微甘。夢主視点。
双子馬宿の客からの依頼でエンゼル台地に咲く花の採集に向かう夢主。しかし、目的の花を見つけたところで大雨に見舞われてしまう。
そこへ、合流地点に夢主がいないことを案じたリーバルが探しにやってきて……。
エンゼル台地に群生する青い花を摘んできてほしいと双子馬宿の客に頼まれ、易々と引き受けた私は、ふたご兄橋を渡り切り、川沿いに切り立つ崖を目前にしたところで立ちすくんでしまった。
馬宿からすぐだと聞いていたが、距離は近けれどすぐ辿りつける場所とは言い難い。
地図を見る限りさほど高い台地ではないことはわかっていたが、これほどの岩山とまでは想定していなかった。
橋を渡れば馬宿に引き返せる。今からでも戻って断ろうかと思ったが、それはそれで悩むところだ。
あさっての任務のため事前に合流する手筈のリーバルは、現在カカリコ村周辺で別件にあたっている。
そちらが片付くまで待機を命じられたため、少なくともあさっての早朝まで馬宿で過ごさなければならない。
……とはいえ、馬宿に戻ったところでほかにすることもないのだ。
上空を移動することもあるため、城から支給されたパラセールは常備している。
万一断崖絶壁で足を滑らせたとしても、急いで広げれば少なくとも死は免れるだろう。
「……よし、行こう」
腰掛けのあるところを選び、足をしっかりとかけながら慎重に登っていく。
森を抜ける通常の登山道とはわけが違い、登りはじめからすでに周囲の景色が開けている。しかも命綱もない。
なるべく視野の外側を意識しないように目の前の岩山と戦うことに集中した。
岩壁を登りきると、唐突に草木の生える平らな台地が現れた。
周囲には雨風にえぐられてところどころ地面が屋根のようにせり出したような地形だ。
獰猛な動物も見当たらないため、登山道が整備されもう少しアクセスが良ければ、キャンプスポットになりえるだろう。
双子山とフロリダ山の谷間風が吹き抜けるアージェ台地を抜ければ、間もなく目的のエンゼル台地だ。
しばらく平らな道が続いて安心しきっていたところに再び岩山が現れる。
最初の岩壁よりは幾分か傾斜が緩やかだ、とクタクタな足を励ましながら、最後の一歩まで踏ん張って何とか登りきった。
頂上に着いた途端一面に現れた花畑に、それまでの苦労が和らいでいく。
一人で依頼を受けて森のなかや小山を登ったことは何度もあったが、ここまで険しい高台に一人で登ったのは初めてだった。
少し心細くて何度も泣きそうになったが、めげずに頑張って良かった。
荷物から花を巻くための布を取り出し、一輪摘もうと手を伸ばしたとき。頬に冷たい感触があたった。
ぽつぽつと降り始めた雨は一瞬にして豪雨となった。
大きな雨粒が辺りに咲いた花々を殴打し、次々に茎が倒れていく。
無事な花だけでもと思ったが、雨が容赦なく体を打つせいで、視界も悪く作業に集中できそうにない。
ここまで来て……。悔しさに唇を噛みしめ身を起こすと目の前の花に背を向けた。
予報では晴れのはずだったが、高所の天気は低地と違い不安定だと聞く。仕方がないことだ。
ひとまずこの台地のすぐ下で見つけた岩場で雨宿りをしよう。
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たき火を焚くと、濡れた服を乾かすために羽織りと上着を脱いで肌着だけになった。
ここに来るまで人には会わなかった。この雨じゃさすがに誰も来ないだろう。
手近に転がっていた木の枝をいくつか地面に刺して、そこに服を広げてかける。
落ち着いたところで、腹の虫が鳴った。そういえば、登るのに夢中で朝から何も口にしていない。
こういうこともあろうかと、念のため食料を用意しておいたのだ。
リンゴを一つ取り出し、皮ごと丸かじりしはじめたとき。
雨風が一層強まり、手のなかのリンゴが地面に転がる。
焚き火の炎や私の髪が巻きさらわれるほどの豪風が吹き上がったかと思うと、雨の向こうに黒い影が降り立った。
突然目の前に現れたそれに警戒し脇に置いておいた短剣に手をかけた私は、こちらに歩み寄ってきたその姿に一瞬にして気を緩める。
「リーバル!」
翼で雨を遮りながら周囲を見渡していたリーバルは、私の声にはっとこちらを向いた。
「アイ!……ここにいたのか」
私の姿を見つけ目尻を少し下げると、岩場の下に入り込んできた。
「早く任務が片付いたんでね。さっそく君と合流しようと双子馬宿に向かったらエンゼル台地に向かわせたって言うからさ。頂上まで飛んでみたものの君はいないし……ずいぶん探したよ」
「そうだったんですね。すみません、お手間をかけてしまって」
「まあ、こうして君は無事なわけだし。別にいいさ」
雨のなか飛び回っていたのか、全身がぐっしょりと濡れている。
あごや頬の羽毛の先にたまった雫が汗のようにぽたぽたと垂れ、何だか艶めかしい。
自分を探しに来てくれたであろう人に何を思ってるんだとかぶりを振る。
何となく感じる違和感に意識を向けると、リーバルのふくらはぎに何かが括りつけてあるのが目に留まった。
が、それよりも彼の視線が気になる。
ちら、と私の顔から少し下に向いた視線が流れるように干してある服に向けられたのに気づき、自分が肌着姿であることを思い出してばっと腕で隠した。
リト族が人間の肌に感じるものがあるのかはわからないけれど、種族は違えど彼は男性。
ハイリア人やシーカー族同様、異性に見られてしまったと認識したらしい私は、顔から火が出そうなほど恥ずかしさを覚えた。
羞恥に顔を歪めるのがおかしかったらしく、声を潜めて笑われる。
「その様子じゃ花は採集できなかったのか。災難だったな」
少し小ばかにしたような言い方にムッとするが、雨に打たれて倒れていく花の姿を思い出し、苛立ちは落胆に変わる。
「花を摘もうとした途端に降られたんです。せっかくここまで来たのに」
抱えた膝にあごを乗せため息をつく。
「まあ、そんなに落ち込むなよ。頑張ったご褒美に、これをあげるからさ……」
そう言うと、リーバルはふくらはぎに括りつけてある包装紙を取り外し始めた。
先ほどから何となく気にはなっていたが、まさか私へのプレゼントだとは。
私のかたわらに腰を下ろすと、リーバルは包みを広げ、なかのものを私に差し出した。
小さな花弁がふんだんに密集する、白い花。アジサイだ。
「これを、私に……?」
かたわらに腰を下ろしながら、ああ、とリーバルはうなづいた。
「カカリコ橋の付近で花売りが露店を開いてたんだ。いらないと言ったんだけど、しつこくてね」
不要だと言いながらも買ってあげる姿が目に浮かぶ。口は悪いがいい人ぶらないのは彼の美点だと思う。
押し売りされたのでは私のために選んでくれたのではないだろうと少し残念に思ったが、私の知る限り彼が誰かにプレゼントするのを見たことがない。
そんな彼がどんなかたちであれ私には特別にしてくれたことが嬉しくて、大きな指先でつまむように持つそれをしみじみと受け取った。
「ありがとうございま……」
そこで思考を終えていれば良かったものを、長雨で鬱蒼とした気持ちは、余計な記憶まで引き起こしてしまう。
途中で言葉を途切れさせた私の表情が曇っているのを目ざとく捉えたリーバルは、立てた片足にだらりと乗せた片翼を翻しながら緩慢に首を振った。
「やれやれ。せっかくこの僕が特別に贈り物をしてあげたってのに、ずいぶん浮かない顔してくれるね」
「いや、何でもないんです。気にしないでください」
「水臭いな。はぐらかされたら余計気になるじゃないか」
流してくれる気はないらしく、じっと穴が開くほど見つめられ、視線から逃れるように、彼から滴ってできた水たまりに目を向ける。
「……アジサイの花言葉を思い出してしまって」
「へえ、どんな言葉だい?」
「確か、”移り気”とか”冷酷”とか、あまり良くない意味だったような。……ごめんなさい、せっかくいただいたのにこんなこと言って」
すると、リーバルは、小さくため息をついた。
「なんだ、知らないのか……」
ん?どういうことだろう。
そのつぶやきを最後に会話は途切れてしまい、彼はどこか不機嫌な様子でスカーフと髪留めをさっさと外し始めた。
きっちりと編まれてあった髪が解け、ゆるやかにねじれた下ろし髪が、露わになった肩口にするりと流れる。
日頃の彼からは想像したこともなかった艶やかな姿に、少し胸がとくんとときめく。
上半身にまとう胸当てまで外し始めたときにはさすがに顔を反らせた。
何食わぬ顔で外していくが、彼は異種族に裸体を見せることに抵抗はないのだろうか。
あるいは私が女であることを認識されていないだけかもしれないが。
リーバルは手荷物から取り出した布がしっとりと濡れているのに小さく舌打ちをしながら、ぞんざいに翼を拭き上げていく。
そのあいだにも髪から垂れた雫が彼の背を伝っていくのに気づき、荷物から大きな布を取りだすと、そっと彼の髪に触れた。
急に触れたせいか、ばっと身を退けられてしまう。
「何だよ、急に……!」
「髪が濡れたままなので、拭いて差し上げようかと」
「は、はあ……?」
ほら、後ろ向いてください、と急かすと、彼は少し気恥ずかしそうにしながらも黙って背を向けた。
意外と座高が高いので、膝立ちにならないと手が届かない。髪を束ねて持ち上げると、すっとしなやかなうなじが現れた。
手ですくうようにするのがどうやらくすぐったいらしく、ぴくりと震える肩にクスッと思わず笑みがこぼれる。
「何笑ってんの」
肩越しに薄目でじろりとにらまれる。向けられた長し目に、またもやどきりとしてしまった。
今日の私はどうかしてるのだろうか。雨のなか一人高地に取り残されようとしていたところに彼が来てくれたことで安心しきっているのかもしれない。
彼の髪に、ぽんぽん、と布をあてているうちに、急に寒気がきて身震いし、くしゃみをしてしまった。
咄嗟に顔を背けたため彼は無事だ。服のことといい、どうも今日は彼に恥ずかしいところを見られてばっかりな気がする。
「おいおい、大丈夫かい?」
「大丈夫です。ちょっと寒気がしただけ……」
リーバルが体ごとこちらを振り向いたと思ったときには、すでに彼の腕のなかだった。
拭き取った後のしっとりした羽毛。その奥の熱がじんわりと伝わってくる。
どくん、どくん、と激しく打つ鼓動が、胸板に押し付けられた耳に大きく響いて、私の鼓動も伝わってはいないだろうかとはらはらする。
「君たち人間は羽毛が生えてないんだ。こんなところで風邪を引かれてあさっての任務に差し支えでもしたら困るからね」
聞いてもいないのに言い訳を述べる彼を見上げると、背けられた横顔が少し赤らんで見えた。炎に照らされてそう見えるだけかもしれないが。
「リト族の羽毛って、こんなにあったかいんですね」
ぎゅっと腰に腕を回すと、彼も腕の力を少しだけ強めた。
「……ふん。この状況でわざわざ言うことがそれ?」
その言葉に、心臓がひときわ激しく脈打った。
「花言葉の話の続きをしようか」
唐突に切り出された言葉に、だんだん速くなってゆくのは、私の鼓動か、それとも彼自信の鼓動か。
「花には、色ごとに花言葉があるのを知ってるかい?アジサイも例外じゃないんだぜ」
彼がくれたアジサイの花を横目に見る。
よく見知るピンクや青のアジサイとは異なり、何にも染まらない無垢な色。
「白のアジサイの、花言葉……」
「さあ、何だと思う?」
「わ、かりません……答えは何ですか?」
腕の力が緩んだことに何事かと彼の顔を見上げると、ずいっとくちばしの先が口元に寄せられる。
触れるか触れないかのところまで迫ったとき、彼がそれはそれは意地悪な顔でにやりと笑った。
「教えないよ。まだ、ね」
舐めるように唇を見つめられ、今まさに触れようとしたそれは、すんでのところで呆気なく離れていった。
がっかりなような、少しほっとしたような、どうにももどかしい気持ちが渦巻く。
立ち上がった彼の視線の先を辿ると、雨が小降りになっていた。
「さて、そろそろ雨も止みそうだし、さっさと依頼を終わらせよう。
さっき、ここの付近にも目的の花の群生を見つけたんだ。頂上の花がだめでも、そっちで摘めればいくらかは渡せるだろ」
「……そうですね」
「ついでに馬宿で食事でもどうかな?」
「は、はい。もちろんです」
お誘いに嬉々としてそう答えてしまったが、もちろん、だなんて大げさだったかも。喜んでるのが伝わってしまってたら気恥ずかしい。
あんな風に抱きしめられたばっかりにいちいち彼のことを意識してしまう。
「……虹でもかかればいいのにね」
天井から滴る残り雨に向かって彼がぽつりとつぶやいた言葉に潜む真意は私には計り知れない。
けれど、彼と私のあいだには、晴れ間の陽光のようにあたたかなものが差しているように思えた。
終わり
ハイドランジア…西洋アジサイ
花言葉…白→「寛容」「ひたむきな愛情」
(2021.6.13)
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★あとがき&ナツ様へ
こんにちは!夜風です(*^^*)
夏バテでお休みをいただくと告知した直後に筆が乗りましてですね。夜にゾーンに入ってから一気に書き上げました(それでも構成から5時間はかかった)
今日(2021.6.12)は昨日に比べて天気も良く、昼夜少し涼しかったおかげかもしれない。
夢主が好きでアプローチを試みるも決定的なことを口にするのを躊躇してしまうリーバル様と、リーバル様を男性として意識はしているものの恋心だと気づく一歩手前な夢主。
この微妙~な感じが一番絶妙だと思ってるので相変わらずの焦らしプレイでほんとにすみません(笑)
カカリコ橋の付近で花売りが露店を開いてたのは本当だけど、押し売りされたのはウソで、リーバル様自身が花言葉をリサーチしてわざわざ白を選んでるといいと思います。嘘の中に真実を混ぜるといいってドストエフスキーもピクシス指令も言ってた。
リーバル様の最後のセリフは何とはなしに書いてしまったものなのですが、ふと「虹ってなんか幸運のジンクスあったような…?」と思い出しまして。
調べたところ「恋仲にある二人が一緒に虹を見ると、二人の仲がさらに深まる」というまさにこの話にぴったりな意味が込められていたため、そのまま採用しました…!
あとがきで解説入れないと意味が伝わりにくそうなのはリーバル様が回りくどいからということにしといてください(正:私の文章力が低いせい)
ナツ様!梅雨時に相応しいリクエスト、ほんとにありがとうございます(*’▽’)
当初はカカリコ村かハテノ村にふたりで住んでる設定で、任務からリーバル様がびしょびしょで帰ってくるおうちデートのお話になる予定だったのですが、あれこれ膨らませていくうちにタウリン1000mg配合なあのCMを彷彿とさせなくもない岩壁を登っちゃう夢主が爆誕いたしました。
双子馬宿からエンゼル台地に向かう平坦な山道のルートをご存じの方。おられましたら夜風まで!
夜風より