宙にたゆたう

18.5 記憶の欠片~2~(夢主視点)

※夢主の過去や記憶喪失の原因について言及しています。
夢主に詳細な設定が付与されるのが苦手な方は飛ばしてください。
次話→その鷲、再会する(夢主視点)


 
聞き覚えのある声に、まどろみに溶けてしまいそうな意識をどうにか引き戻す。

視界の端に黒いもやがかかっている。
その黒く輪になったもやの中心に、母と、白衣を羽織った男性の姿が映る。

彼らは何か真剣に話し込んでいるようだったが、その声は水の中で聴く音のようにこもっており、断片的にしか聴き取れない。

“脳死”

“あとわずか”

辛うじて聞き取れたのは、その二つ。

膝から崩れ落ちる母を目で追う。
そこには、白いベッドに伏し固く目を閉ざす私がいる。

くぐもってはいるが、母が私の名を声を限りに叫んでいるのがはっきりとわかった。
けれど、そこにいる私にはきっと届いていない。

私は、ここにいるよ。

母に呼びかけようとするが、声にならない。
泣きたいほど胸が締め付けられるが、涙の一つもこぼすことができない。

一気に現実に引き戻され、がばっと起き上がる。
あたりを見回し、ハイラル城の自室のベッドであることに安堵する。

全身に汗をかいて、顔もネグリジェもびっしょりと濡れ、ずっと走っていたように息が苦しい。
頭から額に伝って来た汗を袖で拭う。

呼吸が落ち着いたころ、汗を洗い流すためにベッドから降り、バスルームへ向かう。

この世界の人々は風呂に湯をためる習慣がないそうだが、私が故郷でいつも湯船につかっていた話をぽろっとしてしまったせいか、数日後ゼルダが地下から温泉を引いてくれた。
幸い石鹸はあったため清潔は保たれたが、それまで水浴びで済ませていたため、温かいお風呂が非常にありがたかった。

湯をためるあいだ、洗面台で顔をすすぐ。
寝覚めに嫌な光景を見てしまったせいで、やつれきった顔の自分が不安げにこちらを見つめてくる。

その目がどうしたらいいんだと投げかけてくるようで、居たたまれない想いのやり場がわからず、洗面台に置いたこぶしを固めた。

ヘブラ地方の森で目覚めて、リーバルと出会いーーいや、再会しーー約ひと月が経った。
まだひと月かとも思うが、記憶が完全に戻った今、もう何年もこのハイラルで暮らしている感覚だ。

何度も目覚めては、また彼や彼を取り巻く人々との関係を長いスパンをかけて構築し、そして、再び記憶を失って。
こんなことを何度やり直してきたんだろうか。

だけど、もう、その”やり直し”さえも二度と訪れないかもしれないのだ。

なんせ、私の命は”あとわずか”。

今は辛うじて動いているこの心臓も、あと数日で、きっと……。

……伝えなければ。

大好きな彼に。

この命があるうちに、大切なことを伝えなければ。

ネグリジェから普段着に着替え終え、身だしなみを整えた私は、非常識な時間だとわかってはいたが、足早にリーバルの部屋へと向かう。
一刻でも、じっとしているのがつらかった。

コンコン。

隣室の戸をたたくと、「開いているよ」と予想外にも普段通りの声が返ってきて、少し緊張感が高まる。
まだ早朝なのにもう起きているということは、これから出かける用事でもあるのだろうか。

扉を開けると、リーバルが壁際の床にあぐらをかいて弓の手入れをしている最中だった。
後頭部はすでに三つ編みに結わえられ、愛用の防具を身に着けていることからしても、出かけようとしているのは間違いないらしい。

「もう起きてたのか。
ちょうど良かった、これから起こしに行こうと思ってたところだよ」

「リーバル、どこかへ出かけるの……?」

「ああ。ちょっと君を連れて行きたいところがあってね」

弦を引いて確かめながら、目線だけをこちらに寄越すリーバルに、胸の奥がズキズキと痛む。

「その前に……大事な話があるの」

声のトーンを落としてそう告げると、リーバルは作業の手を止め、私を室内へと促す。
私は、リーバルが座るかたわらの床に正座をする。

「話って何かな?」

「その……」

いざとなると、うまく言葉が出てこない。
しかも、自分が……死ぬかもしれないだなんて、言い出せない。

実際に口にしようとすると、こんなに怖いなんて。

「……言いにくいことなんだろ?」

リーバルがそっとつぶやいた言葉に、目に涙が浮かぶ。
言葉を発せば声が詰まりそうだったので、こくりと小さくうなずいて応えた。

「じゃあさ、とりあえず出発しよう。
話はあとでゆっくり聞くからさ……」

そう言うと、彼は立ち上がり、弓を背負い、バルコニーに続く窓を開け放った。

一緒に飛ぶかい?なんてこんなときにも普段通りに冗談めかして尋ねてくるもんだから、あふれそうな涙を見せないように、彼の背中にしがみついてかぶりを振った。

(2021.3.26)

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