「今日はここまでね」
記憶の装置を頭から外しプルアに視線を送る。
カルテをにらみながらあごに手を添え唸る様子から察するに、今日もこれといった成果は得られなかったようだ。
振る舞いこそ普段と何ら変わりはないものの、流した前髪から覗く目には少し疲労が浮かんで見える。
「お疲れのようですね……」
カルテにさらさらとペンを走らせていたプルアは、キョトンとした顔で私を見ると、申し訳なさそうに後頭部をさすりながら苦笑を浮かべた。
「あ~わかっちゃう?ごめんね、気ぃ遣わせちゃって」
「大厄災は終息したとはいえ、後世のために引き続き研究を行っているとうかがってます。そのかたわら、この記憶の研究以外にも何か新たな試みに取り組まれているとか……」
「ロベリーから聞いたの?まったく、あいつ口が軽いんだから!」
「……おい」
手のひらでペンのキャップを心持ち強めに閉めると、こそっと耳打ちしてきた。
「実はさ、アンチエイジっていう若返りのアイテムを開発してんのよ」
「ええっ!不老不死ってことですか?」
「シッ!」
「おい、聞こえないのか?」
思わず声を上げてしまった私の口をふさぐプルアにもごもごと、すみません、と言うと、彼女は私の肩に腕を絡ませさらに声を潜める。
「これは私が個人的に作ってるものなの。まだ試作段階だから公にはしないでね」
「わ、わかりました」
「ふーん、若返りの研究ねえ」
すぐ背後でハキハキと声がかかり、私とプルアの肩がビクッと跳ねあがった。
振り返ると、麻袋のひもを肩に引っ提げ、あごを反らせながら見下ろすリーバルと視線がかち合った。
怪しげに細められたまぶたに冷や汗が浮く。
「リーバル!早かったですね」
「まあね。僕の翼なら城下町からここまでものの数分だよ」
私より先に今日の実験を終えていたリーバルは、待っているだけでは退屈だからと城下町に食材の買い出しに行ってくれていたのだ。
彼の肩にはパンパンに膨れた麻袋が担がれ、ひもで閉じられた袋の口には入り切れなかったバゲットの端が頭を出して香ばしい香りを漂わせている。
「あんたその鉤爪でよく忍び足なんてできたわね……」
「忍び足?馬鹿言うんじゃない。僕が何度声をかけても気づかなかったのは君たちのほうだろ。そんなだからイーガ団に背後を取られるんだ」
「言われてみれば、何度か呼びかけられていたような……」
「今の話、聞いてたわよね?」
プルアが気まずそうに小声で尋ねると、リーバルはふふん、と笑った。
「リトの耳を舐めないほうがいいよ。
それはそうと……実際問題、君が開発中のナントカってアイテムの実装が実現すれば、退役した兵士の肉体を若返らせて万一のとき再び戦場に駆り出せるな。君にしちゃまあまあ画期的な発想じゃないか」
「たったあれだけの情報で研究意図まで見抜くなんて、リト族一と名高いのは弓と飛行能力だけじゃないのね。”一を聞いて十を知る”とはよく言ったものだわ。
ね、いっそ戦士なんてやめちゃってさ、その洞察力を活かして研究者にならない?」
「おあいにく様。ま、僕ほど怜悧な頭脳の持ち主なら研究者としても名声をほしいままにできるだろうけど、君たちのようなクレイジーな連中と肩を並べてこんな暗い場所に詰めるなんてまっぴらごめんだね」
「あっそ。せっかく褒めてあげたってのに、ほんとつれないわねえ……」
ツンとしながらリーバルが肩から下ろした袋に、プルアは目を留めのぞき込む。
「それ、何が入ってんの?もしかして差し入れだったりして?」
リーバルは袋の口を緩めながらチッと舌打ちすると、なかを探り小さな包みを取り出した。
紙の包みをはがし現れたのは、水あめにコーティングされたイチゴーーイチゴあめーーだ。
イチゴあめがちょこんと刺さった木の棒を目を反らせながら差し出される。私のためにわざわざ買ってきてくれたのだろうか。
はにかみながらそっと受け取り、ぼそぼそと、ありがとう、とつぶやいた。
「城下町で出店が出てたからたまたま立ち寄っただけだ。別に君たちのためじゃない。アイのついでだよ」
「へえ、アイのために買ってあげたんだ?案外彼女思いなとこもあるんだね~、さすがリトの英傑サマ!」
声高に調子のいいことを言いながら、にこやかに両手を差し出したプルアに、リーバルはこれ見よがしに口の端を歪める。
「何だい、その手。君のぶんはないよ?プルア」
「はあ?」
調子づいたリーバルに、プルアの引きつった笑顔に亀裂が入るのが見えた。
冷淡な笑みを浮かべ頭に角を生やし、口早に捲し立てる。
「まさかとは思うけど、誰のためにいつも助力してあげてるかわかってないってことはないわよね?怜悧な頭脳だもんね?」
「……」
揚げ足を取られ押し黙るリーバルのこめかみに青筋が浮き上がる。
黙ってすっと差し出された飴の包みに、プルアは、おっ、気が利く~!と心にも思ってなさそうだがそう言って包みを受け取り研究者たちに配りに行ってしまった。
「やれやれ……」
「リーバル、プルアには弱いですよね……」
「何か言ったかい」
食い気味にじろりとにらみ下ろされ、いえ、と顔が引きつる。
「しかし、彼女にしちゃなかなかおもしろいこと考えるね。僕がいずれ老いたときにアイテムが完成していたら若返らせてもらおうかな……」
冗談なのか本気なのかどちらとも取れる調子で、近くの台で火にかけられているビーカーをリーバルがのぞき込んだときだった。
「わっ!」
ビーカーの中身がぼふん!と破裂音を立ててもくもくと煙を上げ、リーバルは仰け反った。
間一髪で避けていたため煙は浴びていないようだが、あと少し遅れていたら彼の上体は煙に包まれていたに違いない。
「ちょっと、何してんの?」
あめを配り終えたプルアが音を聞きつけ戻ってきた。
咎めるような口ぶりに、翼で煙を払いながらリーバルが抗議する。
「何もしてないよ。そのビーカーからいきなり煙が上がったんだ」
「ああ、大丈夫大丈夫!アンチエイジの実験用で、人体には害がないやつだから」
そろそろ火から下ろさないとね、とプルアがトングでビーカーを下ろす様子に、やっぱり研究者はないな、とリーバルは首を振った。
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研究の日は帰りに買い出しをすると戻りが夕時になりがちだが、今日は早めに研究を終えただけでなくリーバルがあらかじめ買い出しを済ませてくれていたこともあり、いつもより早めに帰路についた。
短距離とはいえ私と買ったものを抱えて飛んだのに、リーバルに疲れた様子はなく、麻袋をテーブルに置くと機嫌良さそうに中身を取り出しながら夕食の話を始める。
「チーズもたくさんあることだし、今日はさっき城下で買ったバゲットと野菜で……」
言いかけた言葉が止まったと思った瞬間、コートハンガーに上着をかけながら話に耳を傾けていた私は、ガタガタと派手な音にびくりと肩を跳ねさせ背後を振り返った。
「リーバル!」
散乱する野菜やパンに囲まれて膝をついている彼は、胸を押さえながら肩で呼吸をしている。
荒々しい息にただ事ではないことを悟り、慌てて駆け寄りのぞき込む。
「リーバル、大丈夫ですか?どこか苦しいんですか?」
「ちょっと……息が苦しい、かな……」
いつもの口ぶりでそう言ってへらりと笑っているが、視点が定まっていない。
体に触れてみても体温は普段より特別高いようには感じない。食中毒なら同じ食事を口にした私にも症状が現れていないとおかしいし、研究所では記憶の装置を装着する前に薬を飲んだが、体に害はないし、もう何度も摂取し飲みなれているものだ。
城下町で何かもらったにしても、症状が出るには早すぎる。とすると、考えられるのは……。
「もしかして、アンチエイジの実験用の薬のせい……?」
「ああ、さっきのビーカーのやつ……?それなら煙は浴びる前に避けたはずだよ……。それに、あれは人体に害はないって……言ってなかったっけ……?」
「浴びなかったとしても、煙を吸ったりしませんでした?」
「さあ、そこまでは気が回らなかったな。……けど、言われてみれば、においは嗅いだかも……」
「そんな……」
リーバルの体がぐらつき、私の肩にもたれかかってきた。
よろけそうになりながら何とか重みを受け止めると、リーバルはごめん、と伏し目がちに目を反らせた。
しおらしい彼がめずらしくて、胸がきゅ、と締め付けられる。
「……とにかく、ベッドに移動しましょうか。このままではつらいでしょう」
私の肩に翼を絡ませ立ち上がったリーバルは、鉤爪の足を踏ん張りながら立ち上がった。
苦しそうに息を弾ませる横顔を見つめながら、一つの可能性に突き当たる。
「もしかして、人体に害はないと言っても、リト族には何か影響があったりして……」
私のつぶやいた憶測に、ふん、と鼻で笑うと、横目にこちらを一瞥し目を細めた。
「……考えたくもないね」
こんな状況でもブレないのは彼らしいが、ここまで弱った姿はカースガノンとの戦い以来見たことがない。嫌な予感ばかりが募る。
リーバルをベッドに寝かせると、腰に携えたトラヴェルソを構え、治癒の曲を奏でた。
淡い光に包まれると、荒々しかったリーバルの呼吸が徐々に落ち着いてゆき、光が収束するころにはいつもの調子を取り戻して起き上がった。
「ふう……助かったよ。君の奏でる音色があれば医者いらずだな。それで君の記憶喪失も直せたらこんな苦労はないってのに」
「冗談言ってる場合じゃないですよ。この一件をプルアたちに報告しないと」
「……それは明日にしよう。息切れはなくなったけど、疲れまでは取れてないからね。
今から研究所に戻って今日一日隔離……なんて言われようものなら、たまったもんじゃない」
「わかりました……」
研究所まで一人で向かわせるわけにはいかない。かといって私も一緒にとなると必然的に彼の背に乗せてもらう必要がある。
私の笛の音で症状は回復したとはいえ、原因がわからない以上は今の体で余計な負担をかけさせられない。
ひとまず、一晩様子を見て、明日朝一で研究所に向かうことにした。
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「アイ!おい、起きろ!」
名を呼ばれ、はっと意識が覚醒する。
そうだ、昨日はリーバルが急に体調を崩し、原因を探るために今日朝一で研究所に向かうのだった。
がばりと身を起こすと、近くで声がしたはずのリーバルの姿が見当たらない。
すでにキッチンに向かってしまったのだろうか。
「リーバル?」
目をこすりながら廊下に向かって声を張ると、予想外の方向から声がかかった。
「……こっちだ」
声に従い視線を下に降ろした私は、その姿に目を大きく見開いた。
リーバルは、私の掛け布団の上であぐらをかいて腕組みをしていた。
しかし、その姿は……おそらく、鳩や立ち上がったリスよりも小さい。
「ええっ!!」
驚く私に眉間のしわがより深まる。
「小さ……」
「それ以上言ったらどうなるか知りたいかい?」
「いえ、すみません……」
こんなこと言えばあとで間違いなく報復されるので口には絶対出せないけれど、たぶん今の彼になら素手で太刀打ちできそうだ。
なのに、低い声や言葉のすごみが普段と変わらないせいで、姿こそ縮まってしまったものの威厳までは変わらない。
けれど、ちょこんと座り上目遣いに私をにらむ姿は、何というか……。
「か、かわいい……」
「なっ……って、うおっ!」
両手でがしりと胴体を掴み持ち上げると、リーバルは両手をばたつかせ私の手の甲を殴りだした。
「おい、離せ!この姿なのをいいことに僕を鷲掴みにするなんて大した度胸だね、君!」
「ご、ごめんなさい!つい……」
いきり立つリーバルを解放し両手のひらの上に乗せる。
彼の罵倒に平謝りしながら、寝起きの頭をフル回転させ、まずすべきことを思案する。
「これは、プルアたちにいち早く報告しないと……」
(2021.7.12)