天翔ける:本編

9. 叙任式~六人の英傑

とある日の明け方。
ハイラル王の名の下、英傑の叙任式が執り行われることが、伝令により伝えられた。
日が昇るより少し前だったためか、伝えに来たのはいつのも侍女ではなく衛兵で、急いでいる様子から多くを尋ねることはためらわれた。

“英傑”というくらいだ。優れた人にこそ与えられるべき称号だ。

神獣の繰り手の四名に加え、先日はリンクが退魔の騎士に選ばれた。
きっと、彼らのことだろう。

みんなが兵士たちのなかで国王から栄誉を賜るところを想像して気持ちが弾むが、少し寂しい思いもある。

「みんなが”英傑”になってしまったら、今までみたいには気軽に話せなくなってしまうのかな……」

あの日の夜、私のとなりでそよ風に身を委ねながらトラヴェルソの音色に耳をかたむけていたリーバルの姿が浮かぶ。

彼とははじめこそ険悪な空気になってしまったが、あの夜以来少しずつ打ち解けられている。と、思う。
気難しい性格である以上はみんなと同じく気軽に接することは難しいけれど、それでも彼からはみんなと私に接するときの態度の違いが少しだけ、ほんの少しだけ感じられる気がする。
少しは私のことを気に入ってくれていたらいいな、なんて、おこがましいだろうか……。

そのとき、控え目に扉がノックされた。

はい、とノブを捻る。開いた扉の先には、青の衣を手にしたゼルダが立っていた。
普段カチューシャのように編み込まれている髪は、くしけずられてはいるものの下ろされており、簡素なドレスを身にまとっているところからしても、起き抜けに私の部屋を尋ねてきたことは明白だ。

それでもきちっとして見えるゼルダの姿に、自分がまだ髪もとかしていないことを思い出し、フードでは隠しきれていない乱れ髪を手櫛で整えようとすると、そんな私をクスクスと笑いながら声をかけてきた。

「おはようございます、アイ

「お、おはようございます、ゼルダ様……」

「入りますね」と一声かけて部屋に入ってくるなり、手にした青い衣を私の机の上に広げ始めた。

扉を閉めると、彼女のとなりに歩み寄り、手元をのぞき込む。

「ゼルダ様、これは……」

私が尋ね終える前に準備が整ったようで、目の前に青い衣……マントが広げられる。

ところどころに施された細やかで洗練された刺繍に、窓辺のクッションを手にしたときのことを思い出す。
ゼルダが幼少のころ、亡き王妃から刺繍を教わったという、彼女の言葉を。

「……これを、私に……?」

「ええ……」

はにかみ笑いを浮かべるゼルダに、私は思いきりハグしたい衝動が芽生える。
リーバルにしろ、ゼルダにしろ、この世界の人々はなぜこうも私の心をくすぐるのがうまいのか。

しかし、ふと疑問に思って、このマントを私のために仕立てた理由を尋ねた私は、その衝撃の事実に声を押さえるのを忘れ大声で叫んでいた。

「えええええ!!
わっ、私が、英傑!?そんな馬鹿な!!」

ゼルダは「しーっ」と人差し指を立て私を制した。
しまった、このことはまだ一部の人間にしか知らされていないのだった。

しかも今はまだ明け方だ。
つい興奮して柄にもなく大声を出してしまった自分が恥ずかしい。

「陛下は、先のイーガ団襲来にて、あなたの活躍に目をとめ、能力を高く評価しています。
コログの森で、体を張って私の盾になってくれたことも」

「それは、当然のことをしたまでで……」

ゼルダは、ふわりと微笑むと、こう言った。

アイ。あなたは自分を卑下しすぎです。
あなたは役立たずなんかじゃありません。もっと自分に自信をもって」

ずいっと差し出されたマントを、ためらいがちに見つめる。

澄み渡る空のように美しい青。
そこに描かれた、音符のような模様。

この世界での自分の存在意義について、いつも考えていた。

困ったときは、いつも誰かに助けられて。

何とはなしにやってみたことがとんでもないことを引き起こして、勝手に戸惑って。

分をわきまえず偉そうなことばかり言って。

こんな自分を、ダメなやつだとばかり思い込んでいた。

けれど、そうじゃないんだ。

私の価値は、自分で決めるものじゃない。
周りがどう思っているかで決まるんだ。

私が自分で決めるのは、どうあるか。
どうありたいか。

「……心して、努めます」

迷いを捨て、青の衣を手に取った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ノックがされ、ドア越しに声がかかる。

「間もなく叙任式です。控え室にお集まりください」

「わかりました」

私はベッドから立ち上がると、部屋の扉を開いた。

青のマントが、一歩踏み出すごとに揺れる。
いつもはフードに覆われ風を受けることが少ない髪も一緒に揺れるものだから、何だかくすぐったい。

開けた視界で見る城内は、想像以上に圧巻だ。
廊下の果てまで敷かれているレッドカーペットは、もはや足裏の負担軽減の役割しか果たしていないのでは。
そう思うほどに天井が高く、足音を忍ばせても微かに反響する。

それはともかくだ。
先ほどから兵士や侍女たちの視線が痛い。
まるでガーディアンに照準を定められたときのようだ。

廊下ですれ違うたびに何度も振り返られ、ひそひそと話し込む様子に、このあとの叙任式のことを想像し、控え室に向かう足取りが重くなる。

ゼルダや国王が認めてくれたことに後押しされたのもあった。
けれど、リーバルがあの日の夜、何気なく私に言った言葉に強く背中を押された。

“どんな奇異の目で見られようと、君は君、だろ?”

月明かりに煌めく穏やかな翡翠を鮮明に思い出し、ぶんぶんとかぶりを振る。
ドキドキと鳴るこの胸の音は、開式が近いせいだ。

「やっぱり、早まったかな……」

とうとう控え室の前に着いてしまった。
扉の兵士に会釈したが、怪訝な顔をされ、手にした槍で行く手をふさがれる。

「何者だ」

私はマントの裾を少し広げると、軽く膝を曲げてお辞儀をし、手を胸に添えて兵士を見据えた。

「楽士のアイです。
叙任式に参列せよとの命により参上いたしました」

兵士は私の格好を上から下まで見下ろすと、はっとしたように顔を上げ、槍を引いて敬礼した。

「失礼つかまつりました、楽士様!どうぞお通りください!」

ありがとうございます、と声をかけ、大きな扉に手をかける。

重い扉を開け、中へ入ると、すでに面々がそろっていた。

凛と澄ました姿勢で微笑むゼルダのとなりで、腕組みをしながら彼女に優しく声をかけるウルボザ。

朝から豪快に笑いリンクの背中をドン!と押すダルケルに、息を詰めてむせるリンクと、それをかたわらで見守りながら困ったようにクスクス笑うミファー。

朝の光が差し込む奥の窓辺に腕組みをしながらもたれ、外の景色を眺めているリーバル。

まだ私の到着に気づいた様子はない。

私は、一呼吸ついて、声を張った。

「おはようございます!」

私の声に、みんなの視線がこちらを向き、一瞬にして驚きに染まった。

相変わらず笑い続けるダルケルの腕をミファーがトントンと小突き、こちらを示したことで、ダルケルの口からも「うん!?」と驚きの声が上がる。

アイ……フードが……!」

ウルボザと顔を見合わせたゼルダが、口元を覆った。

静まり返った室内に、どうして良いかわからず、固まったままのみんなの顔をきょろきょろと見渡す。

あのリーバルでさえ、口をポカンと開け、こちらを見ているものだから、時が止まったんじゃないかと錯覚する。

「あの……」

「あんた、こうして見ると案外かわいいじゃないか!」

ウルボザは腰に手をあてると、私の顔をのぞき込むように腰をかがめた。

彫刻のように整った鼻筋の美女に「かわいい」などと言われるとは。
同性からの褒辞にもかかわらず不覚にも照れてしまう。

「いつもフードなんてかぶってっから、一瞬誰だかわかんなかったぜえ。
おめえ、そんな顔してたんだなあ」

奥からドシドシと歩いてきたダルケルは、屈託のない笑みを浮かべてそう言った。
ウルボザよりも背の高い彼は特に驚かせてしまったことだろう。
彼よりもずっと小さい私がさらにフードなんかで顔を隠していたのだ。
もしかしたら、彼のなかの私は、ほかのみんなが抱くよりも「フードの人」というイメージが強かったんじゃなかろうか。

「私は、優しいアイさんの雰囲気のままだと思うけどなあ」

手をあごに添えながら見上げてくるミファー。
私なんかよりよっぽど彼女の方が朗らかで優しいはずなのに、そんな彼女にそう言ってもらえたことが嬉しくて、頬が緩む。

しかし、そんなみんなのあたたかな声を切り裂くように、奥から高笑いが響く。

その声にみんなの顔つきが「また始まった」と言わんばかりに諦念に染まる。

「かわいい?優しい?なに調子のいいこと言ってんの。
君たちの目は節穴どころか風穴でもあいてるんじゃないのかい?」

片方で後ろ手を組み、もう片翼を仰々しく広げながらおもむろに歩み寄ってくるリーバルは、私のかたわらまで来たものの、こちらを見ようともしない。
みんなの顔をなぞるように見渡し、なおも続ける。

「たかだかフードを一枚脱ぎ取ったくらいで大げさに騒ぎすぎだよ。
むしろ今まで王の御前でも頑なに脱ごうとしなかったことを責めるべきだろ」

「リーバル!」

ウルボザの一喝と同時、リンクの手が背後からリーバルの頭を鷲掴み、私の方を無理やり向かせた。

大きく見開かれた翡翠の目が、私を捉えたまま揺れ動いている。

じっと見つめられ続けるこの状況に、だんだん耐えきれなくなって、腕で顔を隠しながら目を反らした。

「あんまり、じろじろ見ないで……」

精いっぱいの懇願は、小声でしかつぶやけなかったが、それでも彼には届いたらしく、はっと目をまたたくと、未だに自分の頭を掴んだままのリンクの手をすかさず払いのけ、抗議し始めた。

紺色の羽毛に覆われた彼の頬が、少し赤みがかって見えたのは、気のせいだろうか。

こうしてようやく素顔をさらけ出した私は、くすぐったいような、それでいてすがすがしいような心持ちで叙任式に臨んだ。

戦士たちよ。
命を賭した任を引き受け、今日この場に集ってくれたこと、感謝する。

そなたたちをハイラルの英傑に任じ、その衣を与えよう。

ハイラル王の宣言が高らかに掲げられ、式は滞りなく執り行われた。

会場は”英傑”の誕生に沸き上がった。
このことは式に参列していた各種族の者により通達され、ハイラル全土に知れ渡ることとなった。

祝いの祝砲が打ち上げられたのを合図に、城下町では祭りが開催されたという。

(2021.4.14)

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