記念文

その素顔はあどけなく

ラネール湿原一帯の調査を終えた私たちは、次の目的地であるカカリコ村に向かう道中、湿原の馬宿でお昼休憩を挟むことになった。
今日の昼食はハイリア川で獲れたマックスバスの塩焼きだ。この辺りで獲れる魚は川の流れが速くよく泳ぐため身のしまりが良いのだとか。
それだけでなく、この一帯は山菜も豊富でマックスラディッシュやキノコ類も群生している。
ここへはたまたま立ち寄っただけだが思いがけない収穫を得て姫様はすっかり上機嫌だ。
皿やカトラリーを並べ終えると、魚の焼き加減を見ていたリンクのかたわらにしゃがみ顔を綻ばせた。

「香ばしい香りが漂ってきましたね。もうそろそろ火が通りそうです」

「はーい!こちらもあともうちょっとです」

薄切りにしたマックスラディッシュをほかの野菜と和えていた私は、声掛けに返しながら皿に盛った。
綺麗に整えたサラダをダイニングに運んだとき、ふとリーバルの姿が見当たらないことに気づく。

「あれ?リーバルはどちらに?」

「さっき宿のなかでポスターを眺めているのを見かけた」

焼き上がったマックスバスの刺さる木の棒を手に立ち上がったリンクは、それをダイニングの大皿に置くと、宿のなかを覗き込み「あれ?いないな」と小首を傾げた。

リーバルがこうしてふらっといなくなるのはそう珍しいことじゃないが、行き先を告げずにどこかへ行く場合は大抵そう遠くへは行っていない。
大方そのあたりを散策しているか、念のため敵がいないか確認しにでも向かったんだろう。

「飛び去る気配はなかったし、近くにいるとは思うけど。ごめん、こっちはまだ手を離せそうにないから呼んできてもらえる?」

「わかった!念のため森のなかを探してみるね」

こちらも焼き上がりましたよ!と手招きする姫様に会釈したリンクは、じゃあよろしく、と申し訳なさそうに片手を挙げながら魚の様子を見に戻って行った。
魚が冷めてしまわないうちに戻らないと。念のため武器を腰に携え、早足に森へ向かう。

太い木々が無造作に立ち並ぶ森は思ったより深くなく、川の対岸が見えるほど見通しは良い。
これならすぐに見つかりそうだと安易に考えていたが、思いのほかリーバルの姿が一向に見当たらない。
もしや対岸に渡ってしまったのだろうか。念のため川岸の近くを探していたときのことだった。

突然、甲高い犬の鳴き声が響いた。
宿の放牧犬の声が届いたのかと思ったが、にしては場所が近い。

何となく気になって鳴き声のした方へ向かおうとしたとき、少し離れた木の影からリーバルが姿を現した。
やっと見つけられたことに安堵し駆け寄ろうとしたが、目を疑う光景に思わず足が止まる。
一点を見つめていたリーバルがおもむろにしゃがみ込んだとき、彼の足元に小さな子犬がすり寄ったのを見逃さなかった。
子犬はふりふりと小さな尻尾をぱたつかせながらリーバルの周りを小鹿のように跳ね回っている。

「おいおい、そんなに跳ね回って川に落っこちたらどうするんだい?そーんなちっぽけな体じゃ、あっという間に流されてしまうぜ?」

遊びに誘うようにワンワン!と飛びつく子犬に、リーバルは跪いた体をよろめかせながらも穏やかに笑っている。声の調子からまんざらではなさそうだ。
あんなに楽しそうに笑顔を浮かべる彼がめずらしく、つい食い入るように見つめてしまっていた。

「こらこら……まったく、わんぱくだな。もしかして、宿から抜け出してここまできたんじゃないだろうね?」

いたずらな子犬に怒るでもなく、慈しむように微笑みかけながらその小さなあごを掻くように撫でている。
そんな彼に、何だか胸の奥が熱くなってくるのに気づいて、かぶりを振る。どうしよう、胸の高鳴りが止まらない。

早く彼を連れて戻らないといけないのに、もう少しこの状況を見守りたい気持ちが勝る。
見つかる前にどこかに隠れないと。きょろきょろとあたりを見回し手近な木に身を隠そうとした私は、足元で鳴ったパキッという音に自分の間の悪さを呪った。
よりにもよってこのタイミングで木の枝を踏むなんて不注意をやらかしてしまうとは。

聴覚の鋭いリト族の彼が、当然気づかないわけもなく。
びくりと肩を震わせて勢いよくこちらを振り向いたリーバルと思いきり目が合ってしまった。
リーバルの目が、おもむろに見開かれていく。

アイ……!?」

「こ、こんなところにいたんですね!良かった見つかって。そろそろごはんができそうなのに姿が見当たらないから探してたんです」

誤魔化すようにそう声をかけると、リーバルは我に返ったように目をしばたかせ、途端に顔を思いきりしかめた。
子犬を小脇に抱えながら、ずかずかと詰め寄られ、すぐ頭上に迫る顔にひゅっと息が詰まる。

「……いつから見てた?」

「や、やだなあ、今ここに来たばかりですよ」

「この僕に嘘が通用するとでも思ってるわけ?」

はぐらかしても無駄だと言わんとする鋭利な眼差しにこれ以上の誤魔化しは無駄だと悟り、観念して「ごめんなさい」と首を垂れる。
リーバルは焦れたように息を吐き出すと、子犬を抱き直した。

「その子は、馬宿の……?」

「さあ、そうなんじゃないの?どうやらここで迷子になっちゃってるみたいだけど」

不愛想にそう答えながらも、腕のなかの子犬をあやす眼差しが柔らかく、ついまじまじと見つめてしまう。
私の視線にリーバルはきまりが悪そうに顔をしかめた。
じ、と伏し目がちに注がれる視線は辛辣なはずなのに、変に意識してしまって「え?何ですか」と上ずった声が出る。

「……念のため忠告しておくけど」

彼の大きな翼が私の顔のすぐ横を掠め、私の背後の木を掴み、驚きのあまり仰け反った背中がとん、と木に付いた。
ゴツゴツとした木肌が直に当たってちょっと痛いが、リーバルの怪しげな目の色が気になってそれどころではない。
押さえつけられているわけでもないのに、あまりに距離が近すぎて張り付けられてしまったように動けなくなる。
鼻先に触れそうなほど近づいたくちばしの先に、顔がかっと熱くなる。

「今見たことをほかの連中に口走ろうものならどうなるか……わかってるよね?」

「わ、わかってますって!誰にも言いませんから……!」

絞り出すようにそう誓うと、リーバルは薄ら笑いを浮かべながらいい子だ、と耳元でささやいた。
呆気なく身を離したリーバルは、彼の胸当てにしがみつくように爪を立てている子犬のあたまを掻いてやっている。
その澄ました顔つきに、図られてしまったのは自分のほうだ、と未だ鳴りやまない心臓の音を抑え込むように胸元を押さえる。

「おや、どうしたんだい?顔が赤いようだけど」

「な、何でもないです!そんなことより、早く宿に戻らないとせっかくの食事が冷めてしまいますよ」

これ以上一緒にいたら身が持たない。
そう思って先に戻ろうと足を速める私の腕を、リーバルの大きな手がぐいっと引き寄せる。
唐突に触れられ呆然と見上げると、子犬をずいっと差し出してきた。
無言で私の腕に乗せられた子犬に戸惑うが、歩幅を合わせながら歩くリーバルはそれっきり何を言うでもなく顔を背けている。

腕のなかにすっぽりと収まるその小さな命は、柔らかくて、温かくて。
じんわりと伝わる温もりに、胸がぽかぽかと温かくなってゆく。これは、さすがのリーバルもあんな笑顔を浮かべてしまうわけだ。

「優しいお兄さんに見つけてもらえて良かったね」

あやしながらあたまをなでてあげると、子犬はワン!と軽やかに鳴いた。

終わり

(2024.6.4)


 

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