新涼の風渡る夜に

プロローグ

仕事でミスをした。ちゃんと気をつけていればしないような些細な失敗だが、ケアレスミスだからこそかえって上司からはこってり絞られた。
もうここに入ってどのくらい経っただの、集中力が欠けているだの、説教はミス以外にも及び、その日は気分が沈んだまま業務を終えた。
仕事に対する熱意がないわけでも不真面目なわけでもないのに、このところどうも調子が悪い。
この理由わけには何となく気づいている。
この繰り返すだけの毎日に、満たされない思いが募りに募り、いつしか散漫になっていったのだ。

たった一つでいい、この単調な日々に、ほんのささやかな彩りが欲しい。

そんな浅はかな願いを胸に、私はネットで調べたおまじないなんてものを試していた。
いい歳してこんな子どもだましで現実逃避なんて馬鹿らしい。内心ツッコミつつも、必要な道具も手順も端折らずに結構真面目にやった自分に笑えてくる。
仕事もこのくらい真剣に取り組んでいればあんなことを言われずに済んだんだろうな。なんて浮かんだが、自己嫌悪に陥る前に思考を振り払う。
せっかくのオフタイムを仕事のことなんて考えて無駄にしたくない。

結論から言えば、私の願いは聞き届けられた。ただ、それは思いもよらないかたちで、だが。

おまじないに使ったろうそくの灯火ともしびが、網戸から吹き込んできた突風に吹き消され、室内は一瞬にして闇に飲まれた。
深夜に一人きりの部屋でこの状況は結構コワイ。

すぐさま明かりを付けようと手探りで電気のスイッチを探していたとき。
突然、目の前の床から、冷気をまとった淡い緑色の炎のようなものがぼう……と音を立てて吹き上げはじめた。
驚きのあまり腰を抜かしてしまった。
目にしたことのない現象に出くわすと、人は声が出せないらしい。
目前で繰り広げられる光景を呆然と眺めていると、その炎のなかから、よく見知っている人物の姿が現れた。

一瞬、テレビでも見ているのかと思った。
だって、目の前に現れたその人が、画面越しに見るのとまったく同じ姿だったから。

現実を受け止めきれず口をぽかんと開けたままの私を置き去りに、赤に彩られたまぶたはゆっくりと開かれ、現れた翡翠が目の前で尻もちをついたままの私を認識した。
ぼんやりと注がれた視線は、たちまち訝しむように細められる。

「僕を呼んだのは君かい?」

少しエコーのかかった気だるげな声に、私の心臓は今にも飛び出さん勢いでどくどくと脈打ち始める。
「僕を呼んだのか」という問いに、まだ混乱したままの頭で、彼が私のおまじないによって召喚されてしまった可能性に思い至る。

「は、はい……多分……」

声が裏返ってしまった。恥ずかしい。
彼は、後ろ手を組んであごを反らせると、想像通りの嫌味たっぷりな笑みをそのくちばしにのせた。

「あんまりしつこく呼ばれるもんだから、どこのどいつかと思って来てみれば……ふん、これまた随分凡庸そうな子ときたもんだね」

思い描いていた通りの辛辣な物言い。
目の前に現れた人物は、寸分も違わず、まさしく、リトの戦士リーバルその人だった。

(2021.12.30)

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