何がどうしてこうなったのか。
今、私は上空から落下している最中だ。
買い物をした帰り道、最悪なことに買い物袋が破け、買ったものをすべてぶちまけたところまでは覚えている。
でも、そのあとからここに至るまでの記憶だけが、黒塗りにされてしまったように思い出せない。
スカイダイビングをする人たちは、この地上の凹凸もあいまいに感じられるほどの高さを楽しむのだろうが、あいにく私は高いところが大の苦手だ。
仮に高いところが好きだったとしても、命綱がないこの状況を誰が楽しめると言えるのだろう。
よほど高いところにいるからか、地面はまだ遠いようだが、安心していられる状況ではない。
このまま死ぬのを待つしかないのか。
地面にたたきつけられる瞬間が脳裏に張り付き、耐えがたい恐怖心に支配される。
「誰か!!誰か助けて!!!」
咄嗟に叫ぶが、こんな上空に人がいるわけがない。
仮に飛行できる動物や飛行機が通りかかったとしても、生身で落下している人間を助けるなど不可能に近いだろう。
いくら嘆いてもこの状況を打破できるわけがないと悟り、覚悟を決め、目を固く閉じる。
突如、下から凄まじい勢いで突風が吹きあがる。
見開いた視界が、紺色に覆われたかと思うと、風を切る音に交じり、叫ぶ声が耳に届く。
「掴まれ!!」
それは、私よりも大きな体の鳥ーー紺色の鳥人ーーだった。
人語を話す鳥人は、私の落下に合わせて滑空し、徐々に体を寄せてくる。
驚きはしたが、あるはずがないと思っていた奇跡に、無我夢中でしがみつく。
私の重みに加えて落下による負荷がかかり、鳥人は小さくうめき声を上げたが、何とか耐えたらしく、バランスを立て直した。
徐々に高度を下げていき、着地するかと思われたが、あろうことか、私は着地する寸前で背中から振り落とされてしまった。
幸いにも地面は一面雪が広がっており、さほどの痛みはなかったが。
むくりと上体を起こそうとするも、右肩を猛禽類のような大きな足でガシリとわしづかみにされ、再び地面に押し付けられる。
今度は何事かと見上げると、鳥人は弓に矢をつがえ、切っ先をこちらに突き付けていた。
鳥人の存在にも驚いたばかりだが、弓を使う人を生で見たことでより驚く。
「君は何者だい?
翼もない癖に、なんであんな上空にいた?」
随分流暢に人語を話す鳥だなあなどと、矢を突きつけられている状況にもかかわらず呑気に考えていたが、鳥人が眉間のしわをより深めたことにより、現実に引き戻される。
「わ、私は、アイといいます。
……って、あの状況を説明しろと言われても、わかるわけないじゃないですか。
あなたが助けてくれなければ、あのまま死んでたってことくらいしか……」
つかえながらも辛うじてそれだけ訴えると、鳥人はフン、と鼻を鳴らし、私の肩から足を退け、弓を下げてくれた。
「ま、怪しいことには変わりないが、その身なりじゃ敵ってわけでもなさそうだ」
「はあ、あの……ところで、ここって一体どこなんです?
日本じゃないですよね……?」
「”ニホン”?……聞いたことがないな。
君はそのニホンとやらの出身ってことかい?」
彼の言葉に絶句して、言葉を返すことができなかった。
まさかとは思っていたが、ここはやはり、日本ではないのか。
いや、鳥人がいる時点で日本どころか、地球ですらないだろう。
じゃあ何で日本語が通じるんだと思い至るが、考えだしたらキリがない。
ここに来るまでの記憶が途中すっぽり抜け落ちているが、その空白の時間、私は死んでしまったということなのだろうか。
とすると、この目の前の鳥人は……
「……あなたは、天使ですか?」
結構大真面目に問いかけたつもりだったが、鳥人は「はあ?」と間の抜けたように口をぽかんと開けると、よほどおかしかったのか、急に大声を上げて笑い出した。
鳥人は息を切らしながら、口元を翼で隠してなおも含み笑いを浮かべつつ、小ばかにした様子でこう言った。
「僕が天使だって?笑わせてくれるね!」
「だ、だって!あなた、飛べるじゃないですか!
想像とはちょっと違ってるけど、死んだと思った状況で翼がある人に助けられるなんて、天使だとしか思えなかったんです」
「やれやれ……安直にも程があるよ」
鳥人は笑みを収めると、弓を背中に担ぎ、翼の先で器用に私の腕を掴んで立たせた。
「僕は、リーバル。
リト族だよ。……天使じゃなくて、ね」
リト族の青年ーーリーバルーーは、そう言って目を細めた。
終わり
(2021.3.1)