アイを連れて、西の訓練所を訪れた。
今は誰も利用していないらしく、僕らだけのようだ。
先の厄災で多くの兵士がやられたと聞く。
残った兵士は皆、王や姫の周辺や外の警備にあたっているのだろう。
かといって、ここも手薄なわけではないらしく、定期的に人が訪れているのが床や武具のスタンドを見ればわかる。
僕は壁に掛けられた弓のなかから一張り選ぶと、腰の矢筒を取り外し、一式をアイに渡した。
敵の襲撃が落ち着いているあいだに、アイには弓の扱いに少しでも慣れてもらわないと。
僕は飛行して戦う。飛べない彼女を庇いながらではいざというときに本領が発揮できない。
「城内でも僕らの部屋は上階にある。比較的安全だろうが、万一のことがあるかもしれない」
踵を返し、訓練所の出口を目指して歩き出す。
そのあとを慌てた様子でアイがついてくる。
「だから君も、こうして僕が教えられるうちに弓の使い方をその身に擦り込むんだ。
僕も仰せつかった役目があるからね。ずっと君のお守ばかりはしていられない」
「でも、だったらなんで私をここに連れてきたの?リトの村や馬宿のほうが安全なんじゃ……」
「僕が不在のあいだ、一人きりで大丈夫だとでも言うのかい?
君は高所恐怖症だろう。食材を取りに行くのも一苦労なはずだ。
それに、今更そう簡単に馬宿に戻れるのか?」
「それは……」
アイは口をつぐんだ。
腰をかがめ、うつむいている彼女と目線を合わせる。
「それとも、何?
わざわざこの僕と一緒にいさせてあげてるのに、不満とでも言いたいわけ?」
「それは違う!」
「だったら、ここにいればいい。
ここなら、僕が守ってあげられるだろ」
自分でもなぜここまでアイにこだわるのかわからない。
まだ出会ったばかりだというのに、なぜか放っておくことができない。
弓はおろか剣一振りもまともに握れない脆弱な人間なんて、ただの足枷にしかならないはずなのに。
僕の言動にアイが困惑しているのもわかっているつもりだ。
けれど、僕のあずかり知らないところで、感情が「彼女を守れ」と掻き立てる。
そもそもの問題、リトの僕が人間である彼女にわずかにでも好意のようなものを抱いていることにも疑問を感じている。
リトと人間が恋なんて、聞いたことないじゃないか。
この感情は、一体何に起因しているんだ…?
何か大切なことを見失っている気がしてならない。
駄目だ。考えても何も浮かばない。
僕はかぶりを振って思考を切り替えた。
「ここだと狭すぎる。場所を変えよう。……ついてくるんだ」
アイを連れて二の丸のホールを訪れる。
ここなら広さも、天井の高さも申し分ないだろう。
僕は的を抱えて羽ばたくと、日が差し込んでくる塀の上部に降り立ち、的を両手に抱え直した。
「まずはおさらいだ。
飛行訓練場で教えたとおりにやればいい」
飛行訓練場のときは近距離で射やすいところに的を置いたが、ここは距離が離れているだけでなく、上を向いた状態で弓を引かなければならない。
素人に対していきなり難易度を上げすぎかとも思うが、段階を踏んでいる場合ではない。
実践では動く的が相手なのだから。
だが、アイは何をためらっているのか、一向に弓を構えようとしない。
しびれを切らし、声をかける。
「アイ」
僕の声にアイの肩がぴくりと跳ねる。
「何モタモタしてるんだい。
もしかして、弓の構え方を忘れたとでもいうんじゃないだろうね」
「ご、ごめん」
「的をよく見るんだ。
僕に当たるかどうかの心配はするな。
君がいくら本気で射ったとしても、羽の一枚にもかすりやしないよ」
僕は挑発しせせら笑った。
わざとそんな言い方をしたが、彼女を馬鹿にする気持ちは毛頭ない。
ま、素人の矢くらい、疾風とうたわれるこの僕なら難なく避けられるだろうけれど。
どうやら僕の挑発が効いたらしく、アイは矢筒から矢を取り出し、弓につがえた。
彼女の目は、いつしか不安一色から真剣な眼差しに変わっている。
「どうなっても知らないから、……!」
タン!という小気味の良い音とともに、僕の抱える的に衝撃がのしかかる。
「くっ」
想像よりも重みがあった。矢筋も的確だ。
「へえ、やるじゃないか。ど真ん中だよ」
「……うそ」
彼女もまさか初っ端から真ん中に当たるとは思ってもみなかったのだろう。
それもそのはず、矢を放つときに目をつむっていたのだから。
「ま、ビギナーズラックってやつだろうね。
次もそう簡単に当たるとは限らないさ」
矢を的から抜きながら、僕はおどけて口角を上げた。
「そうだよね……私、もっと練習する。
練習して、うまくなって、今度は私がリーバルを助けるよ」
アイの口から予想外の言葉が出てきたことで、僕は思わず呆気にとられた。
彼女は今、何て言った?
この僕を、助ける……?
かけられた言葉を頭の中で反芻し、気づけば盛大に声を上げて笑っていた。
彼女の柄にないセリフにおかしさと、ほんの少しの嬉しさが次から次へと込み上げてくる。
僕は呼吸を整えながら必死に笑いをこらえ、目尻をぬぐった。
「はあ……君が僕を助ける、だって?
馬鹿も休みやすみ言いなよ。
僕ほどの腕利きが、素人の君に助けられるような場面に出くわすなんてあるわけないだろ」
「そっ、そうかもしれないけど!
でも、ガノンは予言のとおりに復活したんでしょう。
世の中、何が起こるかわからないじゃない」
「億が一、僕が窮地に陥ったとしてもだ。
君が僕を助けるなんてこと、天地がひっくり返っても絶対にありえないね」
「はいはい、そういうことにしておきますよー」
アイはぶっきらぼうに返事をしながら二本目の矢をつがえる。
二発目の矢は、大きな弧を描くと、僕の足元よりずっと下の壁にこつんとあたった。
それを見て、一度抑え込んだ笑いがまた込み上げてくる。
ああ、なんてかわいいんだろう。
この感情が本物にせよ、偽りにせよ。
今この瞬間、彼女を愛おしいと思うこの感情だけは、特別だ。
(2021.2.23)