失われた記憶

3. 元の世界について

アイってさ……こことは違う世界から来たんだよね」

びっちりと文字が敷き詰められた紙に目を落としながら、リーバルは唐突にそんなことを尋ねてきた。
テーブルに向かいこの世界の文字が元の世界の文字の何に当てはまるかを紙に書きとって検証していた私は、ペンを走らせる手を止め、テーブルから顔を上げて向かいに座るリーバルを見上げた。

「君が今書いてるそれ。元いた世界の文字なんだろ?」

「うん。正確には、私の故郷の文字だよ」

そう言うと、リーバルはちら、とこちらを一瞥し、再び紙に目を戻す。

「その口ぶりからすると、そっちの世界にはほかにも文字が存在するってことかい?」

「そうだよ。文字だけじゃなく、国も言語もたくさんあった。
私の故郷ではひらがな、カタカナ、漢字という三つの文字を組み合わせて書くの」

リーバルは今度ばかりはかなり驚いたらしく、紙をテーブルに置くと、こちらに向き直った。
しかし、どうやら関心があることを悟られたくはないらしく、乙に気取った様子で頬杖をついてもう片方の翼の先を眺めている。
まるでネイルをチェックする女子のようだと思ったが、そんなことを言ったが最後目くじらを立てて怒る未来がありありと浮かんだので余計なことだけは絶対に言わない。

「この世界とはずいぶん文化が違うというのに、言葉が通じるのは不思議だな」

リーバルが何気なくつぶやいた疑問に、私は目から鱗だった。
自然に言葉が通じていたため今まで考えてもみなかったが、この世界の文字が読めずに苦労しているのに、言葉は出会った瞬間から通じているのはなぜだろう。
そう思い至ると、新たな疑問が浮かぶ。

「そういえば、リーバルはなぜ日本語を話せるの?」

リーバルは私の言っている意味がわからなかったらしく、怪訝な顔をして私を見た。

「ニホン語って何だい?」

「ええっと、私の故郷の言語なんだけど……」

「言っている意味がわからないよ。僕は普通にこの世界の言語で話しているつもりなんだけど。
それを言うなら、君こそ文字が書けないくせして、どうしてこの世界の言語はまともに話せるのさ」

「えっ!?」

お互いの頭上に疑問符が浮かび上がる。
リーバルには私がこの世界の言語を使っているように聞こえ、私にはリーバルが日本語で話しているように聞こえている。

この世界に転移させられたこと自体がまず摩訶不思議な体験だが、今更ながらこの言語の壁については何らかの力が働き常時自動翻訳されているような状態が続いている事実に酷く驚いた。
……ある意味チートではないだろうか。かつて暮らしていた祖国でも異世界転生ものを目にしたことがあるのを思い出したが、胸中に留める。

「どうやら、僕らには及びもつかない不思議な力が働いているようだね。
君にはつくづく驚かされてばかりだよ」

「いやあ、ほんとにね……自分でもそう思う」

思わず苦笑すると、リーバルはあごに指を添えながら新たな疑問を口にする。

「君の故郷の言語……ニホン語、だっけ?
じゃあ国名は「ニホン」というのかい?」

「うん、”日本”だよ。
共通語を使う国もあるから、国名と言語名が異なる国もあるけど、私の国はほとんどの人が独自の言葉を話すの」

「ニホン、ね。どんなところなんだ?」

「お寺や神社っていう建物が有名かな。
この世界でいうところの、カカリコ村の建物や植物なんかが私の故郷の文化にちょっと近いかも……」

「ふうん、ああいう感じね」

「あと、春になると……あ!春っていうのは季節のことで、私の国では四季という四つの季節があってね。
春の温かい時期になると、並木道や川辺に群生している桜が一斉に花開いて、とても幻想的なの!」

私のたどたどしい説明でも彼は理解が早い。
てっきり弓ばかりを握っているイメージだったが、座学も決しておざなりになっていたわけではないようだ。

それだけではなく、新たな疑問が次々に浮かぶようで、日頃から我関せずなリーバルがめずらしく興味を持ってくれていることが嬉しくて、私もつい饒舌になる。
文武両道、ってこういう人のことを言うんだろうな……。

「桜って、コログの森やサトリ山にあるあの桜?」

嬉々として頷くと、リーバルは宙を仰いで想像するように目を閉じた。

「……へえ、それはさぞかしきれいなんだろうね」

普段褒め言葉を絶対に言わないリーバルが”きれい”という言葉を用いるのが何だか意外で、なぜか自分が言われているような気になって少し気恥ずかしくなる。

「きっと上空から見てもすごくきれいだよ。
はあ、リーバルにも見せてあげたいな……」

故郷の桜に想いを馳せているところに、彼はお約束の如く歯に衣着せぬ物言いでくどくど言い分を垂らし始めた。

「でも、君のいた世界にはリト族のような種族は存在しないんだろう?
仮に行けたとしても、僕はそちらの世界じゃ唯一のリト族ということになる。
桜を見るどころか逆に色眼鏡で見られて、最悪実験台にされかねないよ」

「……私だってこの世界じゃ唯一の日本人なんだけど、実験台にはされてないじゃない」

「それは君がハイリア人とほとんど変わらない見た目をしているからだろう」

「うう……確かに」

「僕を最初に目にしたとき、君、何て言ったっけ?
“鳥がしゃべってる”だよ。
それだけ僕らは君たちにとって特異な存在ってことだろ。
まったく……誇り高きリトをそこらの下等生物と混同するなんて、失礼にも程があるよね」

「その節は、スミマセンデシタ」

「とにかく、たとえ行けたとしても危険が及ばないと断言できるまでそちらには絶対行かないからね」

「はあ……理屈っぽいなあ。
そこは”行けたら行ってみたい”でいいじゃないか……」

ふてくされながらリーバルの口真似をしてそう言うと、彼は含み笑いを浮かべ、私を見つめた。

「ごめんごめん。
……お詫びに、今度サトリ山に連れて行ってあげるよ。
特別に、僕の背中に乗せてあげてもいいよ」

彼が人を背中に乗せるなど滅多にないことだ。
思いがけないお誘いに舞い上がるも、私はすぐに自分の弱点を思い出し、げんなりする。

「ほんと!?
あ……でも、私、高いところ苦手なんだった……」

「その高所恐怖症とやらはつくづく不便だねえ。
……しょうがないから徒歩で付き合ってあげる」

私の事情を思い出したリーバルはあからさまにがっかりした様子だが、それでもちゃんと配慮してくれるのが彼の美点だ。

「ありがとう、リーバル」

彼と見に行く桜かあ。
リーバルはきっと桜がよく似合うだろうな……。

桜の木に寄りかかる彼を思い浮かべながら、先のデートに想いを馳せて口元を緩めた。

終わり

(2021.3.11)

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