「アイ様!!」
突然開け放たれた部屋の扉に、アコーディオンの蛇腹を引いていた手を緩め、驚いて顔を上げる。
「インパ!戻っていたのですか」
「はっ……私としたことがノックもせず申し訳ありません!
……そんなことよりアイ様!!」
インパは、きっとした顔を、一瞬緩ませて急に飛び込んできたことを詫びたが、すぐに顔を引き締めるとずんずんと部屋のなかに踏み込んできて、私の肩を強くつかんだ。
座っていた椅子の足がぐらついて、勢いで落としそうになったアコーディオンをしっかりと抱え直す。
「ど、どうし……」
帰還早々すごい剣幕に何事かと内心うろたえていると、彼女はかぶせてこう言った。
「リーバル殿と一体何があったというのです!?」
“リーバル”
この数日思い出さないようにしてきた名前に、気持ちが沈んでいく。
私は、あのガゼボでの一件以来、今日までなるべく部屋から出ないようにして過ごしていた。
ゼルダがゲルド砂漠に赴いており不在のため必然的に任務もなく、時折淡々と部屋の清掃と食事の手配をしてくれる侍女と簡単なやり取りをするのみで、それ以外はずっと楽器の練習と能力の研究に没頭した。
気持ちが落ち着いてきたころに神獣の繰り手たちが今どうしているのか侍女にたずねると、侍女は気遣わしげに微笑んだ。
「繰り手の皆様は、現在各地にて神獣操作の鍛錬に励んでおられます。
皆様、アイ様のご様子をずいぶん気にかけておられましたよ」
その”皆様”におそらく彼は含まれていないだろうが、去り際の一瞬しか言葉を交わしていない私のことを心配してくれるなんて、何て良い人たちなんだろう。
みんなが城に帰還したら、ちゃんと謝らなくちゃ……。
自分にも落ち度がある以上は、彼にも……リーバルにも。
「アイ様!」
インパたちが不在中のできごとを思い返していた私は、インパの大きな声に我に返る。
「すみません!ぼーっとして……。えーっと、何でしたっけ?」
苦笑を浮かべて頬をかく私に、インパは深くため息をつくと、座っている私の足元にひざまづいた。
「ですから、リーバル殿といったい何があったのかと申しているのです!
彼に何を言われたのですか!?」
「いやあ……その、ご想像のとおりというか、彼の言いそうなこと、ですかね」
「はあ……はぐらかさないでくださいよ……」
インパのさっぱりとしてかつ親身な性格は出会ってすぐから大好きになったが、彼女は少々心配しすぎるきらいがある。
あの件のあらましを伝えようものなら、私の肩を持ってリーバルに説教を垂れることは間違いないだろうし、プライドの高い彼は必ず機嫌を損ねてしまうだろう。これ以上角を立てたくない。
……もっとも、もう取り返しのつかないところまできているかもしれないが。
冷静になった今、自分がしでかしたことの大きさに気づき、ため息がもれそうになるのを押し殺しながら、ぎこちなく笑みを向けた。
「いいんです、インパ。
私も今回ばかりは言い返してしまいましたし、手を上げた時点で私の方が悪いですから」
ちょっと口を滑らせすぎたかもしれない。
手を上げただなんて、人によってはよほどのことだと思われかねないからだ。
彼の言動がいかに辛辣だったかばらしているようなものだ。
だが、彼女は私のうかつな発言の背景には気づかず、少し興奮気味に立ち上がった。
その顔がなぜかちょっとうれしそうなのが気になる。
「ええっ、もしや平手打ちですか!
アイ様が!あの、傲慢ちき……いえ、リト族一の戦士に!!」
侮辱的な単語が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにしよう。
彼女は飛行訓練場で私が言われっぱなしだったのが歯がゆかったのだろう。
まあ、あのときは私も内心焼き鳥にしてやりたいだなどと考えたこともあったので、悪口が止まらないインパを責めるつもりは毛頭ないが、すがすがしいまでの笑みを浮かべる彼女に、リーバルに対して少しだけ同情心が湧く。
「よくやりましたね、アイ様!
あの天狗っ鼻はいつかへし折ってやらねばと画策していたんですよ!
穏やかなアイ様が、まさかそこまでの勇気を示してくださるとは……」
むごたらしい内容が聞こえてきそうな予感がしたため、何を企てているのかはあえて聞かないことにする。
なおもぶつぶつと続けるインパに困ってただ笑みを浮かべていると、いつの間にか扉の手前で待機していた侍女と目が合い、こほんと咳払いをされた。
いつも身の回りの世話をしてくれる方だ。
気まずそうに手で口元を隠しながら「今のは内密に」と釘を刺すインパに、侍女は「もちろんでございます」と苦笑いを浮かべた。
「どうなさったんですか?」
用件をたずねると、侍女ははっとしたように表情を引き締めた。
「ゼルダ様より伝令です。神獣の繰り手の皆様が庭園におそろいになりました。
お二方にも集まるように、とのことです」
「わかりました、ご報告感謝します。アイ様、行きましょう!」
心の準備ができないまま再会するときが訪れ、私の鼓動が急速に早くなる。
インパについて城の中庭に出ると、久しく浴びていなかった光が目に突き刺さり、手のひらで陽光を遮る。
部屋にいるときも空気の入れ替えくらいはしていたが、長らく部屋にこもっていた感覚だ。
目をこらすと、ガゼボにはすでにゼルダをはじめとする面々がそろっているのがわかり、緊張で体が震える。
「アイ!」
ゼルダ様は私の姿を見つけると、駆け寄ってきた。
彼女の金の髪からふわりと甘い香りが漂い、たった数日会っていないだけなのに懐かしく感じ、たまらなく安心してしまう。
「皆から大まかに話は聞いています。もう大丈夫なのですか?」
「ゼルダ様、帰還早々ご心配をおかけしてしまいました……。
初対面にもかかわらず、皆さんにまで大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません!」
ゼルダだけでなくこちらを向く全員を見渡し、私は頭を下げた。
みんな困惑したように顔を見合わせるなか、一番奥で腕組みをしながらガゼボの柱に寄りかかっていたリーバルは、鼻を鳴らすと背けていた顔をこちらに向けた。
私と目が合うと、すぐまた顔を反らせてしまったが、何も言われなかったことに少しだけ安心する。
みんなが私を気遣うように見守るあいだを抜け、リーバルの正面に立つ。
彼は目を細めて私を見下ろす。相変わらず仏頂面だが、もう怒ってはいないようだ。
「……何」
語気にとげがあるが、話を聞く気はあるようで、おかげで意を決した私は、深々と頭を下げた。
リーバルが息を飲み、腕組みを解いて姿勢を正したのが視界の端に見える。
「リーバル……本当にごめんなさい!」
リーバルは慌てふためいたように両の翼を広げてさまよわせていたが、ややあって「おい、よせ!」と小声で訴えかけてきた。
こわごわと顔を上げると、ばつが悪そうな顔をした彼と目が合った。
昼の陽光に照らされキラキラと輝く翡翠からは、先日のような怒りの色はもう感じられず、困惑一色に染まりゆらゆらと揺れ動いている。
「まあ、僕もちょっと言い過ぎた。……悪かったよ」
思いがけず率直な謝罪を受け、天邪鬼な言動ばかりではないと気づき、目を見開いた。
首の後ろをかきながら目を反らしたリーバルに、少しうれしくなって笑みを浮かべる。
「ふふ。じゃあ、仲直り……ですね」
「は……?」
すっと手を差し出すと、リーバルは私の手に目を見張った。
そして、迷いながらも彼もそっと片翼を伸ばしてくる。
ためらいがちに私の手を握ろうと伸ばされた翼は、残念ながら触れる手前であっけなく引っ込められてしまった。
それでも私は、それが今の彼にできる最大限の譲歩だと受け取め、満足して手を下ろす。
彼の言動に隠された内側をほんの少しだけ見れたような気がして、冷えきっていた気持ちがほんのりと温まる。
「さて!」
ゼルダがパン!と手を打った拍子に、彼はすっと背後を向き直った。
私も気持ちを切り替えてリーバルのとなりに並び、ゼルダをうかがう。
「……和解も済んだようですし、せっかくなので自己紹介をしましょう」
謝罪でほっとしたところに次いで自己紹介タイムが始まり、何の準備もできていない私の心はまたざわつき始める。
「私やリンク、インパは改めて紹介する必要はないと思うので省略します。
では……ミファーから、お願いできますか?」
ミファーはトップバッターに自分が指名されるとは思わなかったのか、えっ!と顔を強張らせると、手を胸にあて深呼吸し、ピシッと姿勢を正した。
「わ、私は、ゾーラのミファー。
ヴァ・ルッタの繰り手で、その……リンクとは幼なじみです。どうぞよろしく……」
言い終えたミファーは恥じらうように手を組むと、さまよわせていた視線をダルケルに向ける。
ミファーの挨拶をにこやかに聞いていたダルケルは、よしきた!と言わんばかりに胸をドン!とこぶしで打ち、声を張った。
「俺はゴロンのダルケル様だ!ルーダニアの繰り手をあずかってる。
俺の手にかかりゃどんな魔物も石ころ同然だ。腕っぷしだけは誰にも負けねえ。
よろしく頼むぜ!!」
それじゃ、次はおめえだ、ととなりのリーバルの肩にトン、と手を置こうとするが、その手をリーバルはばっと払い除ける。
「僕はリトのリーバル。ヴァ・メドーの繰り手だ。
僕が選ばれたからにはそこの騎士の出番はないと思ってくれて構わない。
ガノンを倒すまでの短い付き合いになるんだろうけど……ま、よろしく頼んだよ」
案の定、リーバルはやはり余計なことしか言わなかった。
言い終えるなり目を閉じてツンとそっぽを向いた彼に、みんなの顔に苦笑いが浮かぶ。
「……ん、次は私かい?」
リーバルが濁した空気を茶化すようにウルボザが声を上げ、クスクスと小さな笑いが起こる。
「到着が遅れてすまないね。
私はゲルドのウルボザ。ヴァ・ナボリスの繰り手を任せてもらうよ。
御ひい様とはこの子が幼少のころからの付き合いでね。この子のことも含め、よろしく頼むよ」
「ウルボザ……」
ゼルダの肩を抱いて彼女を肩越しにのぞき込みながらそう言うと、ゼルダは嬉しそうに胸に手を当て微笑んだ。
ウルボザは、ゼルダにとって母親代わりのような存在なんだろう。
彼女たちのあいだには、ただの親愛の情というよりも母子愛に近いものが感じられる。
ウルボザが肩からそっと手を離すと、ゼルダは一歩前に踏み出して、私を示した。
「では、最後に……アイ、自己紹介をどうぞ」
彼女の言葉に、その場にいる全員の視線が一斉に私を突き刺す。
人の視線をこれほどまでにつらいと感じたことはない。
いよいよ私の番だ。
もし最後なら考える時間があるだろうと悠長に構えてた割には、結局何も浮かばなかった。
みんな何だかんだ二言三言あいさつしてたしな……。
どうしよう……ああ、どうしよう……!
ふと、ゼルダの背後に控えるインパと目が合う。
彼女は胸元で両のこぶしを固め「ファイト!」と口を動かした。
そのとなりでリンクも力強くうなずく。
二人に背中を押され、意を決して一つ息をつくと、前を見据え気を引き締める。
「ご紹介にあずかりました、アイと申します。
城下町でアコーディオンやトラヴェルソの演奏をしていたところ、ゼルダ様に治癒の能力を見出していただき、ありがたいことにヒーラーとしてのお役目を賜りました。
戦いの経験はなく訓練も受けておりませんので、戦場では後方支援に徹することになるかと思われます。
まだまだ未熟者ではありますが、皆さんの戦力を引き立てられるよう日々邁進する所存です。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる。
何とか淀みなく言い切った。必要なことは言えたはずだ。
だが、どうしたことか、庭園一帯が水を打ったようで、先ほどは皆の声にかき消されていた鳥のさえずりまで聞こえてくる。
体勢を元に戻して皆を見渡すが、誰も何の反応を示さず、固まったまま私を見つめている。
冷や汗が伝う。
もしかして……やらかした……?
どこがまずかったのか自覚はないが、気づけないだけで失態をおかした可能性は捨てきれない。
すかさず頭を下げたとき。
あちらこちらから一斉に拍手が上がった。
驚きつつ顔を上げると、ゼルダが感心したように顔をほころばせた。
「素晴らしいです!
事前に自己紹介をお願いしていたならまだしも、唐突にお願いしたにもかかわらず、よくそこまで……。見事なスピーチでした」
「も、もったいないお言葉です……」
前世の世界では、就職活動の練習で度々こういうことを言わされたものだ。
当時のことはもううっすらとしか記憶にないはずなのに、あのときの感覚はまだ残っていたのか。
思いがけず一国の王女様や優秀な方々に評価されることになるなんて。
あのときはつらいことだらけだったけど、報われるなあ……。
「へえ……僕に啖呵を切ったときもそうだったけど、案外まともなこと言えるじゃないか。
ま、せいぜいその意気込みが口先だけじゃないってこと、証明してみせてくれよ」
両の翼を広げたリーバルはやはり冷やかすような言い方だったが、言外に評価を改める意が含まれているように感じられ、少し嬉しくなる。
私も自信をもって笑みを浮かべた。
「……望むところです」
彼は目を剥いたが、すぐに目を反らして後ろ手を組むと、ふん、と鼻で笑った。
「……皆さん、本日はお集まりいただき、ありがとうございました。
今後の指示は追って伝令を言い渡しますので、それまで各自次の任に備え英気を養ってください」
では解散、とゼルダが手を打つと、皆肩の荷が下りたように顔を緩めた。
(2021.4.9)