新涼の風渡る夜に

温かい指先(前編)

厄災との戦いに敗れ死人となり神獣ヴァ・メドーに閉じ込められていた僕は、100年の時を経て現れた退魔の騎士あいつの手によって解放されたあと、厄災との再戦を控えていた。
そんな矢先だった。どこの馬の骨ともわからない女……アイに呼び出されたのは。

この小さな一室に住まい、見慣れない型の服をまとい、見慣れない機器を使いこなし、見慣れない文字を用いる。
何とも珍妙な文化の種族だが、話してみればハイラルの住民と何ら変わりない。普通の女だ。

彼女はこの僕にも臆さず、はっきりとものを言う。
気丈に振る舞うせいではじめこそ気の強いタイプなのかと思ったが、案外そうでもなく、ときどき気弱な言動をとることもある。
そういう起伏の変化を正直面倒に思いもするが、気を持ち直すのが早いせいか、往生際が悪いくらい踏ん張ってる姿を見ていたせいか。
それとも……このワンルームにふたりきりで、長く押し込まれていたからだろうか。
気づけば目が離せなくなっていた。

しかし、触れようにも触れられない。
互いを認識し会話をすることは可能であっても、僕と彼女とでは相容れない立場であることに変わりはないのだと突きつけられているみたいだった。

そんな彼女との退屈なまでに単調な生活はある日唐突に幕を下ろした。
厄災との決戦の直前に、ハイラルからお呼び・・・がかかった。
あまりに突然のことで、日が経つごとにあれは夢幻だったんじゃないかとさえ考えたくらいだ。

けど、無事に宿願を果たし、ついに召されるときがきたのかと思ったとき、気づけばまたあのワンルームにいた。
初めて出会ったときと同じように、彼女は僕をまじない・・・・で召喚したのだという。

この世界ではまじないの類はおおむねインチキだと謂われるようだが、その割に二度も成功例を挙げてるんだ。案外才能はあるんじゃないか。
今の仕事でげっそりして帰ってくるくらいならいっそ召喚士にでもなればいいと冗談めかして言えば、アイはあなたのために使った力を、他人のために使いたくはない、と言った。
そもそも僕は召喚してくれなんて頼んじゃいないが。

強いて言えば、体がものを透き通るのを何とかしろと思ったくらいだ。
それはハイラルに霊体として留まっていたときからそうだった。
だからだろうか。再びここに召喚されたとき、願い通りに体が実体化していた。

鼓動が脈打ち、体温も感じられる。
おまけに、どんなに足掻いても出ることの叶わなかった部屋からの脱出も可能になっていた。
生きていたころに感じていたままの五感。
もはやこれは生き返った、と言ってもいいんじゃないか。
……なんて一時は思いもしたが、早々に結論付けるのは浅はかだった。
試しに外に踏み出してみたが、道行く人は誰一人として僕の存在に気づきやしない。
興味の対象ではないという意味ではなく、文字通り姿が見えていないのだ。

けれど、こんな半端な状態で召喚されたことは、むしろ好都合かもしれないとも思う。
アイ曰く、僕はこの世界ではハイラル同様……いや、ある意味今のハイラル以上に有名だからだ。
そんな僕が現実に存在したとなれば……どうなるかは明白だ。
彼女とも一緒にはいられなくなるかもしれない。
それに、人目を気にせず自由に飛び回れる空が手に入ったのだ。それ以上欲をかきすぎてかつての二の舞になるのはさすがに格好が悪い。

あとあとわかったことだが、実際は僕や彼女からすれば見た目には実体化して見えはするものの、意識していなければ透き通るのは変わりないようだ。
つまり、触れたいものに触れたり触れさせたりできる、ってわけだ。言い換えれば、勝手の利く体だと言っていい。
ハイラルにいたころからこの特殊な体だったなら、カースガノンの光線を食らわずに済んだ……なんて考えるのはよしておこう。

メドーに100年閉じ込められていたこれまでを思えば、何だってマシに思えてくる。

「リーバルさん?」

呼びかけに、思考が目の前の食卓に引き戻される。
彼女が淹れてくれたコーヒーはもう湯気が立っていない。ついつい考え込んでしまっていた。

「コーヒー、淹れなおしましょうか?」

「いや、いい……」

立ち上がろうとした彼女を制し、コーヒーを流す。すっかり冷めきって少し渋みがでてしまっている。
そういえば、ここにきてすぐのころはこうしてコーヒーカップに触れることさえできなかったことを思い出す。

「どうしたんですか?」

気遣わしげな声にはっとアイを見やると、彼女は探るような視線を向けてきた。

「……何が?」

「リーバルさんにしてはめずらしくぼーっとしてるから」

見透かすようなことを言われるのは嫌いだ。そんな僕の性分をわかっていながらなおも食い下がってくるなんてお節介にも程があるが、そこが彼女の美点でもあるから余計に厄介だ。

「別に。これまでのことを思い出してただけさ」

「ふうん……」

自分から聞いておきながら、こちらが言い紛らわせればすっと引いていく。
関心があるのかないのか、イマイチ掴みどころがない。
何だかいいように扱われているみたいでシャクだ。

……少し驚かせてやろう。ふと浮かんだ企みに、彼女の驚いた顔が目に浮かび口角が上がる。

僕はカップを置くと、食卓の上に置かれた彼女の手の甲に指先を触れさせた。

「えっ」

思惑通り、彼女はあからさまに動揺した様子で僕を見上げた。
彼女の頬は熟れたりんごのように赤く染まり、今にも鼓動が届きそうなくらい目に見えて緊張が伝わってくる。

「きゅ、急に触れるなんて反則です」

あんまり恥ずかしがられるせいで、こっちまで気恥ずかしくなってくる気がして、重ねた手を引っ込める。
むずがゆさを紛らわせるように首をかくが、どうも落ち着かない。

「こ、このぐらいほんの戯れだろ。そっちだって再会したときいきなり抱きしめてきたくせに、よく言うよね」

「あ、あれは感激のあまり咄嗟にっていうか……その……っ」

「ああもう、わかったから!」

そんな潤んだ瞳で見つめられると、さすがの僕でも我慢しきれない。

狼狽えるアイを抱きかかえると、ベッドに横たえた。
覆いかぶさるように囲い込めば、不安げに僕を見つめる目にはみるみる涙が溜まっていく。

「悪いけど、そういう目は逆効果でしかないよ。けど、そうだな……ここまでにしておいてほしいのなら、今ならまだ要求を聞き入れる余地はあるけど?」

正直、固唾を飲んで僕を見つめ返す悩ましげな眼差しに、今にも理性のタガが外れてしまいそうだ。
その気になれば、彼女が泣きわめこうが懇願しようが、乱暴に食らいついて乱すことだってできるが、そんな無作法で野蛮なことはしない。
相手のペースを配慮するだけの余裕は見せておかないと、あとあと文句を言われかねないからだ。
けど、僕の想定に反し、彼女はゆっくりと首を左右に振った。

「や、めなくて……いいです」

わざわざこっちがペースを合わせてあげてるっていうのに、何なんだ……いったい。
おかげで済んでのところで保たれている理性はグラついて、本能が抗うなと僕をそそのかし始めている。

「いいのかい?ここから先は……わかってるよね」

「大丈夫、ですから……」

無防備に散らばるアイの髪をすくい、くちばしの先に擦りつける。

「……確認はしたからね」

恍惚とした表情で僕を見上げるその瞳に引き寄せられ、薄く開かれた唇にそっと唇の先を押し当てると、彼女は迎え入れるように唇を薄く開いた。
この温もりを、感触を、どんなに待ちわびたか。
生暖かい呼吸が漏れるそこに舌を潜り込ませ舌を絡めながら、喉越しのくぐもった声に、その先への期待が膨らんでいく。
これ以上はもう、耐えられそうにない。

(2021.11.15)

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