぶれちまうよ」
ウルボザは腰に手をあて困ったようにそう言うが、片手を口に添えクスッと笑っている。
「姫様、お顔が擦りむけてる。手当てしないと……」
クスクスと笑っていたミファーは、ふとゼルダの顔を見るとそう言った。
ドサッと音が聞こえてダルケルの腕の隙間からのぞくと、地面に降り立ったリーバルとばっちり目が合う。
彼は何か言いたげに口を薄く開いたが、反らした目を追うように顔も横向かせ、片手を腰にあてた。
むすっとした横顔に心のなかで「ありがとう」とつぶやく。
「しかし、あの者はなぜ、アイを狙ったのでしょう……」
ゼルダの疑問は、私自身不思議に思っていたことだ。
ハイラル王国の姫君かつ厄災ガノンを封じる力を秘めるゼルダが狙われるのはわかる。
けれど、重要人物である彼女を差し置いて、少し魔法じみた技が使える程度の私が狙われたのはなぜだろう。
「あの者の言動……私たちの及びもつかぬところで、さらなる謀略を企てているのかもしれませんね……」
今回は退いたが、今後もまたあの男が何か仕掛けてきたら……。
私のなかにとぐろを巻き始めた疑念と不安感を取りさらうように、ざああ……と森の木々がざわついた。
薄桃色の花吹雪が舞い散り、私たちの頭や体に降り注ぐ。
ゼルダとリンク、そしてガーディアンが退魔の剣の台座に並び、森のなかで一際大きな桜の大樹を見上げている。
四神獣の繰り手と私は、少し離れたところで二人と大樹ーーデクの樹ーーの会話を見守っていた。
静かに呼吸し鎮まっているデクの樹に、ゼルダが声をかける。
「デクの樹様……!」
ゼルダの声に、無数のコログたちが、手にした双葉をくるくるとプロペラのように回し、たゆたいながら降りてきた。
ある者は森の奥から現れ、私たちのそばをてくてくと通り過ぎては、デクの樹の周りに集まってゆく。
「大事ない……」
デクの樹の言葉に、ゼルダはほっと胸をなでおろしている。
リンクの携える剣を見つめながら、口髭のように流れる幹のあいだの大きな口を開き、のんびりと続ける。
「……その剣こそ、厄災討伐の要たる退魔の剣。
主は今、剣に選ばれ、厄災を打ち倒す力を得た……」
リンクは手にした剣を持ち上げ、じっと見つめた。
傾けた刀身が、陽の光を受けて煌めいている。
ゼルダはリンクから目を背け、不安げに自身の手を見つめている。
「……ハイラルの姫巫女よ」
ゼルダは、そっと顔を上げる。
その憂いを汲み取ったデクの樹は、木の葉のささやきのように静かな言葉を紡ぐ。
「焦らずとも良い……。いずれ道は開けよう」
「……はい」
ゼルダはもう一度目を落とすと、力なく広げた手をぐっと握りしめる。
デクの樹は、顔の上半分に横たえる幹を眉のように上げると、ふうむとつぶやいた。
「何やら、懐かしいような、不思議な力を感じる……」
ざあっと突風が吹き抜けたとき、私の腰のトラヴェルソが光り始めた。
繰り手たちが驚き見つめるなか、トラヴェルソを取り出す。
先ほど落として角が擦れてしまった器体は、淡い薄黄色の光を発し幾度か瞬いていたが、ふわりと光を収めると元の姿に戻った。
「これは……!」
トラヴェルソを示すと、デクの樹は低くうなり、そっとささめく。
「おぬしはまだすべての力を引き出せていないようじゃの……。
案ずることはない……草木も時をかけて芽吹くものじゃ。
その身に秘めたる力も、やがて花開くじゃろう……」
その言葉が、手折られたばかりの私の心に深く刺さり、じんわりと染み込んでいった。
「……すまぬが、儂はしばし眠らねばならぬようだ。
今の主らならば、いかなる運命にも打ち克てよう……」
時間はないとわかってはいる。けれど、焦ったってどうしようもないんだ。
一つひとつ、積み重ねていこう。自然と、そう思うことができた。
「ハイラルの新たな未来を……」
(2021.4.12)