プルアがゼルダとリンクを引き連れて私の家を訪れたのは、町の常駐兵に言付けを頼んで小一時間経ったころのことだった。
すぐに来てくれたということはそれだけ非常事態であるということだろうが、当のプルアは、テーブルの上で腕組みをしてむすっと見上げてくるリーバルの姿に目をぱちくりさせた途端、腰を曲げて大笑いしだした。
リーバルはプルアを刺し殺さんばかりの鋭い視線でにらみ、その鋭い視線のまま彼女の背後から現れたゼルダとリンクにぎょっと目を見開かせた。
「どうして君たちがここにいるんだい!?」
まさか……と疑心を投げ寄越す彼に、私じゃない!と首を振ると、プルアが前に進み出た。
「ああ、私が呼んだの!アイからあんたがハダカだって聞いてたからさ。
明日には薬の効果が切れるだろうけど、それまでの辛抱って言ってもそんな可愛らしいハンカチを巻いただけの恰好じゃさすがに不便でしょ?」
リーバルは自分の体に巻いたハンカチを指さされ、ぐっと息を呑んだ。
確かに私が普段使っている女もののハンカチを巻いたままというのは、常に体裁を気にする彼からしたら尊厳が損なわれてしまうほどの恥だろう。
リーバルは、目覚めるとすでに体が小さくなっていたらしい。
息苦しさで意識が浮上し、埋もれていた布から這い出るとなぜか全裸で、布団だと思っていたそれこそが身にまとっていたはずの寝衣だったそうだ。
寝る前にベッドサイドのテーブルに置いた髪留めなどの装飾具も今の彼には腰掛けほどの大きさだ。
普段髪を結わえている彼に下ろし髪は落ち着かないらしく、私の裁縫箱の太めの糸を切ったものをリボン代わりにして一つにまとめている。
見慣れた三編みもよく似合っていたが、いつもと違った装いというのは何だかかっこよく見えてしまうものだ。
ゼルダは腰をかがめ、リーバルと視線を合わせる。
「リーバル、ごめんなさい……。服を仕立てたらすぐにお暇(いとま)しますから」
リーバルはふん、と鼻を鳴らすと、彼女の後ろのリンクにちらりと視線を寄越す。
じっとリーバルを見下ろしていたリンクは、彼と視線が交わると口元に小さく笑みを浮かべた。
笑みを浮かべたこと自体は悪くない。何ならこれまで表情に乏しかった彼が目が合った際に笑みを向けるなんて大きな進歩と言ってもいいだろう。
ただし、それはこんな状況でもなければの話だ。
「おいおい。久々の再会だというのに、きちんと挨拶もしないどころか、この僕を笑い者にするなんて言い度胸だね、君?」
案の定、リンクが小ばかにするような笑みを浮かべたものと受け取ったらしいリーバルは、目くじらを立ててわめきだした。
そんなのはもちろん彼の主観なのだが、リンクが、悪い、と律義に謝罪をするもんだから、それが余計に彼の神経を逆なでしてしまう。
この二人、解任の日に手を取り合ったんじゃなかったのか。
しかしながら小さな体では何を言ってもあどけなく映ってしまうらしく、プルアはふたたびお腹をよじって笑い、ゼルダも微笑ましいものを見るようにクスクスと笑う。
「……早く仕立ててさっさと帰ってくれ」
頭を抱えるリーバルに私もこっそりと笑みを浮かべる。
明日には効果が切れる。プルアの言葉に、内心ほっとした。
もし一生そのままだったら……。プルアが来てくれるまで、そう浮かぶたびに不安で仕方なかった。
けれど、本来それは私よりも彼のほうが感じることだろう。
普段と変わりなく飄々と不敵な笑みを浮かべる彼だが、無理をしてはいないだろうか。
プルアにも原因はわからないそうだが、私たちの心当たりから察するに、やはりリーバルがアンチエイジの試作品をかいでしまったことに原因があるだろうとのことだ。
ゼルダが服を仕立てはじめたころ、プルアはその件についてさっそく調べると言い残して帰ってしまった。
ゼルダとリンクとは数週間ぶりの再会で、二人とも厄災討伐前に比べいきいきとした顔つきだった。
このあと埋没した塔の確認に立ち会うとのことで、用を済ませると早々に経ってしまったが、久しぶりに元気そうな姿が見られてうれしかった。
去り際に、この研究が完了したら城の中庭でお茶会をしましょうとゼルダは残していった。
「ふん……短時間で仕立ててしまうとはね。あの姫はいっそテーラーにでも転向したほうがいいんじゃないかな」
冗談めかしつつゼルダが仕立てた服をさっそく身にまとったリーバルは、生地が厚いとごねながらも、リト族が普段身にまとう服と遜色ない型のそれに関心したように目を輝かせている。
生地が厚いのは、私たちが普段身にまとう服に使う布でそのまま今の彼のサイズの服を仕立てたのだから仕方がない。
これでも結構薄い生地を使ったとゼルダは言っていた。
私が畳んだタオルを積んでソファーに見立てたそれにドカッと腰を下ろすと、背もたれに腕をかけながらリーバルは首を左右に振った。
「まったく……無害だとしてもまさかリトにこんな副作用をもたらすことにも気づけないなんて。研究者のくせに詰めが甘いにも程があるよ」
「まだ治験に回す前ではっきりしてなかったことですし、すぐに効果が切れるってわかったんですから」
「結果としてはそうだろう。でもさ……」
リーバルは、そこまで言って唐突に口をつぐんだ。
のぞき込もうとすると、彼は不機嫌そうに顔を歪めながら、やっぱりなんでもない、と濁した。
私の追求から逃れるように反らされた視線が下に向かったとき、彼はふと思い立ったように座ったばかりのソファから立ち上がった。
「それよりさ、姫が直々にあんなたいそうなものを用意してくれたんだ。せっかくだし見てやろうじゃないか」
リーバルの言葉に、そういえば、と思い出す。
ゼルダは何かの役に立てばと言って、幼少の頃遊んでいたというドールハウスを持ってきてくれた。
まるでハイリア人が小さくなるのを想定したかのように、実際の家をそのまま小さくしたような精巧さだ。
リーバルの背丈には多少小ぶりではあるものの、彼からすれば一軒家のなかにいるような感覚とのこと。そのため、2階建てで屋根裏まであるハウスは床から屋根までそこそこ高さがある。
このドールハウスは、職人に特注し、家具から内部の食器に至るまで一つひとつ本物を縮尺してつくらせたそうだ。
特注というだけでもかなりの値打ちがありそうだが、カップや家具のところどころにあしらわれた金の装飾やシルバーの食器など、城下町では貴族のお屋敷や教会くらいでしかお目にかかれないような代物だ。豪華絢爛という言葉が相応しい。
こんな高価なものを、いくら友人とはいえ易々といただくわけにはいかない。
そういったわけで、ゼルダは快く譲るとまで言ってくれたが、リーバルが元の姿に戻り次第必ずお返しすると約束してある。
だがしかし、丁重に扱わなければと考えているそばから、粗方ハウス内を見終えたらしいリーバルは、ダイニングスペースに戻ってくると、ハウスの天井まで高さのあるガラス張りの大きな食器棚から何のためらいもなくティーカップを取り出した。
そして、あろうことか把手をくわえたまま飛び立ち、ダイニングテーブルに降り立ったのだ。
抜かりない彼が食器を割るなんてそうそう考えられないが、そのくちばしからころんとカップが床に落ちるのを想像してしまい冷や汗が浮く。
通常なら周囲に強力なつむじ風を巻き起こすほどのリーバルトルネードもそよ風同然で、床からテーブルの少し上までしか浮かび上がらなかったことにリーバルはひどく当惑した様子を見せた。
とはいえ、体が小さくなったことで飛行に支障が出るのではと懸念していたが、ちょっとした振動や風の動きに敏感にはなったものの飛ぶぶんには支障はないとのことだが。
リーバルが掲げる片翼から指先で摘まむほどの小さなカップを慎重に受け取ると、ティースプーンの先を紅茶に浸し、しずくを一滴ずつカップに垂らす。
表面張力で中身が隆起したそれを、注ぎすぎだよ、とたしなめながら啜ると、リーバルはふたたびタオルを積んだだけの即席ソファに腰を下ろした。
自分のぶんを注ぎ湯気を冷ましていると、リーバルがじっと見上げてくるのに気づいて、どうしたんですか?と声をかけた。
彼は目を細め、感慨深そうにこう言った。
「君をこういうアングルで見ることって今までなかったし、ちょっと新鮮だと思ってさ」
言われてみれば確かにそうだ。
いつもは私よりずっと背が高い彼を見上げるばかりで、こうして彼を見下ろすのは初めてかもしれない。
この非常事態に少なからず不安を抱いている私とは反対に、彼自身は楽しみを見出そうとしていることに驚かされる。
「リーバルは、不安じゃないんですか?」
「別にどうってことないさ。まあ、元の姿に戻りたいとは思うけど。
悩むのは万一ずっとこの姿のままでいなきゃいけないとわかったときでいいんじゃないの?」
今の彼は飛ぶことはできてもこれまでの彼のような飛行スピードでもなければ、弓を握ることもできない。
なのに当の本人は、こんな状況において戸惑いの色を浮かべはしても酷く落ち込んだりせず、冷静に現状を受け止めようとしている。
体は小さくとも、やはり彼がリーバルであることに変わりはないのだ。
「リーバルは……やっぱり強いですね」
「……」
リーバルは、ふん、と鼻を鳴らすと、こちらには目もくれず、黙って空になったカップを差し出した。
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ドールハウスのベッドを寝室に運ぼうかと提案してみたが、彼は枕をベッドにすると言い張った。
食器類こそハウスのものに頼ったものの、それ以外は浴槽を勧めてもソファを勧めても、頑なにこの家にあるものを使おうとする。
彼がそうしたいならと受け入れていたものの、何か思うところがあるのに我慢しているのでは……とだんだん不安になっていく。
先に自分の枕に横たわった彼を尻目にベッドサイドのカンテラの炎を吹き消し、問いかけようとしたとき、私の懸念を見越したように彼が先に切り出した。
「今から話すことは僕の独り言だ。だから……何も言わずに聞き流すんだ。いいね」
はい、と答えそうにになって、口をつぐんだ。応える代わりに彼をじっと見据える。
暗がりのなか、窓から差し込む月明かりがリーバルの小さな横顔を照らしている。
彼は腕枕に頭を乗せ、いつもよりもずっと高いであろう天井を見据えていたが、ゆっくりとまばたきをすると、おもむろに打ち明けてくれた。
「さっきは大見得切ってあんなこと言ったけどさ。一つだけ、気にかかってることがある」
ちら、とこちらをうかがうと、気まずそうに視線を反らし、ごく小さなため息をこぼしたが、少し迷った後、こちらに寝返りを打った。
「万一の話なんて本当はしたかないけど……仮に今この瞬間、君に何か災いが降りかかったとしても、この姿のままじゃ守ってあげられないかもしれないだろ。
僕だけの問題なら、たとえどんな目に遭おうとも切り抜けられる自信がある。けど、君が絡むとなれば、その限りじゃない」
彼に聞き流せと釘を刺されなかったとしても、何も言葉を紡げなかっただろう。
「僕が言いたいこと……わかるよね?」
頬に伸ばされた小さな翼に指を重ね、じんわりと目に浮かぶ涙をこぼしながらこくりと頷くと、彼は涙をそっと拭い、私の下唇にそっとくちばしを押し当ててきた。
小鳥がついばむようなキスは、少しくすぐったかった。
「話は終わりだ。僕がこんなことを言ってた、だなんて、口が裂けても言うんじゃないよ。わかったらさっさと寝るんだ」
きびきびとそう言い、そそくさと背を向けた彼は、もういつもの調子だった。
小さな背中に向かって、おやすみなさい、と声をかけると、ややあって、おやすみ……アイ、と返ってきた。
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翌朝、少し早めに目が覚めた私のとなりには、すでに元のサイズに戻ったリーバルの姿があった。
彼が元の大きさに戻る際に引きちぎられてしまったと思われるミニチュアサイズの服が枕元に転がり、小さくなってしまったときと同じく一糸まとわぬ姿で寝息を立てている。
プルアがああ言った以上最悪な事態には至らないだろうと思っていたはずなのに、それが現実のものとなってようやく安心感が芽生えてきた。
起こさないようにそっと布団をかけ、ベッドから上体を起こす。
「わっ」
ぐいっと彼に腕を引かれたことにより再びベッドに体が沈む。
「君は、僕が……」
私の夢を見ているのだろうか。普段よく回るはずの舌は今はたどたどしいが、私の耳には”守り通す”とはっきり届いた。
「夢のなかじゃなくて、起きてからちゃんと言ってほしいな……」
赤く彩られた彼の頬をなでると、薄く開かれたくちばしの先に口付けを一つ落とした。
(2021.7.25)