聖なる子守唄

20. 砂漠の月下(下)

事前に街中に包囲網を張っていたことやリーバル含む精鋭が配備されていたことが功を奏し、退路を断たれた砂漠の月下がついに取り押さえられた。
生け捕りにするよう命じられていたものの、砂漠の月下の抵抗は激しく、無傷での確保は叶わなかったそうだ。
深手を負っているとのことで、聴取の前に私が傷の手当てを引き受けることとなった。
私が役目を担った際、リーバルにしては珍しく遠回しに懸念を述べ、私がまた手荒なことをされるのではと案じてくれているようだったのが嬉しかった。
けれど、端くれとはいえ元は僧侶たる身。一連の事件の主犯とはいえ、怪我をしている人を放っておくことなどできない。
腹に決めたことを言い聞かせるように口にすると、リーバルは釈然としない様子で腕を組み、小さく舌打ちをした。

「君のそういうところだよ。簡単に隙なんて見せるから付け込まれるんだ」

呆れながら文句を垂れつつもどこかおどけた調子の彼に乗っかり、冗談めかして返す。

「それは以前のあなたへの皮肉とも取れてしまいますよ」

ふん、と冷笑を浮かべながらも、どこか穏やかに目を伏せたリーバルは、しばしの沈黙のあと、ぼそりと呟いた。

「……とにかく、奴には気をつけるんだね」

深く頷くと、リーバルは「よし」と目じりを下げた。

街の牢では不足があるとのことで、砂漠の月下の収監は特例として牢獄跡となった。
牢獄内は長年人が足を踏み入れていなかったためにところどころ荒廃が進んでおり、砂漠の月下との面会を除いても決して安全とは言い難い。そのため、私の護衛としてリーバルも同行することとなった。
日の光の入らない地下牢は薄暗く、松明の明かりだけが頼りだ。
複数名の牢番が在中しているとはいえ、そんな薄暗いなかに単独で向かうとなれば勇気がいっただろう。
からかわれるのが目に見えているため気恥ずかしくて言葉にはしがたいが、彼が同行を志願してくれたときは心底頼もしく思った。
リト族は暗闇が弱点だと聞くが、視界が覚束ないであろう場所にもかかわらず、リーバルは凛然とした態度を崩さない。
そんな彼の勇姿に励まされながら、足音の響く階段を一段一段踏みしめつつ降りていく。

砂塵の散らばる床を踏みしめるじゃりじゃりとした音さえも響くほど静かな牢獄内は、奥へ進むにつれ松明の明かりでは乏しくなってゆく。
壁際に立ち敬礼の構えで見送る牢番は生きている人であるにもかかわらず、表情が陰っているせいかどこか不気味に思えてくる。
ぞわりと粟立つたびにただならぬ雰囲気に飲まれそうになるが、恐怖心を懸命に堪え、早足に前を行くリーバルに後れを取らないようについて行く。

しばらく進むと、リーバルは突きあたりの牢の手前で足を緩めた。
それにより、いよいよ目的の人物との対面の刻が来たことを悟り、一気に不安感が押し寄せる。
よほど心情が顔に出てしまっているのか、気遣わしげに声をかけてくる。

「……どうしても無理だっていうんなら、今からでも引き返したっていいんだぜ」

その言葉に釣られてつい決断を覆してしまいそうになる自分が歯がゆい。
もし私が引き返すと言えば、あとで何だかんだ小言を言われることになろうとも、この場では私の意思を尊重してくれるだろう。

「だ、大丈夫です。……務めを果たしてみせます」

自分に言い聞かせるように決意を口にすれば、少しだけ、覚悟がついたような気がした。

「やれやれ、どこまでも強情っぱりだな、君は」

そう揶揄やゆした彼は、不意に笑みをこぼすと、声を潜めながら「その調子だ」と耳打ちしてきた。
ぼそぼそと耳に吹き込まれた声にどきりと心臓が跳ねる。
こんな状況にもかかわらずからかってくるなんて、とつい抗議の眼差しを送りそうになるが、こんなときでさえ相も変わらぬ彼の調子に乗せられてか、いつの間にか体のこわばりが解けていた。

意を決し、牢の格子に歩みを進める。
格子の鍵を開けつつ牢内を覗き込むと、そこにはベッドに腰をかける青年……砂漠の月下と思わしき人物がいた。
まとっていたイーガ団の装束は脱がされ、簡素な麻の服を身にまとい、面に覆われていた顔もあらわとなっている。

仄暗い闇でも目立つ、小麦色の髪。その容貌の面影には、どこか既視感がある。
うつむいたままの顔がおもむろに上げられ、黄金色の瞳と視線が絡んだ瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
まさか……まさか……!

「兄さん、なの……?」

青年は私の呼びかけに血のにじむ腕を押さえうめくと、額に汗を浮かせながらも力なく笑みを浮かべた。

「やあ、アイ。……また会ったな」

昔と変わらぬ穏やかな笑みに、幼き日の神殿での記憶が鮮明に蘇ってゆく。
気づけば涙で頬が濡れていた。

「兄さんが砂漠の月下なわけない……!」

「違う、と言えたらどんなに良かったか……。だが残念なことに、俺こそが君たちが”砂漠の月下”と呼ぶ張本人だ」

「そんな……どうして……!」

「どうして、か……。そう思うのも無理はないだろうな。確かに、君と過ごしたあのわずかな時が、俺にとっても一番幸福に満ちていた時なのだから」

その言葉から、彼がどれほど苦悩に満ちた人生を送ってきたのか、痛いほどに悟った。
けれど、何が彼をそんな風に苦しめ、同胞の殺戮さつりくを行うまでの狂気を孕むに至ったのかまでは計り知れない。

「穢れなき聖女の君には、到底理解できないだろう。なぜ俺が手を汚すまでに成り下がったのかなんて」

土ぼこりにまみれる己の手を見つめながら、自嘲交じりにつぶやく彼に、胸がぎり、と締め付けられる。
何か言葉をかけたいけれど、どんな言葉を述べても綺麗ごとにしかならないような気がしてはばかられる。
砂漠の月下は私の胸中を見透かしたように目を伏せると、しばしの沈黙のあと、そっと口を開いた。

「俺がまだとおのころ。近衛の家系のあるじが城下からはるばる神殿を訪ねてきた。主は実の息子を幼くして病で失ったとのことで、跡取りにぜひ俺をと望んだ。
俺は神殿での暮らしが気に入っていたし、何よりアイと離れるのが辛かった。血のつながりはないとはいえ、君を本当の妹のように思っていたからだ。
だから、俺を引き取る条件としてアイも一緒に引き取るよう頼んだが、俺の願いも虚しく、アイはすでに引き取り手が決まっていると知らされた。まさかそれが王家だったとはつゆほども思いもしなかったけどな……。
その主は俺を実の息子同然に可愛がってくれた。だが、あるときその主も病に伏してな。さらに時悪しく、俺を引き取った家が間もなく破産した。
主がついに寝たきりになったとき、親族の勝手な決断により人身取引の業者に売り飛ばされた。わずかな金銭と引き換えにな。以来数年奴隷としてこき使われたが、行商でたまたま訪れたイーガ団のアジトで総長に目をかけられ、買い取られた。
団での任は過酷だったが、まともに食事を与えられないことや肉がえぐれるほど鞭を打たれることに比べれば断然マシだった。むしろ、鍛錬や任での成果を上げれば高評を与えられ、我が子同然に面倒を見てくれる総長の元での日々は、充実したものだった。恩義を感じないほうがおかしいだろう?
やっと居場所を得られたとばかり思っていた。だが……それもある事実によって一変しまった。
主の親族は、イーガ団と繋がっていた。主が病に伏した原因も、家が破産することになった原因も、すべて奴らにあったのさ。
その事実を知り、俺はこの世界の何もかもに嫌気がさした。誰のことも、何も信じられなくなった。
そうして、この世界への復讐を誓い、世を戦乱に陥れてやろうと目論んだというわけさ。
……これが、一連の事件に至る経緯と動機だ」

しん、と牢内が静まり返る。
長い長い静寂の後、牢に入ってからずっと沈黙を貫いていたリーバルは、沈黙に負けず長いため息をつくなり苛立たしげに口を開いた。

「馬っ鹿じゃないの?」

本人を目の前にして一刀両断にするリーバル。あまりに率直すぎて思わず二度見してしまった。
砂漠の月下もまたリーバルの露骨な言動に驚いてか、彼を見つめて唖然としている。

そんな様子にもお構いなしに、リーバルは腕を組みふんぞり返るとなおも続ける。

「被害者ぶるのもいい加減にしてくれるかな。
百歩譲って、奴隷として売り飛ばされた挙げ句、汚れ仕事をするようになった、ってとこまでは避けようがなかったのかもしれないし、同情してあげなくもない。
けど、言ってしまえばそれ以外は全部あんた自身の責任だろ。
裏切られた人生だからって世界中を敵に回して、無関係な者まで巻き込んで傷つけて回るなんて、ただの独りよがりじゃないか。
それに……あんたが城下に火を放った日、あそこにはアイもいたんだぞ」

「そんな……まさか」

「大事な妹を死なせずに済んで良かったじゃないか。ま、あのときわけあって僕がこの子を連れ去ることとなったから生きながらえたようなものの、もしああでもしてなかったら……最悪、火に巻かれてたかもしれないね?」

容赦ない物言いでそう言い切ったリーバルに、砂漠の月下は後悔をつぶやき、額を抱えうつむいた。
リーバルは、動じもせずにじっと見据えると、静かに、しかし説き伏せるように述べた。

「一度手酷い過ちを犯した者からの忠告だ。大事なものを失いたくないなら……今後一切、軽率な行動は慎むことだね」

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酷くうなだれる砂漠の月下が落ち着くのを待ち、私は彼の衣服に手をかけた。

「上の服を脱がせますね」

砂漠の月下は「すまない……」とつぶやき、状態を起こすと私が服をたくし上げるのを助けるように腕を上げた。
あらわになった身体に動揺を隠せず、息を呑む。
痛みからか脂汗にまみれる体には、無数の古傷があった。
幾たびも、幾日いくかも鞭で打たれた続けてきたのだろう。
深く抉られた背中があまりに痛々しく、視界が潤んでいく。

彼が鞭で打たれていたとき、私は一体何をしていたのだろう。
彼の談を受け、わかり切ったつもりになっていた。それでも事情はどうあれ、彼の罪を思えばリーバルの叱責ももっともだ、などと思っていた。
だけど、それでもこれは、あまりに酷すぎる。

「つらいときにそばにいてあげられなくて、本当にごめんなさい……」

砂漠の月下は、黙ってかぶりを振ると、どこか諦念の入り混じる笑みを浮かべ、私の頬を伝う雫を拭った。
私も精いっぱい笑みを浮かべ、傷口に祈りを込め、聖なる子守唄せいなるニンアナンナを口ずさむ。

無事に手当てを終えたころ、牢番が面会時間の終わりを告げに来た。

リーバルに急かされ重い足で立ち上がり、牢から出る。

「待ってくれ」

じゃらりと手枷を繋ぐ鎖が鳴り、砂漠の月下が立ち上がる気配がした。
鉄格子越しに私を見つめる彼は眉を震わせ、透き通るような黄金の瞳は、今にも雫が溢れてしまいそうなほどに潤んでいる。
そんな姿にまた胸が張り裂けそうなほどの痛みを訴え、見つめ返し続けることができず、顔を背けてしまう。

「……アイ、綺麗になったな」

彼が紡いだのは、たったそれだけだった。けれど、その一言に私の目からは堰を切ったように涙が溢れてやまなかった。

「リーバル。どうか、アイのそばにいてやってくれ。……よろしく頼む」

次から次へと涙が溢れるせいで、リーバルがどんな顔をしているのか私にはわからなかった。
けれど、ぼやける視界の隅で、彼の手が固くこぶしを握ったのを捉えた。

「あんたのことは嫌いだけど、僕に化けたあの変装の腕……あれだけは確かだったよ」

思いがけぬ賛辞に驚いたのだろう。砂漠の月下は意外そうに息を呑むと、小さく声を漏らして笑った。

「変装の腕を”本物オリジナル“に褒められたことはなかった。実に光栄だ」

その言葉を最後に格子から離れると、彼は満足そうな笑みを浮かべながらこちらに背を向けた。

「君たちとはもう会うことはないだろう。最後に一目会えて本当に良かった」

決意に満ちた声色。私は返す言葉が何も出てこず、彼の背が見えなくなってもずっと泣いていた。涙の止め方を、忘れてしまったかのように。

(2023.08.04)

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