記念文

信愛(上)

微甘。夢主視点。
討伐任務でモリブリンに隙を突かれた夢主。自分をかばったリーバルが傷を負ったことで取り乱してしまう。
責任を感じ自己嫌悪する夢主を見かねたリーバルは、陣営の隅でうずくまる彼女にそっと近づく。


 
「危ない!!」

危険を知らせる鋭い声が、まさか自分に向けられているものだとは思いもしなかった。
そうと気づいたのは、いつの間にか私の背後を取っていたモリブリンが、手に持った剣を振りかぶったのを目にしたからだった。

避けきれない。そう頭で判断したからか、それとも無意識のうちに体が抵抗を諦めているからか。足が地にへばりついたように動けない。
空気を揺らすほどの轟音。耳をつんざくようなモリブリンの雄叫びに、覚悟を決め固く目を瞑る。

しかし、襲い来るはずの痛みがいつまで経っても訪れない。
恐るおそる目を開けると、見慣れた紺の三つ編みが視界に映る。

肩で息をしていたリーバルは、乱れた呼吸を整えるようにハッと切った息を吐き出すと、手にした弓を背に収め、焦燥に満ちた顔つきでこちらを振り見た。
しばし私の様子をうかがうようにチラチラと走らせていた目に安堵の色が浮かんだかと思えば、今度は目くじらを立てはじめる。

「ちょっと、君……」

しかし、いつもの皮肉たっぷりな苦言が溢れるかと思われたくちばしは、開きかけたところで噛みしめられた。苛立っているように見えたその顔つきが、みるみる苦悶に歪む。

「く……っ」

様子がおかしい。声をかけようと口を開きかけたところで、リーバルはとうとう肩口を押さえながら膝をついた。

「リーバル!大丈夫ですか!?」

「……っ、ああ、こんなのただのかすり傷だよ」

そうは言っても、肩口を押さえる翼には血が滲んで赤黒く染まっている。

「そんなの……、そんなの、かすり傷なわけない!」

思わず声を張ってしまった。目を丸くしたリーバルは、珍しいものでも見るようにまじまじと意地悪な視線を寄越しながら口角を歪める。

「随分必死だね」

痛みに耐えるように眉間に皺を寄せながらも、取り澄まして笑みを浮かべている。
そんな彼を見ていられなくて、目尻からこぼれそうになる涙を隠すように目を逸らした。

「自分のために負傷した人を前にして、平静でいられるはずがありません……!」

「ふーん、そう」

本当にそれだけ?……そう小さく呟いた彼の言葉には、聞こえないふりをしてしまった。
今本心を口にすれば、喉に詰まった想いが全部溢れてしまいそうな気がしたから。

手持ちの回復薬はもうない。荷物のなかから薄い布切れを引っ張り出すと、細く割いて彼の腕にきつく巻いた。

「痛っ……意外と荒っぽいね……」

そうでもしなきゃ、血があふれてくるんだもの。仕方ないじゃないか。
思考の隅で毒づくものの、浮かべた言葉とは裏腹に胸中は穏やかではなかった。

急いで陣営に帰還し、医療班にリーバルを引き渡す。
やはり傷はかなり深かったようだが、幸い高濃度の回復薬のおかげで傷が残らずに済んだそうだ。

大事なく済んだことに安堵した反面、自分の不注意のせいで怪我を負わせてしまった事実を拭い取ることができずにいた。
不甲斐なさと顔を覆いたくなるほどの羞恥心で、気が動転してしまいそうだ。

こんな自分を見られたくなくて、陣営の端に積み上げられた木箱の隅にうずくまり、何度目かわからない深いため息を漏らす。

「姿が見えないと思ったら、こんなところにいたのか」

突如頭上から声がかかり、驚きのあまり肩がびくりと跳ね上がる。
声の主を振り返ると、こちらを覗き込むようにして木箱にもたれるリーバルと目があった。もう先程のような苦しげな様子は一切感じられない。

「まーだ気に病んでるのかい?」

気取った身のこなしで後ろ手を組み、こちらに回り込んでくる。
慌てて立ち上がって砂埃を払い、おずおずと伺うと、鮮やかなグリーンの目が探るように落とされた。
いつもの調子でフフンと鼻で笑われる。……こんな情けない姿、見られたくないのにな。
だけど、意地を張ったところでもう手遅れだ。彼の些細な表情一つで酷く安心してしまって、堪えきれなくなった涙が堰を切ったようにあふれた。
涙で滲んでよく見えないが、うつむいた視界に映るリーバルの翼が、少しだけこわばったように感じた。

「お、おい。泣くほどのことじゃないだろ」

言葉にならず、ただただ首を左右に振りながら服の袖で涙を拭う。

「ごめんなさい、リーバル……っ!私のせいで……っ」

「あーあー、そんな泣きじゃくっちゃって……本当、子どもだね」

深いため息が聞こえる。こんなところで泣く女なんて、彼からしたら疎ましい存在この上ないだろう。
今だって、すっかり困った顔をしている。心底呆れさせてしまったに違いない。
止まれ、止まれ、止まれ。胸を押さえそう自分に言い聞かせるが、張り詰めていた気が一気に緩んだせいか涙は一向に止まらない。

「やれやれ」

嘆息まじりの彼の声。頭上に影が差したと思うと、ふわりと柔らかい感触があたまに乗せられ驚く。

「……アイ

いつになく静かな声色が、ためらいがちに私の名前を紡ぐ。
嗚咽を堪えて見上げると、大きな手のひらの向こうで困惑したように眉を寄せる横顔がちらりと見えた。

「もう泣くなよ。それに……」

大きなくちばしが耳元に寄せられ、思わず肩が跳ねる。

「こんなところでそんな大泣きされちゃ、僕が泣かせてるみたいだろ……」

責めるようなささやきは微かに笑いを含み、どこか冗談めかしたような口振りだ。
耳に吹きかけられる吐息交じりの低い声にどぎまぎしながら、どうにか頷いて返す。

「……仮にだ。ないに等しいけど、敢えて例として出すならの話だよ」

頬に残る涙の跡を顔を覆うほどの親指でぐいっと拭われる。無骨な指使いがちょっと擦れて痛い。

「僕がもし……今日の君みたいに油断しちゃって、敵の攻撃を受けてしまいそうになってたとしたら。君だって僕と同じ手を打ったんじゃないの?」 

彼からそんな風に信頼を向けられたのは初めてだった。
自信家で最前線で活躍している彼が、ドジを踏んでばかりの私のことなんかアテにしてくれているはずがない。そう決めつけてしまっていた。
だから、嬉しい。嬉しいけど……やっぱり不甲斐ないやら、情けないやら、何とも言えない心持ちで目をうろつかせる。
それでも、こんな私だけど、彼の言葉には自信を持って頷ける。

「そのとおりになっていたと、思います」

逸らされていた視線が絡む。その目が緩やかに細められた。

「……だろ?」

珍しく綻ぶ顔に、思わず目を奪われてしまった。
コルセットに締め上げられたときのように、胸がきつく締まる。

「ま、さすがの君もこの一件でかなり堪えたはずだ。わざわざここで説教垂れなくたって、次の任務からは嫌でも神経が研ぎ澄まされるに違いないよ」

そうあってもらわないと困るってのもあるけど、と両翼を掲げて茶化され、目尻を拭いながら笑みを浮かべる。おかげですっかり涙は引いた。

「重々気をつけます」

「何にせよ、お互い命はあったんだ。もう悔やむ必要はないんじゃないかな?僕もこの通り、傷一つ残っちゃいないわけだし。過ぎたことを憂うより、今回の反省を踏まえて今後の対策を練るほうが得策だよ」

「……はい!」

「よし、ようやくシャキッとしてきたね。それじゃ、気を取り直して早速作戦会議といこうじゃないか」

颯爽と私を先導するリーバルの肩越しの視線に、また胸が高鳴る。どうしよう。これは最早……。

終わり

(2024.1.27)


 

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