リーバルの跡を追ってバルコニーに出ると、欄干に肩肘をかけてもたれ、遠くの景色をぼんやりと眺める彼の姿を見つけた。
姫様の生誕パーティーのあの日、ガゼボで佇んでいた姿と重なり、懐かしくて思わず笑みが浮かぶ。
「リーバル」
そっと近くに行き声をかけると、私に気づいたリーバルはほんの少し顔つきを緩めた。
私に気心を許してくれてるからこその顔だと思うとますます笑みが深まるが、彼の目が訝しむように眇められたので、咳ばらいをしてごまかす。
「結構食べてたね」
リーバルのとなりにもたれかかったところで、茶化すようなトーンの声がかかり、ぎくりとする。
「城の食事なんて滅多にありつけないし、久々の宴で羽目を外したくなるのもわからないでもないけど。考えなしにあんなに食べてたんじゃ、いつかボコブリンみたいな出っ腹になっちゃうんじゃない?」
「た、確かにどれもおいしくてついつい夢中になって食べちゃったけどっ!そんなにがっついてないよ!」
「どうだか」
ニヤニヤと意地悪な視線を落とされ、熱くなる頬を冷ますように両手で押さえる。
「……リトの村で居候させてくれてたときのあなたは、もっと優しかったのにな」
思わずそう口を突いて出た。ほんの冗談のつもりだったが、リーバルは目をうろつかせ、翼の先でくちばしを隠した。
「……ごめん」
めずらしく申し訳なさそうに謝る彼にさすがに冗談が過ぎたかと焦る。
「あっ、違うから!今のはただの冗談で……」
反射的に謝ろうとして、ハッと彼を見上げる。ちらりと寄越された視線がだんだんと座っていくのを見てしまい、ごくりと固唾を飲む。
ああ、また墓穴を掘ってしまった。
「冗談、ね」
おもむろに私の前に立ったリーバルの両翼が、私の逃げ場を奪うように欄干を掴む。
怒ったような視線に睨み下ろされ狼狽えながらも、頭の隅ではいつだかこんなことがあったな、だなんて暢気なことを浮かべる自分に呆れる。
「他人と比べられるのも癪だけど、過去の僕と比べられるなんてもっと心外だね」
「だ、だから、ただの冗談……っ」
「冗談だとしてもだ」
じっと落とされる翡翠の目には、どことなく悔しさが滲んでいる。
これは……あれかな。もしかして、嫉妬してる……?
そんな目で見つめられたら、からかったりなんかして悪かったな、という気持ちとは裏腹に、別の感情が芽生えてくる。
どうしよう。何だか、ちょっとかわいく思えてくる。
「ふはっ……」
思わず笑いが込み上げてくる。
「何を暢気に笑ってるんだい?こっちは本気で怒って……」
「リーバル、ごめん。何かかわいい」
「かわ……、はあ!?馬鹿にしてるのかい?」
「ちが……ふふっ」
どうしよう。抑えきれない。
怒りはどこへやら、困惑に染まる彼の表情に愛おしさが込み上げてくる。
両手で口元を隠し必死で笑いを堪えようとしていたが、その手を強い力で掴み上げられ、一瞬にして興奮が収まる。
見上げた彼は羞恥と怒りの入り交じった複雑な顔を浮かべ、ぎり、とくちばしを噛みしめている。
「……もう許さない」
掴まれた手を振りほどく隙も与えられず、後頭部を引き寄せられる。
乱暴な手つきについ体がこわばるが、待ち構えていた口づけは落とされず、代わりに強く抱きしめられた。
せっかく姫様にセットしてもらった髪が、リーバルの指でぐしゃぐしゃになっているのが見なくてもわかる。
彼の腕から伝わる想いに負けじと、私も彼の背を強く抱きしめる。
もう何度もこうして抱きしめられているはずなのに、どうしてだろう。彼の香りを嗅ぐと、鼓動が激しくなるのは。
「好き……大好き」
噛みしめるようにそう囁くと、応えるように腕の力が強くなる。
「……あ」
急な展開でつい忘れかけていたが、ふと本来の目的を思い出した。
リーバルの腕の中で身をよじりポケットのなかに手を伸ばすと、名残惜しそうに腕を解いてくれた。
木箱に乱れがないことを確かめ、意を決して彼の目の前に差し出す。
「なんだい、これは?」
「あなたへの……贈り物、です」
ぽかんとして箱を見つめるリーバルに、開けるよう促す。
指先でそっと開かれていく木箱のふたに、緊張が高ぶっていく。
「その……どう、かな?」
「まさか、このタイミングで僕の方がプレゼントを受け取ることになるなんてね」
含みのある物言いに小首を傾げるが「いや、こっちの話だよ」とうやむやにされる。
そんな風にごまかされるとかえって気になって仕方がないが、彼が木箱のなかから取り出したブローチを差し出してきたことにより聞きそびれてしまった。
「せっかくだ、君がつけてよ」
「わ、わかった」
リーバルの指先に光る、彼の瞳と同じ翡翠のブローチ。
こぼれ落ちないようにそっと受け取ると、彼のスカーフに手をかけ、ブローチの針を差し込む。
「すごく似合ってるよ」
装飾のついたスカーフを持ち上げながら「当然だよ」と微笑むリーバルに、ほっと胸をなでおろす。
「……ありがとう、アイ」
彼の口からあまり発せられることのない言葉に拍子抜けしてしまったばかりに、つい不覚を取ってしまった。
ふたたび引き寄せられた後頭部に驚く間もなく、彼の呼吸が間近に迫る。
絡みつく大きな舌。彼のペースに呑まれないように必死で思考を保ち応えようとするが、呼吸を奪うような強引なキスに、だんだん頭がくらくらしてくる。
身も心も溶かされてしまうんじゃないか。そんな気にさせられるほどに、甘い。
「……?」
つい夢中になり過ぎて気づくのが遅れたが、何だか左手にひんやりとした感触がする。
しかし、そちらに気を取られそうになっている私を見透かすようにリーバルの目が細められ、あろうことか私の背中を探り始めた。
触れるか触れないかくらいの艶めかしい手つきで背中の溝をなぞられ、ぞくりとした感覚が這い上がり、思わず体がびくりとしなる。
こんなとこ、誰かに見られたら……っ!
羞恥と焦りでせめぎ合う気持ちとは裏腹に、この状況が長く続くことを望んでいる自分がいる。
けれど、与えられていた甘美な感覚は、もどかしいタイミングでお預けとなった。
長らく絡められていた彼の舌がぬるりと口内から去ると同時に、両翼がそっと両肩にかけられる。
互いの乱れた息が、日暮れの冷たい空気に溶ける。
とろけきった顔を隠そうと口元に手を宛がおうとしたとき、左手の薬指に光るものを見つける。
「これって……」
「ハイリア人は……ここぞというとき、相手にこういうのをプレゼントするんだってね」
「もっとも……君はハイリア人じゃないようだから、こういう文化が通用するのか知らないけど」と続ける彼の言葉は、最早耳を通り抜けていた。
胸が詰まって、言葉にならない。
拭ってもまた溢れてくる涙でよく見えないが、リーバルは困ったような笑みを浮かべているような気がした。
大きな翼が優しい手つきで私の頭をなでる。
「覚えているかい?あの約束……。いつかバーチ平原の木の下で交わした約束だよ」
囁くように、ぽつりと告げられた言葉。
無論、記憶を取り戻してから一度たりとも忘れたことなんてない。
応える代わりに何度も頷いてみせると、リーバルは声を出して小さく笑った。
「君にしちゃ偉いじゃないか。……なんてね」
口では冗談めかしながら、塗れた頬を包み込む手は優しく、大きな親指の先が私の涙をそっと拭い去っていく。
「君が僕のパートナーである証だ。……肌身離さずつけておくんだね」
深く頷いて、精一杯の笑みを浮かべると、リーバルはどこか安堵したように笑みを浮かべ、頷き返してくれた。
唐突に鳴り響く破裂音。はっと互いに顔を見合わせ、欄干から身を乗り出す。
見上げると、微かに灰色を帯びた砲煙が中空を漂うのを見つけた。
間もなく、ホールから人々の歓声が届く。どうやら祝砲が打ち上げられたようだ。
「やれやれ、ムードが台無しだね」と呆れ気味に額を抱えるリーバルに「そうだね」と笑って返しながらも、胸中は大きな喜びで胸がいっぱいだ。
(2024.3.30)