早朝。何度も打ち鳴らされるノックの音に目を覚ました。
気配に敏感なリーバルは私よりも先に来訪を察知していただろうけれど、無視を決め込んで目を閉ざしている。
このまま居留守を使うつもりだろうか。しかし先ほどから、リーバル様、アイ様!ご在宅でしょうか!と声を張る兵士に緊急の用ではないかと気になりベッドから渋々身を起こす。
すると、ほぼ同じタイミングでリーバルががばりと身を起こし、苛立たしそうに舌打ちをして足音を荒げながら扉へと向かってしまった。
ストールを肩にかけると、彼の後を追ってリビングに向かう。
強めにノブを引いたリーバルは、驚きのあまり紡ごうとした言葉をのんだ兵士に向かい指を突き立てている。
「騒々しいぞ。今何時だと思ってるんだ」
「も、申し訳ありません!王立古代研究所より文書をお預かりしました。プルア様より、すぐに読むよう言付かっております。では」
文書をリーバルに託した兵士は敬礼を残し、速やかに立ち去った。
扉を閉めさっそく文書のひもを解き広げたリーバルは、目を通しながらダイニングテーブルに向かう私のとなりの椅子を引いて腰を下ろした。
「ふん……記憶の装置を改良したからすぐに来てほしいってさ。まったく……まだ明け方じゃないか」
ひらりと眼前に垂らされた文書を受け取り目を通すが、やはり何が書いてあるのかさっぱりわからない。
走り書きだが、流れるようなしなやかな字はプルアの美しい容姿やキレの良さをどことなく表しているようだ。
「それだけ緊急ということなんでしょうか」
「ま、呑気に朝食なんてとってる場合じゃないってことだけは確かだね。初日のように遅刻なんてしてまた文句を言われても面倒だ。準備ができたらさっさと出発するよ」
わかりました、と緩慢な足取りで寝室のクローゼットに向かうリーバルの後に続く。
ふわ……とあくびを片翼でおさえる様子を微笑ましく見つめていると、はっとこちらを振り見た彼から気まずそうに「モタモタしてたら置いていくからね」と照れ隠しの一言が返ってきた。
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身支度を整え急いで王立古代研究所に向かった。
研究室に入ると、プルアとロベリーが装置の調整をしながら何か言い合っていたが、ロベリーがこちらに気づきプルアに示す。
プルアはこちらを振り返ると、足早に駆け寄ってきてせかせかした様子で迎えた。
「ああ、いらっしゃい!朝早くにごめんね~」
プルアの謝罪を受け流し、リーバルはむすっと腕組みをする。
「早いにも程があるだろ。こんな時間に呼び出すってことは、よっぽど進展が見込めるって考えていいんだろうね?」
「まあまあ、そうせっつかない!ちゃんと説明したげるからさ」
こっちに来て!とロベリーが未だ調整を続けている装置の前に連れられた。
ロベリーはグッモーニン!とにこやかに片手を挙げたが、すぐに顔を引き締め再び装置とにらみ合っている。いつになく真剣だ。
「前にさ、装置の出力を強くしたせいでアイの記憶のなかにダイブしちゃったことがあったでしょ?あの状況を人為的に作り出して活用できないかってずっと試行錯誤してたのよ」
プルアはデスクの上に散らばる資料を漁り、そのなかから一枚を見つけ出すとリーバルに差し出した。
彼はそれを指先で受け取ると、ざっと目を通しプルアにひらりと返した。
「なるほどね……つまり、僕が過去の記憶の情景を思い浮かべられるようになったのを利用して、同じことをもう一度試そうって魂胆だね?」
「その通り!」
装置の準備が完了したらしく、ロベリーは両手を手拭きで拭いながら会話に混ざってきた。
「リーバルの記憶をアイに共有し、体感することで、奥底に固く封じられたアイの記憶をこじ開けるのだ」
「君の言語は相変わらず聴き取りづらいが、内容は理解できた。それじゃ、さっそくやるかい?」
とんとん拍子で進んでいく話に追い付けず、思わず待ったをかけていた。一つ確認しておきたいことがある。
「すっごく今更ですけど……もし記憶を取り戻したとき、リーバルも私もこれまでのようにいられるでしょうか。
お二人が私たちのために尽力してくださってることも、リーバルが記憶を取り戻したいと思ってることもよくわかってる。けど、なんだかちょっと不安になってしまって……」
「じゃあ、研究はやめにするかい?」
「え……」
「僕は構わないよ。確かに記憶を取り戻したいとは思うし、君にも取り戻してほしいって思いももちろんある。
でもそれは、漠然とした気持ちだ。どうしてこうまでして記憶を取り戻したいのかは、自分の記憶としての自覚がないせいか正直わからない。
だからさ、恐れるくらいなら無理に記憶を取り戻す必要はないんじゃない?君の言う通り、取り戻した後でどうなるかなんて誰にもわからないことなんだしさ」
珍しく尊重してくれるリーバルの気持ちがありがたいはずなのに、かえって先ほどとは真逆の迷いが生じる。
記憶を取り戻した後のことを思うと、正直怖い。けど……本当にそうしたときのことを考えるとすごくもやもやしてしまって、本当に取り戻さないままでいいのだろうか、とも思うのだ。
わざわざプルアたちの手を借りてまでこうして記憶の研究を始めたことにも、漠然とでも取り戻したいという想いがあるということにも、それぞれにちゃんと意味があるとしたら?
自覚がないなりに、私やリーバルの心のずっと奥底に眠る”失われる前の記憶”のなかの感情に、何としてでも思い出すべきだと、ここまで突き動かされてきたんじゃないだろうか。
何も言えず押し黙ったままの私の肩に、プルアの赤いネイルに彩られた手が優しくのせられる。
「……怖いよね。記憶を失うことがどんなものか体験したことがないから想像することしかできないけど。
もし私がアイと同じ立場だったらって思うと、少しは不安になっちゃうかも……」
「君にも恐れるものがあるんだな」
「はあ?当り前じゃない!ほーんと失礼しちゃうわ」
プルアは拗ねたように頬を膨らませていたが、何かを思い出したように肩眉を上げると緩やかに破顔した。
「じゃあさ、こういうのはどうかな?リーバルの記憶の情景をスクリーンに映し出して、アイに鑑賞してもらうってのは」
彼女の提案に驚く私のとなりで、片翼でにやける顔を隠していたリーバルは途端に焦りを見せた。
「ちょっと待ちなよ。この僕の脳内を暴くってことかい?」
リーバルにずいっと詰め寄ると、仰け反る彼の胸あてに人差し指の爪の先をぐっと押し当てる。
「あんたの大事な大事な想い人が不安そうにしてるんだよ。力になってあげたいとは思わないの?」
彼女の言葉に気押されたように目をうろつかせていたリーバルは、不敵な笑みを浮かべると鼻を鳴らした。
「……いいだろう。元より彼女が記憶を取り戻す手立てになるなら何だってやってやるつもりでここにいるんだ。
ただし、悪いけどここからは僕と彼女のプライバシーだ。そのスクリーンとやらはアイだけが見れるように配慮してくれ」
「わかってる。もちろん要望にはできるだけ添えるようにしたいから安心して」
プルアは穏やかな笑みを浮かべると、私に向き直った。
「アイ、どうかな?」
プルア、ロベリーをなぞり、最後にリーバルと目を合わせる。
皆急かすことなく、私の気持ちを尊重しようと根気強く待ってくれている。
本当ならこんな大詰めのところで断念するなんて、あっちゃいけないことのはずなのに、それならそれでと受け止めようとしてくれている。
だったら、私は……。
「リーバルがそれでいいのなら……ぜひお願いします」
彼の記憶のなかの私と向き合って、自分の気持ちを……ちゃんと確かめるんだ。
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リーバルが記憶の装置を装着したころ、私は別室に案内された。窓にハリボテが張り巡らされた薄暗い部屋だ。
さほど広い部屋ではないが、入口を入ってすぐの壁一面が白く、後ろの壁際の中央には映写機のようなものが置かれている。
あれとリーバルがつけている記憶の装置が連動し、この壁に映像が映し出される仕組みなのだろう。つまりは視聴覚室というわけだ。
「上映が始まったら私はリーバルのほうを見てるから。画面が暗転したら部屋から出てきてね」
「わかりました」
プルアは映写機のスイッチを入れると、部屋から出て行った。
薄暗い静寂に、映写機の単調な機械音だけが流れる。
しばし待っていると、唐突に画面に情景が映し出された。
木組みのやぐらだ。飛行訓練場で見たものと同じ造りのものが奇岩に添うようにしていくつも組まれており、一目でリトの村だとわかる。
そのなかでリーバルと私は、焚き火台を囲んで食事をとっているようだ。
彼の視点から見た私は小さく見え、なぜかよくわからないけれど、少し照れくさく思えてくる。
驚いたことに、過去の記憶の中の私は今の私とまったく同じ容姿をしていた。
これまで自分の視点でしか過去の記憶を垣間見たことがなかったために、まさかこんなことにも今まで気づけなかったなんて。
“いただきます”
“何だい、その……”イタダキマス”?って”
“記憶を失う以前の習慣だったのかな”
“……何だか神聖な儀式のようだね。
食事ってさ、生きてくうえでは必要なことだし、当たり前のことのようだけど、命をいただくってことでもある。
そういう根本を忘れないっていうの?心構えのようなものが感じられて、僕は嫌いじゃない”
“……ありがとう”
記憶のなかの私はリーバルと対等に話している。それがあまりに自然で、映像の中の私も自分のはずなのについ、うらやましい、と感じてしまった。
「この情景、どこかで……」
ハイラル城の復興の最中、ゼルダのはからいでリーバルと一日城下町でデートしたときのことを思い出す。
あの日、彼と初めて二人きりで向かい合って食事をしたとき、思い出した光景とよく似ているのだ。
ぱっと映像が切り替わり、リーバルと弓の訓練をする情景が映し出される。
私が的を外すたびにリーバルはおかしそうに笑いながらも的確にアドバイスし、アドバイス通りにできると率直に労う。
いつも手厳しいくせに不意にちょっとだけ優しくなるところは、いつの彼もそうなんだな、と笑みがこぼれる。
ふと、彼と戦場を共にしたときのことが思い出される。あのときは彼の言葉を拾いながら行動に移すだけでいっぱいいっぱいだったけれど、こうして冷静に思い返してみると、リーバルって褒めるときはしっかり褒めてくれる人なんだよな……。
まあ、そういう場面で、褒め言葉が咄嗟に出るほど気持ちが高ぶっていた、というだけかもしれないけれど。
その後も、次々と映像が映し出され、そのたびにどことなく懐かしさを感じたり、気恥ずかしさを覚えたり、胸の痛みを感じたり、光景を目にするたびに変わる気持ちの変化に戸惑いながらも”リーバルのなかの私”と真摯に向き合った。
そして、その映像が映し出されたとき、私はたまらず口元を覆った。
その光景には、確かに覚えがあったのだ。
私が編むのに失敗した花冠を、リーバルが編み直し、私のあたまにそっとのせてくれた。
“リーバル、ありがとう!”
私のために花冠を編み直してくれたこともそうだが、私自身については滅多なことでは素直に褒めてくれない彼が、案外似合ってるじゃないか、なんて褒めてくれたことが嬉しかったのだ。
その場でくるりと回ってみせた私をじっと見つめていたリーバルは、思いつめたような顔で私の腕を引き、きつく抱きしめ、そして……
“アイ……”
その続きを耳にした私は、画面が暗転したあともしばらく放心して動けなかった。
リーバルの装置を外し終えても戻って来ない私を心配して様子を見に来てくれたプルアに肩を揺すられ我に返った私は、彼女の肩を掴むと、決意を固め口を開いた。
「プルア、私……」
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彼の背に乗って連れられた山頂は、夕時の冷たい空気に包まれていた。
記憶が正しければ最後にここを訪れたのは2年くらい前のはずなのに、それよりもずっと長い歳月訪れていないような、ひどく懐かしい感じがする。
厳密には、彼と訪れた場所はここと瓜二つの別の場所なのだろうけれど。
薄紅色の花びらを朱に染め上げる斜陽が枝の隙間から差し込み、じんわりと顔を照らしているうちに、目頭が熱くなっていく。
涙が頬を伝うのも構わず重い頭でゆっくりととなりを振り向けば、同じくこちらを振り返った愛しい彼と視線が交わった。
彼の目は、普段どんなに気持ちが高ぶってもひた隠しにされるもので潤み、今にも溢れてしまいそうだ。
それはついに紺の頬を静かに伝い、地面を彩る薄紅に溶けて消えた。
リーバルはぐいっと目元を拭うと、眉間にしわを寄せながらも、どこか優しい眼差しで私をまっすぐに見下ろした。
「アイ……僕のこと、もう忘れちゃいないだろうね?」
確かめるような低いささやきは、少し掠れていて、切ない気持ちで胸が満たされていく。
「ちゃんと覚えてるよ。……リーバル」
リーバルはふっと微笑むと、眼前に舞い降りてきた花弁を目で追い、おもむろに大木を見上げた。
私も彼の視線を追うように頭上を見上げる。
「な、僕の予言通りになっただろ」
茶化すようにおどけた彼にくすりと笑みをこぼすと、花弁が舞う様を見上げながら、うん、と頷く。
しかし、その視線はあごを取られたことにより、彼の不服そうな目に縫い留められる。
ばっちりと目が合った途端、気恥ずかしくなってつい睨むと、不機嫌そうに歪められていた顔がほころんだ。
その自信に満ちた面差しは、ずっととなりにあったはずなのに、久しぶりに見たような感覚で、また涙が溢れてくる。
眉を少し震わせた彼は、瞬きのあとには澄ました笑みにすり替え、白い指先が私の涙を拭い取った。
するりと私の手の甲に彼の柔らかな手が触れる。
手を翻し重なるように手のひらを合わせると、ぎゅっと固く握り込められる。
「……ずっと繋いでてあげる。君が二度と迷わないようにね」
リーバルの手が頬にそっと添えられ、ゆっくりとくちばしの先が近づく。
耳にぼうと吹き込まれる冷たい空気に、香り立つ草花の澄んだにおい。彼の手の温もり、頬をくすぐる熱い吐息。
そのすべてに、もう夢じゃないのだと教わり胸が満たされながら、しなやかな紺の首筋に腕を回した。
「王立古代研究所・異世界研究部(記憶編)」(完)
(2021.7.30)