見知らぬ主と書き置きペンパル

9. 主の凱帰

その日は唐突に訪れた。
血溜まりのような赤黒い空がこの世のすべてを覆い尽くすほどに広がり、各地の大地からは燃え広がる炎の渦と黒煙が立ち昇った。
とうとう厄災が復活したのだ。
戦乱はかつての封印戦争の比を見ず悪戦況であるとまことしやかに囁かれていた。
ハテノ砦が攻め落とされるするのも時間の問題だ、この村ももう終わりだと村を飛び出す人々。
私の家族もいつでも逃げ出せるよう荷造りをするなか、私はただ主人の無事を信じ吉報を待った。
ハイラル王国が研究を重ねていた古代の兵器は厄災の手に落ちたと報告が入ったときも、彼の操る神獣が厄災の魔の手に落ちたと聞いたときも、絶対に諦めなかった。
たとえその翼をもがれようとも、彼はきっと諦めない。だから私も最後まで諦めず、彼の無事を心から祈っていた。

そうして迎えた明朝。
家が揺れるほどの地響きと轟音で目を覚ました。
厳密には一睡もできずまどろみから覚めたのだが、頭は眠気を忘れるほどに冴えていた。
靴も履かず外へ飛び出すと、ハイラル城の方角からまばゆいほどの光の柱がそびえ立ち、暗雲の立ち込める空をまさに白一色に染め上げた瞬間だった。
目にも温かなその光が消え去るとやがて空は暁のほのかな水色に染まり、村に残った人々は厄災との戦いがついに終結したのだと悟った。

それから間もなく、城から使いの兵が村を訪れ、王国への帰還を命じられた。
しかし、厄災の出現とともにハイラル城は陥落し、これまでのように奉公を行える状態ではないという。
何となくそんな予感はしていたが、主と過ごした思い出のあの部屋に立ち入ることは叶わないと知り心底気落ちした。
修復が完了するまでは復興の支援を行うようにと命じられたが、命じられずとも当然そのつもりだ。
今の私にできることなら何だってしたい。

主人の安否を尋ねたところ、リーバル様は大層活躍され無事であるとのことだった。
兵士の言葉を聞いた私は兵士が語る主人の目覚ましい活躍の数々に感服して耳を傾けていたが、何より無事であることに酷く安堵して人目もはばからず大泣きしてしまった。

彼に……リーバル様に逢いたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

急いで荷物をまとめると、家族にしばしの別れを告げハイラル王国へと向けて馬を走らせた。
リーバル様もほかの英傑の方々もご無事だと伺っている。
戦いの傷を癒すため、今はほかの兵士たちとともに城下町に滞在されているのだそうだ。
はやる気持ちを抑えようにも、どこまでも続く街道に想いばかりが募っていく。

荒廃した平原を横切り城下町へたどり着くころには、すでに真昼を過ぎていた。
町の入り口で馬を放し、町の門をくぐる。

「……!」

無残にも焼き討ちされた町はほとんどの家が倒壊し、僅かにかたちを残す家並みもほとんどが焼け焦げくすぶっている。
このありさまでは、私の家ももう残っていないだろう。

噴水のそばで休息を取る兵士、建物のそばに座り込んで悲観する町民、建物の残骸を運ぶ大工たち。
無事に厄災の危機を超え、喜ぶ人々。

それぞれ思いおもいの面持ちを浮かべる人々のなかに、彼……リーバル様の姿を見つけた。
焼け残った塔の頂上に立ち、町一体を見渡している。
いつも自信に満ちあふれて涼やかな色を湛えたその目は、町の惨状に悲観してか少し陰って見える。

あの日……城下町の物見塔で再会を約束した夜から、もうかれこれふた月は過ぎただろうか。
あれからずっと、彼を思い出さなかった日はない。

「リーバル様……!」

駆け寄りながら声を張ると、リーバル様は私を見つけるなり舞い降りてきた。
ところどころ焦げ付いた装備。乱れた羽毛。
疲れの浮かぶその顔は、されど喜びに満ちていた。

「よくぞご無事、で……」

労いの言葉をかけようとした私を、彼の腕が強く抱きしめた。

アイ……!」

愛おしい声が、久方ぶりに私の名を紡ぐ。

「またお会いできましたね……」

「おや?……僕の活躍を期待して待っててくれたんじゃないの?」

相変わらず冗談好きな我が主人のささやきに、涙を浮かべながら小さく笑う。

「……ずっと信じて待ってたに決まってます」

赤い装具の腰に手を這わせ、引き締まった背中に腕を回す。

「おかえりなさい、リーバル様」

「ああ……ただいま」

いつから近くにいたのか、気づけば周りにはリーバル様のお仲間たちが集まってきていた。
ダルケル様が冷やかすように口笛を吹き、ウルボザ様が「お熱いねえ、お二人さん」と楽しげに茶々を入れてくる。
こういう密なやり取りを他人に見られることを極度に嫌うリーバル様の性分をわかってはいたが、引きはがすように腕を解かれ少しだけ気持ちが沈む。
しかし、行動とは裏腹にリーバル様のくちばしからは彼らしからぬ言葉が飛び出した。

「悪いけど、邪魔しないでもらえるかな。こっちは数か月ぶりの再会なんだけど」

思わず面食らって二度見してしまった。
またいつもの冗談かと思ったが、彼の目は真剣そのものだ。

「おやまあ、リーバル。ヴァーイ相手にも素っ気ないあんたにしちゃ、なかなか粋なこと言うじゃないか。見直したよ」

「冷やかしは御免だ。今はこの子と二人にしてくれ」

いなされてもこたえた様子のないウルボザ様は「そうしようかね」とダルケル様と目配せし、くすくすと笑うミファー様の肩を抱いて去って行った。

「まったく……あの様子じゃ絶対ほかの連中にも言って回るな……」

こめかみを押さえながら目を閉ざすリーバル様。
困ってばかりの様子がおかしくて、見慣れない新たな一面に愛おしさが込み上げてくる。
ぐっと腕を引き寄せると、油断しきった身体がぐらりと傾き、リーバル様は「うわっ!」と驚きの声を上げた。
豊かな羽毛に覆われた頬にキスをすると、大きな翡翠の目が一層見開かれる。

「リーバル様……大好きです」

そのまま後頭部を胸に抱き寄せると、リーバル様は「……おかえしだ」と小さく呟き、私を抱き上げた。
急に浮いた体に驚いて彼の肩にしがみつくと、いたずらっ子のようなしたり顔を浮かべる彼と目が合い、互いに笑みがこぼれた。

彼と、彼の仲間たちが身命を賭して築き上げた太平の世が、永久に続いてゆきますように。

(2024.6.7)

次のページ
前のページ