復興が着々と進んでいくリトの村は、初めて訪れたときのような殺伐として血気に満ちた雰囲気はもう感じられない。
子どもたちがけらけらと笑いながらリリトト湖を飛び、行き交う人々は皆家族のように親しげに挨拶を交わす。きっと、今のこの雰囲気こそが本来の村の姿なのだろう。
けがの処置を求める者がいなくなったことで、私にもようやく落ち着ける日々が訪れた。
なのに、どうしてだろう。何より待ち望んでいた光景のはずなのに、気分が浮かない。どうしようもない焦燥感が日ごと募るのだ。
「アイおねえちゃん、だいじょうぶち?」
「すごい汗かいてるよ」
「ありがとう、ふたりとも。でも大丈夫……!」
モモとチューリはあわあわと両手をさまよわせ、背負った木材の束を後ろから押し上げてくれようとしている。
二人に微笑みかけながら額の汗を拭い、再度階段を踏みしめて登る私に、そばで様子を見守っているサキは困ったように嘆息した。
「アイさん、どうか無理なさらず。重たいものは村の者が運びますから」
「へいき、です……!」
何とか階段を昇り切り、一度積み荷を降ろす。
運び始めたころは少々重たいくらいだったはずだが、これだけ長い階段なのだ。普通に登っても息が切れるのに、荷物を抱えて登ればさすがにつらい。
一段踏みしめるごとに重荷が増えてゆくようだった。さすがに無茶をし過ぎた。
「あなたには無理をさせるなとリーバル様から仰せつかっているのです。どうか、聞き入れてはいただけませんか」
両膝に手をついて肩で息をする私の背をそっとなでながら諭すサキに、笑みを返すので精いっぱいだった。
「ほらほら、そんなところで立ち止まってちゃ通行の邪魔だよ」
天からの嫌味に、どきりとしながら顔を上げると、巻き上がる風に紛れてリーバルが目の前に降り立った。
私と視線を合わせるなり不機嫌そうに眉をしかめたリーバルに、思わず委縮する。
彼は私から床に視線を落とすと、木材の束を肩に担ぎ、サキたちに向け手の甲で払う仕草をした。
戸惑う私にウィンクすると、駄々をこねるモモとチューリを連れ、元来た道を引き返していく。
二人きりになってしまった……。リーバルは見送ることなく踵を返すと、肩越しにこちらを一瞥し、さっさと歩いてゆく。
どうやら、修繕しているやぐらまで運んでくれるつもりらしい。
「ありがとうございます、リーバル様」
親切に対し礼を述べると、なぜか深いため息で返されてしまった。
こんなギスギスした態度を取られるのはいつ振りだろう。
ぶっきらぼうな物言いは相変わらずだが、出会った当初に比べれば、近頃の彼の私に対する態度はリトの住民に対する程度には温和になったように思っていた。
あの頃のような冷徹な言動ではないにせよ、今の彼からは、少なからず突き放されているように感じられる。
「君はもっと周りをよく見なよ。みんな迷惑してるじゃないか」
「すみません。でも、じっとしていられなくて……」
目的のやぐらに着き、リーバルが立ち止まった。修繕中のやぐらはいくつかあるが、よくここだとわかったものだ。
修繕中の村民は、リーバルが木材を直々に持って来たことに驚きつつ、木材を受け取ると嬉しそうにはにかんだ。
澄ました笑みで応えたリーバルは、村民がふたたび作業に戻るのを横目に見送ると、私に視線を戻すなり眉根を寄せた。
「それならせめて自分にできることを探すんだね」
運ばれてゆく木材をちらりと見やり「すみません」とうつむく。
「怪我をされていた方々は皆、もう完治したんです。ですから、復興のお手伝いを」
「ああ。でも、修繕の手伝いは不要だ。君はもう手出しするな」
言い終える前に切り捨てられ、横を過ぎた彼の風が頬を掠める。
去り行く背中にはそれ以上何も言わせまいとする威圧が感じられ、彼の肩にかけようとした手を下げる。
服の胸元をきつく握りしめ、意を決して言葉を紡ぐ。
「ここに留まる理由が欲しいんです」
木槌を打つ音にかき消されたはずのその声は、彼には届いたようで。
振り向いたその眼差しは、私の真意を探るようにじっと見据えてくる。
「あなたに、必要とされたい……」
リーバルはぐっと喉を詰まらせた。驚きに見開かれたその翡翠は、徐々に気恥ずかしそうに伏せられてしまう。
彼があんまり長らく黙り込んでいるので、だんだん自分の言葉に羞恥を感じ始めたころ。彼はようやく、ぽつりとつぶやいた。
「だったら、僕の側にずっと……」
木槌の音で微かにしか聴き取れず、聞き返そうとしたときだった。
村の警鐘が鳴り響いた。音の出所を探っている私を残し、リーバルは瞬時に飛び立った。上空から村民が口々に指し示す方向を見やったリーバルは、忌々しげに顔をしかめ、捉えた方向に向け即座に舞い降りてゆく。
「リーバル様!」
手すり子にしがみつき彼の背に声をかけるが、振り返ることなく。
彼の向かう先に視線を向けた私は、対峙する人物に目を見張った。
「リンク……!」
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ブロンドの髪を一つに束ねたそいつは、またがる馬から降りると、暢気に馬の首をトントン叩いている。
側に降り立った僕に気づくと、こちらに向き直り歩み寄ってきた。
単身乗り込んできたこの男がアイを連れ戻しに来たことくらい、鎧と鉄仮面のような顔を見れば一目でわかったが、あえて尋ねる。
「これはこれは、ハイラル城お抱えの騎士サマじゃないか。今日は会合の予定は入ってないはずだけど……何用かな?」
僕の皮肉な物言いにも眉一つ動かさず、彼は淡々とこう言った。
「そちらで厄介になっているヒーラーのアイを迎えに馳せ参じた。殿下が帰りをお待ちだ。目通り願いたい」
彼の視線の向く先に、アイがいる。思考の読めない人形のような青い目に、わけもなく沸々と苛立ちが募る。
「ふん。ただで返すってわけにはいかないかな。どうしても連れて帰りたいのなら、まずは僕の質問に答えてもらおうか」
後ろ手を組み、つり橋を背に立ちはだかる。
「単刀直入に聞こう。城下町の放火事件、主犯は君だろ?」
問いかけに、今度こそ彼の眉がわずかに動いた。声を上げて笑いたいのを堪え、口角を上げるに留める。
「ああ、隠さなくてもいいよ?確かにこの目で見たんだよね、僕」
「……それは俺じゃない。あの時刻、俺は訓練兵たちに稽古をつけていた」
「おいおい……嘘をつくのは悪いことだって、親に教わらなかったのかい?」
真っすぐに彼の目をにらみつける。湖のように涼やかな青の眼差しは、彼の言葉に偽りがないことを示すように澄み渡っている。
彼への率直な感情は抜きにして、直感的に潔白そうだと感じてはいる。
しかし、だからこそかえって胡散臭く見えてしまうのも事実。
現に犯人は夕刻でも人気の多いハイラル城下町を堂々と襲ったにもかかわらず、見事に逃げおおせるようなやつだ。
一見潔白そうなやつこそ真犯人という可能性も捨てきれない。
「リーバル様!」
橋を渡る足音に振り向けば、息を切らせたアイが必死の様相で駆け付けてきた。
片翼を広げ、彼女がそれ以上前に進み出ないよう背に庇う。
「悪いけど、この子は渡さないよ。彼女は、僕の……」
言葉が喉でつかえて出てこない。
彼女と僕は、出会ったころとはまるで違う。あの日、あの雨のなか、確かに気持ちが通じ合った。
けれど。僕らの関係を表す契りも、約束も。彼女とはまだ何も、取り交わしてはいないということに今更ながら気づく。
「リーバル様」
アイの声に、我に返る。
不鮮明な思考のまま振り向いた彼女は、少し寂しそうな顔に笑みを浮かべている。
その手に握られているものーーポプリーーを、差し出されるままに受け取ると、彼女は目を潤ませた。
「私は、あなたをお慕いしています。……誰よりも」
僕の広げた翼を避け、騎士の元へと歩み寄った彼女は、穏やかな笑みに涙を伝えさせながら、震える声でこう囁く。
「だけど……もう、帰らないと……」
引き留めるための言葉なら脳裏にいくらでも浮かぶというのに、どうしてか声にならない。
瞬く間にも、騎士は彼女を連れ去ろうとする。
「待っ……」
ようやく言葉になりかけた僕の声は、峠からこだます蹄の音に遮られた。
「伝令!ハイラル城下町に再び敵襲。至急、援軍に向かえとのことです!」
「了解」
まだやり取りが終わらぬうちにさっさと馬にまたがり始めた騎士がアイに伸ばした手を叩く。
「まさかとは思うけど、激戦の真っただ中にアイを連れて行こうだなんて馬鹿なことはしないよねぇ、騎士サマ?」
そのままアイを抱き竦めれば、彼女は濡れた頬を手で拭いながら頬を染めた。
「矢継ぎ早に申し訳ございません。リトの戦士殿。あなたにもご同行いただくようにと陛下より仰せつかっております」
「……は?」
兵士の伝令に、僕やアイだけじゃなく、めずらしく騎士の目も大きく見開かれた。
(2021.10.16)