久しく踏みしめたヘブラの地は、しばらく暖地や砂漠の熱砂を踏みしてていた足には少しひんやりとして感じられた。
僕やアイの帰還を事前に知らされていたのだろう。リトの村に着くころには上空で歓喜の声が飛び交い、口々に無事を祝福された。
とりわけ、サキはアイのことをあれからもずっと案じていたらしく、彼女がともに村に帰ったことを知りとても喜んでいた。
ハイラル王はアイを娶りたいという僕の願いを聞き入れ、彼女の常任を解く代わりに、有事の際は城に集結し姫の護衛を務めることを僕ら二人に約束させた。
無論、仰せつかった役目には誠意をもって応じる心づもりだ。
ハイラル城からの応援もあり壊された建物の修繕は滞りなく進み、リトの村はついに元の姿を取り戻した。
一度途絶えた物流も間もなく再開し、日に日に活気づいていくだろう。
村に帰還後も休みなく働き、しばらくはゆっくりする間もなかったが、リトの村に作業要員として常駐していたハイラルの兵士たちが撤退するころには、いつもの日常をとり戻していた。
しかし、日々に忙殺されていることを言い訳に、僕はずっと煮え切らないままでいた。
今日こそは伝えよう。そうやって日ごとに想いばかり募らせておきながら、いざ口に出す瞬間がよぎるたびに「性に合わない」と頭の片隅でプライドが疼く。
けれど、そんなある日。しびれを切らしたアイが、ついに切り出した。
「私たち、夫婦になりませんか」
彼女の言葉を耳にした途端、不甲斐なさとともに先を越された悔しさでまたプライドが疼いた。
こんなことなら、さっさと告げておけばよかった。
「君さあ……そういうところだよ。聖女のくせに淑やかさに欠けてるよね。こんなときこそ僕を立てて待つくらいの気骨を見せられないのかい?」
「待ってましたよ、ずっと。だけど……なかなか口にしてくれないから……」
やれやれと肩を竦めると、そんな僕に呆れたような笑みを浮かべながらも、彼女はぽつりぽつりと想いを紡ぎ出した。
「はじめは……何て利己的な人なのだろうと。そう、思っていました。目的のためならば、手段を選ばないしたたかな人なのだと。
けれど、私の認識とは裏腹に、村の皆さんがあなた抱く感情はどれも敬慕に満ちたものばかりで、手厳しくも人情味のある方なのだと知りました。
知れば知るほど、あなたは奥深くて、語り尽くせないほど、魅力的で……」
断続的に続く彼女の言葉がついに途切れた。
噛みしめられた下唇に、彼女の心の奥を表すように透き通った雫が、つう、と伝う。
「私には、もったいないくらい……っ」
吐き出すように告げられた本音は、リトの僕よりも小さな体ごと腕に閉じ込めた。
「……僕の妻に、してあげる」
やっとの思いで絞り出した声は、やはり思い通りの言葉にはならなかった。
けれど、アイはさして気分を害した風でもなくおかしそうに笑った。
「まったく、あなたって人は……」
恰好つかない自分を紛らわせるべく頬を掻いていた指先は、小さな指にいたずらに捕らえられてしまう。
「そんなあなたも、大好きです」
唐突で率直な言動に困惑する僕の頬に押し付けられた柔らかな唇。
大胆なことをしでかしておきながら、頬を赤らめる。そんな彼女のいじらしさにとうとう根負けした僕は、たまには柄でもないことでも口走ってみるか、と重いくちばしをようやく開いたのだった。
「……夫婦になろう」
「聖なる子守唄」(完)
(2023.10.01)